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■2月28日 先日、 『今、結婚式の余興の内容をどうするかみんなで話し合っているところ』 という内容の電話を結婚する本人から受けました。 斬新だなと思います。 ----- 先日、 『兄に第2子が生まれた』 ということを父親からメールで知らされて、兄からは一切連絡がなかったです。 斬新な家族関係だなと思います。 ----- 先日、 『モスキートーン』を聞き取ることが出来たと喜んでいたら、一週間も経たないうちにもう聞こえなくなってました。 韻を踏む気力もなく、ただただ残念だなと思いました。 ■2月27日 昼に焼いもを貰って食べたのですが、メチャメチャ美味しかったです。 改めてもう一個買いに行こうかと思ったりもしました。 ちなみに『焼いも』って『焼芋』と書くとあんまり美味しそうに感じない気がします。 私的に『焼いも』の書き方の優先順位はこんな感じだと思います。 【焼いも>>>焼イモ>やきいも>焼きイモ>ヤキモイ>焼き芋>焼芋】 『焼いも』と『焼イモ』の間には越えられない差があるとさえ思います。 ちなみに上記のどうでもいい不等式の中で、間違いにスグに気づけなかった人は注意力が足りないと思います。 ■2月26日 南の島の海は遠浅な場所が多いです。 西表島に住んでいたとき、満月や新月の引き潮のときは普段海だった所を500Mくらい沖まで歩いていくことが出来ます。 途中むき出しになったサンゴや、岩場に逃げ遅れた魚たちが見られて中々面白いです。 ある日の真夜中午前2時、新月、最大干潮時。 懐中電灯を片手にサンゴの間を散策していたときのこと。 うっかり転んだ拍子に懐中電灯が潮溜まりに落ちてしまい使用不能になりました。 新月なので周囲は一気に闇に包まれます。 奇しくも最大干潮時を過ぎて数十分後。 一気に潮が引く日は、当然のごとく一気に潮が満ちてきます。 潮は既にヒザより上。 そろそろ戻らないとヤバイと考えていた頃。 ちなみに知らないとイメージしにくいかも知れませんが、むき出しのサンゴって凶器となんら変わりないです。 見た目がキレイとかの視覚的要素を除けば、単に鋭利に尖った岩の塊でしかないです。 つまりここから浜辺までの数百メートル、目に見えない危険物を避けながら帰らなくてはならなくなった海パン姿の私。 背中からはザザー、ザザザーー、と無慈悲に迫ってくる波の音。 寒い、怖い、帰りたい、という焦りと不安の中で泣きそうにもなりました。 足元は擦り足、両手を前に突き出して盲人のごとく手探りで進む。 (これは岩か?サンゴか?右か?左か?よじ登ったほうが早いか?) 慎重にゆっくりゆっくり40〜50分程かけて浜辺へ戻ってきた頃には、海水は既に胸元まで満ちてきていました。 浜辺では当時の同僚の山田さん(仮名)が泣きそうな表情で待ってて、 「沖のほうで電気が消えた時点で、絶対死んだと思いました。」 とか言われました。 当時はそれほど気にしてはいなかったつもりですが、ほぼ無傷で戻ってこれたのは本当に運が良かったのだと思います。 山田さんが通報を思いとどまって、大騒ぎにならなかったことも本当に運が良かったのだと思います。 このオチの弱い思い出話には、実はまだ誰にも言えない裏事情が秘められているのですが、彼女のためにもそこはまだ封印しておくことにします。 今思えば、山田さんが通報を思いとどまった理由もそこにあったのだろうと思います。 ■2月25日 部屋の一角。 植物が邪魔で時計が見えにくいことがよくあって、眉間にシワをよせる日々がかれこれ1年以上続いています。 葉っぱと時計で、『葉とトケイ(鳩時計)』みたいなオヤジギャグを思いついてしまったので、忘れるためにもさっさと模様替えをしようと思います。 ■2月24日 以前血液検査室で働いていた頃、一日に数千件の血液検体を光学顕微鏡でチェックしていました。 そのほとんどが学校や会社の集団検診のものだったので、異常な検体はごくごく僅かだった記憶があります。 一つの検体にかける時間は健康なものなら10〜20秒ぐらいだったと思います。 病的なものは数分、場合によっては6時間以上かかっていました。 ※この時間差のひらきは、ヤバそうなものは状況に応じて様々な染色方法を試す必要があったからで、個人の能力的な要素よりは検査方法の染色時間に左右される傾向があったと思います。 染色反応が出るまで2時間待ちとかありえないと思いました。 もちろん慣れてくる内に、面倒な染色は他の作業と平行して進めておくことが出来るように要領が良くなってはいました。 でも仕事が終わりそうな時刻に、 「○○君、これ鉄染色よろしくー。」 とか言われると普通に殺意のオーラとか出してたと思います。 「上手く染まってないなー、もう一回染色やろうか。」 とか課長に言われて、軽く舌打ちした記憶もあります。 「健康なのが一番だな、、、。」 と、不謹慎なことをよくつぶやいていたことを思い出しました。 ■2月23日 肌寒い風の中、メールを打ちながら歩いて自分のマンションまで帰ってきました。 あと少しでメールが打ち終わるところだったので、ドアの前で1〜2分程立ち止まってメールを打ってました。 メールを打ち終わってからドアを開けようとして、そこが自分の部屋のドアじゃなかったことに気づきました。 他人の部屋の前で黙々とメールを打っている時点で、部屋の主に通報されても文句は言えなかったんじゃないかとも思います。 もし自分の部屋の前にそんな人がいたら、怖くて声をかけることも出来ないだろうとも思います。 マンションの部屋のドアって全部同じで分かりにくいのに、みなさんどうやって判断しているのか不思議です。 ちなみにマンションの廊下は夜に写真を撮ると不気味さが漂うので要注意です。 ■2月22日 両手で口元を覆って、無意識に口臭のチェックをしたら物凄く玉ネギ臭くて自分でちょっとドン引きしました。 とりあえずコーヒー飲んだりガム噛んだりブレスケア飲んだりしたりしてみましたが、全然消えない玉ネギ臭。 それに気づいてから正直神経質にピリピリしていたような気もします。 我ながら小心者だと思います。 でもさっきトイレに行って石鹸で手を洗ってきたら、玉ネギの匂い消えました。 ■2月21日 花粉症の症状がひどいので、午前中会社を休んで耳鼻科に行ってきました。 受付時間の15分前に行ったら、既に30人も並んで待ってる状況。 窓口にたどり着いた時点で、 「診療時間はお昼過ぎになります。」って言われる始末。 それから会社に行ったのですが、遅刻もせずに定時前に余裕で間に合うことができました。 診療時間がちょうど仕事の合間のお昼休憩をとれる時刻と重なっていたので、結局会社を休む必要は全く無かったです。 ある意味運がいい。 いや、むしろ単純に悪いのかもしれません。 ■2月20日 花粉症の症状が出始めてからティッシュの消費量が尋常じゃないです。 思春期か!とツッコミを入れたくなったりもします。 言ってみてから、それはどうかと思わされることが最近よくあるので気をつけたいと思います。 ■2月19日 クラス会とかで久々に会って、昔話で盛り上がって電話番号の交換とかをしたりした友人って、それ以来一切連絡をとらない傾向があると思います。 でもその友人が同性か異性かというだけでも意見は分かれるとも思います。 性別だけで単純に4通りの違いがあると思います。 男性が----久々に会った男性の友人の場合 男性が----久々に会った女性の友人の場合 女性が----久々に会った男性の友人の場合 女性が----久々に会った女性の友人の場合 でも個体を無視して性別のみで判断しようとするのは現実的にナンセンスなので、この考え方はあまり意味が無いとも思います。 こんな形容詞をつけると結果がちょっと分かりやすくもなります。 