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■5月31日 近所の田んぼに水が張られ、田植えが始まっている。 淡い緑色の苗が、規則的に点々と広がる風景は心が和む。 タイの田舎にいた頃、田植えはせずに種籾を直蒔きをしているところもあった。 豆まきのように田んぼに放り投げるだけなので、田植えにつきものの腰痛が無いのがいい。 それを見たときは、なんて素敵な農法なのだろうと感激したもの。 その直後、怠け者に農業は無理だと諭された淡い記憶。 ■5月30日 眠いからとりあえずちょっとひと眠りしてからやろう、と思って寝ると、大抵何も出来ずに終わる。 そもそも『ちょっとだけ寝る』という行為自体無理がある気がする。 実際ちょっとの時間で起きれたためしがないし、寝足りないとか言って本域で寝ることに集中しようとしてたりする。 ハミガキしてベットで寝てた時点で確信犯のハズなのに、平然と『うっかり』という言葉を使用している自分がいる。 ■5月29日 時間に縛られるのが好きじゃない。 太陽の流れに身を任せて日々を過ごすのが理想だと思う。 もちろん携帯電話に縛られるのも嫌。 折角の休日、腕時計と携帯電話を置いて部屋を出る。 開放的な気分的に浸れるひととき。 一方、帰宅後にまったく着信の無い携帯に物悲しさも憶える。 もともと携帯に縛られてなんかいなかった現実。 ■5月28日 『たまにかけるメガネが似合っている』というのが、O型の人の持つ特徴らしい。 これだけ根拠が感じられない話も珍しい。 血液型占いなんて気にしないと思いつつも、一度聞いてしまうと気にならずにはいられないのも事実。 『親しみやすい』『へこたれない』『裏表がない』『強い意志』『社交性』『リーダーとしての資質』、、、、、、。 気にし始めた頃に、 (あれ?そうでもないんじゃないかな・・・・・・。) と思うのも、占い全般の特徴なのだと思う。 ■5月27日 昨晩シャワーを浴びている際に、自分の足のスネ毛が一部処理されていることに気づく。 (・・・・・・?!???) スネ毛の一部が見事なまでに処理されている。 知らないうちに誰かにされるようなことでもないし、もちろん自分でもそんなことしない。 よく見ると、左右両足とも一部分だけ同じ場所のスネ毛が無い。 この中途半端な規則性はなんなんだろう・・・。 謎が謎を呼ぶミステリアスな事件だ。 凄くどうでもいいことなのに、その得体の知れなさからくる衝撃が大きい。 後々、職場で使用している特殊なカタチの椅子が原因ということがわかったものの、あの衝撃は当分忘れられそうも無い。 ■5月26日 昨日テレビで見た『紅の豚』の余韻が抜けない。 何度も見ているのに飽きない魅力がそこにある。 なんといっても『男は顔じゃない』ってことを非常にわかりやすく教えてくれている設定が嬉しい。 アニメだとか現実でない話だとかは抜きにして、希望くらいは持ちたい。 ■5月25日 先日、生まれて初めてメガネを受注してから、結局まだ取りに行っていない。 目が悪いことは今に始まったことではないので特に不自由には感じないものの、メガネ初体験に向けて期待と不安が入り混じったドキドキ感。 もっとも実際にメガネをかけたところで、2分で飽きる自信はある。 俗に言う、『今が一番楽しい時期』というヤツなのかもしれない。 多分今までの人生の中で、もっとも底辺の『楽しい時期』だと思う。 小中学生時代は、『突然メガネをかけて登校してきたヤツが、教室で注目の的になれる』という1日限定のイベントがあったと思う。 メガネが若干珍しい上に、ちょっとしたインテリ感も漂わせていたあの頃。 全く関係ない話で、現在日本は世界一目の悪い国としてギネスブックに載っているそうです。 ■5月24日 宅配便の不在連絡票がドアポストに入っていた。 基本的に昼間は家にいないので、荷物は19時以降に運んでもらうようにお願いしてあるハズ。 やれやれと思いつつ速攻で宅配の営業所に電話して、直ぐに配送してもらうように話をつけてみる。 「不在連絡票が来ていたので、直ぐに荷物を届けてもらえませんか?」 「はい、それではお荷物のお問い合わせ番号を教えていただけますか?」 「問い合わせ番号は、、、書いてないですね。」 「え?書かれていないですか?では配送者の名前は誰になっているでしょうか?」 「配送者の名前も、、、書かれてないですね。」 「え〜〜、ちょ、ちょっとお待ち下さい。」 そんなやりとりの中で、不在連絡票の裏に『宅配ボックスに入れました』と記載されていることに気づく。 (ぅぁ、、、、、、。) 声にならない声が脳裏に響く。 その間にも、住所や電話番号から荷物の所在を懸命に割り出そうと努力してくれている営業所の方々。 ドアの宅配ボックスからは、怨念のような黒いオーラが出ているような気さえする。 ■5月23日 夜間の車の運転に不安を感じたので、メガネ屋に行ってきた。 約4年ぶりの視力検査。 運転免許更新の最低ラインが『0.7』だったはずなので、自分の視力は『0.8〜1・0』ぐらいが妥当だろうと予想。 「これは見えますか?」 「・・・いいえ」 「では、これではどうでしょう?」 「・・・左、ですか?」 「・・・・・・では、これではどうでしょう?」 「・・・左、ですか?」 「・・・・・・カタカナなんですけどね。」 「・・・・・・。」 「・・・・・・。」 結局のところ近視に乱視にガチャ目にトリ目が加わって、裸眼では両目でも『0.2』無いとのこと。 「目が悪くなったのはいつ頃からですか?」 「もう何年も前からですが・・・。」 「それは、、、がんばりましたね・・・。」 私を見つめながらしみじみと語るメガネ屋の店員さん。 どうやら知らないうちに頑張っていたらしい。 ■5月22日 楽しみな予定が入ると、当然の如く待ち遠しく感じる。 通販の商品が届く日とか、かなりしょうもないことでも待ち遠しく感じる。 それを想う時間は、よほどつまらないひとときなのだと思う。 トシはとりたくないと思いつつ、早く時間が過ぎることを望んでしまう矛盾が内包されている。 ■5月21日 最近視力が落ちてきているとは感じていたものの、加えてトリ目らしいということが発覚。 暗い場所での視界のぼやけっぷりが激しい。 かといって特に朝が強いというわけでもないバランスの悪さ。 