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■12月31日 私の前世は女性で踊り子だったということを、占い師でも何でも無い友人に言われました。 言われると何となくそうなのかなと考えてしまうのは人の性だと思います。 まぁ、いくら考えたところでそれが正しいかなんて分かるハズもないのですが、それならそれで別にいいかなとも思います。 イメージ的にもそんなに悪い前世じゃなさそうです。 もっともたとえ世紀の大罪人だったと言われたとしても、別にいいかなと思うと思います。 今、語尾に『思うと思います』という表現が無意識に使われましたが、小学生の頃よく作文に使っていた言いまわしだったことを思い出しました。 使う度に先生にバツ印をつけられていた気もしますが、久々に使ってみて改めてイイ味を出している表現だとも思います。 ■12月30日 近所にお城っぽい建物があります。 夜は結構光っています。 他の場所から訪れた知り合いとかから 「あのお城は何?」 と聞いてくることがよくあります。 「結婚式とか何かのイベントをやるような施設、、、」 といった風な説明をするのですが、自分自身あの施設をそんなに詳しく知りません。 あまりに近場に普通に存在しているので、あんまり気にしたことは無かったのですが、よく考えたら住宅が立ち並ぶ中で『お城』ってシュールだなとも思います。 お城の門のあたりでは、英国風の兵隊っぽい人が直立不動で立っているのをよく見かけます。 人によっては、その格好でしゃがんでタバコを吸いながら携帯で話している姿を見ることもあります。 『やってられねぇよ』感がよく出ているなと思った記憶があります。 こんなに近くでこんなに目立っている施設なのに、まだ名前すら知りません。 ※今日から茨城の実家に里帰りするので1月3日まで更新を休みます。後でまとめて更新します。 ■12月29日 「今、何気に○○がマイブームなんだよね。」 という話し方をする人がいますが、マイブームに何気ないことなんて無いと思います。 何を照れているのか、そこは素直に『熱中している』と言って欲しいです。 ちなみに『マイブーム』がみうらじゅん氏による造語だったことを今日知りました。 あと、『静かなブーム』ってブームでもなんでもないと思います。 ■12月28日 本日仕事納め。 明日から休みということを除けば、ほぼ普段と何も変わらない1日だったと思います。 休みの予定があんまり入っていないこともその要因の一つだと思います。 いや、休日に予定が入っていないのは今に始まったことじゃありません。 でもよく考えたら明日は歯医者の予定がありました。 精一杯の見栄、というかささやかな抵抗です。 予約時間が朝の9時半なので、寝坊することも出来ません。 おかげで休日の醍醐味が半分くらい失われたような気もします。 いっそのこと5時くらいに無駄に早起きしてしまおうかとさえ思います。 多分午前中から暇を持て余すだろうと思われる連休初日。 暇つぶしにせめて1日時間をつぶせる企画を考えてみようと思います。 ■12月27日 ちょっとイヤなことがあると、色々なことが憂鬱になります。 普段なんでもないことでも気が重かったりします。 現象としては、一度ウソがばれてしまうと本音で話したことまでも疑われてしまうことと似ていなくもないです。 ちょっとしたことが、全てを変えるということでもあると思います。 そして、逆もまた然り。 ちょっとイイことがあると、何でも上手くいくような気もします。 もちろんあくまで『気がする』だけなので、全然上手くいってはいないのですが、気分的な問題なのでそれはそれでいいと思います。 何が言いたいかというと、今この憂鬱をどうにかして欲しいです。 ■12月26日 今日は凍えるような寒さ。 ようやく仕事が終わって、もう帰って寝るだけという状況の中、寝巻き代わりのジャージが外に干しっぱなしという悲劇。 触っただけでヒンヤリとした肌触り。 無理に着る必要は無いのですが、長い目で見て着たほうがいいとも思います。 長い目というか、単に数時間後の安眠の為です。 でもこのジャージを着ると、一気に身体が冷えて、安眠は難しいような気もします。 でも着ないと寝付きやすい反面、あとで風邪をこじらせてしまうかもしれません。 冷えたジャージを前に思い悩むひととき。 でも実際着てみたら、たいして冷たくもなかったです。 