男性が----久々に会った(魅力的な)男性の友人の場合 男性が----久々に会った(魅力的な)女性の友人の場合 女性が----久々に会った(魅力的な)男性の友人の場合 女性が----久々に会った(魅力的な)女性の友人の場合 多分予想できる結果は全部同じ答えになると思います。 もちろんカッコ内の言葉次第で、結果が180度変わるものでもあると思います。 『面白い』とか『カッコいい』とか『結婚している』とか『子供がいる』とか、個体の要素をちょっと加えた途端に結果が変化してしまいます。 主語の存在にも形容詞を加えて考える必要もあると思います。 色々と議論できる部分はあるのですが、枝分かれし過ぎて面倒くさい上に不毛極まりないので、これ以上はやらないことにします。 ■2月18日 鼻炎薬が結構効いています。 先日薬が効かなくなったと言ってから、舌の根も乾かないうちに言い直してみました。 実際昨日と今日は花粉症の症状がそれほど出てません。 先日の頭痛や鼻水が酷かったのは、単にそのとき体調が悪かったからなのだろうと思います。 ちょっと風邪をひいていたっぽいです。 どうやら花粉症の時期は自分の状態すら正確に把握出来ない身体になっているようです。 今も若干頭がぼんやりとしたり、意識が途切れそうな予感もします。 単に眠いのだろうとも思います。 いや、やっぱりまだ風邪をひいているのかもしれません。 どうやら症状が出ているのに、それに気づけない身体にもなっていることに今気づきました。 ■2月17日 中学生の頃の期末テストの中で、ひときわ異彩を放っていたのは『美術』だったと思います。 解答用紙の八割方が空白で、そこに指定された絵を描くという問題が必ずありました。 『自分の左手を好きなカタチで描きなさい』とか、『問題用紙をクシャクシャに丸めたものをデッサンしなさい』とか、それなりに面白い問題だった記憶があります。 生徒が突然問題用紙をクシャクシャに丸め始めたのを見て、教室にいた担当の教官が「何をしている!」と怒りだしたクラスもあったらしいです。 『今教室にいる先生の顔を描きなさい』という問題もあったと思います。 テスト中に教室の生徒が全員、担当の教官を凝視。 数十人の生徒の視線を一気に受けて、何が起こったのか分からず挙動不審になってしまった先生もいました。 でも多分自分が先生の立場だったら、生徒たちの無言の視線が集中した時点で絶えられなかっただろうとも思います。 ついつい謝ってしまうかもしれません。 何に対して?と聞かれると、あることないこと様々な予想が思い浮かぶことでもあります。 ■2月16日 花粉症で鼻が詰まっている状態での食事は結構しんどいです。 モグモグと口を動かしている間は呼吸が出来ません。 たまらず口を開けて空気を吸うのですが、口の中のものによっては、そのまま空気と一緒に器官に入ってきてしまいます。 当然むせる。 咳き込む。 飛び散る。 人前でなくて良かったと思える惨劇が出来上がります。 もちろん一人でも肩を落としたくなるような現場でもあると思います。 ■2月15日 中学生の頃、テストの時間の後半が暇だった記憶があります。 もちろん余裕があったわけでも、解答用紙を全てを埋めていた訳でもなかったと思います。 直感的に自分の今の学力では考えても出来そうもない問題だということが理解できていたのだろうと思います。 私の中学校はテストが早く解き終わったからといって、教室を退出できるシステムではありませんでした。 早くに問題を解き終わった人の多くは、机に突っ伏して寝ていたと思います。 頭の良い人たちは、何度も見直しをしてケアレスミスの修正に余念が無かったと思います。 私は見直しとかそういったことが嫌いだったので、一通り問題を解き終わったらさっさと寝てしまっていました。 良い意味で自分を信じていたのだろうと思います。 何度裏切られても信じ続けていたと思います。 切ない片思いだったのだなと思います。 ----- 中間や期末のテスト期間中は、毎時間テストだったので寝飽きてくることもありました。 窓の外を眺めてみても、もちろん校庭には誰一人いないのでつまらない。 以前答案用紙の裏に落書きをしている生徒が怒られていたので、そんな遊びも出来ず。 そんな中、答案用紙の四隅をちょっと切ってみたときがありました。 四角い答案用紙の角がとれて、ちょっとだけお洒落になったなと思ってたりもしました。 3〜4教科くらいは続けて解答用紙の四隅を切っていました。 最終的には先生から「そんなことをしている暇があったら、、、」的なお叱りを受けました。 後々聞いた話では、先生が解答用紙の右上隅に穴を開けて紐を通そうとしたときに、私の答案だけ穴が開かず落ちてしまいイラッときたということを教えてもらいました。 正直今でもテストの類で暇があれば、角を折ってしまう癖は残っていると思います。 もちろん今では、折るだけにとどめて切らずに残しておくという、耐性のある立派な大人になっているということは自信をもって主張しておきます。 ■2月14日 コンビニでチョコバナナオレが気になってつい買ってしまいました。 買ってから自分があんまりチョコバナナを好きじゃなかったことに気づいたりもしました。 CDのジャケ買いのような感覚だったと思います。 商品販売戦略において、パッケージって重要なファクターなのだと思わされた一品。 このパッケージをプレゼンした人とは、友達になりたいような気もするし、なりたくないような気もします。 気が合うか合わないかと言われれば、磁石の同極同士のような存在なのだろうとも思います。 色気ボクロの有無については意見が分かれるところだとも思います。 ■2月13日 昨日花粉症の症状が出ないようなことを言った矢先に、鼻水鼻づまりが発症し始めました。 3日目にして早くも薬が効かなくなったのかもしれません。 (身体の機能が薬に順応してしまったのだろうか。) そこは花粉の方に順応して欲しいです。 そんな願いもむなしく、今日から本を読んで過ごす眠れない夜の再開。 分厚い小説を買っておいてよかったと思います。 でもこのペースだと、あと数日で読み終えてしまいます。 こういうときは実用書や雑学書を読むのがいいと思います。 経験上、ためになる本は大抵眠くなってくれます。 眠れないのに無理やり寝ようとするよりも、力尽きて眠るほうが身体にも良いのだろうとも思ってます。 花粉症のシーズンは、使えない無駄知識が増えていく時期でもあるのだと思います。 ■2月12日 市販の鼻炎薬を服用してからすっかり鼻水が出なくなりました。 おかげで日々ガンガンに花粉を吸いまくりながら無症状で生活出来ています。 その為なのか、若干の頭痛や胸焼けのような膨満感が不規則に現れるようになった気もします。 薬の副作用的なものだろうと思います。 でも正直言って、花粉症が引きこすあの不快感に比べたら微々たるものだと思います。 軽微な症状で済むのであれば、むしろ歓迎したいです。 小さなことには目をつぶります。 人生はこういった小さな妥協で塗り固められているものだと思います。 ちなみに『妥協』するときに、『大目に見る』と言い換えて考えてみると、上から目線で余裕が持てます。 ■2月11日 最近の私の日常の中で、携帯電話を持ち歩く意味が無いことに気づきました。 電話がかかってくることなんてごくごく稀ですし、メールも九分九厘迷惑メールが占めています。 どちらにしろ昼間は仕事で電話に出られないのですから、部屋に置きっぱなしでもまったく問題はないと思います。 むしろ携帯の電源を切っておいて、帰ってきてから着信やメールをチェックすればいいと思います。 固定電話並みの扱いで充分です。 もし外出先で本当に早急に電話をかける必要に迫られたとしたら、近くの誰かに借りればいいような気もします。 少なくとも今日の今まで、私用でそんな緊急事態に陥ったことがないです。 何かしらの予定がある日だけ、携帯を持って行けばいいと思います。 