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■5月31日 近所の田んぼに水が張られ田植えが始まりました。 淡い緑色の苗が、規則的に点々と広がる風景は心が和みます。 タイの田舎にいた頃、田植えをせずに種籾を直蒔きをしているところがよくありました。 豆まきのように田んぼに放り投げるだけなので、田植えにつきものの腰痛が無いのがよかったです。 それを見たときは、なんて楽で素敵な農法なのだろうと感激したことを憶えています。 その感動をタイ人に伝えたら、 「怠け者に農業は無理だ。」 と、一蹴されました。 その通りだと思います。 ■5月30日 『眠いからとりあえずちょっとひと眠りしてからやろう』と思って寝ると、大抵何も出来ずにうっかり寝てしまって終わります。 そもそも『ちょっとだけ寝る』という行為自体無理があると思います。 実際ちょっとの時間で起きれた試しがないですし、気がつけば寝足りないとか言って本域で寝ることに集中しようとしてたりします。 ハミガキを済ませてベットの上で寝ていた時点で確信犯のハズなのに、平然と『うっかり』という言葉を使用している自分がいます。 ■5月29日 時間に縛られるのが好きじゃないです。 太陽の流れに身を任せて日々を過ごすのが理想だと思います。 同様に携帯電話に縛られるのも嫌です。 折角の休日、腕時計と携帯電話を置いて外出。 おかげで開放的な気分に浸れました。 帰宅後にまったく着信が無かった携帯。 もともと携帯に縛られてなんかいなかったという現実。 ■5月28日 『たまにかけるメガネが似合っている』というのが、O型の人の持つ特徴らしいです。 これだけ根拠が感じられない話も珍しいです。 なんなんだそれはと思います。 血液型占いなんて気にしないと思いつつも、一度聞いてしまうと気にしてしまうことはよくあります。 『親しみやすい』『へこたれない』『裏表がない』『強い意志』『社交性』『リーダーとしての資質』、、、、、、。 ちょっと気にしはじめた頃に、 (あれ?そうでもないんじゃないかな・・・・・・。) と思うのも、占い全般の特徴だと思います。 ■5月27日 昨晩シャワーを浴びている際に、自分の足のスネ毛が一部処理されていることに気づきました。 (・・・・・・?!???) スネ毛の一部が見事なまでに処理されている足。 知らないうちに誰かにされるわけないですし、もちろん自分でもそんなことしてません。 よく見ると、左右両足とも一部分だけ同じ場所のスネ毛が無くなってます。 (この中途半端な規則性はなんなんだろう、、、。) 謎が謎を呼ぶミステリアスな事件。 凄くどうでもいいことなのに、その得体の知れなさからくる衝撃が大きい事件です。 後々、職場で使用している特殊なカタチの椅子が原因ということがわかりましたが、あの時の衝撃は当分忘れられそうも無いです。 ■5月26日 昨日テレビで見た『紅の豚』の余韻が抜けてません。 何度も見ているのに飽きない魅力があると思います。 なんといっても『男は顔じゃない』ってことを非常にわかりやすく教えてくれている設定が嬉しいです。 「そこじゃない!」と宮崎駿に怒られそうですが、希望を持つのは自由だと思いたいです。 ■5月25日 先日、生まれて初めてメガネを受注してから、結局まだ取りに行ってません。 目が悪いことは今に始まったことではないので特に不自由には感じないのですが、メガネ初体験に向けて期待と不安が入り混じったドキドキ感があります。 もっとも実際にメガネをかけたところで、2分程で飽きる自信はあります。 俗に言う、『今が一番楽しい時期』というヤツなのかもしれません。 多分今までの人生の中で、もっとも底辺に位置する『楽しい時期』だと思います。 小中学生時代は、『突然メガネをかけて登校してきたヤツが、教室で注目の的になれる』という1日限定のイベントがありました。 メガネが若干珍しい上に、ちょっとしたインテリ感も持ち合わせていたあの頃。 全く関係ない話ですが、現在日本は世界一目の悪い国としてギネスブックに載っているそうです。 ■5月24日 宅配便の不在連絡票がドアポストに入ってました。 基本的に昼間は家にいないので、荷物は19時以降に運んでもらうようにお願いしてあります。 速攻で宅配の営業所に、直ぐに配送してもらうように電話。 「不在連絡票が来ていたので、直ぐに荷物を届けてもらえませんか?」 「はい、それではお荷物のお問い合わせ番号を教えていただけますか?」 「問い合わせ番号は、、、書いてないですね。」 「え?書かれていないですか?では配送者の名前は誰になっているでしょうか?」 「配送者の名前も、、、書かれてないですね。」 「え〜〜、ちょ、ちょっとお待ち下さい。」 そんなやりとりの中で、不在連絡票の裏に『宅配ボックスに入れました』と記載されていることに気づきました。 (ぅぁ、、、、、、。) 脳裏に響く声にならない声。 その間にも電話の向こうでは、住所や電話番号から荷物の所在を懸命に割り出そうと努力してくれている様子が伺えます。 ドアの宅配ボックスからは、怨念のような黒いオーラが出ている気がしました。 ■5月23日 夜間の車の運転に不安を感じたので、メガネ屋に行ってきました。 約4年ぶりの視力検査。 運転免許更新の最低ラインが『0.7』だったはずなので、自分の視力は『0.8〜1・0』ぐらいが妥当だろうと予想してました。 「これは見えますか?」 「・・・いいえ」 「では、これではどうでしょう?」 「・・・左、ですか?」 「・・・・・・では、これではどうでしょう?」 「・・・左、ですか?」 「・・・・・・カタカナなんですけどね。」 「・・・・・・。」 「・・・・・・。」 結局のところ近視に乱視にガチャ目にトリ目が加わって、裸眼では両目でも『0.2』無いらしいです。 「目が悪くなったのはいつ頃からですか?」 「もう何年も前からこの状態ですが・・・。」 「それは、、、がんばりましたね・・・。」 私を見つめながらしみじみと語るメガネ屋の店員さん。 どうやら知らないうちに頑張ってたらしいです。 ■5月22日 楽しみな予定が入ると、当然の如く待ち遠しく感じます。 通販の商品が届く日とか、かなりしょうもないことでも待ち遠しく感じます。 逆にそれを想う時間は、普段よほどつまらないひとときなのだと思います。 人生においてトシはとりたくないと思いつつ、早く時間が過ぎることを望んでしまう矛盾が内包されています。 ■5月21日 最近視力が落ちてきているとは感じていましたが、加えてトリ目らしいということが発覚しました。 暗い場所での視界のぼやけっぷりが激しいです。 