■■とりあえず富士登山■■ 〜富士山未頂の素人たちへ〜 |
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2008年7月22日 | |||
「富士山はね、普通に登れるよ〜。」 友人のこの言葉がキッカケだったと思う。 今まで一度も富士山に登ったことが無い私。 静岡に移り住んでから、富士山がよく見える場所にいるにも関わらず、日本の代表名所の一つと言われる霊峰富士に登っていないことは気にはなっていた。 行こう行こうと思いつつその機会を逸していた。 今年こそは富士山に登ってやろうということを話してみたところ、友人が言った言葉だ。 「富士山はね、普通に登れるよ〜。」 さらにこんなことも言っていた。 「静岡では小学生の時に遠足とかで登ったりもするんだよ。」 この会話の中で、ヒマなときに行ってみようという想いを強くしたのだと思う。 |
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(富士山なんて所詮、観光地化した山だ、、、。) 富士山フリークたちにペットボトルでボコボコに殴られそうな想いを胸に富士山登頂を決意してみる。 (よし、明日行こう、、、。) 富士山をベロベロにナメまくる決断だ。 私の座右の銘でもある『準備万端』と『臨機応変』。 今回はちょうど明日が休みということで、『臨機応変』にスケジュール対応していきたいと思う。 もちろん準備は出来る範囲で怠らないようにしたい。 ネットで色々と調べて、時刻や持ち物、服装などは万全を期しておきたい。 調べてみると次から次へと富士山に登る際の注意点見つかる。 大抵のサイトには、富士登山の危険な部分が記載されていて、山をナメるなということを暗に示唆している。 正直この時点でやっぱり止めようかとも思ったりもする。 とりあえず大まかな時間的な計画を立ててみた。
我ながらぼんやりとした計画だと思う。 続いて服装。
準備期間が無いのでやむを得ない部分はあれど、驚くほどに普段会社に行くときと変わらない。 このまま山から戻ってこられなそうな不審者A。 山登りに『ジーンズ』ってどうなのかと自分でも思う。 また、ここで特筆すべきは『くるぶしまで隠れる底の厚い靴』だ。 どのサイトにも、靴底が厚いことは必須で、履き慣れていることが条件とされている。 ちょっと前にリサイクルショップで買ってきた靴。 履くのは今回が初めてという、靴擦れ必至の挑戦。 あとは持ち物。
色々なサイトを参考にしたものの、自分で持っているものだけで準備したのでとりあえずこんな感じでまとめてみた。 ガムテープはテーピングの代わりやちょっとした修理に使用できる。 リュックが部屋に無かったというのがまた微妙なラインだ。 富士登山を目的としてこのサイトを見ている人は、是非とも参考にはしないで欲しい。 調べていくうちに分かったのだけれど、どうやら所要時間4時間という登頂はシロウトにはあり得ない時間らしい。 休みが1日なので、日帰りという大前提は変わらない。 帰れなくなることは避けたいので、下山は余裕を持ちたい。 比較的早いスピードで下山できるという須走り口を選んだのもこの理由からだ。 某サイトによると、3時間強で下山できるらしい。 余裕を持って4時間と考えると、頂上に着くのは12:30で、1時間30分でお鉢巡りをして帰ってくることができる。 4時間で登れないとしても、ちょっとぐらいの誤差はテキトーに受け流してしまおうとも思う。 ネットで調べていくほどに、自分の計画がいかに無謀なものかが露見していく。 ロクに運動もしていないドシロウトが初めて富士山に登る分際で4時間で登りきることは無理そうだ。 とりあえずここは分をわきまえておきたい。 『4時間登ったら、頂上につかなくても下山する』ということにしようと思う。 これでグッと気が楽になる。 無理に頂上にこだわる必要はまったくない。 朝5:00起床 今日の天気予報をチェックすると、『晴れのち曇り夕方以降はところにより雷』と微妙に不安なデータが出ている。 とりあえず30分で支度。 5:30部屋出発。原付で沼津駅へ。 自転車で駅へ行ってもよかったのだけれど、基本的に余計な体力は使いたくは無い。 沼津駅6:10分発 (御殿場線) 平日のこの時間はガラガラ。 