考察するほどに、ちょっぴり切なさが漂う気づきでもあると思いました。 ■2月10日 すこし早めにいただいたバレンタインの義理チョコ群。 様々な捉え方はありますが、最終的にはありがたい話だと思います。 早速むさぼるようにガツガツ食べます。 純粋に食べ物として割り切ると実に美味しいです。 今思えばこういったハート型とかに、全力で誤解と妄想を積み重ねていた頃が一番幸せだったとも思います。 妄想といえば、先日の飲み会で『妄撮』という写真集が斬新で良いという話で盛り上がったことを思い出しました。 嫌いではないです。 ■2月9日 今日は延期に延期を重ねた新年会。 最後にはデザートに誕生日ケーキが登場。 私の誕生日は結構前なのだけれど、一緒に祝ってもらえました。 ちなみにこのケーキはお店に持ち込みです。 クリームが甘すぎず、食べやすい一品。美味しくて3口で食べ切ってしまいました。 もうちょっと食べたい気分にもさせられます。 不二家のケーキで育った私にとって、ケーキを自分で買って食べたいと思ったのは久しぶりでもあります。 普段ケーキを食べないだけにこういった情報には疎いのだけれど、もし誰かに聞かれることがあったら、あたかも自分が発見したかのように自慢気に話してやることにしたいです。 聞いた話では、この地はケーキ屋とラーメン屋が密集する激戦区でもあるらしいです。 羨ましがられる反面、逆に美味しいお店を見つけるのは大変でもあると思います。 ■2月8日 昨日の夕方あたりから花粉症らしき症状がヒドイです。 真水みたいなシャバシャバの鼻水がとまりません。 目を掻く手も止まらなくて、極度に目が充血。 鼻をかみ過ぎて鼓膜が張って頭がいたいです。 異物の侵入を防ぐ身体のメカニズムだということは分かるのですが、もう少し見た目のスマートな反応にしてほしかったと思います。 肺の繊毛が剛毛になるとか、杉の木が若干見えにくくなるとかの反応だったらよかったのにと思います。 酸っぱいものが食べたくなるとか、地味な服を着たくなるとか、そういった反応でもいいです。 部屋の模様替えをしたくなるとか、いつもと違う道を通りたくなるとかでもいいです。 最後のほうは譲歩でもなんでもないのですが、とりあえずせめて今日普通に眠らせて欲しいです。 ■2月7日 デジカメや携帯のカメラが一般的に普及してきて数年、皆なにかと気軽に写真を撮るようになったと思います。 偶然見つけた珍しいものから、何となく見えたもの、店先の商品や、飲食店の料理まで、とりあえず写真を撮っている人が目につきます。 特に外食店の食べ物はかなりの頻度で写真に撮られていると思います。 web上の日記やブログに載せる為なのだろうなと思います。 いちいち店員に写真撮影の断りを入れないことも既に一般化している気がします。 店側も最初は抵抗があったのかもしれませんが、あまりに一般化してしまった為に放置しているのだろうと思います。 ラーメンの写真を撮っている客を横目に、店主が微妙に顔を歪めている光景を目にしたことがあります。 多分女性のファンデーションばりに、今日はチャーシューのノリが悪いとか、きざみネギにばらつきがあるとか、納得がいかないことがあったのかもしれません。 見えないところに煮タマゴが沈んでしまったのかもしれません。 お気に入りのどんぶりではなかったのかもしれません。 いや、想像で書いてみましたがお店がそんなことでは困ります。 常に勝負下着で登場して欲しいです。 それが無理なら派手に飾らず素材で勝負して欲しいです。 無理に大きく見せる必要なんて無いのだと思います。 徐々に別の雑念が文章を侵食してきている気がするので、この辺で止めておくことにします。 ■2月6日 タイの農村に住んでいたとき、村の若者たちと野生のライチを採りに出かけたことがありました。 村のはずれから山を遠目に見て、若干ライチの赤い色が確認出来たら、そこに向かって真っ直ぐ進むというシンプル極まりない方法でした。 山には山道はおろか獣道すらありませんでした。 一人では登れない崖や、落ちたらただでは済まされないような急斜面。 誘われるままについてきてしまったことを速攻で後悔しました。 しかもライチの木は思ったより高くて細くて、人が登るとグングンしなります。 お構いなしにスルスルと登っていく同世代のタイ人。 枝ごと切り落とされてくるライチの実。 その様子を口をあけて見上げている私。 大量のライチを抱えての帰り道は、手が使えないだけにより一層命がけだったと思います。 タイの日常の一コマを映画化したら、普通にインディージョーンズみたいになるのだろうなとも思いました。 山に行ったメンバーの半数以上がビーチサンダルだったということを考えても、この人たちを自分のモノサシで量ろうとすることが間違っているのだと悟ったりもしました。 ■2月5日 「メガネをかけるとエロ教師みたいに見えるね。」 と言われたことがあります。 『(私+メガネ)=エロ』かつ『(私+メガネ)=教師』ということか。 いや、普段メガネをしていない私にはそんなイメージは無いのだから(多分)、メガネが全面的に悪いのだと思います。 『メガネ=エロ』かつ『メガネ=教師』ということです。 三段論法で言うと『教師=エロ』でもあると思います。 メガネを媒体に、隠されていた興味深い事実が浮き彫りになりました。 私的には単純に、自分にも『教師』という知的な雰囲気が出せるということが嬉しいです。 ある意味『エロ=知的』でもあるのだなとも思います。 ■2月4日 昨日登ってきた金時山の頂上には、『金時娘』がいる売店(山小屋)が建っているというのは有名な話らしいです。 いわゆる看板娘です。 実際には数十年前に娘だっただろう人が営んでいる店です。 金時山はリピーターが多いらしく、多い人では1800回以上登っているという記録もありました。 尋常じゃ無い回数です。 やっぱり金時娘が目当てだったのだろうかとか考えたりもします。 金時娘が若い当時からのファンが、足しげく通っていたという予想をたてたりもしましたが、だったらもう次の世代の娘がそこにいないとおかしいだろうとも思います。 『金時娘』絶滅の危機。 いや、きっと『娘』の概念は人の心の中で変化していくものなのだということでいいと思います。 昨日もちゃんとそこに『娘』はいたのだと思います。 それでいいと思います。 ■2月3日 天然記念物の駒門風穴を散策して、金時山の山頂に登って、温泉に入って、御殿場プレミアムアウトレットを見て回って、御殿場高原ビールの電飾を見て、肉喰って帰ってきました。 暗くて足元が見えません。予想以上に寒いです。上から水が滴り落ちてくる駒門風穴。 ココは金時山山頂。正面には富士山の眺望。心の清い人には多分見えます。 カーボンオフが囁かれる昨今、尋常じゃない量の電飾の道。夜なのに昼並みの光量。 やや過剰気味に御殿場を満喫してきた一日。 ■2月2日 先日座布団を洗濯機で洗ってから、中々乾いてくれません。 いや、そんなことは予想していたことなのですが、こんなにも乾かないとは思いませんでした。 乾かなさ加減が予想の範疇を大きく上回ってます。 そのあまりの乾かないっぷりの激しさにちょっとびっくりしたりもしています。 日のあたる外に干しておいて既に3日経つというのに、まだ乾ききっていません。 さっき触ってみてようやく乾いているような手触りだったので座ってみました。 座って数分後、気がつけば座布団は湿気の塊みたいな存在になってました。 不快過ぎて座っていられません。 床には座布団の形の濡れた後がくっきりと残っていました。 干しが全然足りていないらしいです。 この時期フローリングの床に直に座るのは寒いし痛いです。 ここ数日、一人くつろぎの時間にもっぱら正座です。 ■2月1日 小さい頃家の近くの道の脇に幅1.5M、深さ1.5Mくらいの水路がありました。 昔風に言えばちょっと大きめのドブ。 