かといって特に朝が強いというわけでもないバランスの悪さです。 さらに霊感というか悪寒というか鳥肌率も最近妙に高いです。 ここのところトリ肉ばっかり食べていたせいか、もともとのチキンハートに加えトリにまつわる身体の変化が垣間見えます。 ■5月20日 嘘をつくのが見事な人っていると思います。 嘘をついて、その嘘がバレないように伏線を仕掛けていくのは嘘が下手な人らしいです。 嘘をつくと同時に、嘘がバレたときの伏線を仕掛けていくのが嘘が上手い人らしいです。 後者のような人は、嘘がバレるというよりも、いつのまにか嘘をついていないことになっていたりするので性質が悪いと思います。 そばにいる私が何故か嘘つきに見られてしまうこともよくあったと思います。 弁解をすればするほど深みにハマっていく報われなさ加減が悲惨です。 でもよく考えると、報われる程のことも特にしていなかったんじゃないかとも思うので被害妄想だったのだと思います。 ■5月19日 お祭りの雰囲気が好きです。 私の生まれた田舎では、『よかっぺ祭り』という年に一度の大きな夏祭りがあります。 出身中学校が少々問題児の多いところだったこともあり、祭りで問題を起こされることを恐れた学校側が、生徒を祭りに行けなくする為に『体育祭』と『よかっぺ祭り』は同日に設定されていました。 もっともそのおかげで生徒たちは皆、夜の『よかっぺ祭り』に繰り出すことになり、余計に問題が大きくなるという本末転倒ぶりが発揮されていたりもしてました。 私の祭り好きの要素は、浴衣姿の女性に会えるからだろうと指摘されたことがあります。 正確に言うとちょっと違います。 確かに浴衣は好きですが、それは単に普段あまり見られない恰好だからです。 マンネリ気味の20代カップルが、セーラー服を着るか着ないかでもめることと根本的な問題は似ています。 ■5月18日 学園の七不思議にまつわるエピソードがないです。 B級ドラマや三文小説とかで、『どの学校にも普通によくある話』として取り上げられている七不思議ですが、全然身近に感じられません。 少なくとも私の母校にはそんな噂は微塵もなかったです。 音楽室の肖像画の目は動かないですし、ピアノも勝手には鳴りません。 理科室や保健室の人体模型は動かないですし、美術室の彫像も徘徊しません。 非常階段の段数は変わらないですし、トイレに花子さんもいなければ、真っ赤なスライムも出現しません。 夜中にプールや校庭で何が起こるわけでもなく、校長室の大鏡は別段現実しか写しません。 動く二宮金次郎像どころか、銅像自体無かったです。 一般的に有名なものをあげてみましたが、その数は七不思議どころじゃないにもかかわらず、その手の噂はまったく無かったですし、『7つ目の不思議は誰も知らない謎』という話も当然の如く無かったです。 『田舎』という場所に、洗練された都市伝説は通用しないのだと思います。 ■5月17日 狭い道で人とすれ違う際に、相手と同じ方向に避けてしまうことがよくあります。 親切心の逆効果というやつで、お互いに相手を通せんぼをしてしまったことに苦笑いを隠せません。 その次は反対に避けるのが一般的なのですが、相手の気持ちを考えて、あえてもう一度同じ方向へ避けようとすることも珍しくないです。 でも何故か、不思議と鏡のように相手も同じ行動をとってくることもよくあります。 たとえ裏の裏の裏まで読んだとしても、更にその裏の裏まで読んだとしても、上手くすれ違う確率は決して5割を上回らないという現実。 最近知った豆知識として、知らない人を通せんぼすると軽犯罪法が適用されるそうです。 ■5月16日 タイに住んでいた頃、子供たちが凧あげを楽しんでいる場面を見かけたことがあります。 凧はタイ語で”ワーオ”と発音するのですが、そのイントネーションは日本が誇るコメディアン『志村けん』の”ワーオ”の発音とまったく同じでした。 タイの子供たちが「ワーオ!ワーオ!」と叫びながらはしゃぐ横で、志村けんを介して故郷への郷愁と感動が津波のように押し寄せました。 その村には私以外日本人はいなかったので、その感動を誰とも共有できなかった切なさが忘れられません。 今でも凧を見かけると、タイの片田舎で志村けんが東村山音頭を踊っている間違った記憶がよみがえります。 ■5月15日 数ヶ月ぶりの墓参り。 墓前にて草抜きをしていると、遠くからカミナリの音と不穏な雨雲。 そして気づけばあっという間にドシャ降り。 神社の境内で雨宿りするという、昨今あまり遭遇し難い状況でした。 突然の雨だったこともあって、たまたま通りがかった女性と雨がやむまで狭い境内を共有しました。 整った顔立ちの彼女は、気さくな笑顔が話しやすくて、1時間以上話が弾んでしまいました。 考え方や話の合う人とは中々巡り会えないですし、なにしろ自然体でいられるのが嬉しいです。 偶然とか運命とかを信じる気は毛頭無いのですが、こういう出会いは大切にするべきだと思います。 予期せずして出会えた理想の女性かもしれません。 結論から言うと、雨宿り中に女性は一切登場してません。 ■5月14日 たまたま友人の友人が友人だったことがあります。 わかりやすく言うと、高校時代の友人の友人がたまたま中学時代の友人だったという話。 友人が私の話をした際に、返ってきた答えは 「あぁ、あのマイペースな奴ね」 だったらしいです。 ショックというよりは、 (あぁ、そおかぁ、、、。) と思わず納得してしました。 好きなように行動していても、他人からは普通に見られているだろうと何故か確信していたあの頃。 なんのことはない、そのまま自己中に見られていたという当たり前のことに、今になってようやく気づいたという話。 ■5月13日 置時計の秒針の音が気になります。 深夜帯なんかにその音が気になりだすと、たまに眠れなくなったりもします。 チックとタックには申し訳ないですが、時計の電池を抜いてしまおうかとさえ思います。 強烈にワサビのきいた寿司でも置いておこうかとも思います。 でも次の日に余計に秒針の音が気になりそうなので、やらないほうがいいかと思ったりしてます。 例え同世代の人たちにしかわからない話だとしても、そこは気にしないことにしてます。 そもそも同世代の人でも憶えていない可能性のほうが高いのだろうと思います。 ■5月12日 『セーター』がよくわからないです。 子供の頃は、冬の寒い時期に着る毛糸のヤツが『セーター』だと思っていたのですが、どうもそれだけではないらしいです。 『春物のセーター』なんていうのもあるし、『サマーセーター』とかも聞いたことがあります。 『七分丈セーター』なんてのもあるらしいし、『半袖セーター』とかに至ってはセーターである必要性がまったくわかりません。 