とりあえず座って寝る。 6:45御殿場駅着 7時になるまでバス乗車券売り場は開かない。 売り場で往復券を買うと2000円で1000円お得。 バス停にはいかにも『山に登ります』と主張した大型のリュックと気合の入った服装の人たちがチラホラと見受けられる。 その中に一人、普段着の不審者がまぎれこむ。 7:10三番バス停から須走り口行き乗車 約1時間の間、ふたたび惰眠をむさぼる 8:00須走り口5合目到着 須走り口5合目山小屋『菊屋』のおばちゃんがしいたけ茶をサービスしてくれる。 また、空気に慣れる為、しばらくこの場所にとどまるようにアドバイスされる。 時間のロスと思いつつも、それぐらいの知識はネットで入手済みだ。 その場の空気に慣れるまで30分くらい留まるのが理想らしい。 お茶をすすりながら深呼吸をして、はやる気持ちを抑える。 おばちゃんに山登りのアイテムとして木製の杖を勧められる。 杖はあると楽だし、各山小屋で焼印を押してもらえたりもする(有料)。 ただ、私は邪魔になると思ったので買わなかった。 個人的な好みの問題になるとは思うのだけれど、基本的には杖があったほうが楽なことは確からしい。 心地よい快晴、と思ってたら一気に霧がかかったりと、序盤にしてもの凄く不安な立ち上がりだ。 あっという間に周囲が真っ白になったりもする。 さすが山。 8:30頃、ゆっくりと歩き出す。 ペタペタと疲れないように歩く。 ハタからみて明らかにやる気が無い。 イキナリ鳥居とお社。 ちょっとだけ手を合わせてみたりする。 ここからようやく山道っぽくなってくる。 結構自然が剥き出しに見受けられる。 細かい階段があって登りやすい。 見上げると今度は日差しが強くなってきている。 木陰と木漏れ日が気持ちいい山道。 イヤ、むしろ暑い。 足場は岩でゴツゴツ。 歩きにくいうえに、疲れやすい足場だ。 というかもう疲れた。 歩き出してだいたい5分くらい。 すでに登り始めたことを後悔してたりもする。 すでに靴擦れの予兆を感じているのもどうなのかと思う。 さすが今日初めて履いた靴だ。 木々がひらけて一気に強烈な日差しが降り注ぐ。 (あちぃ、、、。) 登る道もそこそこ急な感じだ。 タオルで汗を拭きながらざりざりと登っていく。 タオルは女子バレー部みたいにズボンに挟んでおくと機能的でいい。 ちなみにペタペタと疲れないような歩き方は坂道では通用しなかったことも判明。 山はそんなに甘くない。 ここで首からぶら下げていた帽子をかぶる。 雨でも晴れでも帽子は必須アイテムだ。 好みが分かれるところだとは思うけれど、キャップタイプよりもハットタイプの帽子がお勧め。 道がグネグネなので、360度日差しをカバーできる帽子がいい。 耳を日焼けすることもない。 富士山の山頂を見上げてみる。 正直遠いのか近いのかよく分からない。 (案外スグに登れちゃうんだろうな、、、。) と、自分にやさしい予測をたててみたりもする。 それぐらい甘い考えを持っていないと、帰りたい気持ちに負けてしまうのだとも思う。 かかとの辺りがジンジンと痛い。 ヨコを見ると雲が下に見える。 5合目から10分くらいで既に雲の上らしい。 この辺でもう延々と続く上り坂にうんざり。 口を開けるほどではないのだけれど、既に息切れはしている。 体力が無いことに加え、山に登りなれていないので、無駄な動きが多いのだと思う。 一人なのでゆっくりゆっくり休み休み登る。 約20分後、一番最初の山小屋に到着(8:50頃)。 (さー、休もう!) 今まで散々休んできていても、もちろん休む。 ここは6合目らしい。 高度が2450Mと書いてある。 高さ的には1kmとちょっとぐらいだから、そんなに時間も掛からないんじゃないかなと思ったりもする。 トイレはもちろん有料(200円)。 ジュースは各400円。 良心的な値段だと思う。 例え5千円もらってもここまでジュースを運びたいとは思わない。 山小屋に入ると千円前後のお金を取られるので、外のベンチで一休み。 ここで靴を脱いで、擦れて赤くなったかかとにガムテープを貼る。 幸いまだ赤くなっているだけで何とも無い。 傷を治すことよりも痛さを軽減することが優先だ。 これでもうガムテープが破れない限り、かかとの皮が剥けるのを防げる。 