さらに霊感というか悪寒というか鳥肌率も最近妙に高い。 ここのところトリ肉ばっかり食べていたせいか、もともとのチキンハートに加え身体のトリ化が進んでいる気がする。 ■5月20日 嘘をつくのが見事な人がいる。 嘘をついて、その嘘がバレないように伏線を仕掛けていくのは嘘が下手な人らしい。 嘘をつくと同時に、嘘がバレたときの伏線を仕掛けていくのが嘘が上手い人らしい。 後者のような人は、嘘がバレるというよりも、いつのまにか嘘をついていないことになっていたりするので性質が悪い。 そばにいる私が何故か嘘つきに見られてしまうこともよくあったと思う。 弁解をすればするほど深みにハマっていく報われなさ加減。 でもよく考えると、報われる程のことも特にしていなかったんじゃないかとも思う。 ■5月19日 お祭りの雰囲気が好きでよく行く。 私の生まれた田舎では、『よかっぺ祭り』という年に一度の大きな夏祭りがあった。 出身中学校が少々問題児の多いところだったこともあり、祭りで問題を起こされることを恐れた学校側が、生徒を祭りに行けなくする為に『体育祭』と『よかっぺ祭り』が同日に設定されていた。 もっともそのおかげで生徒たちは皆、夜の『よかっぺ祭り』に繰り出すことになり、余計に問題が大きくなるという本末転倒ぶりが発揮されていた。 私の祭り好きの要素の8割は、浴衣姿の女性に会えるからだろうと指摘されたことがある。 正確に言うとちょっと違う。 確かに浴衣は好きだけれど、それは単に普段あまり見られない恰好だからのような気がする。 マンネリ気味の20代カップルが、セーラー服を着るか着ないかでもめることと根本的な問題は似ているのだと思う。 ■5月18日 学園の七不思議にまつわるエピソードがない。 B級ドラマや三文小説とかで、『どの学校にも普通によくある話』として取り上げられている七不思議が、全然身近に感じられない。 少なくとも私の母校にはそんな噂は微塵もなかった気がする。 音楽室の肖像画の目は動かないし、ピアノも勝手には鳴らない。 理科室や保健室の人体模型は動かないし、美術室の彫像も徘徊しない。 屋上へ続く非常階段の段数は変わらないし、トイレに花子さんもいなければ、真っ赤なスライムも出現しない。 夜中にプールや校庭で何が起こるわけでもなく、校長室の大鏡は別段現実しか写さなかったと思う。 動く二宮金次郎像は、銅像自体無かった。 こうして一般的に有名なものをあげてみただけでも、その数は七不思議どころじゃないにもかかわらず、その手の噂はまったく無かったし、『7つ目の不思議は誰も知らない謎』という話も当然の如く無かった。 『田舎』という場所に、都市伝説は通用しなかったのだと思う。 ■5月17日 狭い道で人とすれ違う際に、相手と同じ方向に避けてしまうことがよくある。 親切心の逆効果というやつで、お互いに相手を通せんぼをしてしまったことに苦笑いを隠せない。 その次は反対に避けるのが一般的なのだけれど、相手の気持ちを考えて、あえてもう一度同じ方向へ避けようとすることは珍しくない。 でも何故か、不思議と鏡のように相手も同じ行動をとってくることもよくある。 たとえ裏の裏の裏まで読んだとしても、更にその裏の裏まで読んだとしても、上手くすれ違う確率は決して5割を上回らないという現実。 最近知った豆知識として、知らない人を通せんぼすると軽犯罪法が適用されるそうです。 ■5月16日 タイに住んでいた頃、子供たちが凧あげを楽しんでいる場面を見かけたことがある。 凧はタイ語で”ワーオ”と発音するのだけれど、そのイントネーションは日本が誇るコメディアン『志村けん』の”ワーオ”の発音とまったく同じだった。 タイの子供たちが「ワーオ!ワーオ!」と叫びながらはしゃぐ横で、志村けんを介して故郷への郷愁と感動が津波のように押し寄せる。 その村には私以外日本人はいなかったので、その感動を誰とも共有できなかった切なさが忘れられない。 今でも凧を見かけると、タイの片田舎で志村けんが東村山音頭を踊っている間違った記憶がよみがえる。 ■5月15日 数ヶ月ぶりの墓参り。 墓前にて草抜きをしていると、遠くからカミナリの音と不穏な雨雲が近づいてくる。 そしてあっという間にドシャ降り。 神社の境内で雨宿りするという、昨今あまり遭遇し難い状況があった。 突然の雨だったこともあり、たまたま通りがかった女性と雨がやむまで狭い境内を共有する。 整った顔立ちの割りに気さくな笑顔が話しやすくて、1時間以上もの間、彼女との話が弾んだ楽しいひととき。 考え方や話の合う人とは中々巡り会えないし、なにしろ自然体でいられるのが嬉しい。 偶然とか運命とかを信じる気は毛頭無いのだけれど、こういう出会いは大切にするべきだと思う。 予期せずして出会えた理想の女性とでも言うべきか・・・。 まぁ結論から言うと、雨宿り中に女性は一切登場しなかった。 ■5月14日 たまたま友人の友人が友人だったことがある。 わかりやすく言うと、高校時代の友人の友人がたまたま中学j時代の友人だったという話。 友人が私の話をした際に、かえってきた答えは 「あぁ、あのマイペースな奴ね」だったらしい。 ショックというよりは、 (あぁ、そおかぁ、、、。) と思わず納得してしまった。 好きなように行動していても、他人からは普通に見られているだろうと何故か確信していたあの頃。 なんのことはない、そのまま自己中に見られていたという当たり前のことにようやく気づく30代。 ■5月13日 置時計の秒針の音が気になることがある。 深夜帯なんかにその音が気になりだすと、たまに眠れなくなる。 チックとタックには申し訳ないけれど、時計の電池を抜いてしまおうかとさえ思う。 強烈にワサビのきいた寿司でも置いておこうかとも思う。 でも次の日に余計に秒針の音が気になりそうなので、やらないことにしている。 例え同世代の人たちにしかわからない話だとしても、気にしないことにしたい。 そもそも同世代の人でも憶えていない可能性のほうが高い。 ■5月12日 『セーター』がよくわからない。 子供の頃は、冬の寒い時期に着る毛糸のヤツが『セーター』だと思っていたのだけれど、どうもそれだけではないらしい。 『春物のセーター』なんていうのもあるし、『サマーセーター』とかも聞いたことがある。 『七分丈セーター』なんてのもあるらしいし、『半袖セーター』とかに至ってはセーターである必要性がまったくわからない。 