フタがされていなかったので、子供心に落ちたら怖いと思いながらも、そのドブをジャンプして渡るという遊びをよくやっていました。 今でこそ1.5Mはそれほど幅も深さも気になりませんが、子供にとって自分の身長よりも深い溝は、もし落ちたら自力では這い上がることが出来そうもないという恐怖感がありました。 ドブの向こう側は金網で、飛んだあと金網にぶつかってさらに落ちないようにしがみつく必要もありました。 戻る時は金網にしがみついた状態から助走無しで1.5Mをジャンプするという、小学校低学年にとってそれなりにリスキーな遊びでした。 『ドブ・オア・アライブ』です。 結果から言うと、当時の私は見事に落下しました。 あんまりよく憶えていないのですが、通りかかった女子高生に助け出された記憶があります。 どうも頭から血を流して気絶していたらしいです。 でも事実は微妙に違ってたと思います。 本当はちゃんと意識があったのですが、自力で這い上がるのは大変だと思って、助けがくるまで寝たフリをしていたらそのまま寝てしまっていたというのが真実です。 上で女子高生が騒いでいたのは何となく知っていましたし、抱え上げられたときも早く上にあげてくれないかな、、、などと考えていました。 頭の怪我は3針縫った程度で済んだと思います。 当時とても衛生的とは言えないドブの中に、制服が汚れることもいとわずに飛び降りて、ヘドロにまみれた私を救い出してくれた女子高生のことを考えると、いくらお礼を言っても足りないくらいだと思います。 その後女子高生にお礼を言う機会もあったのですが、『気絶していたので顔を見ても何のことだかよく分からない』というフリをしていたと思います。 子供って、子供であることをそれなりに理解して利用している生き物なのだと思います。 思い出しながら書いていくうちに、幼少時代の業の深さと申し訳ない気持ちでいっぱいになって、凄くブルーになった過去の追憶。 ■1月31日 他人から強く勧められたものって、大抵満足しないことが多いと思います。 『凄くいい!』とか『絶対ハマる』とか事前に言われてしまうと、過度に期待をよせてしまうからだと思います。 逆に普段何気ないところで自分が発見したものが、若干良いものだと何か凄く得をした気分にもなります。 『通常よりもちょっと良い』程度のものなのですが、妙に誇張して感動を伝えがちです。 『品物』でも『話』でも『人』でもその傾向はあると思います。 建前上相手に同意することはありますが、それで心底感動を共有できたことは人生においてごくごく僅かだと思います。 なので自ら何かを勧めるときは色々と考えてしまいます。 誰かに強く勧めたいのですが、そんな自らハードルを上げる行為はしたくありません。 かといって強く勧めなかったら興味すら持ってもらえないというジレンマがあります。 ゼロか1以上ということであれば、勧めるべきなのだろうとは思います。 でもやっぱりその作品の評価が下がってしまう気がするので、勧めるべきではないのかとも思います。 上手い具合に何気なく伝えるのが良いのですが、そこまで頑張って考慮して相手に伝えたいほどでもないような気もします。 話は変わって悪い評価の場合は、『そんなに悪い人じゃない』という逆にプラスの好印象に働く嬉しい誤算もあります。 最後の文が評価対象視点なことに関しては触れないでいただきたいです。 ■1月30日 文庫本の小説をひと月に2冊程度読みます。 確実に話が完結することと、全体のページ数からだいたいあとどれくらいで終わるのかが分かるという安心感があるから好きなのだと思います。 延々とハマる危険性も無いし、数日で読み終わってくれます。 連載モノは嫌いではないのだけれど、連載中のものはあんまり読みません。 よっぱど面白いとかの前評判が無いと、長編はあんまり読んでいません。 ドラマやアニメも同じ傾向があります。 読みきりの話はある程度予想がつけられて想像通りにコトが進むので、それほど疲れや面倒も感じなくて精神的にも爽快です。 多分長編の話は先が読めないうえに、自分の人生だけで勘弁して欲しいからなのだろうとも思います。 正直コッチは波が不規則過ぎて話にもなりません。 精神的衛生上も果てしなく微妙だと言わざるを得ません。 ■1月29日 北海道在住の姉から送られてきた品々。 別に食べ物に困っているわけではないのですが、カレーもラーメンも好きなので、しばらくはこれを食べ続けると思います。 インスタントとはいえ馬鹿に出来ないラインナップ。 実際に美味しかったです。 北海道は侮れないなと思います。 姉が近々東京に転居するという話を聞いて、もっとたくさん美味いもんをねだっておくんだったとちょっと後悔したりもしました。 でもサケとかウニとかカニとかを送られてきても結構困ると思うので、やっぱりこれで正解だったのだと思います。 年上の女性のチョイスはそれなりに深い。多分。 ■1月28日 知り合いから土産にもらった瀟洒なお菓子、『なごや嬢』。 何かと物議を醸し出しそうなネーミングセンスが漂う『なごや嬢』。 初めて食べた『なごや嬢』の味は普通でした。 いや、やっぱりそれなりに『なごや嬢』は美味しかったと思います。 甘さが控えめでいい感じだった『なごや嬢』。 想像通りのお洒落な味わいだった『なごや嬢』。 総合的に『なごや嬢』は悪くない味だったと思います。 どんな言い方をしても『なごや嬢』的に怒られそうな危うさはあると思います。 ■1月27日 西表島のジャングルをガイドしていたとき、くるぶしが隠れるタイプのヒモ靴を常用していました。 毎朝ギッチリと固くヒモを結んで出発。 ある朝、靴ヒモを結んで軽く走り出した途端、足先に猛烈な激痛。 (ががっ!ぎっ!んーーー!!!) もう痛すぎて声にならない絶叫。 明らかに靴の中で何か異変が起こっている様子。 慌てて靴を脱ごうにも、ヒモが固すぎて中々脱げず。 やっとのことでヒモをゆるめて靴を引っこ抜くと、靴の中から亜熱帯サイズのムカデがグネグネと這い出してきました。 反射的に持っていた靴で叩き潰す。 ちなみにムカデに噛まれたときの痛さって尋常じゃありません。 『毒』のタイプは、ただただ激痛を発するというある意味タチの悪いものでもあります。 大人がくじけそうな痛みです。 これは仕事にならないと思い、職場の代表に報告。 「ずびばぜん、、、足をムカデにやられました、、、。」 「ん?どれ?あぁ、そのムカデね。それは痛いよ。まぁ、痛いだけだから。うん。」 「・・・・・・・。」 「・・・・・・・。」 「はぃ。」 今日の仕事のことには一切触れようとせず、早く仕事に行けということを暗に示唆した鬼のような沈黙。 痛みだけで害がないことを知らなかったら、心が折れていたと思います。 休みたい気持ちを満載にしたまま、その日のガイドに出発。 常に歯を喰いしばっていないと痛みを我慢出来なかったので、しかめっ面のままお客さんにありのまま説明することから始めることに。 「すいません、今朝ムカデに噛まれまして激痛でこんな顔ですが、気にしないでくださいね。」 自分でもそれはどうかと思う説明でしたが、我慢して笑顔を振舞うとかいう次元の痛みじゃなかったので、仕方が無かったとしか言いようがありません。 ちなみに約2時間で毒の効力は切れ、今までの痛みが嘘のようにスーーっと消えていくのはちょっと感動ものでもありました。 おかげでツアーの後半はやたらとテンションが高かったような気がします。 その日以来、靴を履くときのムカデチェック(もしくはサソリチェック)は必須項目になりました。 靴を地面に叩きつけることから始まる西表島の朝。 ※ムカデは思いのほか身体が平たい上に、普段丸まってジッとしているので、靴のつま先の遊びの部分に潜んでいた場合、靴を履いても気がつかないという危険性があるので注意しましょう。 ■1月26日 2日連続でおでんを鍋ごと貰うという奇跡。 軽いデジャビュ。 まあ、おでんは美味いのだから深く考えるのはやめておきます。 