ガムテープはモノの修理以外にも色々と使えるので重宝する。 とりあえず10分程休んでから出発(9:00)。 富士山に青空が映える。 ちょっと右側には山小屋が見える。 歩き始めて2分も経たないうちに、かかとの痛みがあんまり変わっていないことにも気づく。 靴を脱いでまで行ったガムテープ療法まったく意味なし。 結構グネグネと曲がりくねった登山道。 さっき休憩をとったばかりなのだけれど、すぐに休憩直前の疲れた状態に戻る。 登山道の勾配も増している。 (何なんだ?これ、、、。) (何なんだよ?これ、、、。) 疲れのせいか、やさぐれたコメントしか出てこない。 黄色いクイとロープで丁寧に道が示されている登山道。 夜とかで真っ暗だったら確実に道を外れる自信がある。 むしろ道をはずしてしまったことを理由に下山してしまいたいとも思う。 もちろん明るさとか関係無しに、色々な部分で道を外している自信はある。 キャタピラの轍がある。 人や物資を運ぶ専用の道が、登山道と重なるポイントが所々ある。 イザとなればこの轍の道を利用できそうだけれど、もちろん正規の道ではない。 2件目の山小屋『瀬戸館』。海抜2700Mと書いてある。 9:20頃 休みたい気持ちはあれど、ヘトヘトというほどでもなく、かといって山小屋を素通りする元気があるわけでもなく、もちろん休む。 座って休もうかちょっと悩む。 座って休むと余計に疲れてしまう気もする。 各山小屋にはそれなりのラインナップがある。 頼んでいないので分からないのだけれど、大抵がレトルトらしい。 お腹が減っていればこれくらいの金額は抵抗無い。 『おでん』を全面に押し出している様子が伺えるのだけれど、あいにく今日は快晴で汗だくになっている私にとっては微妙な魅力だ。 正直ここの山小屋が一番キワドイ位置に建っていたと思う。 ベンチに座らなかったのは、ちょっと怖かったからだ。 別に高所恐怖症というわけではないのだけれど、そんなに得意なわけでもないのだなと思う。 山小屋から山頂を見上げる。 そんなに遠くには感じないものの、まだ序盤なのだなということを感じさせる距離でもある。 10分ほど休んでから出発。 快晴なのだけれど、ときたま下から上に向かって涼しい風と薄い雲が流れてくる。 天候が崩れるのかと不安な気持ちにもなる。 なんといってもコッチは普段着だ。 雨具はポンチョしか用意してない。 道がさらに急勾配になる。 岩も多くゴツゴツとしていて、さらに歩きにくい。 歩いては休んで、休んでは歩いて、ジグザグな道を振り返ると改めてキケンな場所を歩いているのだなと気づかされる。 5分歩いて5分休むペースだ。 ヨコをみると45°ぐらいあるのではないかと思わせる斜面を一気に下山している人が見える。 こんな道を登っているのかと思うだけで、精神的な疲れも増してくる。 写真では伝わりにくいのだけれど、本当に道が急坂。 この辺りになると山歩きに慣れてきていることにも気づく。 それほど疲れを感じさせないほどに、ちょこちょこと歩き続けることが出来るようになっている。 いや、正確に言うと疲れてはいるのだけれど、序盤のような心拍数の乱れが無いままに、歩を進めることが出来ている。 自分の中の変化にちょっと得意気だ。 身体は環境に合わせて順応していくものなのだと思う。 右足の付け根部分が痛い。 普通に歩いてきたつもりではあったものの、やっぱり右足のほうに負担がかかっていたらしい。 右足を前に出す度に痛い。 ここにきて身体にガタがくるとは思わなかった。 多分イキナリ酷使しすぎたせいだ。 そこに手を当てたからといって、別に痛みがひくわけでもないのだけれど、身体の限界を感じさせられる。 何のことはない、環境に身体が順応したなんてのは空しい錯覚だったのだと思う。 疲れとかそういう部分とは別に、身体の物理的な部分で異変がおこりつつある。 悲鳴を上げ始めた足を何度も休ませながらゆっくりと進む。 下を見ると見事に雲海が広がっている。 改めて今、山に居るのだなと思う。 上の雲海を見た場所にあった小さな鳥居。 この場所にどういう意味合いがあるのかはわからないけれど、願い事が叶うのならば、足の痛みをとって欲しい。 いや、とりあえず頂上まで一気につれてって欲しい。 見上げると次の休憩ポイントと思われる山小屋が見える。 それにしても急だ。 