『ニット』という言葉が世に出てきて、それは『セーター』と同じ意味だと聞いてから、いよいよ真剣に理解し難い。 最近では『ニットのセーター』なんて言い方もあるようで、もうどうしていいのか全然わからない。 ■5月11日 朝、心地よい風を感じて目が覚めた。 (気持ちいい・・・・・・。) (・・・・・・・・・。) (・・・・・・風?) 寝起きなので頭がよく働いてくれない。 2〜3分くらいまどろんだあとで、ようやく窓が全開に開けっ放しになっていたことに気づく。 そういえば深夜に一度窓が開いているのに気がついたものの、起きるのが面倒でそのまま寝た記憶がフラッシュバックする。 部屋に失うものが無い人間の強み。 ■5月10日 フッと頭に浮かんだどうでもいいことを、アッという間に忘れている自分がいる。 基本的にどうでもいいことなので、頭に留める必要性を感じていないからなのだろうけれど、まったく思い出せないというのも妙に悔しい。 ちょっと前に3つくらいしょうもないことを思いついたハズなのに、それに関して何のキーワードも浮かんでこない。 それを思い出そうとしているこの時間も、無駄な時間の浪費だと思う。 そして多分思い出せたとしても、そのどうでもよさ加減にやっぱり無駄に時間を浪費したと思うのだろうと思う。 実は思い出せていないことこそが、脳が精神バランスを保つ為にとっている最善策なのかもしれないとも思う。 ■5月9日 『今日だけは・・・』『今日ぐらいは・・・』という魅力的な言葉がある。 この言葉が頭に浮かんだときは、その甘美な響きにほぼ十中八九流されていく自信がある。 規則とか計画とかを、例外なく台無しに崩していく魔法の言葉なのだと思う。 『わかっていても対処できない』ということにおいては、天災と思うことにしている。 類義語として、『明日から・・・』という言葉も使い勝手が良くていい。 ■5月8日 午後の陽気に誘われて、ひと気の無い森の木陰で昼寝をしていたら寒くて起きた。 悪寒と乾いたセキが止まらないと思っていたら、1時間後にはすっかり回復。 その後、シャワーを浴びて半裸で寝ていたらノドが痛くて起きた。 1日で2度身体を壊すという快挙。 学習しない心と身体。 ■5月7日 崖っぷちの状況にならないと、行動を起こさない傾向がある。 テストの一夜漬けは毎度のことで、その結果が思わしく無いのも毎度のことだった。 単位をザルのように落としていった学生時代。 『必修科目は3単位、選択科目は7単位以上落とすと留年』というルールの中、なにも考えずに10科目落とした。 それでもストレートに卒業できたときは、卒業式に後輩から 「凄いです・・・。」 と心から感嘆の賛辞をもらった記憶がある。 多分、卒業出来ると思われてなかったのだと思う。 色々な意味で後輩に想いを抱かれていた先輩。 ■5月6日 『ジンクス』とか『げんかつぎ』の類を気にしないほうだと思う。 でも毎年神社に初詣には行くし、おみくじは欠かさない。 黒猫は好きだし、カラスもそれほど嫌いじゃない。 靴ひもが切れてややブルーになることはあっても、別に不吉とは思わない。 お通夜のあとは一応塩で身を清める。 でも、受験の前にカツ丼や豚カツは食べなかった気がする。 結局のところ、どうでもいいのだと思う。 聞くところによると『げんかつぎ』は、緊張をほぐし精神をいつもどおりに機能させる精神安定剤のようなものなので、常にやっている行為でないと意味がないとのこと。 イチローがバッターボックスで毎回同じ動きをすることが、一流の『げんかつぎ』の例らしい。 『げんかつぎ』の要因の一つが『目的を達成するための直接必要性の無い行為』ということであれば、その半分はクリアしている自信がある。 『直接必要性の無い行為のおかげで、いつも目的が達成されない』というのも、ある意味一つのジンクスなのだと思う。 ■5月5日 小学校の頃、校庭に『大障害』と呼ばれる遊具があったのを憶えている。 3メートルくらいの高さで、木の板が75度くらいの角度で固定されているだけのシロモノ。 反対側には鉄の棒が下がっていて、それをつたって地面に降りることができた。 助走をつけて一気に上まで駆け上がって楽しむという、シンプルであり且つやや運動能力を要求される遊具だった。 上から50センチくらいの短い鎖が数本垂れていて、6年生といえども鎖無しでは上に行けないという、今考えればありえないくらい高度な遊具だったと思う。 確か高学年(5〜6年生)からじゃないと使用できないという暗黙の了解もあった気がする。 先に上に登った者の特権として、鎖を全て上に引き上げてしまい『大障害』を独り占めするということもできた。 一本だけ鎖を下ろしておいて、駆け上がってくる人の手が鎖の端に届きそうになる寸前で鎖を上に引き上げてしまうという、心底根性の悪い行為を楽しむものもいた。 そういうロクでもない遊びをしていた子供は、ロクな大人にならないことが今実感できる。 ■5月4日 パソコン仕事をやっていると目が疲れる。 そしてそれ以上に肩がこる。 自分は肩こりとは無縁と思っていたものの、最近ズッシリと肩が重い。 ようやく花粉症が終わったと思ったら、今度は両肩に憑かれたみたいな重量感。 毎月入れ替わりで、何か一つ身体のどこかがおかしい気がする。 「もう今日は無理しないで、ゆっくり休んでね。」 と、エプロンで手を拭きながらやさしい言葉をかけてくれる妻。 「お父さん、私が肩揉んであげるよ!」 と、父親をいたわる娘の無邪気な気づかい。 そして苦笑いをしつつも、まんざらでもない私・・・。 そんな一家団欒の幸せを感じるひととき。 妻も娘もいない私の一番おかしい部分は、頭なのだと思う。 ■5月3日 節約をしようと考えている矢先に、コンビニではおむすび100円セールが開催。 当然その誘惑に負けるのを見越してコンビニへ。 おむすびをレジに持っていく際に、財布を家に忘れてきたことに気づく。 『節約しろ』という見えないチカラが感じられる。 強制的に昼食抜きとされた切なさ。 レジのお姉さんに財布を忘れた旨を伝える切なさ。 自らおむすびを棚に戻しに行く切なさ。 うつむき加減に足早にお店を出る切なさ。 コンビニに潜む切なさの渦。 ■5月2日 最近、通販とかの無駄遣いが多いと思う。 『欲しい』という衝動が、普通の人よりも低いラインにあるのだと思う。 