そういえばこれとは別に、ケーキもホールで貰いました。 今月は特に貰い物に強運がみられます。 この強運のおかげで、気づけばベルトの穴が2つくらい増えていたりもするのですが、甘んじて受け入れていきたいと思います。 ■1月25日 おでんを鍋ごといただくという快挙。 一人暮らしにあるまじき量です。 元々おでんが好きなことと、おでん自体が美味しかったことも相まって、結局その日のうちに完食しました。 貰い物だけで、お腹が満腹を通り越して苦しくなる状況って幸せなことだと思います。 残ったおでんのだし汁で、新たにうどんを付け足して食べたのがダメ押しだったのではないかと思われます。 振り返ってみても1月は不摂生っぷりが酷いので、また新たに『食』に対して制限をつけてみようと思います。 でもキリが悪いので、とりあえず1月はこのままで通してしまおうとも思います。 ■1月24日 今日居酒屋で飲んでいて、ホールスタッフの女性が抜群に可愛かったことで一部盛り上がりました。 顔が小さいだのスタイルがどうだの酔っ払い特有の下衆な話です。 働いているスタッフ側に言わせれば、この上なく鬱陶しい客だったと思います。 確かに可愛い女性スタッフは多かったと思います。 「この出会いを機に色々あるといいねー。」 「いや、決して可能性がゼロではないからね。」 「うん、夢が広がるよね。」 (広げんな、、、。) ツッコミどころが満載な会話が延々と続いたりもしてました。 酔っ払うことで色々なものが見えなくなることはあると思います。 酔っ払いって幸せな生き物だなと思います。 ■1月23日 友人から結婚式の招待状が届きました。 数日前に聞いてはいましたが、招待状を受け取るまでは忘れていたものでもあります。 もちろん当日は予定を空けておく必要があります。 私は手帳とかを持っていないので、何かに記帳する習慣がありません。 2ヶ月近く先の話なので、会社側に伝えたり仕事を調整するにも早すぎます。 多分、心に留めておく程度で何もしないのだろうと思います。 多分、数日のうちに忘れるとも思います。 多分、当日3〜4日前くらいまで平気で忘れてるような気もします。 取り返しのつかないことにならないように気をつけたいです。 身近に近況を話せる友人がいないと、こうして必然的に色々な部分から疎遠になりがちなのだなと思います。 そもそも相手をしてくれる友達自体あんまりいません。 『誰にも内緒だから、、、』という前置詞で始まる話は、不思議と早い段階でほとんどの関係者に知れ渡るものですが、私の場合は平気で5年くらい誰にも言わずに過ごすのが普通です。 秘密を守る一番の秘訣、それは『孤独』。 ■1月22日 今まで滅多にお腹をくだすことがない人生を送ってきたのですが、過去に一度だけ強烈な下痢に襲われたことがありました。 タイに住み始めて3ヶ月くらいの頃だったと思います。 大ガメに溜められた雨水で生活していても全く平気に過ごしていたのに、突然の身体の拒否反応でした。 その時期、タマリンドウが収穫できる頃のこと。 タマリンドウは料理に使う酸っぱいタイプと、おやつ感覚でそのまま食べる甘いタイプとがあります。 居候先の母に 「食べてみる?」 と勧められるままに食べ始めたのですが、正直甘過ぎてそんなに好きじゃない味でした。 それでも勧められた手前、ちょっと頑張って10数個は食べました。 母はそんな私の様子をなんとも言えない表情でただただ見ていました。 そしてその晩、私は猛烈な便意で目が覚めました。 夜中の土砂降りの中、外の離れのトイレに向かう私。 それから1〜2時間おきくらいに訪れる強烈な便意の波。 結局深夜に4回トイレに起きて、その日は全然眠れませんでした。 便意によって強引に夢から現実に引き戻されるという経験は、このときが初めてだったと思います。 次の日の朝、 「甘いタマリンドウはたくさん食べるとお腹を壊すのよ。」と母の一言。 (・・・それを言うタイミングは今なのか?) そんな素朴な疑問が浮かんだものの、口に出して言う気力はもうなかったです。 後々聞くところによると、慣れているタイ人でもそんなにたくさんは食べないものらしいです。 タイ人の医者に事情を説明したときも、 「それはしょうがないね。」というような対応でした。 私がタマリンドウをむしゃむしゃ食べている姿を、無言で見つめていた母が何を考えていたのか、正直いまだによくわかりません。 ■1月21日 ディズニーランドの清掃員に 「何を拾ってるんですか?」と聞くと 「夢の欠片(カケラ)を拾っているんです。」という答えが返ってくるらしいです。 他にも「星屑を集めている」とか「ティンクの粉を、、、」とか色々なバージョンがあるらしいのですが、正気で言えるセリフではないと思います。 少なくとも私の今までの人生ではそんなセリフは一度も言う機会がなかったです。 いや、機会はあったのかもしれないですが、絶対怖くて言えなかったと思います。 言った次の日には疎外感にあふれた日々が始まる可能性が大です。 もし私がこの先ディズニーランドの清掃員になったとしても、言うのにかなり抵抗があるんじゃないかとさえ思います。 言った途端顔が真っ赤になりそうです。 いや、むしろ切なさで胸がいっぱいになるかもしれません。 (何が夢の欠片だよ、、、。) と自虐的になってると思います。 そもそも清掃員に「何を拾ってるんですか?」と聞くシチュエーションもよく分からないので、その話自体単なるガセなのかもしれません。 ■1月20日 学生の頃、血液学の実習で採血方法を学んだことがありました。 学生同士でお互いに採血し合うのですが、皆初めて注射針を扱うということもあって針を持つ手がブルブルと震る人が続出。 アル中とか比べ物にならないくらい、尋常じゃない手ブレをおこしている人もいました。 私も人のことは言えませんでしたが、刺される側の相手はたまったもんじゃなかったと思います。 また、人によっては血管が細かったり見つけにくかったりもします。 針を刺したはいいものの、ピストンを引いても血液が出てこない。 ※当時真空採血管が流通し始めた頃で、学生はまだ大抵シリンジ状の注射器を使用。 まあ、針が血管に刺さっていないのだから当然です。 仕方が無いのでそのまま針を左右にグリグリと動かして血管を探ったりもしました。 ハッキリいって最初に目視で血管を探れなかった人が、感覚のみで血管を探し当てることなんて出来るハズもありません。 結局存分に腕の中を針で荒らしてから、断念して針を引き抜きます。 荒らされた手は当然のごとくムラサキ色に広範囲の内出血をおこして、さらに血管の判別が困難になってしまうという悪循環。 血液学の実習期間中の学生は、もれなく腕に注射針の痕が点々とついていて、夏場はとくに問題のある腕を世間に露出させていたのだなと思います。 ■1月19日 生死の境をさまよったという友人の話。 その日は彼の会社に新しいシステムを導入する予定。 オフィスには導入するシステムの会社から、コーチングも含めて一人のSEが派遣されてきていたそうです。 システムの導入方法と操作説明に関しては、たまたま彼(友人男性)のパソコンを見本に使うことになったらしいです。 必然的に彼のノートPCの周りに部署のみんなが集まる。 SEが順を追って教えながら、彼が言われた通りにPCを操作していく。 「では、このCDのプログラムをインストールしますので。」 と言って彼にCDを渡そうとするSE。 そのとき彼は、ふとある衝撃的な事実を思い出す。 (あ、このノートPCにエロDVD入れっぱなしだ、、、。) 彼の中で脳漿が飛び散るような戦慄が走ったそうです。 DVD表面にはあからさまに18禁的な写真画像が描かれてるそうです。 そして今、部署の全員が自分のPCに注目しているという、まさに絶体絶命の状況。 すべるようにキーボードを叩いていた彼の手がピタリと止まります。 硬直して動けない彼。もう息も出来ない。 