人生とは目先の欲求に負けずに大局を見ることが大切なのだという立派な教訓を、小さなスケールで実感。 ■12月25日 クリスマスイブからクリスマスにかけて、夜中ずっと部屋の中で恋人でも無い異性と一緒でした。 私は寝る気満々だったのですが、度々ちょっかいを出してくるので全然寝かせてもらえなかったです。 暗い部屋の中で何度も顔に口づけをされて、寝たくても眠れませんでした。 おかげで寝不足です。 そして昨晩好き放題に私の睡眠妨害をしていたヤツを、朝方になってようやく大人しくさせることができました。 この時期に『蚊』ってどうなのか。 せっかく捕獲したものの、もうあんまり眠くありません。 指先で蚊を捕まえるくらいに目が冴えているのだから当然といえば当然です。 しかも結構吸われてます。 ただでさえ寒さで弱っているのに、それだけお腹を膨らませていれば動きが鈍くなってしまうのはわかりそうなものです。 いや、わからないから蚊なのか。 所詮は蚊。 2008年のクリスマスを一緒に過ごしたパートナーを、窓から放り出すことから始まる朝。 ■12月24日 カナダに住んでいる友人からクリスマスカード。 数年に1度ぐらいのペースでしか会えないのですが、私の数少ない友人の一人。 実家を経由して転送されてここに届いたことで、クリスマスにちょうどいいタイミングで受け取ることができました。 こういうものは貰うと嬉しい。 そう思うのならば自分も贈ればいいと思うのですが、ついつい怠けてしまいがちです。 エアメールということもあって、少なくともクリスマスにはもう間に合いません。 そんなことを考えていると、ついつい先延ばしにしてしまいます。 お礼の言葉も言えないままに時が過ぎてしまいます。 そして、『いまさら』という言葉で終わってしまうことが多いです。 相手にとっては無視されているようなものだと思います。 その無反応さ加減はどうなのかと思われていると思います。 いや、本当に凄く嬉しいし感謝もしてます。 じゃあ何かしら反応しろよと言われると、考え込んでしまうものでもあります。 多分期待されることに慣れていないので、当たり前の反応すら出来なくなってしまっているのだろうと思います。 人として色々と考え直したい気持ちです。 ■12月23日 2〜3日ぐらい前に、私の自転車のカゴにナイキの靴ヒモが入っていました。 多分いらないから誰かが捨てていったのだろうと思います。 見た目から新品っぽいです。 でも残念ながら今のところ運動靴の靴ヒモの需要がありません。 靴ヒモとしてではなく、単にヒモとして使えないものかとも考えてみますが、それも特に該当がありません。 結局あれからずっとカゴの中に入れっぱなしにしてあります。 匿名の誰かからのプレゼントだとか、ポジティブな考え方が出来る心境でもないです。 ちなみにこの時期の色々な出来事を、『サンタからのプレゼント』の一言で納得させるのはやめて欲しいとも思います。 ■12月22日 『スターライトタウン イン 清水 2008』のイベントに行って来ました。 数百個のロウソクが柿田川公園を幻想的に彩っています。 実は今日イベントがあることを知らされて、急遽行ってみようという気になりました。 何となく行ったハズなのに、片付けを手伝って最終的に打ち上げに参加して中華料理をタダでたらふくご馳走になってきました。 我ながら図々しい話だと思います。 決して世渡り上手ではないのですが、予期せずして美味しいトコどりをしてしまうことは稀にあります。 いや、若干予期しているフシはあるような気もします。 ■12月21日 『どうして女性はアボカドを料理に使いたがるのか。』 男性と女性とでアボカドを料理に取り入れようとする想いは、明らかに温度差があると思います。 いや別にアボカドが嫌いなわけではないのですが、好きか嫌いかを問われると、いたって『普通』だとしか言えません。 他の野菜と同列に並ぶニュートラルな存在です。 アボカドなんてちょっと前までは、そんなに頻繁に食卓に登場するものでもなかったと思います。 普段買い物をしていても野菜選びの中で、アボカドを選択することなんて極めて稀です。 いつのころからか、アボカドが一気に日本の食卓に侵出してきた感があります。 今ではサラダから肉料理から色んなものに入れられています。 決してそれが不味いとか駄目とかではなくて、純粋に何でなんだろうと思います。 今までは入っていなかった料理にも、気づけば入り込んでいたりしてます。 食材のスキマ産業的な存在です。 