この狭い部屋に、確実にモノが増え始めている。 もともと何も無い部屋に、生活の匂いが感じられ始めている。 周囲を見回すと、色々なものが目に付く。 シーズン前に買った未使用扇風機。 がら空きの押入れ。 5個しかないハンガー。 ゴミが入らないゴミ箱。 靴が入っていない靴箱。 フライパンの無い台所。 モノが入っていない棚。 最初に書こうとした内容と変わってきている上に悲しくもなってくるので、これ以上部屋のことはあまり考えないようにしたい。 この部屋にはやっぱりモノが無いのだと思う。 ■5月1日 最近私の携帯に来たメール。 『久しぶり、佐藤です(仮名)。』 (・・・・・・誰!?) まず頭に浮かぶのは、大学生時代の友人と、以前の仕事仲間の2名。 基本的にどちらの佐藤さんからもメールがきそうにない。 そもそも、佐藤さんからのメールは今回が初めてだ。 どちらとも当時の仲は悪くもなく、さほど良くもなく、微妙な感じ。 なんとかして相手の情報を引き出していきたい。 問題は片方の佐藤さんは同期で、片方の佐藤さんは先輩ということ。 返信の言葉遣いをどうするかが厄介。 ■4月30日 携帯に入ってくるメールを、自動でフォルダ分けしてくれる機能がある。 フォルダの名前はそれぞれ『親族』とか『高校の友人』とか『バイト仲間』とか様々。 その中でも最下層に『クズ』というフォルダが設置してある。 それなりに開く機会の多い『クズ』フォルダ。 それなりにメールが溜まる『クズ』フォルダ。 色々な意味でその名前をつけたのだけれど、もし誰かに見られたらそれなりに問題もある気がする。 『クズ』フォルダのすぐ上には『微妙』という名のフォルダもある。 ■4月29日 昨日と今日と一泊のイベントに出てきた。 昨日の分も含めて、2日分を今日更新することになる。 昨日の分は、単に昨日感じたことを書けばいいと思う。 我ながら非常に楽な更新ルールを設定したと思う。 基本的には自分の心の状況に合わせて、自分が納得できればいい。 臨機応変という言葉が好きなのだけれど、その認識が正しいのかどうかは自分の心に秘めておきたい。 ■4月28日 数年前に『萌え』という言葉が流行語になってから、その意味がよくわからない。 やや少女趣味的な意味合いから、いつのまにか単なる好みの表現へと変化している。 「貴方は何萌えなの?!」 という微妙な質問まである。 代表的なものとして、メガネ萌えとか浴衣萌えとかポニーテール萌えとか、、、。 チビ萌え、ホクロ燃え、パーカー萌え、ソバカス萌え、ヘアーバンド萌え、八の字マユ萌え、バックたすき掛け萌え、日焼け肌水着の跡萌え、、、。 結局のところ、なんでもアリらしい。 上記の萌えが私のものであるかどうかは、あえて伏せておきたい。 ■4月27日 『不言実行』という言葉がある。 『理屈をあれこれ言わず、成すべきことを黙ってこなす』という非常に立派な諺の一つ。 この言葉のいいところは、たとえ実行出来なかった時に何も言われずにすむという部分にあると思う。 さらに『実行もしない』という荒ワザもある。 先人が生み出した立派な言葉さえ、使う人によってはそこから何も生み出されないということが凄い。 もっとも何もしていない時点で、不言実行でもなんでもない。 ■4月26日 『一年を二十日で過ごすイイ男』 今のように1年間に何場所も取り組みが無かった頃、昔の人が力士を評して詠った川柳だったと思う。 この歌を聴いたとき、本気でお相撲さんを目指そうかと考えたことがある。 『楽してモテる』という、間違った認識がそうさせたのだと思う。 本質をよく考えずに無責任な憧れを抱くのは、今も昔もあんまり変わっていない。 ■4月25日 とんがりコーンを思わず指にかぶせてしまうという行為は、子供の頃に誰もが通った道だと思う。 いつの頃からか人前でそれが出来ない年齢になってしまっていることに気づく。 一人部屋の中で誰にも見られていないことを確認してから、おもむろに一つずつ指の上に乗せていくひととき。 人前でなく密かにその行為をするあたり、自分は大人になったのだとしみじみ思う。 アポロチョコのピンクの部分だけ食べるときも、同じことが言えるのだと思う。 ■4月24日 妙に後頭部の辺りが痛い。 久しぶりに風邪をひいたかもしれない。 一人暮らしの風邪は体力よりも精神的にしんどい。 その心も体も弱っている状態の副産物として『異性に惚れやすい』という特典がある。 弱って寝込んでいるときに看病でもされようものなら、それが誰であっても一発で惚れる自信がある。 人の持つ種族維持本能は凄いのだと思う。 自らの節操の無さを『本能』という言葉で、社会的にユルく認知できそうな感じがいい。 ■4月23日 つい最近、風呂場で溺れかけた。 詳しい状況は省くとして、助けを求めるために浴室の壁をバンバンと必死で叩いた。 なんとか自力でバスタブから脱出したものの、息もたえだえな状況。 時間は夜の10時。 (隣の部屋の人に謝らなきゃ・・・。) と考えたものの、口にする言葉が見つからない。 夜の10時に突然隣の住人から風呂で溺れたことを打ち明けらる側の気持ちを考えると、それもどうかと思う。 2分程考えて、やめた。 隣の人の顔も知らないので、そんなものだと思う。 ■4月22日 テレビに出ている芸能人がよくわからない。 正確にいうと、人気の度合いがわからない。 周囲の評価を聞いて初めて、その芸能人の人気に気づかされる。 最近になってもあんまり、流行のアイドル顔が判別できずにいる。 ただ、今も昔も変わらない判断材料として、 『出演者が2桁台のクイズ番組に出ているグラビアアイドルの位置づけは微妙』 という認識は間違っていないのだと思う。 ■4月21日 『おみくじ』を引くのが結構好きなほうだと思う。 ふと気になったのが、おみくじの内容に有効期限はあるのか?ということ。 調べてみると、おみくじは『引いた人のその時の状態を表している』らしい。 (そうだったのか・・・。) 以前、おみくじで末吉を引いて、妙に納得いかないままトイレで用をたして、また直ぐにおみくじを引いたら大吉が出たことがあった。 今思うと、あれはトイレに行く前のモヤモヤ感と、トイレに行った後のスッキリ感をおみくじが顕著に表してくれていたのだと思う。 『おみくじは自分の気持ち次第』ということらしいので、自分の解釈が公式に認められたと信じておきたい。 ■4月20日 朝食を食べないことがよくある。 昼食を食べないことがたまにある。 夕食を食べないことが稀にある。 アイスを食べない日はほとんどない。 カロリーバランスとか、ビタミンがどうのとか言う前に、糖分をアイスから摂ることに関しては余念がない。 ■4月19日 部屋の密閉性が高い。 換気扇を回していると、ドアが勝手に閉まったりする。 夜、何もしていないのに『カチャ・・・』とドアが閉まる音が聞こえると、分かっていてもさすがに気味が悪い。 ドアが閉まるところを見てさえいれば、さほど気にはなることでもない。 でも背後から『カチャ・・・』とドアが閉まる音だけが聞こえると、正直怖くて怖くて振り返れない。 そのままドア側を見ずに寝てしまおうと考えることも多々ある。 ■4月18日 『携帯電話は常に左手で受ける』という自分ルールがある。 あくまで『癖』とは微妙に異なる『自分ルール』。 部屋のカギを右手で閉めるのは自分ルール。 左手で頬杖をつくのは癖。 右側を下に向けて寝転がるのは自分ルール。 背中を親指で掻くのは癖。 正直な話、口には出せないような癖や自分ルールが大半を占めていることもあって、上記のような普遍的な例を挙げることの大変さを実感。 そもそも何でこの話を書こうと思ったのかすら疑問。 自分の存在に本気で首をかしげる自分。 ■4月17日 予期せず外泊することになったとき、履き替える靴下が無いと困る。 一度脱いだ靴下はあまり履く気になれない。 かといって生足で靴を履くと、異臭の素になるのであまりやりたくない。 そんな解決策として、外出時はほぼサンダル履きで行動することが多い。 ちなみに同様の理由で、パンツに関しても同様の問題が発生する。 2度履きしたくないことに関しては靴下よりもレベルが高い。 もっともこの場合、『ズボンを直履きする』ということで簡易的にその場を対処できる。 『常にノーパンで行動する』という逆転の発想で問題を根本から回避することができるのだけれど、その解決策は社会的に失うものが多すぎるという二次的な危険性をはらんでいる。 ■4月16日 教育テレビで子供たちが『なぞなぞ』を出している番組があった。 その『なぞなぞ』の一つ 【人を迷わせる色は何色でしょう?】 (う〜ん、ピンクかな・・・。) 『なぞなぞ』であることをまったく考えずに浮かんだ答え。 冷静に考えればピンクが答えであるはずがないことは明らか。 そもそもこれは子供番組だ・・・。 しかも何でピンクが浮かんだのかがわからない。 いや、それは何となくわかってる。 大人になって覚えた、自分への知らぬそぶり。 ■4月15日 ちょっとスネたような女性の仕草にグッとくることがある。 それは多分スネているというマイナス面が、これからプラスの要素に上がっていくだろうという期待感がそうさせるのだと思う。 ギャップの差が激しい分だけ、プラス面にもマイナス面にも受ける衝撃が大きい。 『アメとムチ』などと例えた先人は凄いと思う。 ただ、今私がアメ玉を貰っても嬉しいと感じる自信はあまり無い上に、ムチをくらったら間違いなくヘコむ自信がある。 そうなったらアメ玉くらいでは立ち直れない自信もある。 ■4月14日 女性の髪形の変化に気づくのは男の義務らしい。 それは知らなかった・・・。 基本的に変化に気づく能力に恵まれていない。 以前、突発的にスキンヘッドにして、すぐにハンズでヅラを買ってそのまま過ごしたことがある。 実家だったにも関わらず、数週間何の反応もなかった。 一旦部屋に戻って、ヅラをとって戻ったときの父親の第一声が、 「あ、床屋行ったの?」だった。 時間軸を完全に無視した衝撃の一言。 根本的にウチの家系が、変化に気づく義務を放棄しているのだと思う。 ■4月13日 ハミガキを忘れることがある。 ハミガキをし忘れるというわけではなく、ハミガキをしていることを忘れることがある。 朝の時間にハミガキしながらニュースを聞き流しつつ片手でPCの操作をする。 ふと、思い通りにPCを操作出来ていないもどかしさに気づく。 それは、なぜだろう・・・。 それは、左手しか使っていないからだ。 右手を使おうと考えたときに、ようやくハミガキをしていたことを思い出す。 そんなことが月に2回くらいある。 ■4月12日 久しぶりの旧友と会ったときに、名前が思い出せない人がたまにいる。 お互いに知らないのであれば何も問題が無いのだけれど、相手がこっちを知っていた場合はタチが悪い。 「うわ〜、久しぶり〜!」 なんて言われると、条件反射で 「本当に久しぶりだよね〜。」 などと言ってしまう。 実際に久しぶりなのだから、嘘はついていない。 「ひょっとして憶えてない?」 と言われたときに、 「いやいや!そんなことないよ!」 と、思わずムキになって否定したりもする。 ちなみに、ここで初めて嘘をついたことになる。 結局、それは悪友の悪巧みで、実際はまったく会ったことの無い他人だったのだけれど、自分のイヤらしさが露見したカタチとなってしまった。 気がつけば最初の「久しぶり」さえも嘘をついたことになっているあたり、あらがい難い神の意思が感じられる。 ■4月11日 金儲けのネタを考えることがよくある。 いや、基本的に常に探している気がする。 別に金儲けがイケナイことは全然ないのだけれど、 『お金なんて私は気にしないですよ』的な透明さに憧れるフシもある。 周囲の些細な物事に対して無意識に (カネにはならないな・・・。) と見切りをつけてしまう度に、なんか自分の純粋さが失われていく切なさが止まらない。 ■4月10日 人が好意を持つ容姿の要因の一つに、『自分と似ているから』というのがある。 つまりモテモテの人は『色んな人に似ている』ということになる。 実際数千人の顔を一つにした平均顔が、その時代のモテる顔というデータもあるらしい。 顔の平均という定義がよくわからないものの、強すぎる個性を取り除いていくということなのだと思う。 ただ平均値ということは、『平均以上の顔の人』と『平均以下の顔の人』がいるということだとも思う。 たとえ自分が平均以上の顔だと言われたとしても、モテない個性は嬉しくない。 ■4月9日 比較的年齢の若い人と話す機会があった。 年齢のギャップを感じさせないように、ある程度相手の年齢に合わせて話す。 