『ニット』という言葉が世に出てきて、それは『セーター』と同じ意味だと聞いてから、いよいよ真剣に理解し難いです。 最近では『ニットのセーター』なんて言い方もあるようで、もうどうしていいのか全然わかりません。 ■5月11日 朝、心地よい風を感じて目が覚めました。 (気持ちいい・・・・・・。) (・・・・・・・・・、・・・・・・・・・風?) 2〜3分くらいまどろんだあとで、ようやく窓が全開に開けっ放しになっていたことに気づきました。 そういえば深夜に一度窓が開けっぱなしになっていることに気がついたものの、起きるのが面倒でそのまま寝た記憶がフラッシュバック。 部屋に失うものが無い人間の強みです。 ■5月10日 フッと頭に浮かんだどうでもいいことを、アッという間に忘れます。 基本的にどうでもいいことなので、頭に留める必要性を感じていませんが、まったく思い出せないというのも妙に悔しいです。 ちょっと前に3つくらいしょうもないことを思いついたハズなのに、それに関して何のキーワードも浮かんできません。 それを思い出そうとしているこの時間も、無駄な時間の浪費なのだと思います。 そして多分思い出せたとしても、そのどうでもよさ加減にやっぱり無駄に時間を浪費したと後悔すると思います。 実は思い出せていないことこそが、脳が精神バランスを保つ為にとっている最善策なのかもしれないとも思います。 ■5月9日 『今日だけは・・・』『今日ぐらいは・・・』という魅力的な言葉。 この言葉が頭に浮かんだときは、その甘美な響きにほぼ十中八九流されていく自信があるります。 規則とか計画とかを、例外なく台無しに崩していく魔法の言葉。 この言葉が出てきたときには、天災のようなものと思うことにしてます。 類義語として、『明日から・・・』という言葉も使い勝手が良くていいです。 ■5月8日 午後の陽気に誘われて、ひと気の無い森の木陰で昼寝をしていたら寒くて起きました。 悪寒と乾いたセキが止まらないと思っていたら、1時間後にはすっかり回復しました。 その後、シャワーを浴びて半裸で寝ていたらノドが痛くて起きました。 1日で2度身体を壊すという快挙。 学習しない心と身体。 ■5月7日 崖っぷちの状況にならないと、行動を起こさない傾向があります。 テストの一夜漬けは毎度のことで、その結果が思わしく無いのも毎度のことです。 単位をザルのように落としていった学生時代。 『必修科目は3単位、選択科目は7単位以上落とすと留年』というルールの中、なにも考えずに10科目落としました。 それでもストレートに卒業できたときは、卒業式に後輩から 「凄いです・・・。」 と心から感嘆の賛辞をもらいました。 明らかに卒業出来ると思われてなかったのだと思います。 色々な意味で後輩から想いを抱かれていた先輩だったのだと思うことにしてます。 ■5月6日 『ジンクス』とか『げんかつぎ』の類は気にしないほうです。 でも毎年神社に初詣には行きますし、おみくじは欠かしません。 黒猫は好きですしし、カラスもそれほど嫌いじゃないです。 靴ひもが切れてややブルーになることはあっても、別に不吉とは思いません。 お通夜のあとは一応塩で身を清めます。 受験の前にカツ丼やトンカツを食べたことはありません。 結局のところ、どうでもいいのだと思います。 聞くところによると『げんかつぎ』は、緊張をほぐし精神をいつもどおりに機能させる精神安定剤のようなものなので、常にやっている行為でないと意味がないそうです。 イチローがバッターボックスで毎回同じ動きをすることが、一流の『げんかつぎ』の一例らしいです。 『げんかつぎ』の要因の一つが『目的を達成するための直接必要性の無い行為』ということであれば、私もその半分はクリアしている自信があります。 もちろん『必要性の無い行為』でという意味でです。 『直接必要性の無い行為のおかげで、いつも目的が達成されない』というのも、ある意味一つのジンクスなのだと思います。 ■5月5日 小学校の頃、校庭に『大障害』と呼ばれる遊具があったと思います。 3メートルくらいの高さで、木の板が75度くらいの角度で固定されているだけの遊具。 反対側には鉄の棒が下がっていて、それをつたって地面に降りることができる仕組み。 助走をつけて一気に上まで駆け上がって楽しむという、シンプルであり且つやや運動能力を要求される遊具。 上から50センチくらいの短い鎖が数本垂れていて、6年生といえども鎖無しでは上に行けないという、今考えればありえないくらい高度な遊具だった気がします。 確か高学年(5〜6年生)からじゃないと使用できないという暗黙の了解もあったと思います。 先に上に登った者の特権として、鎖を全て上に引き上げてしまい『大障害』を独り占めするということもできました。 一本だけ鎖を下ろしておいて、駆け上がってくる人の手が鎖の端に届きそうになる寸前で鎖を上に引き上げてしまうという、心底根性の悪い行為を楽しむものもいました。 そういうロクでもない遊びをしていた子供は、ロクな大人にならないことが今実感できます。 ■5月4日 パソコン仕事をやっていると目が疲れます。 そしてそれ以上に肩がこります。 自分は肩こりとは無縁と思っていたのですが、最近ズッシリと肩が重いです。 ようやく花粉症が終わったと思ったら、今度は両肩に憑かれたみたいな重量感。 毎月入れ替わりで、何か一つ身体のどこかがおかしくなっている気さえします。 「もう今日は無理しないで、ゆっくり休んでね。」 と、エプロンで手を拭きながらやさしい言葉をかけてくれる妻。 「お父さん、私が肩揉んであげるよ!」 と、父親をいたわる娘の無邪気な気づかい。 そして苦笑いをしつつも、まんざらでもない私。 そんな一家団欒の時間に幸せを感じます。 妻も娘もいない私の一番おかしい部分は、頭なのだと思います。 ■5月3日 節約をしようと考えている矢先に、コンビニではおむすび100円セールが開催。 当然その誘惑に負けるのを見越してコンビニへ行ってきました。 おむすびをレジに持っていく際に、財布を家に忘れてきたことに気づく衝撃。 『節約しろ』という見えないチカラが感じられます。 強制的に昼食抜きとされた切なさ。 レジのお姉さんに財布を忘れた旨を伝える切なさ。 自らおむすびを棚に戻しに行く切なさ。 うつむき加減に足早にお店を出る切なさ。 コンビニに潜む切なさの渦にもまれて泣きそうです。 ■5月2日 最近、通販とかの無駄遣いが多い気がします。 『欲しい』という衝動が普通の人よりも低いラインにあるのだと思います。 この狭い部屋に確実にモノが増え始めています。 もともと何も無い部屋に生活の匂いが感じられ始めた今日この頃。 