いや、もちろんアボカドが入っている料理は美味しいと思うし、文句を言うつもりなんて毛頭無いです。 別にアボカドやアボカド料理を批判しているわけでもなんでもないのですが、なんかもう「アボカド大好き!」とでも言わないと後々収拾がつかなくなっているように感じてしまいます。 これだけアボカドのことが気になるあたり、やっぱり私はアボカドが好きなのだと思うことにしたいと思います。 ■12月20日 先日果物の話を書いていて、ふと西表島で食べたドラゴンフルーツを思い出しました。 キウィの酸っぱさを抜いたようなアッサリした味で、結構好きだった記憶があります。 その毒々しいピンク色の皮をバナナのように剥くと、真っ白な果実が顔を出します。 夏の暑い盛りに冷えたドラゴンフルーツを2〜3個一気にガブガブと食べるのはなんとも言えない楽しみだったと思います。 また、ドラゴンフルーツには果実の色が白いものと赤いものと2種類あります。 赤いヤツのほうが甘くて美味しいのですが、赤い果実は滅多にお目にかかれないものでした。 島の人でもそうそうお目にかかれないシロモノです。 いや、それはちょっと言い過ぎかもしれません。 でも少なくとも『ギザ付き10円』レベルの珍しさはあったと思います。 皮を剥いてみて赤い果実が現れたら結構テンションが上がるのも事実です。 皮を剥かずに外見から見分ける方法はあるのですが、基本的に食べる時にいちいち気にしたりはしなかったと思います。 その見分け方を初めて知って以来、なぜか私が赤いドラゴンフルーツと巡り合えることはなかったです。 きっとあれはそういうものなんだろうとさえ思いました。 いつかまた忘れた頃に赤いヤツを偶然引き当てて喜ぶ日がくるのだろうと思います。 今日も島の片隅で、ドラゴンフルーツファンたちを一喜一憂させている赤い果実。 いや、やっぱり『一喜一憂』は言い過ぎなので訂正します。 ■12月19日 相手に嘘がバレているのにバレていないと思って嘘をついていたことって、後々思い出して恥ずかしいです。 いわゆる『お見通し』というやつです。 タイに在住していた頃、農園になっていたジャックフルーツをこっそり食べようとしたことがあります。 ジャックフルーツは世界最大の果実で、大きいものは40〜50kgを超える南国特有のフルーツ。 味も申し分無く美味しく、日本で食べられるリンゴやブドウとかの果物と一緒に並べられても遜色ない、むしろそっちのほうを好んで食べたくなるような果実です。 話はタイの農園に戻って、とりあえずジャックフルーツの分厚い皮を裂いて食べようとしたら、まんまとまだ熟していませんでした。 しかもジャックフルーツの皮から出る白い液体は、うっかり触るとベトベトが中々とれないという鬱陶しさをもっています。 自然のものとは思えないボンド並のしつこいベトベト感です。 しかも厄介なことに水でいくら洗ってもそのベトベトを落とすことが出来ないというオマケつき。 そうとも知らず川で散々ベトベトと格闘した挙句、結局ベトベトの手のまま家に帰る事になった私。 ベトベトの手を持て余している私を見た居候先の母はスグに 「あんた、ジャックフルーツを食べたね?」と指摘してきました。 イキナリ図星を言われた私は何を思ったのか 「知らない、、、。」とだけ答えました。 別に農園の果物を食べてはいけないというわけではないですし、むしろ好きなときに好きなだけ食べなさいとまで言われていたと思います。 多分ある程度の遠慮があって、みんなで数日間は楽しめるジャックフルーツの果実を台無しにしてしまったという後ろめたさがあったのだと思います。 「知らない、知らない、なんか知らないけど手のベトベトがとれないんだ。」 という苦しい発言を繰り返す私。 母は半ば呆れたようにサラダ油を持って私に近づくと、私の手をこね回すように油でニチャニチャにし始めました。 するとあんなに頑固だったベトベトがみるみるうちに無くなり、アッという間に元通り。 「ジャックフルーツの液体はね、油じゃないと落ちないのよ。水じゃ落ちないのよ。」 と、一緒に油まみれの手を洗いながらやさしく諭してくる母。 全部バレていたという気まずさと色々な負い目が重なって、言葉が分からないフリまでしてその場をやり過ごそうとしていたという、思い出す度に恥ずかしくなる思い出。 それ以来、嘘をつく際には相手にバレていることを前提として言葉を選んでいくと、後々の処理もスムーズにいくということを学んだのだと思います。 