道がどんどん険しくなってきている。 頂上を見上げると必ず溜息が出てくる。 3件目の休憩ポイントの山小屋に到着。 10:10頃 とりあえず休みをとる。 ちょっと休むだけでスグに回復したような気持ちにさせられる。 そんな錯覚を感じるのが山小屋なのだと思う。 下にはモコモコとした雲海が広がっている。 ずっと見ていたら飽きそうなものだけれど、結構飽きない。 多分、単に休んでいたいから、まだ見飽きていないと思い込みたいのだと思う。 「バカンスか!」 と、ツッコミをいれたくなるようなオニーチャンが居る。 格好に関しては自分も人のことを言えないので、発言はつつしんでおきたい。 あんまり考えたくはないのだけれど、時間通りに進んでいるのかさえよくわからない。 何といっても『4時間ちょっとで登る』という計画しか持っていない。 『何合目まで○○分』といったような綿密な計画を立てられるほど富士山通でもない。 もちろんちょっと冷静になって、現時点での経過時間や残りの道のりなどから計算することも出来なくは無いのだけれど、残念ながら冷静になる気は1ミリたりとも無い。 肉体的な部分で現実を思い知らされているので、これ以上自分を追い詰めたくはない。 ちなみにこの山小屋には、『漫 画太郎』のイラストがそこここに貼られている。 15分ほど休んで、10:25頃出発 ここの山小屋ではイヌを飼っている。 歩き始めてスグのポイントで、突然あなぐらから3匹の白いイヌが登場。 何もしていないのにもの凄く吠えられた。 道が砂。 この辺りから、登山道が砂っぽい。 『急坂』で『砂の道』ってありえない組み合わせだと思う。 ゆるやかな道に見えそうだけれど、しんどいことこの上ない。 いや、まだ先があるのでこの上はあるのだけれど、もうそんな言葉遊びとかどうでもいい。 ただでさえ足を前に出すこともしんどいのに、せっかく前に出した足がズリズリと下がっていく悲しさ。 ↓一歩目、、、。 ↓そして二歩目、、、。 ↓さらに三歩目、、、。 ↓四歩目、、、。 歩いても歩いても進まない、、、。 一歩で自分の足のサイズ分も進めていない。 こんなに歩いてるのに全然進まないことへの苛立ち。 (なんなんだよ、、、。) (なんだよコレ、、、。) 心の中では同じようなボヤキが繰り返されていく。 少なくとも物事を的確に考えられる状態ではない。 休む回数が格段に多くなる。 かといって砂の斜面では休みにくい。 ちょっと平らな場所を見つけては休むことの繰り返しが続く。 凄いトコロで休んでいるオッサンがいる。 道を外れた場所なのだけれど、確かに行ってみたい気もする。 自分の場合、踏ん張りが利かないので転落の恐れがあるのと、座って休んだらもう立てないような気もするので止めておきたい。 もっともワザワザ道を外れてそんな場所に行く元気も無い。 次の休憩ポイントまであと少し、、、。 気がつけば、かかとの痛みも足の付け根の痛みも、単に当然存在するものとして慣れてしまっている。 ひょこひょこと少しずつ前へ進む。 砂地の坂道もツライけれど、ここにきて階段の存在は結構ヤバい。 足場がしっかりしていて歩きやすいと思いがちだけれど、段差で区切られている分、自分のペースで歩幅を決められないのがネックだ。 何より段差の高さに足を上げることも困難なことは自分の身体が一番わかっている。 救いは目の前に山小屋があるということか、、、。 11:30頃、7合目到着。 山小屋のお兄さんに声をかけられる。 「こんにちは。」 「あ、はい、こんにちは。」 「今日5合目から登ってきたんですか?」 「はい、8:30頃から5合目を出てきました。」 「8:30、、、ここまで2時間ちょっとですか。速いですね。」 「え?そうなんですか?」 休み休みきたつもりだったのだけれど、思いの他速いペースでここまで来ていたらしい。初めての富士登山で感覚が分かっていなかったこともあり、ちょっと嬉しい。 (いや、はたしてそうだろうか、、、。) (このお兄さんは誰にでもそう言っているのではないのだろうか。) (こう言えば登山者が喜ぶということを熟知しているのだ。) (あぶないところだった、ぬか喜びで精神的な大ケガをするところだった、、、。) 肉体的な疲れでもう人を信じられなくなっている。 山小屋から下を見てみる。 相変わらず雲海以外何も無い。 