ワキの下から汗がつたう。 『うぁ、最低!』と罵る女性スタッフ、、、。 『男性ならば、まぁ、』と同情してくれる同僚、、、。 『何考えてるんだ!』と怒鳴りつけてくる上司、、、。 そんな絶望的な未来予想図が走馬灯のように脳裏を駆け巡っていたその時、オフィス内にSEの携帯電話が鳴り響いたそうです。 「あ、ちょっとすいません。」 作業を中断するように左手で制しながら、携帯を持ってその場を離れようとするSE。 もう自分の人生は死んだものと諦めていた彼に、千載一遇ともいえる社会復帰への希望の光。 (ここは逃せない!!) 皆の視線がSEに向いたほんの一瞬、彼は迷わず神速でエロDVDを抜きとり、そのままポケットに隠滅。 「神様っているんだねぇ、、、やっぱり日ごろの行いかな、、、。」 と、しみじみ語る彼。 『仕事中にエロDVDをみる』という彼の日ごろの行いが神様に評価されたというのならば、私は神なんていなくていいと思います。 ■1月18日 コンビニでこういうタイプのコーヒーを買って飲むことがよくあります。 缶コーヒーと比べて1.5〜2倍の価格のやつ。 コーヒーの味とかよく知りもしないくせに、我ながらいっちょ前にコーヒー通を気取っていると思います。 これは味がどうとかではなくて、お洒落で見栄えがいいことがポイントでもあると思います。 ちょっとした贅沢とか、本物に近い味とかのイメージもあります。 缶コーヒーはどちらかというと、おっさんのイメージがぬぐえません。 職場で何気にいつも飲んでいるのがこのコーヒーだと、それなりのステータスでもあると思ってしまいます。 あえてワンランク上のものを愛飲することで、本物志向の上品さが漂うんじゃないかとも思います。 エコロジー的にも缶コーヒより地球に優しいハズです。 一番最後の特徴が一番重要であるにもかかわらず、それ以外のどうでもいいことのほうが熱く語りやすいのは、私自身がとことんどうでもいい人間だからなのだと思います。 ■1月17日 3ヶ月ぶりぐらいにお米を買いました。 弁当やおにぎりを買うことはあったので、お米を食べていなかったわけではないのですが、かれこれ去年の11月ぐらいから部屋にお米が無い状態が続いていました。 特に深い意味はありません。 さっそく今夜はお腹いっぱい米のメシを食べてみようと思い、電気釜で3合炊いてみました。 どんぶりに大盛りのご飯。 多分このくらいは朝メシ前です。 実際に朝から何も食べていないので、我ながら正しい日本語の使い方をしていると思います。 結果としては、完食出来たものの最後の一口がややしんどくも感じたという辛勝ぶりでした。 久々の大量メシに対しての胃袋のブランクがうかがえました。 いや、単に年齢の問題なのかもしれません。 どっちにしろ身体に問題のある食生活であることは間違いないです。 ■1月16日 名作と謳われるひと昔前のアニメをPCでまとめて一気に見ました。 現実離れしたSFものです。 名作と言われるだけあって、ついついその世界観にのめりこんでいきます。 物語の後半、第十七話くらいで友人から電話があって、結婚式の受付を頼まれました。 最終回までアニメは面白かったです。 途中、イキナリの現実。 そしてまた逃避。 とにかくアニメが面白くて本当によかったと思います。 逃避で始まり逃避で終わる一日。 ■1月15日 知り合いの中に、家に設置されている固定電話には出ないという人がいます。 電話をかけることはあっても、かかってきた電話は一切受けようとはしません。 事前に『○日の○時頃に電話する』という旨を伝えておかないと、電話に出てくれません。 それがどういう方針なのかが全然分からりません。 携帯電話のようにかけてくる相手が誰か分かれば応答をするらしいのですが、その家の固定電話にはナンバーディスプレイが導入されていません。 数十回のコールにも無反応だったのに、携帯に電話をかけたら2コールくらいで電話に出たりします。 「今、どこ?」 「家にいるよ」 「何度も電話したんだけど、、、。」 「あぁ、さっきから電話鳴ってたねぇ。」 あたかもそれが普通とでも言わんばかりの返答。 実際携帯が普及していない幼少の頃から、家の電話は出ないものとして生活してきたらしく、悪気はまったく感じられません。 ちょっと見方を変えてみると、ある意味『オレオレ詐欺』への究極の防護策でもあるなと思います。 電話機において『電話に出ない』という考え方は中々の盲点です。 無意味に斬新でもあると思います。 ■1月14日 昨晩に引き続き今日も一日中寒いです。 朝からずっと頭痛がしていることに午後になって気づきました。 でも職場の同僚たちはそれ以上に調子が悪そうでした。 あからさまに眉間にシワが寄っていたり、思わず2度見してしまう顔色でグッタリしていたりと、立ち振る舞いに無理が見え見えでした。 周りがあまりにも調子が悪そうなので、自分の体調にすら気づけていませんでした。 いわゆる相対的な健康体です。 「顔が赤いよ。」 と指摘されて、一気に身体が重くなっていくのを感じました。 そういえば昨晩から朝にかけて尋常じゃない寝汗をかいて、寒くて全然眠れてなかったです。 一人暮らしで風邪をこじらせる状況は、ある意味風邪の症状自体よりもツライので、自分の色々な部分を守る為にも今日はさっさと寝ます。 本日社内の病人率100%という快挙。 ■1月13日 タイのド田舎に住んでいた頃、木の破片で足を怪我してしまったことがあります。 痛くて歩くのも困難だったので、とりあえず医者へ行くことを決心。 痛む足を引きずりながら道を歩いていると、後ろから村の青年ナホットがバイクに乗ってやってきました。 「よぉ、何処に行くんだ?ん?その足どうした?」 「怪我をしてしまって、病院に行くところだよ。」 「病院まで?その足でか?おい、水臭いじゃないか。一声掛けてくれれば乗せていくぜ!そんな足じゃ日が暮れちまうよ。」 ナホットはまくし立てるように喋ると、バイクの後ろに乗るようにシートをポンポンと叩く。 「あ、ありがとう。」 正直この誘いは本当に嬉しかったです。 病院までの道のりはそこそこあったし、もう足の痛みを我慢するのも限界でした。 ナホットの好意に感謝しつつバイクの後ろにまたがると、バイクはUターンして元の村へと走り出しました。 (・・・・・・・ぁ。) (しまったーーーーー!!!!) この村で医者と言えばアノ占い師のことでした。 数分後、私は占い師の前まで連れられて脱力。 東洋医学を否定する気はまったく無いのですが、痛いときに『呪文』とかを聞かされるとただただ泣きたくなります。 ■1月12日 「痩せる!」 と言ってはダイエットへの挑戦と挫折を繰り返している人は多いと思います。 私の身の回りにもそんな知り合いが数人はいます。 例えば10万円払って確実に10kg痩せられるシステムがあった場合どうするかと聞くと、ちょっと悩むけどやっぱりやらないらしいです。 でもこれが半額の5万円だったとしたら、かなり悩むことでもあるらしいです。 逆に1kg痩せるごとに1万円もらえるシステムがあった場合、猛烈にやる気が出たりもするらしいです。 じゃあ私にまず10万円を預けて、1kg痩せるごとに1万円を返していくというシステムを提案してみたら、途端にやる気が失せたと言われました。 本質は変わらないハズなのですが、多分これが微妙な乙女心というヤツなのだろうと思います。 でも、5万円を私に預けて5kg減以降は私が支払いを負担するという提案には、ちょっと心がぐらついたりもするらしいです。 また、1ヶ月を締めとして5kgのノルマに届かなかった場合は、私が残金を没収するというシステムの提案では、やっぱりやる気が無くなったそうです。 経験からくるリスクヘッジが結局『やらない』という結論に達するらしいです。 でもその辺のルール設定を上手く調整すれば、ビジネスとして通用するかもしれないシステムでもあると思います。 