ここで『嘘はつかないことが一番』と考えられなかったあたりが人として残念でもあります。 ※このサイトで不思議と一番アクセス数が多く人気の高いページがあるのですが、内容的に微妙なのでリンクを切ってしまいました。どこかの物好きがそのページにリンクでもしていない限り、ネット上に宙ぶらりんの状態ではありますが、一応存在はしています。問い合わせが何件かあったので、ここでお知らせ致します。諸々の事情は気が向いたら書きます。 ■12月18日 シンクの排水の黒いゴムのビラビラの部分が、気づくと上に向いてせり上がっています。 こんな感じ。 意味が分かりません。 とりあえず裏返しにして通常の状態に戻します。 こんなふうに。 そして数日の間にまた少しずつ上の状態になっていきます。 この繰り返しが今日まで延々と続いています。 その原理も理由も謎なのですが、特に興味が無いのでこの先もこの作業が続くのだろうと思います。 ■12月17日 昨日行って来た沼津警察署前の『友情の像』。 男同士両手をつないでフォークダンス風の立ち姿。 正直この像はどうなのかとずっと気にはなっていました。 私の数少ない友達を見回しても、自然にこんなポーズが出来る友人はいないと思います。 ■12月16日 免許の更新に警察署に行って来ました。 そんな中、さっそく視力検査でひっかかりました。 「本当に今までこれで運転してたんですか?」 と受付のお姉さんに眉をひそめられたりもしました。 予想はしていましたが、免許には新たに眼鏡の条件が付加しました。 加えて写真撮影の際に、マフラーをはずしたら静電気でアホ毛が発生。 それに気づかず撮影。 これから5年間もの間、アホ毛写真の免許証と付き合う羽目になるというゴールドの功罪。 ■12月15日 市役所に住民票を発行してもらいに行ってきました。 待合所にあった近隣住民の『譲ります』『探しています』のコーナーが面白かったです。 家電品から犬猫にいたるまで様々な希望が書いてありました。 そんな中『譲ります』の項目の中に『女子制服上下』という記載。 (ぇえええ!!?) (こんなところでそんな取り引きがされているなんて、、、。) などど考えていたのですが、よくみたら小学校の制服でした。 ちょっとホッとしてガッカリです。 そんな自分自身にもガッカリです。 お前もう市役所に来るなよ、と色々な人に言われてるような気すらしました。 ■12月14日 大学生の頃、遊びに行った友人の部屋に『禁パチ』という張り紙がしてありました。 友人曰く、パチンコをやめるという決意の表れらしいです。 学生の身分でパチンコ台に数万円も持っていかれれば、そんな気もちにもなるのかもしれません。 専門家の見識によると、数字が揃ってパチンコの玉がジャラジャラ出る際には、脳内に快楽物質が放出されるそうです。 パチンコも酒やタバコと同様の一種の中毒症状で、ハマるし止められない人が続出する理由の一つだそうです。 お金を払って快楽を得る施設は多々あれど、それが巧妙にオブラートに包まれているパチンコ屋は見事だと思います。 パチンコ屋は脳科学を駆使した最先端の商売だったのだなと本気で思ってます。 ■12月13日 『信号』って思ってたより大きいです。 運んでる様子は結構重そうでした。 信号の電球が切れるとしたら点灯時間的に『赤色』が一番最初なのだろうと思います。 電球が全部切れるまで待つワケにはいかないので、『緑色』や『黄色』は余裕があるうちに交換されてしまうのだと思います。 『緑色』はともかく、『黄色』なんかは全然使われず、むしろ使いまわしできるんじゃないかと思います。 まぁ、運悪く『黄色』だけがつかない状態になったとしても、それほど大事には至らないだろうとも思います。 以前教習所で、青信号は『進め』ではなく『進んでもよい』という意味だと聞いて、結構意外に感じたことをふと思い出しました。 ■12月12日 以前友人と電話で話していて、 「サーフィンやらない?」と声を掛けられたことがあります。 正確に言うと『サーフィンを始めてみない?』という話です。 それまでの会話と一切関係なく突然そのワードが出てきたこともあって、私は上手く聞き取ることができませんでした。 少なくとも私には 「ファービーやらない?」と聞こえました。 「ファービーって、話すやつ?」 「ん?ああ、そう。手を離すやつね。」 「何で?余ってるとか?」 「うん、結構イイやつがあるんだよね。」 「イイやつとかあるんだ、、、。」 「あるよぅ!