続けてお兄さんが話してくれる。 「頂上まであと2時間くらいですよ。」 「そう、、、なんですか。」 (速いペースできててもあと2時間か、、、。) 改めて自分の認識の甘さを思い知らされる。 「でもお兄さんのここまでのペースだったら1時間半くらいで行けますよ。」 「そうですか、ありがとうございます。」 正直な話、身体がガタガタでこの先をこのペースで登っていける自信が全く無い。 上を見上げると、相変わらず険しい山道が続いている。 あと1時間半ってことは、頂上に着くのが1時頃。 2時間かかったとしたら1時半頃。 計画が全然予定通りに進んでいない。 お兄さんの言うように速いペースであったとしても、全然間に合わない計画だったらしい。 12時半の時点で頂上に着けなかったら引き返す予定ではあったけれど、とりあえず頂上着を1時半頃に設定しなおしておきたい。 20代と思われるカップルが1組休んでいた。 どうやら疲労困憊のようで、彼女のほうはベンチで横になっていた。 私が山小屋に着いたのに気づいて横になっていた身体を起こしてくれた。 「ねぇ、もう無理だよ、、、。」 「まだ頂上まであんなにあるよ、、、。」 「もう戻ろうか、、、。」 「さっきから全然頂上に近づかないよぅ。」 そんなネガティブ思考満開の会話が聞こえてくる。 彼女のほうは多少高山病になりかけてもいるようだった。 自分よりも疲れている人を見かけると、正直ちょっと余裕を持てたりもする。 慌てている人間が近くにいると、自分が冷静になれるのと同じ理論だ。 とりあえず15分ほど休んで再度頂上を目指してみる。 11:45山小屋出発。 ちょっと休めばある程度疲れがとれる。 でも、ちょっと歩くとスグに疲れる。 疲れるというよりは動けなくなりそうになる。 休まないと動けなくなるという身体からの警告がヒシヒシと伝わってくる。 そして歩きにくい。 急坂の砂地をヘトヘトの人間が歩くと、こうも効率が悪いものかと身にしみて感じる。 左足を前へ、、、。 次は右足を前へ。 全然進めていない。 そしてまた左足を前へ。 冗談でやっているように感じるかもしれないけれど、本当にこれしか足が前に出ない。 しかも休み休みだ。 自分の衰えた身体能力を呪いたくもなる。 それでもなんとか次の山小屋に到着。 やっと8合目だ。 ここは休憩ポイントが妙に狭い。 吉田口との合流地点でもあったと思う。 鉄製のベンチに座って休む。 隣りにはクロックスのサンダルを履いた短パンのオニイチャンが足をブラブラさせて座っていた。 (アンタ、山をナメてるんじゃないのか!) と、自分のことを棚に上げて心の中で指摘してみる。 そのスグあとに、そのオニイチャンが無線を使って日本語と英語で話を始めたことから、富士山の中で仕事をしているプロなのだとわかった。 無知なド素人が声をかけなくてよかったと思う。 もっとも自然に他人に声をかけられるほど社交的でもない。 このときの気温は18℃くらい。 うっすら汗をかいているので、寒さは感じない。 もっとも日が照っていて、汗もかいているのに、暑く感じるわけがない。 むしろ適温だなと思う。 下を見てみる。 山小屋に着く度に下を見るのが癖になっている。 下から登ってくる人たちを見て、優越感を得る為なのだと思う。 プロ(多分)のお兄さんを横目に、再び山頂を目指す。 山小屋から歩き出すと、また突然雲が下から登ってくる。 あっという間に周囲はが霧のように、、、。 山小屋を振り合えると、大量の布団が干してあった。 地べたに布団が敷き詰められている。 地面に直接置いてあるので汚れそうに感じるものの、実際は岩の上に置いているのと同じなので汚れることは無いのだと思う。 狭い山小屋にこれだけの布団が置いてあることに驚く。 シーズン中は足を交差させて寝るほどに山小屋は込み合うらしい。 本8合目に結構大きめの山小屋がある。 一休みしながら持参したオニギリを食べる。 12時半頃だったのでちょうどいい頃合でもある。 正直な話、朝から何も食べていないにもかかわらず食欲は無い。 それでもオニギリを食べたのは、何かを食べないと身体によくないとかではなくて、単にお昼休憩を口実に少しでも長く休んでいたかったからなのだと思う。 この辺りでちょっと頭がイタいことに気づく。 どうやら軽度の高山病になりかけているらしい。 