こんな人の弱みにつけ込んだビジネスモデルを考え出すあたり、我ながら人としてどうなのかと思わざるを得ません。 ■1月11日 以前冷凍ギョウザの事件が取り沙汰されてから数ヶ月。 いまだにスーパーとかでのギョウザの位置づけが弱いと思います。 可哀想なくらいに安く買い叩かれています。 確かにあれだけ騒ぎになれば買うのをためらう気持ちもわからなくもありません。 でも年も明けたことだし、いくつか買ってみることにしました。 何が『でも』なのかは置いておくことにして、正直、逆に不安になるくらいの安さです。 ギョウザ10個にシュウマイ10個にワンタンスープ2〜3人前にもやし。 このボリュームで200円以下。 貧乏学生とかだったら泣いて喜んで踊りだしそうな量だと思います。 美味いか不味いかと言われれば、味は極めて普通でした。 こういったものがどうやって製造されているのかは知りませんが、多分1個の単価は5円以下なのだろうと思います。 『十円饅頭』みたいに『十円中華』の店とかあればいいのにと思いました。 でも出来立てじゃないとあまり美味しくないだろうし、日持ちもしないうえに贈答品としても微妙なので、やっぱり無くていいやと一瞬で考え直しました。 ■1月10日 光速に近い速さで動くと時間の進みが遅くなるということを耳にしたことがあります。 通常の状態をΔt とすると、速く動いている Δt’は、光速をc、運動体の速さをvとして、以下の式で導くことができます。 速度vが光速c(v=c)となれば時間はゼロになり、時間が止まるという話。 これがよくウラシマ効果やタイムマシンの説明とかに使われたりしています。 ある意味究極のアンチエイジングへの道です。 実際光速で動くことなんて出来るハズもないのですが、要は速く動けばいいということです。 正確に時を刻む原子時計(3000年に1秒程度の誤差)を飛行機に乗せたら、ごく僅かの遅れを生じたという実験事例もあるらしいです。 もし100メートルを10秒台のスピードで走り続けたとして、光速が30万km/秒ということから計算してみたら、1年間で約0.000003秒得をするという結果が出ます。 中々に報われない結果です。 もちろんもっと速く動けば理論上はより多くの時間の節約が可能なので、暇な人は是非試してみて欲しいです。 ちなみに私は数学が専門でも何でもないので、冷静なツッコミや間違いの指摘はしないでください。 ■1月9日 私が住んでいたタイのド田舎の農村では、占い師的な怪我を治す人がいました。 あるとき私が誤って鎌を自分の足に刺してしまい、傷口が化膿して熱が出て寝込んだことがありました。 病院に行こうか迷っていたときに、フラリとやってきたのがその人でした。 見た目はどこにでもいそうな普通のおっさん。 こういう人は何故か村人の信頼が厚いです。 おっさんの申し出を断ることも出来ずに、勧められるままに傷口を診てもらうことになった私。 彼はしばらく傷口をみた後、小粒サイズの玉ねぎを取り出し口の中で咀嚼し始め、 突然ブゥフゥッーーっとその唾液を私の傷口に吹き付けました。 (ぇえーー!! 、、、、、、、、、 えええーーーー!!!) 凄くびっくりして、冷静に心を落ち着かせて考え直してから、やっぱり驚きました。 彼の顔を見ると凄く満足そうな顔をしています。 様子を見ていた周囲の村人たちも満足そうです。 『これでもう安心』みたいな雰囲気が漂っています。 どうやら不安な顔をしているのは自分だけのようです。 直ぐに足を洗いたい衝動に駆られたものの、それが出来る空気じゃなかったので諦めることにしました。 結果的にその怪我がどうなったかというと、2日後くらいに治りました。 色々な考え方があるとは思うのですが、私は単に治りかけだったのだろうと思っています。 ■1月8日 『明けおめ』『ことよろ』の挨拶にいまだに馴染めません。 この挨拶が出てきた約7年前に日本に居なかったことが原因だろうと思います。 もちろんそれ以降はずっと日本に住んでいたのですが、いろいろと彷徨っていたせいかそういった新年の挨拶をする機会がありませんでした。 正確に言えば、そういったくだけた挨拶をしてくる輩に会っていなかったからだと思います。 正直自分で言うのが照れくさいです。 それ以上に、その挨拶はどうなのかという気持ちのほうが強いような気もします。 知らないところでいつの間にか発生したものは受け入れ難いという、頑固な一面が私にはあるのだろうと思います。 でも、たとえばもし気になる女性とかがその挨拶をしてきた場合、スンナリと受け入れてしまうだろうという危うさも持ち合わせているとは思います。 ■1月7日 『こんな時に限って』ということって人生の中でよくあると思います。 『運転免許の路上試験でガチガチに緊張しているときに後ろから救急車』とか、 『たまたま教科書を忘れた日に、滅多に生徒を指さない先生に指される』とか、 『時間厳守でないと周囲に迷惑がかかるようなときに時計が止まってた』とか、 一つ一つはそれほどでもないことなのに、合わせ技で倍以上の大ダメージを受けるというケースです。 後々思い返すと、まぁそんなこともあったなという程度のことだったりするのですが、その時は自分が世の中で一番ツイてなんじゃないかと思うくらいにショックを受けたりもします。 『コンビニで久々にエロ本を買おうとしたら、レジの娘がクラスメイト』とか、 『トイレ中滅多に鳴らない携帯が震え出し、そのままズボンから便器に』とか、 『たまたまズボンのチャックを閉め忘れていた日が、たまたまノーパン』とか、 やりきれない切なさと、後悔しきれない想いが心をえぐります。 しかも最後のは法的に罰せられる可能性も持ち合わせています。 切ないとか言ってる場合じゃありません。 ちなみに上記の内5ケースは私の友人たち(猛者)の武勇伝で、私の体験談は1つだけしかありません。 でも、常に消したい過去ワーストの上位に位置しているものでもあります。 ■1月6日 セキュリティの都合上、事務所を出るときは必ずカギをかけるようにしています。 その行動があまりにも癖になっていて、稀に中に人が居るのにカギをかけてしまうことがあります。 カギを開けて中に入ったのに、そこに人が居ると思わず目が点になります。 相手と視線が合うと、 『どうして中に人がいるんだろう、、、。』 という私の想いと 『アンタが勝手にカギかけていったんだよ!』 という相手の想いが一瞬かるく火花を散らします。 もちろんすぐに自分の間違いに気づくのですが、やり場の無い気まずさが漂うひとときです。 後になって 「監禁されたかと思いました、、、。」 と言われることもしばしば。 もちろん内側からカギは開くので、正確に言えば『監禁』ではなく『軟禁』です。 いや、そんなことはどうでもいいですし、そんな指摘をする気もありません。 ■1月5日 携帯の迷惑メールが尽きないことを愚痴っていると、よくアドレスを変えることをオススメされます。 多分ほとんどの人が面倒くさいという理由で、それをしないのだろうと思います。 でも私の場合、微妙に違います。 アドレス変更の旨を一斉に知らせることは、今のメール機能からいってもそれほど苦ではないと思ってます。 肝心なのはそのお知らせメールに相手が無反応だったり、数年単位で連絡が無い人や、既にアドレスが変更されていてメールさえ届かない人たちを、アドレス帳から一気に消去する必要があるということです。 現在私のアドレス帳は数分でメモ書きに写せる程度の登録しかありません。 そこからさらに減ってしまうのかと思うと、少々寂しい気分にさせられます。 友達の少ない人にしか共有できない想いがそこにあります。 「さっさとアドレスを変更すればいいじゃん。」 (・・・いや、そんなことは分かっていることなんだ。) 「なんで変えないの?」 (その理由は、切なすぎて口には出せないことなんだ。) 新年が明けたばかりだというのに、心を吹き荒れる切なさの嵐。 