芸能人の話題で、飯島直子氏が登場したときに、 「そういえば、前に網浜直子とW直子ってユニット組んでたよね。」 「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・あの、トシいくつですか?」 (しまった・・・・・・。) 芸能人の話題は、世代の差が顕著にでてしまう。 これでも 「最初の頃『11PM』に出てたよね。」 という第一候補コメントを避けた結果でもある。 やはり第三候補の 「スーパージョッキーに出てたよね。」 にするべきだったかと悔やまれる。 ■4月8日 女性が男性を評する言葉に 『生理的に受け付けない』という言い回しを聞くことがある。 『好みじゃない』という言い方よりも、やや上のランクの否定表現なのだと思う。 出来ることならあんまり言われたくない言葉だ。 生理的に受け付けない条件が記載されたサイトによると、 『ルックス』 『健康体』 『性格の一致』 『子育ての能力と資源』 『資産を分け合えるゆとり』 この中で許容範囲外の人に対して使う言葉らしい。 一つでも欠けてたらダメというのであれば、相手の好みがどうとかいう以前にどんどん落ち込んでいく自分がいる。 ■4月7日 パンダの人気が納得いかない。 クマにちょっと模様がついているだけであの人気・・・。 それに比べて同じ条件なのにスポットが当たらないシマウマの立場はどうなのだろうとも思う。 いや、そこはパンダの奴が別の部分でポイントを稼いでいるから、と考えるのが自然じゃないかと思う。 (パンダに有ってシマウマに無いポイント・・・。) そこを見抜けていないことが、私がシマウマ側からパンダ側に行けない理由なのだと思う。 ■4月6日 何か物事を始めるときは恰好から入ることが多い。 典型的な日本人タイプだと思う。 『面白そう!』と感じる頻度は、多分普通の人よりは多い。 実際に始めてみる度合いも、やや多いほうだと思う。 潜在的に『どうせ続かない』という意識があるのか、始めるときは軽い気持ちでいることが多い。 そして、 (せめて恰好だけでも・・・。) という想いが先行して、その通り恰好だけで終わるケースが多い。 ■4月5日 『嘘つき』は自分で「嘘つきではない」と言うことができないらしい。 『嘘つき』という前提がある以上、そこに論理的な矛盾を引き起こすから、と聞いたことがある。 言いたいことは何となくわかる。 ただ、理解するのに数秒かかる。 こういう矛盾は、一瞬でも相手を煙に巻くときに使える。 私の場合『ウサギはカメに追いつくことが出来ない』という矛盾を、過去数え切れないほど言い訳に使用した記憶がある。 ■4月4日 最近運動をしていない。 少し身体を動かしただけで息切れがする。 食べる量は運動をしていた時とあまり変わらないので、明らかに腹が出てきている。 そんな状態を解消するべく何か方法を考えるのだけれど、たとえ何かを始めても続けられなくては意味が無い。 過去の経験から、私が物事を続けられる要素を上げてみる。 『簡単』、『楽』、『痛くない』、『楽しい』、『面白い』、『疲れない』、、、。 そんなことを考えながら、何もせず眠る日々が続く。 『やらないことを考える』という不毛な作業が一番長続きしていると思う。 ■4月3日 興味の無い話になると、強引に別の話題に切り替えて話し始める知り合いがいる。 考えてることが非常にわかりやすい。 私の場合、自ら話題を変えることはしないけれど、視線を合わせたまま相手の話を聞かなくなる傾向がある。 テキトーに相づちをうっているものの、相手から意見を求められるとハッと我に返って戸惑う。 「え?あ〜、うん、そうだね。」 何が『そう』なのか、よくわからないまま話は続く。 ■4月2日 送別会を兼ねた飲み会&食事会があった。 そんな中、何故か『メイド喫茶』の話題が取り上げられた。 誰も行ったことがない割りに、『ツンデレ』などの専門用語も飛び交い、予想以上に盛り上がるテーブル。 興味深い反面、あんまりノリノリで話題に乗るのも考え物。 ここで『妹喫茶』の話題とかを出すべきか迷ったものの、あらぬ誤解をされそうだったのでやめた。 ■4月1日 十数年前、4月1日にイタズラ電話が多発して結構問題になっていた気がする。 まだ携帯が無く、電話ボックスからの警察へのいたずら電話が絶えなかったと言われた当時。 そしてまだ少年だった私たちにとって、電話ボックスは10円で遊べる最高の遊具だったことを憶えている。 小学生時代の想い出を語ると、電話ボックスから連想されるイタズラエピソードが尽きない。 ■3月31日 テンションが高いとき、歩きながら歌を口ずさむことがある。 そんなとき、曲がり角をまがって人に出くわしたりすると妙に気まずい。 軽快な歌声は途端に気弱な鼻歌に変わって、グダグダな感じでフェイドアウトしていく。 見たくも無い空を見上げてみたり、痒くもない頭を掻いてみたりと、不毛な行動が止まらない。 気がつけば、ため息が出るくらいテンションがさがったりもしている。 ■3月30日 部屋などが散らかっている様子を見て、 「エントロピーが増大している。」 と、表現する友人がいた。 物理学の言葉らしいのだけれど、私はその友人からその言葉を知ったと思う。 言葉の意味はどうやら『乱雑さ、無秩序などの度合い』ということらしい。 ニュアンス的に私の認識は間違っていなかったと思う。 「女性関係のエントロピーは少ないな。」 と、言いながらニヤニヤ笑っていた彼。 今考えてみると、よく意味がわからない。 ■3月29日 ワサビの産地としても有名な静岡県。 この前初めてワサビアイスを食べた。 イメージとしてはあきらかに『観光客向けのキワモノ』。 その味は予想外にワサビの味が強かった。 多分子供は食べられないのではないかと思う。 こういうものは無難にまとめてくるだろう、という予想を遥かに上回るワサビ感。 アイスのことを忘れるくらいのワサビ感。 このアイスを企画した人を冒険者と呼びたい。 ■3月28日 寝る前に何か食べるのは身体にあまり良くない。 それは知っているのだけれど、お腹は減る。 そこはもちろん我慢せずに食べる。 その後は一応身体に気を使って、しばらくは寝ない。 大人ならではの身体への気遣い。 寝不足に関しては見て見ぬふりができる大人の対処。 ■3月27日 『ガスの供給を止めさせていただきます』 そんな紙がドアポストに入っていた。 (・・・督促状?!) (そんなに滞納してたっけ?) (・・・・・・したかも。) この部屋は電気調理器なので、ガスを利用するのはお湯を出すときのみ。 一瞬、 (ガスくらいなら・・・) と考えてしまった自分が情けない・・・。 ■3月26日 久しぶりに学生時代の友人に会った。 会話を交わす中で、 「この前20代に間違われちゃったの!私もまだまだいけるわね。」 と、嬉しそうに話す彼女。 そんな彼女は既に人妻。 (一体何処へ行くというのか・・・。) ■3月25日 学生の頃、『サモハン』というアダ名の女子がいた。 もちろん由来はジャッキーチェンやブルースリーと肩を並べる、あの有名アクション俳優のサモハン・キンポーだ。 その娘は別段太っているわけでもないし、カンフーをするわけでもないし顔も似ていない。 もちろんその娘がサモハン好きなわけでもない。 あくまで『なんとなく』という曖昧な雰囲気からきていたと思う。 当然のごとく、本人の前では言わない隠語として使用されていたわけだけれど、今考えてみても酷なアダ名だったと思う。 そもそも女の子につけるアダ名じゃない・・・。 ■3月24日 「あれもやりたい、これもやりたい」 と思うことが多々ある。 それがいつのまにか 「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」 という状況に変わってしまうことがある。 器用な人はうまい具合に優先順位をつけてテキパキとこなしていくのだろうと思う。 気がつけば、トイレの裏側の掃除している。 気がつけば、コンビニにアイスを買いに行ってる。 気がつけば、近場の銭湯をネットで検索している。 気がつけば、リンゴの皮を細く長く剥いている。 気がつけば、、、、、、。 頭に浮かんだことを、その場でせずにはいられない貧乏性。 (あれ?今、一体何してるんだ?) (おい!リンゴ剥いてる場合じゃねえよ!) 気が多い人間は優先順位を見極められない上に軌道修正もできないらしい。 ■3月23日 家の近くに狭い歩道がある。 まともに人がすれ違うのこともできない。 ガードレールがあるので、車道にも出ることもできない。 そんな場所でよりによって向こうから外国人。 私が立ち止まろうと思うより早く、わけのわからない言語を話しながら壁にへばりつく外国人。 「俺が壁にくっつくから、お前はそのまま通れよ」 というようなニュアンス(想像)。多分。 無言で通過するわけにもいかず、かといって何を言えばいいかすらわからず、とりあえず一言だけお礼を言う。 帰り道、『サンキュー』じゃなくてとっさに『センキュウ』と言ってしまったことに自己嫌悪する。 出来もしないのに本格的な発音を真似した恥ずかしい例だ。 (英語もしゃべれないくせに、何が『センキュウ』だよ・・・。) 消したい過去を消せるのであれば、ワーストスリーくらいに消してしまいたい。 ■3月22日 最近よく夜中に携帯メールが入ってくる。 寝ぼけているのでメールの内容を理解するだけの能力がない。 考えて返事をしなくてはならないのに、頭がまわらない。 でも返事はしなくてはならない。 送られてくる時間帯に作為的なものを感じる。 ■3月21日 毎週購読しているパソコン関係の雑誌がある。 表紙はなぜかいつも女性芸能人の立ち姿になっている。 中身とはまったく関係がない。 確かに自分が好感を持つ芸能人と、あんまり好きじゃない芸能人とで、購買意欲が変わるというのはなんとなくわかる気がする。 部屋の一角にはその雑誌が古い順に積み上げられているのだけれど、常に目に付く一番上が一番新しいというわけではない。 2ヶ月近く前のものなのに、未だに一番上をキープしているということもよくある。 (今週は、、、、、いや、今週も勝ち抜きかな、、、。) 雑誌の編集者に申し訳ないくらい、中身とはまったく関係がない。 ■3月20日 家の炊飯器のメニューを見ると、数種類の炊き方が選択できることに気づく。 『白米』『早炊き』『炊き込み』『玄米』『おかゆ』『極うま』 (・・・・・・極うま?) 1つだけ存在意味がわからない。 いや、存在意義を問うなら『白米』のほうか。 常にうまく炊けよ、と言いたい。 ■3月19日 良い事をしても人に気づかれなければ意味が無いと思う。 私の持論の一つ。 でも、気づかれないようにやった良い事が、気づかれたときのその効果は計り知れない。 そんなわけで、私は良い事は気づかれないようにやっておいて、誰かに自然に気づかれるように仕向けるということに余念がない。 そんな私の評価は、イマイチ上がる気配をみせない。 ■3月18日 お昼にスリランカカレーを食べた。 そのカレーの中に尻尾つきのエビが5〜6匹入っていた。 私は昔からエビの尻尾の殻まで食べるのだけれども、尻尾まで食べたことに対して周囲の人にかなり驚かれた。 いや、普通食べないということはうすうす感づいてはいた。 一緒に食べた2人はもちろん、お皿を片付けにきたお姉さんまで驚いていたことに動揺を隠せない。 そんな中、「僕はエビフライだけは尻尾食べますよ」という斬新な意見も登場。 エビから学ぶ人と自分との違い。 ■3月17日 インターネットをする人で、今や知らない人はいない大手検索サイト『Yahoo(ヤフー)』。 以前の職場で、『ヤフー』のことを『ヤッフー』と発音する人がいた。 先輩に遠慮してあえて指摘しなかったので、その人はずっとヤッフーと発音していた。 軽快に話し出す先輩。 「そういやヤッフーのページではさぁ、、、」 ( ・・・・・ ヤッフー、・・・・・ ヤッフー、、、か。) 頭の中に『ヤッフー』が飛び回り、先輩の話の内容をほとんど聞いてない。 ■3月16日 一般に『芸能人に例えると?』という質問の仕方がある。 基本的に例えることができた試しがない。 いつも思うのだけれど、私自身も含めて周囲に芸能人に似ている人なんて1%にも満たない気がする。 それでもこの質問が世間一般に浸透しているところをみると、私の洞察力不足なのだとも思う。 ちなみに私は一度だけ、森山直太郎氏と草薙剛氏を足して3で割った感じと言われたことがある。 ■3月15日 携帯に友人から 『参加者は希望の参加時間と、希望の場所を今週中に返事してください』 という内容のメールが届いた。 (・・・・・・。) (・・・・・・・・・・・・。) そもそも意味がまったくわからない。 