登るペースは自分なりにゆっくりのハズなのだけれど、身体的にはそうでもないらしい。 色々といっぱいいっぱいで、写真を撮る余裕すら無かったのだと気づかされる。 時間的に計画が遅れていることもあり、重い腰を上げて先へと進む。 上を見上げると鳥居が見える。 「あの鳥居が9合目だって!」 と、他の登山者たちが口々に言っていた。 一応アレが9合目の目印らしい。 こうしてみるとスグに行けそうなものなのだけれど、ここまでくると実際はそんなことないことが身にしみてわかる。 (うぅ、しんどいよぅ、、、。) (ちくしょう、、、。) 心の中は愚痴ばかりが続く。 歩きながらも自分はなんでこんなことをしてしるのだろうと思う。 『何故山に登るのか?それはそこに山があるからだ。』 そんな有名なアルピニストのセリフも、実際に自分で山に登ってみるとよくわかる。 そのセリフは間違いだ。 山に登っている最中に、そんな哲学的なことを深く考えることなんて出来やしない。 『そこに山があるから』なんて理由は、詳しく説明するのが面倒だからなのではないかとも思う。 実際は 『うっかり山に登ってしまったけれど、思いの他しんどくて、でも頂上(ゴール)が見えてしまっているだけに引き返すのもちょっと悔しいので、とりあえず頂上に登ったという結果と満足感を味わいたい、、、。』 ということなのだと思う。 頂上が見えているというのが色んな意味でネックなのだと思う。 『鳥のように空を飛べない』というようなまるで手の届かないようなことを別に悔しく思わない反面、もう少しで出来そうな、手の届きそうなことに対して人は悔しさや苛立ちを感じてしまうのだと思う。 9合目には建築中の神社がある。 (げーくすし、、、じんじゃ?) 読み方がまったくわからない。 後々調べてみると『むかえくすしのじんじゃ』と読むらしい。 半分は予想が当たっていた。 ちなみに9合目には山小屋が無い。 しかも休めるようなポイントも無い。 目印として鳥居があるだけで、変わらない狭い急な登山道が続いている。 神社のすぐ下にはさっき通った鳥居。 休む場所が無いので、鳥居付近で座り込む登山者たち。 休む場所では無いのだけれど、とりあえず9合目ということで休むのだと思う。 休む理由が欲しいのはみんな同じだ。 狭い道なので微妙に邪魔でもある。 神社が完成する頃には、もうちょっと整地されて休む場所ができるのだろうと思う。 登山道に柵を打っている人たちがいる。 こういう人たちの地道な努力が登山者の助けになっているのだと思う。 途中何度もこの柵を掴んで踏ん張った。 先には頂上の山小屋が見えている。 もう少しと思う気持ちと、まだまだ先という気持ちが交錯する。 砂利道で急。 同じことを何度でも言いたくなるくらい、砂で急坂だ。 身体がロクに動かない上に、高山病で頭もズキズキと痛い。 (う〜〜、頭イタイ。もう帰りたい、、、。) 本当に何でこんなことしているんだろうと何度も思う。 途中、杖にもたれかかって身体を引きずるように進んでいる女性がいた。 「なんだっていうのよ、、、。どうしろっていうのよ、、、。」 低い声で心の中のつぶやきが彼女の口から出てしまっているのが聞こえた。 恨みがましい呪うような口調だった。 疲れは人の心を病ませるのだと思う。 足場はさらに険しく急になる。 軽い気持ちで登ってみた富士山なのに、なんでこんな目にあっているのだろうと思う。 時間も既に予定を大幅に上回ってしまっている。 少なくとも9合目の時点で、お鉢巡りの計画は断念している。 とりあえず頂上でいい。 予定の時間で登れなければサクッと引き返す、というような潔いことを決めておきながら、実際はそんなこと出来ない。 ここまできて戻りたくない。 すべるしゴッツゴツの足場。 もう足を10センチあげることもしんどいだけにツライ。 (もうダメだ、、、。) (無理だよこんなの、、、。) 7合目で見かけたカップルの気持ちがよくわかる。 『富士山はね、普通に登れるよ〜。』 能天気に言ってた友人の言葉が何度もよみがえる。 (ヤツめ、、、。) これが普通だというのなら、自分の人生の10割を否定できる。 もう登るしかない。 とりあえず登っておいて、私も富士山未登頂の友人たちに同じことを言ってやるのだ。 同じ苦しみを味あわせてやる、、、。 