周囲を見回すと、色々なものが目に付きます。 シーズン前に買った未使用扇風機。 がら空きの押入れ。 5個しかないハンガー。 ゴミが入りきらないゴミ箱。 靴が入っていない靴箱。 フライパンの無い台所。 モノが入っていない棚。 最初に書こうとした内容と変わってきている上に悲しくもなってくるので、これ以上部屋のことはあまり考えないようにします。 根本的に上記の文章を否定することになるのですが、この部屋にはやっぱりモノが無いです。 ■5月1日 最近私の携帯に来たメール。 『久しぶり、佐藤です(仮名)。』 (・・・・・・誰!?) 『佐藤さん』でまず頭に浮かぶのは、大学生時代の友人と、以前の仕事仲間の2名。 基本的にどちらの佐藤さんからもメールはきそうにないと思います。 そもそも、どの佐藤さんからのメールでも今回が初めてです。 どの佐藤さんとも当時の仲は悪くもなく、さほど良くもなく、微妙な感じでした。 なんとかして相手の情報を引き出していく必要があります。 問題は片方の佐藤さんは同期で、片方の佐藤さんは先輩ということ。 敬語を使用すべきかどうかが厄介な問題です。 情報を引き出すとかいう以前に、序盤にして解決出来そうもない壁を前に挫折しました。 ■4月30日 携帯に入ってくるメールを、自動でフォルダ分けしてくれる機能を使ってます。 フォルダの名前はそれぞれ『親族』とか『高校の友人』とか『バイト仲間』とか様々です。 その中でも最下層に『クズ』というフォルダが設置してあります。 それなりに開く機会の多い『クズ』フォルダ。 それなりにメールが溜まる『クズ』フォルダ。 色々な意味でその名前をつけたのですが、もし誰かに見られたらそれなりに問題がある気もします。 『クズ』フォルダのすぐ上には『微妙』という名のフォルダもあります。 ■4月29日 昨日と今日と一泊でイベントに出てきました。 昨日の分も含めて、2日分を今日更新します。 昨日の分は、単に昨日感じたことを書けばいいと思ってます。 HP更新ルールの設定は特に無いです。 基本的には自分の心の状況に合わせて、自分が納得できればそれでいいと思います。 私は『臨機応変』という言葉が座右の銘にするほど好きなのですが、その認識が正しいのかどうかの検証は放棄します。 ■4月28日 数年前に『萌え』という言葉が流行語になってから、その意味がよくわかりません。 やや少女趣味的な意味合いから、いつのまにか単なる好みの表現へと変化している気がします。 「貴方は何萌えなの?!」 という微妙な質問まであります。 代表的なものとして、メガネ萌えとか浴衣萌えとかポニーテール萌えとか、、、。 チビ萌え、ホクロ燃え、パーカー萌え、ソバカス萌え、ヘアーバンド萌え、八の字マユ萌え、バックたすき掛け萌え、日焼け肌水着の跡萌え、、、。 結局のところ、『萌え』はなんでもアリらしいです。 上記の『萌え』は別に私の趣味ではありません。 もちろん嫌いじゃないですが。 ■4月27日 『不言実行』という言葉。 『理屈をあれこれ言わず、成すべきことを黙ってこなす』という非常に立派な諺の一つ。 この言葉のいいところは、たとえ実行出来なかった時に何も言われずにすむという部分にあると思います。 さらに『実は実行もしてない』という荒ワザもあります。 先人が生み出した立派な言葉でさえ、使う人によってはそこから何も生み出されないのだなと改めて思います。 もっとも何もしていない時点で、それは『不言実行』でもなんでもないとは思います。 ■4月26日 『一年を二十日で過ごすイイ男』 今のように1年間に何場所も取り組みが無かった頃、昔の人が力士を評して詠った川柳。 この川柳を聞いたとき、本気でお相撲さんを目指そうかと考えたことがあります。 『楽してモテる』という、間違った認識がそうさせたことは明らかです。 本質をよく考えずに無責任な憧れを抱くのは、今も昔もあんまり変わっていないのだなと思います。 ■4月25日 とんがりコーンを思わず指にかぶせてしまう行為は、子供の頃に誰もが通った道だと思います。 いつの頃からか人前でそれが出来ない年齢になってしまっていることに気づきました。 一人部屋の中で誰にも見られていないことを確認してから、おもむろに一つずつ指の上に乗せていくひととき。 人前でなく密かにその行為をするあたり、自分は大人になったのだとしみじみ思います。 アポロチョコのピンクの部分だけ食べるときも、きっと同じことが言えるのだと思います。 ■4月24日 妙に後頭部の辺りが痛いです。 久しぶりに風邪をひいたかもしれません。 一人暮らしの風邪は体力よりも精神的にしんどいです。 心も体も弱っている状態の副産物として、『異性に惚れやすい』という特典があります。 弱って寝込んでいるときに看病でもされようものなら、それが誰であってもスグに惚れる自信があります。 人の持つ種族維持本能は凄いのだと思います。 自らの節操の無さを『本能』という言葉で、社会的にもユルく認知してもらえそうな感じがいいです。 ■4月23日 つい最近、風呂場で溺れかけました。 詳しい状況は省くとして、助けを求めるために浴室の壁をバンバンと必死で叩きました。 なんとか自力でバスタブから脱出しましたが、息もたえだえな状況でした。 時間は夜の10時。 (隣の部屋の人に謝らなきゃ・・・。) と考えたものの、何をどう言えばいいのかが分かりません。 夜の10時に突然隣の住人から風呂で溺れたことを打ち明けられる側の気持ちを考えると、それもどうかと思います。 2分程考えて、やめることにしました。 隣の人の顔も知らない関係とは、そんなものなのだと思います。 ■4月22日 テレビに出ている芸能人がよくわかりません。 正確にいうと、人気の度合いがわからないです。 周囲の評価を聞いて初めて、その芸能人の人気に気づかされます。 最近になってもあんまり、流行のアイドル顔が判別できずにいたりもします。 ただ、今も昔も変わらない判断材料として、 『出演者が2桁台のクイズ番組に出ているグラビアアイドルの位置づけは微妙』 という認識は間違っていないようです。 ■4月21日 『おみくじ』を引くのは結構好きなほうです。 ふと、おみくじの内容に有効期限はあるのか?ということが気になったので、調べてみると、おみくじは『引いた人のその時の状態を表している』らしいです。 (そうだったのか・・・。) 以前、おみくじで末吉を引いたとき、妙に納得いかないままトイレで用をたして、また直ぐにおみくじを引いたら大吉だったことがありました。 今思うと、あれはトイレに行く前のモヤモヤ感と、トイレに行った後のスッキリ感をおみくじが顕著に表してくれていたのだと思います。 