送るべきメールを一通飛ばされたか、私に間違えて送ってしまったのか。 どちらにしろ疎外感は免れない。 ■3月14日 子供の頃ホワイトデーに贈るものは『クッキー』という相場が決まっていた気がする。 しばらくして、『キャンディー』はOK、『マシュマロ』はNGという意味合いで贈る風潮があったのが記憶に新しい。 今は『スイーツ』を贈るのが常套手段となっている様子。 いつの間にか『デザート』のことを『スイーツ』と表現するように、メディアに洗脳されつつある今日この頃。 キーボードで『スイーツ』と打ち込んで、一発で変換されないのがもどかしい・・・。 ■3月13日 休日に自転車で遠出を決意。 最近運動していないので、あっというまに息が切れる。 自転車の旅のツライところは目的地に着いて終わりではなくて、また同じ体力を消費して戻らなければならないこと。 爽快な下り坂も、手放しで喜ぶことができない。 それでも達成感と感動を求めてひた走る。 出発して約15分後、最寄り駅の沼津駅から電車に乗り込む・・・。 ■3月12日 静岡県に引っ越してきて約1ヶ月。 静岡県内では『静岡』のことを『しぞーか』と表記することが普通にまかり通っている。 もちろん正式ではないのだけれど、テレビ番組のフリップなどでも結構よく見かける。 確かに一瞬違和感を感じるものの、使い心地が良くてついつい頭の中で繰り返してしまう。 そんな『しぞーか』の魔力。 ■3月11日 今日こそは本気で炊飯器を買おうと決心する。 今までの様にあきらめて帰ることの無いように、今回は先にコメを買ってしまおうという大胆な作戦。 早速米屋で5キロの袋を購入。 その足で炊飯器売り場へ向かおうと思いつつ、ふと足を止める。 コメを抱えた状態で炊飯器を買うなんて、明らかにベタすぎる。 店員さんもきっと思うはず。 (コイツ生米持って電気釜買って、今からゴハン食べる気満々だよ・・・。) (そんなにゴハン好きかよ・・・。) (ち、違う!いや、そうなのだけど・・・。) ホームセンターの前で呆然と立ち尽くす。 ■3月10日 引越しをして一ヶ月を過ぎた今でもまだ電気釜が無い。 ときどき無性にゴハンが食べたくなるときがある。 感情にまかせて近場のホームセンターに駆け込む。 (3合炊きで8950円か・・・。) 立ちふさがる現実の壁。 これを買ったところで作れるのは所詮ゴハンのみ。 帰り際の弁当屋で、2人前(約千円)の弁当を買ってご満悦の夜。 ■3月9日 毎日19時頃、天井から水滴が落ちているような音が聞こえる。 一定のリズムでポタポタと音がしていると思ったら、ちょっと途切れてまた音がしたりする。 玄関のあたりで音がするので、どうやら2階の住人がその辺りで水を滴らせている様子。 正直言って、玄関先で水が垂れているシチュエーションがわからない。 妄想に夢が膨らむ。 ■3月8日 参考までに、たまに友達のブログを見てみる。 色々な人からの意見や感想でコメント欄が埋まっている。 それに比べてこのページの来訪者は皆無に等しい。 楽しい雰囲気の会話が交わされる友人のブログ。 見ていて切ない気分になるので、アクセスはあくまで『たまに』にとどめる。 もっともこのページはレスポンスを求めるような内容でも無い。 ■3月7日 いつもは通れる道の脇に『立ち入り禁止』の看板。 『やってはいけません』と言われるとやりたくなってしまうのが人の常。 大人になるとある程度先の結果が予測できるので、自分の許容範囲で行動ができてしまう。 子供のような純粋さは無くなっても、子供のような旺盛な好奇心はまだまだ健在。 しばらく進んでみると、本格的に道が塞がれている。 がんばれば通れなくも無いのだけれど、とりあえず引き返したのは、きっと私が大人だからなのだと思う。 ■3月6日 本屋が好きで暇があると足を運ぶことが多い。 小説のコーナーで時間を気にせず本を読みふける。 もちろん店員の目も気にしない。 ちなみに、昼に本屋に行くと通常通り小説や実用書を読み漁るのだけど、夕方から夜にかけて本屋に行くと、『大人の書物』の誘惑に駆られる率が高くなる。 ■3月5日 「何を考えてるかわからない」と、 人から言われることが昔からよくある。 この年齢になっても、それが何故なのかがわからない。 (普通に行動しているつもりなのだけれど、、、。) 周囲の人間と自分とは何が違んだろうと悩む。 そもそも周囲の人達が、他人の考えていることがわかるほど読心術に長けていることが凄いと思う。 ■3月4日 スーパーなどで買い物をするときに、食材から料理を連想されてしまうことに抵抗がある。 例えば、カレーのルーと、玉ネギと、ニンジンと、ジャガイモと、肉を買ったら、明らかにこれからカレーを作ることがばれてしまう。 ましてやカレー用の肉などを買った日には、確実に見透かされてる感が否めない。 そこは、たとえ肉を魚に変えたからといって解決する問題ではないと思う。 悩んだ末に、『シチュー用のルーを一緒に買う』という逆転の発想でその場を乗り切る。 ■3月3日 病院で『逆流性食堂炎』と診断された。 結構ヤバイと思っていたけれどそれほどたいした病気ではなかったらしい。 やれやれと思いながら薬を飲み込む。 その後、逆流性食堂炎をネットで調べてみた。 原因の一つに『加齢』と記されていることにショックを隠し切れない。 ■3月2日 昨晩、夜の9時くらいに寝て、深夜の2時半くらいに起きた。 5分だけ何をしようか悩む。 そしてやっぱり寝なおすことにした。 10時間以上眠った割には目覚めがあまり良くない。 そして何故か仕事中にすら眠くなる。 そして何故か仕事が途切れて、することが無くなったりする。 そして何故かこういう日に限って、社長が事務所に長居していたりする。 ■3月1日 胸が苦しい。 思わず胸を押さえてかがみこむ。 そういえば若かりし頃、不治の病にあこがれた記憶がある。 病を隠していて何らかのきっかけでその事実が知られてしまう、というシチュエーション。 『病気なのに・・・』という枕詞で、全てのハードルを下げようとしていたあの頃。 今思うと、それなりに斬新な考え方だったと思う。 過去の『ヒトリゴト(日記・コラム)』 ▼バックナンバー ▼その他の項目 |
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