友人たちに負の連鎖を起こしたいという歪んだ願望が浮かび上がる。 霊峰富士のもと、病んでいく心。 鳥居と狛犬が見える。 多分あれが頂上への入り口だ。 (頂上か?頂上なのか?) 位置的には頂上で間違いないハズなのだけれど、微妙に信用しきれない自分がいる。 (喜んで大丈夫なのか、、、?) もう目の前のことも信用出来ない。 子供たちには、是非こういう大人にはなりたくないと思って欲しい。 あと少しなのだけれど足が動かない。 とりあえず休んで下を見る。 続々と登ってくる登山者たち。 お昼を食べた8合目の山小屋が小さくみえる。 どうやらここが頂上の入り口で間違いなさそうだ。 前を歩いていた集団がそう言っているので、多分そうなのだと思う。 一人愚痴りながら登る私とは違って、男女入り乱れた楽しそうな一行だ。 全員の記念写真を撮るために狛犬の前でシャッターを押してあげた。 ガイド時代の職業病がまだ身体に残っている。 人前で疲れていない素振りを見せるのも、ガイド時代の職業病の一つだ。 そして、ついに、、、。 「ゴォーーール!!!!」 と叫びながらサッカー選手のように走りたい気分かというと、案外そうでもない。 もちろん物理的に身体が動かないので出来ないだけだ。 それでも頂上に登れた達成感からか、疲れはあまり気にならなくなった。 その分、高山病からくる頭痛が際立ってくる。 頂上着は『14:10』だった。 登頂時間は5時間半ぐらいだ。 頂上は思いの他売店が多く、縁日のような雰囲気がある。 (頂上に着いてしまったな、、、。) 一歩進むのも難儀していたハズなのに、トコトコと普通に歩ける。 地面が平らって素晴らしい。 ここぞとばかりに頂上から下を見下ろす。 登ってくる人間どもが小さくみえて優越感に酔いしれる。 (フッフッフッ、君たち、まだまだ先は長いぞ、、、。) 悪代官のように醜く口元が歪む。 頂上からの雲海。 記念撮影を撮っている人たち。 基本的に私は一人なので、私の写真は無い。 頭痛を誤魔化すのと、自分へのご褒美にペットボトルのアクエリアス(500円)を買って一気に飲み干す。 頂上には神社がある。 おみくじやお守りなどが買える。 ここまで苦労してきたのだから、凄くご利益がありそうな気がする。 むしろ『ご利益がないと許せない』くらいの想いすらある。 そんなワガママな想いを胸に、絵馬に願掛けを残す。 ただ、もし願いが叶ったら、またここまでお礼参りにこなくちゃならないのだなと思うと、正直微妙な気分だ。 絵馬に願いを書いている途中でそのことに気づいて後悔。 お土産を売っている売店が2〜3件ぐらいある。 頂上限定品が多い。 ハガキを書けば富士山頂上の消印で送られるので、これもいい記念になる。 私も1通くらい書いてみようかと思ったものの、住所を憶えているような人が誰一人いなかった、、、。 高山病の頭痛がしんどいので、もう一回下を見る。 何度みても気持ちがいい。 精神的な気持ちの良さだ。 (フッフッフ、、、人がゴミのようだ、、、。) 心で思うだけなら無害なのでどうか見逃して欲しい。 (いやー、登ったなー、、、。) 頂上で喜びにふけっているようで、実際はそうでもない。 確実に高山病による頭痛がヒドイ。 頭を抱えるほどではないのだけれど、ただただズキズキと痛い。 水を飲んでも、横になっても治るわけではないので厄介だ。 身体が空気に慣れればいいのだけれど、それにはかなりの時間がかかる。 即効性のある対処法がない。 無駄とは思いつつも、深呼吸を繰り返しながら売店周囲を行ったり来たりしてみる。 (よし、下山しよう!) 高山病を治す方法は下山することだ。 これ以上頂上にいてもしんどいだけだし、帰りの時間もあるのでさっさと帰ろう。 お鉢巡りをする元気も時間も無い。 50分ほど頂上でフラフラと存分に休んだので、下山することに決定。 頂上の余韻に浸ることも控えめに、サッサと下山してしまおう。 とにかく頭が痛い。 一人で来ているので臨機応変にワガママに行動していきたい。 下山する前に頂上のトイレ(200円)で用を足す。 人生初の標高3730Mでの用足しだ。 もちろん感慨深さはまったく感じ無い。 (さー、帰ろう、帰ろう。) 気がつけば15時。 予定を大幅にオーバーしている。 3時間で5合目まで下山する必要がある。 