もう迷惑メールを愚痴るのはやめようと思います。 ----- 今日は語呂合わせで『囲碁の日』なんじゃないかと思ったら本当にその通りでした。 ※『今日は何の日』より さらに『15歳の日』でもあるらしいです。 でも苺(イチゴ)の日ではないらしいです。 ■1月4日 タイに住んでいた頃、近場の寺に参拝に連れて行ってもらったことがあります。 山のふもとから狭い小道を歩いて40分ほどで頂上の寺に到着して、また別の道を通って戻ってきました。 自分たちがちょうど山を降りてきたところで、警察の方々が寺への道を塞いで『立ち入り禁止』の看板を設置し始めていました。 「どうしたんですか?」 「ん?ああ実はトラが出てね。危険だから寺は封鎖するよ。」 「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 「・・・は?」 「トラが出たんだよ!お前タイ語わからないのか?」 いや、言われて「ハイ、そうですか」とその事実を素直に受け入れることを心が拒否しただけです。 「・・・トラ?」 「そうだよ!トラ!寺の鶏も何匹か喰われたからね。危ないよ。」 ちょうどそのとき周りがザワザワ言いはじめたので、その人たちの視線を追って振り返ってみると、小道をゆっくりと登っていくトラの後ろ姿が見えました。 言葉を失っている私の横で 「参拝が終わった後でよかったねぇ〜。」などと普通に話しているタイ人たち。 田舎とはいえ、その日常はどうなのかと思ったりもしました。 参拝中、私の後ろを歩いていた人もたくさんいたと思うのですが、あんまり深く考えないことを心に決めたタイの夏の日。 ■1月3日 『今日が自分の誕生日だったことをすっかり忘れていた』という人って結構多いと思います。 私もよくあります。 私の場合は元旦という大イベントによって存在がかき消されてしまっていることが多いです。 友人知人から、『そう言えば、、、』的な感覚でオメデトウの言葉を言われて思い出すことが多いです。 でも今年は一切その類のものが無かったので、すっかり忘れてしまっていました。 実に悲しい話です。 携帯電話は30日から今日までの5日間、一切充電していないのに電池マークは一切減っていません。 実に切ない現実です。 PCのメールには数件オメデトウのお知らせが入ってはいたのですが、実家に帰省していたこともあって、その存在に気づいたときは既に1月3日でした。 実に寂しい話です。 関係ないですが、今年の始まりは色々と首をかしげるようなスタートでもあったと思います。 多分この先も、首をかしげるようなことが待っているのだろうとも思います。 ■1月2日 ふと初夢を忘れずに憶えていてみようと思いました。 毎年どんな初夢を見たかすっかり忘れてしまっています。 今年こそはと意気込んで寝てみたものの、期待していた富士山や鷹やナスは一切夢にでてきませんでした。 夢の内容は、現実でも10年以上会っていないA子さん(仮名)という意外な女性が久々に登場しました。 正直かなりどうでもいい部類に入る夢でした。 起きてまず 「これが初夢?ぅぁ、微妙、、、。」って思ってしまいました。 もっと色々なことを示唆したり自由に想像できるような、謎めいた夢であって欲しかったのですが、今更もう遅です。 現実も夢もそんなに甘くないということです。 正直な話、2度寝もしてみたのですが、結局同じ夢の続きでした。 (A子さんで始まる1年ってどうなのか、、、。) ----- 『 〜夢〜 』 合宿所のような寮のような場所で、自分の部屋の洗濯機が壊れたので先輩の部屋の洗濯機を借りに行くことになった私。 先輩の部屋は何故か男女数人が一緒に暮らす大所帯。 ついでに風呂も使わせてもらおうと、着ている服も全て洗濯機に放り込んで全裸になったところで、同じく全裸のA子さんが風呂から出てくるというシチュエーション。 『あだち充』か!いや、この場合は『高橋留美子』か。 でもお互い照れもせずそのまま普通に会話を交わして終わるという内容。 多分先日部屋の掃除中に学生時代の写真が大量に出てきたので、ついついそれを見てしまったことが原因だろうと思います。 目覚めてちょっと切なさを感じた夢でもあったと思います。 多分あの頃の時代には、やりきれなかったことや後悔が多かったからだと思います。 やっぱり夢なんて忘れてしまうべきものなのだと再認識させられました。 もうこうして文章に起こしてしまったので今さら忘れようも無いのですが、今年の1年が最高の年だった場合は、A子さんにお礼を言いに行くべきだなとも思いました。 『全裸のA子さんは縁起がいい』と。 我ながらセクハラで訴えられたら100%負けそうなセリフだと思います。 やっぱり言えません。言えるワケがないです。 そもそも10年以上会っていないうえに、当時もそれほど親しかったワケじゃない人です。 それでももし仮にお礼を言いに行くことがあったとしたら、詳細を避けてぼんやりとお礼の言葉だけを伝えることにしたいと思います。 正直夢の中とはいえ、勝手に全裸にした負い目もあります。 いや、もちろん好きで全裸にしたわけではないことは信じて欲しいです。 あくまで不可抗力。 ただ、好きで全裸にしたくなるときが全く無いかというとそうでもないような気もするから複雑です。 ■1月1日 久々に会った父親から「顔が丸くなった」というご指摘をいただきました。 たしかにここのところ不規則な食生活が続いていたので無理も無いかもしれません。 今月はしばらく何も食べない日々と、いきなりドカ喰いする日の繰り返しでした。 とくに年末は一気に色々と食べまくったと思います。 『年末年始は太る』という一般論を見事に実体験中。 無理な節制が祟ったのか中々空腹が満たされない身体になってしまいました。 さっき食事が済んで、今こうしてまったりと寝そべっている間にも、まだ何かを食べたいとさえ考えています。 ----- 話は変わって、私は相変わらず優柔不断だと思います。 事前に色々考えていた上で結果を出せなかったことがなんとも虚しいです。 イザとなると、自分の決断が妙に揺らぎました。 (本当にコレでいいんだろうか、、、。) などと考えてしまい、結局現状維持に留まりました。 多分心のどこかに納得のいかない部分があるのだと思います。 いや、早い話が単に意気地無しなのだろうと思います。 事の詳細は気が向いたら書きます。 実家の深夜は静か過ぎて、物事を考えるのには良い反面、余計なことを考えてしまう傾向があります。 ----- 何故陰毛はちぢれているのかという素朴な疑問は、誰もが抱いたことがあると思います。 どうやら陰毛はフェロモンを蓄積する目的があるようです。 ちぢれている方がその成分を逃がしにくいという理由があるらしいのです。 腋毛も同じ理由らしいです。 また、陰毛の断面積は楕円形なのでちぢれやすいという物理的な理由もあるらしいです。 陰毛を顕微鏡で覗くといくつかの穴が存在し、その穴の部分から毛が曲がるので結果ちぢれてしまうとも言われているそうです。 さらには陰毛は寿命が短い為、抜けやすいという説まであります。 腋の毛は普段擦れる部分である為存在しているのに対し、陰毛は温度を一定に保ち感度を高める為に存在しているそうです。 温度を一定に保つことによって血管拡張状態も保たれやすくなるなどの理由から興奮状態を持続しやすいという役割も担っているそうです。 ちなみに陰毛の白髪は普通の髪染めでは染まらないこともあるそうです。 陰毛の先端が細いのは、その他の体毛と同様に摩擦で擦り切れてしまっていることが理由らしいです。 力士は皆、ちゃんと陰毛の処理をするらしいです。 以上、決して明日からは使えない陰毛豆知識でした。 年始をシモから始めることで、この先上昇するしかない土壌を作ってみました。 |
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