『おみくじは自分の気持ち次第』ということらしいので、私の解釈が公式に認められたのだと信じることにします。 ■4月20日 朝食を食べないことがよくあります。 昼食を食べないことがたまにあります。 夕食を食べないことが稀にあります。 そんな中、アイスを食べない日はほとんどありません。 カロリーバランスとか、ビタミンがどうのとか言う前に、糖分をアイスから摂ることに関しては余念がないです。 ■4月19日 部屋の密閉性が高いです。 換気扇を回していると、ドアが勝手に閉まったりします。 もちろんドアが閉まるところを見てさえいれば、さほど気になることでもないです。 夜、何もしていないのに背後で『カチャ・・・』と突然ドアが閉まる音が聞こえると、さすがに気味が悪いです。 正直怖くて怖くて振り返れません。 そのままドア側を見ずに寝てしまおうと考えることも多々あります。 ■4月18日 『携帯電話は常に左手で受ける』という自分ルールがあります。 あくまで『癖』とは微妙に異なる『自分ルール』。 部屋のカギを右手で閉めるのは自分ルール。 左手で頬杖をつくのは癖。 右側を下に向けて寝転がるのは自分ルール。 背中を親指で掻くのは癖。 正直な話、口には出せないような癖や自分ルールが大半を占めていることもあって、上記のような普遍的な例を挙げることの大変さを実感します。 それはどうかとドン引きされそうな内容は伏せました。 そもそも何でこの話を書こうと思ったのかすら疑問です。 自分の存在に本気で首をかしげるのは、私の癖です。 ■4月17日 予期せず外泊することになったとき、履き替える靴下が無いと困りものです。 一度脱いだ靴下は正直あまり履く気にはなれません。 かといって生足で靴を履くと、異臭の素になるので嫌です。 そんな解決策として、外出時はほぼサンダル履きで行動することが多いです。 同様の理由で、パンツに関しても同様の問題が発生します。 2度履きしたくないことに関しては靴下よりもレベルが高いです。 もっともこの場合、『ズボンを直履きする』ということで簡易的にその場を対処できます。 『常にノーパンで行動する』という逆転の発想で、この問題を根本から回避することもできますが、その解決策は社会的に失うものが多すぎるという二次的な危険性をはらんでいるので怖いです。 ■4月16日 教育テレビで子供たちが『なぞなぞ』を出している番組を見ました。 その『なぞなぞ』の一つ 【人を迷わせる色は何色でしょう?】 (う〜ん、ピンクかな・・・。) 『なぞなぞ』であることをまったく考えずに浮かんだ大人の答え。 冷静に考えればピンクが答えであるはずがないことは明らかだと思います。 (そもそもこれは子供番組だ・・・。) しかも何でピンクが浮かんだのかがわかりません。 いや、すいません。それは何となくわかっています。 大人になって覚えた、自分への知らぬそぶり。 ■4月15日 ちょっとスネたような女性の仕草にグッとくることがあります。 それは多分スネているというマイナス面が、これからプラスの要素に上がっていくだろうという期待感がそうさせるのだと思います。 ギャップの差が激しい分だけ、プラス面にもマイナス面にも受ける衝撃が大きいということなのだと思います。 『アメとムチ』などと例えた先人は凄いと思います。 もちろん今私がアメ玉を貰っても嬉しいと感じる自信はあまり無いですし、ムチをくらったら間違いなくヘコむ自信があります。 ムチの精神的なダメージをアメ玉で回復させる自信がありません。 ■4月14日 女性の髪形の変化に気づくのは男の義務だそうです。 基本的に変化に気づく能力に恵まれていないほうだと思います。 以前、突発的にスキンヘッドにして、すぐにハンズでヅラを買ってそのまま過ごしたことがありました。 実家だったにも関わらず、数週間何の反応もなかったです。 一旦部屋に戻って、ヅラをとって戻ったときの父親の第一声が、 「あ、床屋行ったの?」でした。 時間軸を完全に無視した衝撃の一言。 根本的にウチの家系が、変化に気づく義務を放棄しているのだと思います。 ■4月13日 ハミガキを忘れることがあります。 ハミガキをし忘れるというわけではなく、ハミガキをしていることを忘れることがあります。 朝の時間にハミガキしながらニュースを聞き流しつつ片手でPCの操作をしたりする時、ふと思い通りにPCを操作出来ていないもどかしさに気づきます。 (それは、なぜだろう・・・。) それは、左手しか使っていないからです。 じゃあ右手を使おうと考えたときに、ようやくハミガキをしていたことを思い出します。 そんなことが月に2回くらいあります。 ■4月12日 久しぶりの旧友と会ったときに、名前が思い出せない人がたまにいます。 お互いに知らないのであれば何も問題が無いのですが、相手がこっちを知っていた場合はタチが悪です。 「うわ〜、久しぶり〜!」 なんて言われると、条件反射で 「本当に久しぶりだよね〜。」 などと言ってしまいます。 実際に久しぶりなのだから、嘘はついていません。 「ひょっとして憶えてない?」 と言われたときに、 「いやいや!そんなことないよ!」 と、思わずムキになって否定したりもします。 ちなみに、ここで初めて私が嘘をついたことにもなります。 上記の会話は、悪友の悪巧みで、実際はまったく会ったことの無い他人だったので、私のイヤらしさが露見したカタチになりました。 気がつけば最初の『久しぶり』さえも嘘をついたことになっているあたり、あらがい難い神の意思が感じられます。 ■4月11日 金儲けのネタを考えてることがよくあります。 いや、基本的に常に探している気がします。 別に金儲けがイケナイことは全然ないのですが、 『お金なんて私は気にしないですよ』的な透明さに憧れるフシはあります。 周囲の些細な物事に対して無意識に (カネにはならないな・・・。) と見切りをつけてしまう度に、なんか自分の純粋さが失われていくような切なさが止まりません。 ■4月10日 人が好意を持つ容姿の要因の一つに、『自分と似ているから』というのがあるそうです。 それが正しいならモテモテの人は『色んな人に似ている』ということです。 実際数千人の顔を一つにした平均顔が、その時代の『モテる顔』というデータもあるらしいです。 顔の平均という定義がよくわりませんが、強すぎる個性を取り除いていくことらしいです。 ただ平均値があるということは、『平均以上の個性の顔の人』と『平均以下の個性の顔の人』がいるということなのだなと思います。 たとえ私の顔が平均以上だと言われたとしても、モテない個性は嬉しくないと思います。 ■4月9日 比較的年齢の若い人と話す機会がありました。 年齢のギャップを感じさせないように、ある程度意識して相手の年齢に合わせて話します。 