須走り口の下山道は他と比べて短時間で下れるらしいのだけれど、なにぶん初めてなのでよくわからない。 一歩で2〜3Mは進むと言われる須走り口下山道。 砂に足を滑らせながら進むことが出来る。 ポイントとしては、 『なるべく砂のやわらかそうな部分を歩くこと。』 『かかとから地面に降りて、そのまま体重をかけて足を滑らせること。』 『あんまり下を見て歩くと前のめりになりがちなので、ある程度前を見ること。』 この3つが上げられる。 富士登山のガイドさんが、ツアー参加者の人たちに説明していたのを盗み聞きした知識だ。 間違いない。 そこそこ急な下り坂をザリザリと下っていく。 凹凸が少なく歩きやすい反面、あんまり急ぐとヒザを痛めるので注意したい。 確かに足元ばかりを見ていると、前のめりになりがちだ。 一歩で2〜3Mには程遠いけれど、それなりにすべるように下っていく。 結構な砂煙を巻き上げながら下っていく。 マスクがあるといいかもしれない。 気がつけば8合目。 2時間かけて登ってきた場所に30分で戻ってきた。 団体さんが歩くと、砂埃りが凄い。 あの後ろは歩きたくない。 混んでいるシーズン中は、確かにマスクが必須なのだろうと思う。 下山道は道幅が結構広いので、柵とかが無い場所が多い。 足を踏み外したら一気にどこまでも転げ落ちていくのだと思う。 とにかく大股で進んでいく。 下山者を次から次へと追い抜いていく。 とにかくこの頭痛が消えてくれることを願う。 下っているときも突然雲が周囲を覆うことがある。 もう登ったあとなのでどうでもいいとは思うものの、どちらかというと晴れていて欲しいとも思う。 幸いすぐに晴れる。 ちょっと進むと、砂の量が8割り増しくらいの道にでる。 ここはまさに1歩で2〜3Mは進めている気にさせられる。 走っても良いのだけれど、見ての通り石がゴロゴロしているので、スピードをつけて転んだら深刻なダメージを負うことは免れないと思う。 あくまで慎重に足場を選んで、突き進む。 また、下山の歩き方でもあったように、足元を見過ぎないということも踏まえると、中々歩くのも難しい。 微妙なジレンマだ。 途中、狭い木々の間を抜けるこんな場所もある。 グネグネと木々の間を抜けていく。 やや緊張感のある砂走りの下山の息抜きになる。 そしてまた砂走り。 コツをつかむとだんだん楽しくなってくる。 2〜3回転びそうになって手をついたものの、転ぶことはなかった。 気がつけば頭痛も無い。 このコースは靴に砂が入らないようにスパッツが必須とのこといだったのだけれど、ギッチリと閉めた靴ヒモと、ジーンズの長さが絶妙だったらしく、靴に砂が入ることは全くなかった。 正直奇跡的な状況でもある。 きっと日ごろの行いがよかったのだと思う。 途中で休憩ポイントもある。 かなりのハイペースで下ってきたので、ちょっと休憩。 休憩所のおばちゃんが言うには、5合目はここからあと30分くらいらしい。 このとき時間は16:30。 一気に下りてきたペースが速かったらしく、楽勝で間に合う時間だ。 また、ちょっと狭い木々の間を抜ける。 思わず手で掴んでしまう部分の木々は、みんなが触っているせいかツルツルでテカテカになってる。 また砂走りと思いきや、この辺は結構地面が硬いので、あんまり滑らない。 気をつけてヒザに負担をかけないように下っていく。 しばらくすると、登山道と合流する。 おおーーー、帰ってきたぁーー。 最初に歩いた石段に到着。 最初にしいたけ茶をもらった売店で、またしいたけ茶をいただく。 まだそんなに登山者がいない時期だからこその嬉しいサービスだ。 時計を見ると16時40分。 どうやら1時間40分で下山したらしい。 尋常じゃない速さだ。 まぁ、おかげでゆっくりお土産を選んで休んでから、17時発のバスに乗ることができるというタイミングの良さ。 後日の筋肉痛を覚悟しつつ、気がつけばバスの中で爆睡。 〜あとがき〜 基本的に簡単になんて登れやしない。 しかし、、、 まったく運動をしていなかった人間が、日帰りで登れてしまったという事実がここにある。 結論としては、 『富士山はね、普通に登れるよ。』 ということなのだと思う。 |
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