結構イイ値するんだよ。」 「う〜ん、イイ値するんだぁ。でも正直興味無いな。」 流れでファービーを買わされそうな気がして、ちょっと素っ気無く断ってしまったのが今でも心残りです。 もっともサーフィンの方もそれほど興味は無いので、これはこれで良かったのだと思ってもいます。 ■12月11日 『牛肉は飲む』 生前じいさまが言っていた名言です。 かなりバイタリティのある人で、何かと凄い人だったことを憶えています。 子供の頃、リッチに外食でステーキを食べたとき、じいさまの食事のスピードが異様に速かったので、聞くと『牛肉は噛まずに飲んでいる』という返事でした。 「牛肉は飲み込んでもちゃんと消化されるんだよ」 というような説明を聞いたのも何となく憶えています。 小学生くらいの頃の出来事だったので、もしかしたら記憶違いかもしれません。 なにせ今日の今までそんな話は聞いたことがないからです。 もしくはフルーツなどを一緒に摂取することで酵素がなんたら、、、とかの説明が別にあったのかもしれません。 難しかったから結論だけを憶えてしまっていたのかとも思います。 結果、何の疑いも持たずに牛肉を飲む子供になったことは憶えています。 味わいとかを一切無視した肉泣かせの喰いっぷり。 それはもう、親泣かせでもあったと思います。 正直な話、今でも牛肉を飲んでしまうことが多々あるのですが、当時のじいさまが70代後半だったことを考えても、何となくこのままでも大丈夫なのだろうとも思ってます。 ■12月10日 道端になっている柿が視界に入って、思わず食べたくなりました。 街路樹の実が誰の所有なのかは知りません。 おそらく国の所有なのだろうと思います。 でも街路樹に柿の木なんて聞いた事がありません。 多分国が道路を広げるために地主から土地を買収して、元々あった柿の木をそのままにしたのだろうと思います。 そうなると柿の実は元の地主の所有になるのかもしれません。 土地を手放す条件が、柿の木を切らずに維持することだったとか考えてしまいます。 そう考えると、柿の木に対する地主の強い想いが伝わってきそうです。 もしくは単に育て初めて7年目だったのかもしれません。 「あと1年で実がなるというのに!!!」 そんな切実な想いを胸に旅立ってしまった地主の想いを汲んだ地域役人の感動秘話。 故人の意思を尊重して柿の木を墓標代わりにしたとかしないとか。 考えるほどに食べたくなくなっていく柿。 ----- 昨日東京タワーに遊びに行ったときに、タワーの中で『ちい散歩』のロケをやってました。 初めて生で見た地井武男さんのことを、すっかり忘れていたのを今思い出しました。 忘れる程度のことではあれど、一応備忘録として。 ■12月9日 東京タワーに遊びに行ってきました。 ここにきて人生初の東京タワー。 昨日まで晴れの日が続いていたというのに、今にも雨が降り出しそうな空模様。 実際タワーの中に入ったところで雨が降り出しました。 とはいえ、人の少ない東京タワーの景観をゆっくり充分堪能することができたと思います。 自分は高い所があんまり得意では無いらしいということも分かりました。 ■12月8日 朝、自転車に乗ろうと思ったらサドルが凍ってました。 ただでさえ寒くてややブルーなのに、朝から何もやる気がなくなりそうになります。 大学生だったら休んでたと思います。 いや、思いなおして遅刻ですましてたかもしれません。 ただ、理由を聞かれたとき 「サドルが凍ってたんで、、、。」とは言えないと思います。 そう考えるとやっぱり遅刻は避けたんじゃないかとも思います。 つまり結局休んでいたのだろうと思います。 大学生の頃は自転車で通わなかったので、実際どうなのかは知りません。 ■12月7日 ティッシュの残りが少なくなっていることに気づくと、早く新しいものに取り替えたくなります。 いざというときに、ティッシュが切れると何かと煩わしいからです。 気づいたときに、そのときに新しいものをおろしてしまいたいです。 さっさと使い切ってしまおうと思うのですが、そういうときに限って使い道があんまり無かったりもします。 そして使ってみると、思った以上にまだ枚数が残っていたりもします。 残り4〜5枚程度かと思ったら、ゆうに10枚以上だったりします。 当然そんなに一気に使う用事もありません。 でも4〜5枚使ってしまった手前、さらに不安度は倍増です。 先走って既に新しい箱を開けてしまっていたりもするから始末が悪です。 