芸能人の話題で飯島直子が登場したときに、 「そういえば、前に網浜直子とW直子ってユニット組んでたよね。」 「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 これは失敗。 芸能人の話題は、世代の差が顕著にでてしまうので危険です。 「『11PM』に出てたよね。」 という第一候補コメントを避けた結果でしたがダメでした。 やはり 「スーパージョッキーに出てたよね。」 ぐらいにするべきだったかと悔やまれます。 ■4月8日 女性が男性を評する言葉に 『生理的に受け付けない』という言い回しを聞くことがあります。 『好みじゃない』という言い方よりも、やや上のランクの否定表現だと思います。 出来ることならあんまり言われたくない言葉です。 生理的に受け付けない条件が記載されたサイトによると、 『ルックス』 『健康体』 『性格の一致』 『子育ての能力と資源』 『資産を分け合えるゆとり』 この中で許容範囲外の人に対して使う言葉らしいです。 一つでも欠けてたらダメというのであれば、相手の好みがどうとかいう以前にどんどん落ち込んでいく自分がいます。 ■4月7日 パンダの人気が納得いかないです。 クマにちょっと模様がついているだけであの人気。 それに比べて同じ条件なのにスポットが当たらないシマウマの立場はどうなのだろうとも思います。 もしかしたらパンダは別の部分でポイントを稼いでいるのかもしれないです。 (パンダに有ってシマウマに無いポイント・・・。) そこを見抜けていないことが、私がシマウマ側からパンダ側に行けない理由なのだと思います。 ■4月6日 何か物事を始めるときは恰好から入ることが多いです。 典型的な日本人タイプです。 『面白そう!』と感じる頻度は、多分普通の人よりは多いです。 実際に始めてみる度合いも、やや多いほうです。 潜在的に『どうせ続かない』という意識があるのか、始めるときは軽い気持ちでいることが多いです。 そして、 (せめて恰好だけでも・・・。) という想いが先行して、その通り恰好だけで終わるケースが格段に多いです。 ■4月5日 『嘘つき』は自分で「嘘つき」とも「嘘つきでない」とも自称することができないらしいです。 『嘘つき』という前提がある以上、そこに論理的な矛盾を引き起こすからだそうです。 言いたいことは何となくわかります。 ただ、理解するのに数秒かかります。 こういう矛盾は、一瞬でも相手を煙に巻くときに使えると思います。 『ウサギはカメに追いつくことが出来ない』という矛盾を、過去数え切れないほど言い訳に使用した記憶があります。 ■4月4日 最近運動をしていません。 少し身体を動かしただけで息切れします。 食べる量は運動をしていた時とあまり変わらないので、明らかに腹が出てきています。 そんな状態を解消するべく何か方法を考えてますが、たとえ何かを始めても続けられなくては意味が無いです。 過去の経験から、私が物事を続けられる要素を考えてみました。 『簡単』、『楽』、『痛くない』、『楽しい』、『面白い』、『疲れない』、、、。 そんなことを考えるだけで、何もせずに眠る日々が続いていきます。 『どうせやらないことを考える』という不毛な作業が一番長続きしています。 ■4月3日 興味の無い話になると、強引に別の話題に切り替えて話し始める知り合いがいます。 考えてることが非常にわかりやすいです。 私の場合、自ら話題を変えることはしませんが、視線を合わせたまま相手の話を聞かなくなる傾向があります。 テキトーに相づちをうっていますが、相手から意見を求められるとハッと我に返って戸惑います。 大抵の場合、 「え?あ〜、うん、そうだね。」 と誤魔化します。 何が『そう』なのか、よくわからないまま話は続きます。 ■4月2日 送別会を兼ねた飲み会&食事会がありました。 そんな中、何故か『メイド喫茶』の話題が取り上げられました。 誰も行ったことがないのに、『ツンデレ』などの専門用語も飛び交い、予想以上に盛り上がるテーブル。 興味深い反面、あんまりノリノリで話題に乗るのも考え物だと思います。 ここで『妹喫茶』の話題とかを出すべきか迷ったものの、あらぬ誤解を受けそうだったのでやめました。 ■4月1日 十数年くらい前は、4月1日にイタズラ電話が多発して結構問題になっていた気がします。 まだ携帯が無く、電話ボックスからの警察へのいたずら電話が絶えなかったと言われた当時。 そしてまだ少年だった私たちにとって、電話ボックスは10円で遊べる最高の遊具だったと思います。 小学生時代の想い出を語ると、電話ボックスから連想されるイタズラエピソードが尽きません。 ほぼ言えない内容ですが。 ■3月31日 テンションが高いときやご機嫌なとき、歩きながら歌を口ずさんだりします。 そんなとき、曲がり角をまがって突然人に出くわしたりすると妙に気恥ずかしいです。 軽快だった歌声は途端に気弱な鼻歌に変わって、グダグダな感じでフェイドアウト。 見たくも無い空を見上げてみたり、痒くもない頭を掻いてみたりと、不毛な行動が止まりません。 気がつけば、ため息が出るくらいテンションがさがってます。 ■3月30日 部屋などが散らかっている様子を見て、 「エントロピーが増大している。」 と、表現する友人がいます。 物理学の言葉らしいのですが、私はその友人からエントロピーという言葉を知りました。 言葉の意味はどうやら『乱雑さ、無秩序などの度合い』ということらしいです。 「女性関係のエントロピーは少ないな。」 と、言ってニヤリと笑う彼。 今考えてみても、全く意味がわからないです。 ■3月29日 ワサビの産地としても有名な静岡県。 この前初めてワサビアイスを食べました。 イメージとしてはあきらかに『観光客向けのキワモノ』。 でもその味は予想外にワサビの味が強烈でした。 多分子供は食べられないのではないかとも思いました。 こういうものは無難にまとめてくるだろう、という予想を遥かに上回るワサビ感。 アイスのことを忘れてしまうくらいのワサビ感。 このアイスを企画した人を、尊敬の念を込めて『冒険者』と呼びたいです。 ■3月28日 寝る前に何か食べるのは身体にあまり良くないそうです。 でも、お腹は減ります。 そこはもちろん我慢せずに食べます。 その後は一応身体に気を使って、しばらくは寝ないようにします。 大人ならではの身体への気遣いです。 身体の為なら『寝不足』に関しては見て見ぬふりができる大人の対処。 ■3月27日 『ガスの供給を止めさせていただきます』 そんな紙がドアポストに入ってました。 (・・・督促状?!) (そんなに滞納してたっけ?) (・・・・・・あぁ、したかも。) この部屋は電気調理器なので、ガスを利用するのはお湯を出すときのみ。 一瞬、 (ガスくらいなら・・・) と考えたりもしました。 精神的に不安定だと、正常な判断が出来ません。 ■3月26日 久しぶりに学生時代の友人と再会。 会話を交わす中で、 「この前20代に間違われちゃったの!私もまだまだイケるわね。」 と、嬉しそうに話してた彼女。 既に人妻の彼女。 彼女が何処へ行くつもりなのか分かりません。 ■3月25日 学生の頃、『サモハン』というアダ名の女子がいました。 もちろん由来はジャッキーチェンやブルースリーと肩を並べる、あの有名アクション俳優の『サモハン・キンポー』。 その彼女は別段太っているわけでもないですし、カンフーをするわけでもなく、特に顔も似てません。 もちろんその娘がサモハン好きなわけでもないです。 あくまで『なんとなく』という曖昧な雰囲気からきていたと思います。 当然のごとく、本人の前では言わない隠語として使用されていたわけですが、今考えてみても酷なアダ名だったと思います。 少なくとも女の子につけるアダ名じゃないなと、今さらながらに思います。 ■3月24日 「あれもやりたい、これもやりたい」 と思うことが多々あります。 それがいつのまにか 「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」 という状況に変わってしまうことがあります。 器用な人はうまい具合に優先順位をつけてテキパキとこなしていくのだろうと思います。 気がつけば、トイレの裏側を掃除。 気がつけば、コンビニにアイスを買いに。 気がつけば、近場の銭湯をネット検索。 気がつけば、リンゴの皮を細く長く剥く。 気がつけば、、、、、、。 頭に浮かんだことを、その場でせずにはいられない貧乏性は何かと忙しいです。 (あれ?今、一体何してるんだ?) (おい!リンゴ剥いてる場合じゃねえよ!) 気が多い人間は優先順位を見極められない上に、軌道修正もできません。 ■3月23日 家の近くに狭い歩道があります。 まともに人がすれ違うのことができないくらいの幅。 ガードレールがあるので、車道に出ることもできません。 そんな場所でよりによって向こうから外国人。 私が立ち止まろうかと思うより早く、わけのわからない言語を話しながら壁にへばりつく外国人。 「俺が壁にくっつくから、お前はそのまま通れよ!」 というようなニュアンス(想像)かな、、、多分。 無言で通過するわけにもいかず、かといって何を言えばいいかすらわからず、とりあえず一言だけお礼を言いました。 『サンキュー』じゃなくてとっさに『センキュウ』と言ってしまったことに自己嫌悪です。 出来もしないのに本格的な発音を真似した恥ずかしい例。 (英語もしゃべれないくせに、何が『センキュウ』だよ・・・。) 消したい過去を消せるのであれば、ワーストスリーくらいに消してしまいたいです。 ■3月22日 最近よく夜中に携帯メールが入ってきます。 寝ぼけているのでメールの内容を理解するだけの能力がありません。 考えて返事をしなくてはならないのに、全然頭がまわりません。 でも返事はスグにしなくてはならないです。 送られてくる時間帯に作為的なものすら感じます。 ■3月21日 毎週購読しているパソコン関係の雑誌。 表紙はなぜかいつも女性芸能人の立ち姿です。 中身とはまったく関係がないです。 確かに自分が好感を持つ芸能人と、あんまり好きじゃない芸能人とで、購買意欲が変わるというのはなんとなくわかる気がします。 部屋の一角にはその雑誌が古い順に積み上げられてますが、常に目に付く一番上が一番新しいというわけではないです。 2ヶ月近く前の号なのに、未だに一番上をキープしているということもよくあります。 (今週は、、、、、いや、今週も勝ち抜きかな、、、。) 雑誌の編集者に申し訳ないくらい、中身とはまったく関係がない上下関係。 ■3月20日 家の炊飯器のメニューボタンを見て、数種類の炊き方が選択できることに気づきました。 炊き方は6種類。 『白米』『早炊き』『炊き込み』『玄米』『おかゆ』『極うま』 (・・・・・・極うま?) 1つだけ存在意味がよくわかりません。 いや、存在意義を問うなら『白米』のほうかもしれません。 常にうまく炊けよ、と言いたいです。 ■3月19日 良い事をしても人に気づかれなければ意味が無い気がします。 気づかれないようにやった良い事が、偶然気づかれたときのその効果はかなりのものです。 それを踏まえて、良い事はあえて気づかれないようにやっておいて、誰かに自然に気づかれるように仕向けることにしてます。 そんな私の評価は、イマイチ上がる気配をみせてくれません。 ■3月18日 お昼にスリランカカレーを食べました。 そのカレーの中に尻尾つきのエビが5〜6匹入。 私は昔からエビは尻尾の殻まで食べるのですが、尻尾まで食べたことに対して周囲の人にかなり驚かれました。 いや、普通食べないということはうすうす感づいてはいました。 一緒に食べた2人はもちろん、お皿を片付けにきたお姉さんまで驚いていたことに動揺を隠せません。 そんな中、 「僕はエビフライだけは尻尾食べますよ」 という斬新な意見も登場。 エビから学ぶ人と自分との違い。 ■3月17日 インターネットをする人で、今や知らない人はいない大手検索サイト『Yahoo(ヤフー)』。 以前の職場で、『ヤフー』のことを『ヤッフー』と発音する人がいました。 先輩に遠慮してあえて指摘しなかったこともあり、その先輩はずっとヤッフーと発音していました。 軽快に話し出す先輩。 「そういやヤッフーのページではさぁ、、、」 ( ・・・・・ ヤッフー、・・・・・ ヤッフー、、、か。) いつも頭の中で『ヤッフー』が飛び回り、先輩の話の内容をほとんど聞けていないことが多かったです。 ■3月16日 一般に『芸能人に例えると?』という質問が納得できません。 基本的に例えることができた試しがないです。 いつも思うのですが、私自身も含めて周囲に芸能人に似ている人なんて1%にも満たない気がします。 それでもこの質問が世間一般に浸透しているところをみると、私の洞察力不足なのだと思います。 そう言えば過去に一度だけ、森山直太郎氏と草薙剛氏を足して3で割った感じと言われたことがあります。 ■3月15日 携帯に友人から 『参加者は希望の参加時間と、希望の場所を今週中に返事してください』 という内容のメール。 (・・・・・・。) (・・・・・・・・・・・・何が?) 意味がまったくわかりません。 送るべきメールを一通飛ばされたか、私に間違えて送ってしまったのか。 