ティッシュを使い切ることも出来ず、新しい箱と交換することも出来ず、どうにもならない状況に呆然とするひととき。 仕方が無いので、こんな感じに置いておくことにしてます。 そのうちに無くなるだろうと思ったティッシュは予想に反して数日間このままです。 重なったティッシュ箱が視界に入る度に、自分は何をそんなに恐れているのだろうと思います。 そもそもティッシュ関連の『いざというとき』って何だろうとも思います。 ■12月6日 「電話に出たときの第一声が変。」と言われることがあります。 そう言ってくるヤツは毎回同じなのですが、歯に衣を着せないタイプのヤツなので多分他の人からもそう思われているのではないかとも思います。 どうやら声のトーンがおかしいらしいです。 「何なんだよその声!?」と怒られたり笑われたりします。 『部屋で無言で作業をしている状態』から『人と話す状態』への切り替えが下手なのだと思います。 別に意識して切り替える必要が無いと言われればそれまでなのですが、普段の自分の声のトーンは恐ろしく低いです。 過去にもの凄く機嫌が悪いと誤解されることが多かったので、気をつけるようにしていたことを思い出しました。 でも過去にそう指摘してきたのもヤツだったような気がしないでもないです。 ■12月5日 日中に突然の雷雨。 仕事中で室内に居たので、窓を打つ雨をただただ眺めるひととき。 今日は布団も洗濯物も干していないので、雨に対して何の感情も抱きません。 自分も室内に居て外に出る用事も無いので、ハッキリ言えば他人事です。 (どんどん激しく降ってくれてかまわない。) 過去の職歴が、雨に左右されて一喜一憂する仕事ばかりだったこともあって、無関係な雨にニヤついてしまう傾向があります。 イヤ、よく考えたらここはお店なので他人事ではなかったです。 ■12月4日 ウーロン茶が好きでも嫌いでもないです。 でも、数多いお茶の中でもダントツで飲んでいる量が多いのはウーロン茶だと思います。 好んで自ら購入することは無いのですが、何かの機会で注文したりするのは決まってウーロン茶です。 『ウーロン茶が好きそう』という感想までもたれたこともあります。 何度も言うようですが、ウーロン茶は別に好きでも嫌いでもないです。 多分これからもことあるごとにウーロン茶をガブ飲みしていくのだと思います。 静岡県でウーロン茶ってどうなのかと言われそうです。 もちろんそんなことを言ってくるのは静岡県民以外の人たちだけです。 ■12月3日 『その素朴さがたまらない』と評されたことがあります。 知らないことを沈黙で流しつつ淡々と物事を進めていくさまが、うまい具合に転がって朴訥な印象を持たれたのだろうと思います。 もちろんそんなことを言われたのは、後にも先にも1回きりです。 嬉しいような、そうでもないような不思議な感覚だったと思います。 私自身、別に『素朴』を目指していなかったからだと思います。 でも、もうちょっとちゃんと分析していれば『素朴キャラ』を自分のものに出来ていたとも思います。 自分好みとかの信念的な感情は置いておいて、周囲の人からの好印象のみを貪欲に収集する悪癖が、20代の頃には身に染み付いてしまっていたような気がします。 ■12月2日 ちょっと前に買った調味料。 『ファイヤー・イーター』って書いてあります。 『火を食べる人』です。 もし、実際ファイヤーイーターと呼ばれる人がいるとすれば、それは日本語で『もっぱら火を食べている人』です。 間違ってもそんな人にはなりたくないです。 今後この調味料を使う際には、誰かに見られていないか注意しつつ、普段から火を食べている人と思われないように気をつけることにします。 ■12月1日 生まれた地元が海沿いです。 中学生の頃は、冬の海でデートをするのが恋人同士の定番でした。 冬の海はひと気の無いことと、やや風が肌寒いことが重なって、恋人たちの距離を縮めてくれるという効果があったと思います。 純情だった中学生の頃を思えば、非常にありがたいナイスなシチュエーションです。 お金がかからないことも魅力の一つだったと思います。 あれから十数年、つい懐かしさを覚えて一人で冬の砂浜を歩いたことがありました。 当時の想い出がフラッシュバックして、せつなくて涙がでそうになります。 私にとって冬の海に、そんな淡い想い出が一つもなかったことが原因なのだと思います。 |
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