確かなことは、どちらにしろ疎外感は免れません。 ■3月14日 子供の頃ホワイトデーに贈るものは『クッキー』という相場が決まってたと思います。 『キャンディー』はOK、『マシュマロ』はNGという意味合いで贈る風潮があったのも記憶に新しいです。 今は『スイーツ』を贈るのが常套手段となっている様子。 いつの間にか『デザート』のことを『スイーツ』と表現するように、メディアに洗脳されつつある今日この頃。 キーボードで『スイーツ』と打ち込んで、一発で変換されないのがもどかしいです。 ■3月13日 休日に自転車で遠出を決意しました。 最近運動していないこともあって、あっという間に息が切れました。 自転車の旅のツライところは目的地に着いたら終わりではなくて、また同じ体力を消費して戻らなければならないことだと思います。 爽快な下り坂も、手放しで喜ぶことができません。 それでも達成感と感動を求めてペダルをこぎ進みます。 出発して約15分後くらいでしたが、最寄り駅から電車に乗って移動しました。 ■3月12日 静岡県に引っ越してきて約1ヶ月。 静岡県内では『静岡』のことを『しぞーか』と表記することが普通にまかり通っています。 もちろん正式ではないのですが、テレビ番組のフリップなどでも結構よく見かける『しぞーか』表記。 確かに一瞬違和感を感じますが、使い心地が良くてついつい頭の中で繰り返してしまいます。 そんな『しぞーか』の魔力。 ■3月11日 今日こそは本気で炊飯器を買おうと決心しました。 今までの様に諦めて帰ることの無いように、今回は先にコメを買ってしまおうという大胆な作戦を決行。 早速米屋で5キロの袋を購入。 その足で炊飯器売り場へ。 でも、コメを抱えた状態で炊飯器を買うなんて、明らかにベタすぎるのではないかという疑念に駆られます。 店員さんもきっと思うはず。 (コイツ、そんなにゴハン食べたいのかよ・・・。) と。 (違う!いや、そうだけど・・・。) ホームセンターの前で米を片手に呆然と立ち尽くす夕刻。 ■3月10日 引越しをして一ヶ月を過ぎた今でもまだ電気釜を買えてません。 ときどき無性にゴハンが食べたくなるときがあります。 そんなときは感情にまかせて近場のホームセンターに駆け込みます。 (3合炊きで8950円か・・・。) 立ちふさがる現実の壁。 これを買ったところで作れるのは所詮ゴハンのみ。 帰り際の弁当屋で、2人前(約千円)の弁当を買うという刹那的な解決法を選ぶ日々。 ■3月9日 毎日19時頃、天井から水滴が落ちているような音が聞こえます。 一定のリズムでポタポタと音がしていると思ったら、ちょっと途切れてまた音がしたりします。 玄関のあたりで音がするので、どうやら2階の住人がその辺りで水を滴らせているのだと思います。 正直言って、玄関先で水が垂れているシチュエーションがよくわかりません。 得意の妄想に夢が膨らみます。 ■3月8日 たまに友人のブログを見にいきます。 どのブログも、色々な人からの意見や感想でコメント欄が埋まっている様子がうかがえます。 それに比べて来訪者が皆無に等しいこのページ。 楽しい雰囲気の会話が交わされている友人のブログ。 友人のブログへのアクセスをあくまで『たまに』にとどめているのは、切ない気分になるからです。 私はレスポンスを求めるような記事を書けないので、それでいいのだと思います。 ■3月7日 いつもは通れる道の脇に『立ち入り禁止』の看板。 『やってはいけません』と言われるとやりたくなってしまうのが人の常。 大人になるとある程度先の結果が予測できるので、自分の許容範囲で行動ができます。 子供のような純粋さは無くなっても、子供のような旺盛な好奇心はまだまだ健在です。 しばらく先へ進んでみると、本格的に道が塞がれていました。 もちろん頑張れば通れなくも無いのですが、とりあえず引き返すことにしたのは、きっと私が『大人』だからなのだと思います。 ■3月6日 本屋が好きで暇があると足を運びます。 小説のコーナーで時間を気にせず本を読みふけるのが好きです。 もちろん店員の目は全く気にしません。 昼に本屋に行くと通常通り小説や実用書を読み漁りますが、夕方から夜にかけて本屋に行くと、『大人の書物』の誘惑に駆られる率が高くなります。 ■3月5日 「何を考えてるかわからない」 と、人から言われることが昔からよくあります。 この年齢になっても、それが何故なのかがわかりません。 もちろん私は普通に行動しているつもりです。 周囲の人間と自分とは何が違んだろうと不思議に思います。 そもそも周囲の人達が、他人の考えていることがわかるほどに読心術に長けていることが凄いと思いいます。 ■3月4日 スーパーなどで買い物をするときに、食材から料理を連想されてしまうことに抵抗があります。 例えば『カレーのルー』と『玉ネギ』と『ニンジン』と『ジャガイモ』と『肉』を買ったら、明らかにこれからカレーを作るのだなと思われてしまいます。 ましてや『カレー用の肉』などを買った日には、確実に見透かされてる感が否めません。 そこはたとえ『肉』を『魚』に変えたからといって解決する問題ではないです。 先日は『シチュー用のルーを一緒に買う』という逆転の発想でその場を乗り切りました。 でもよく考えてみると、根本的な問題は解決していないですし、『逆転』でもなんでもなかったです。 ■3月3日 病院で『逆流性食堂炎』と診断されました。 結構ヤバイと思っていたのですが、それほどたいした病気ではなかったらしいです。 単純に被害妄想でした。 逆流性食堂炎をネットで調べてみると、原因の一つに『加齢』と記されていることにショックが隠し切れません。 ■3月2日 昨晩、夜の9時くらいに寝て、深夜の2時半くらいに起きました。 何をしようか5分ほど悩みました。 そしてやっぱり寝なおすことにしました。 朝、10時間以上眠った割には目覚めがあまり良くありません。 そして何故か仕事中にすら眠くなったりもします。 そして何故か仕事が途切れて、することが無くなったりもします。 そして何故かこういう日に限って、社長が事務所に長居していたりもします。 ■3月1日 不定期に胸が苦しいです。 思わず胸を押さえてかがみこんだりしてます。 そういえば若かりし頃、不治の病にあこがれた記憶がありました。 病を隠していて何らかのきっかけでその事実が知られてしまう、というドラマでお馴染みのシチュエーション。 『病気なのに・・・』という枕詞で、全てのハードルを下げようとしていたあの頃。 今思うと、それなりに斬新な考え方ではあったと思います。 |
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