■バックナンバー■トップページへ |
■8月31日 最近メガネを掛けるようになってから、今までの自分の視界がぼやけていたことに気づきました。 確かにメガネを掛けると、今まで見えなかった遠くの文字や物体がクリアに見えます。 それでも日常生活において不便を感じないので、通常あんまりメガネは掛けていません。 基本的に遠くのものをクリアに見なくてはならない必要性が、日常にはあまり無いのだと思います。 ■8月30日 幼い頃、戸棚のコンペイトウをよくつまんでいた記憶があります。 大人になって改めて食べてみると単なる砂糖の味しかしないのですが、当時は色の違いによって味も違うのだと思い込んでいました。 ピンクはストロベリー味とか、水色はソーダ味とかの認識です。 黄色や水色のコンペイトウを特に好んで食べていたあの頃。 その中でも、一番量が多くて人気の薄かった白いコンペイトウ。 今考えると、白のコンペイトウを当時何味と考えていたのかが思い出せません。 多分、当てはまる味がないので見て見ぬフリをしていたのだと思います。 本当は砂糖と知りつつもそれを認めたくないという、子供ごころにも切ない葛藤があったのだと思います。 ■8月29日 仕事の都合上、日々ネットを通して色々と作業を行う私。 用途に合わせて様々なページへアクセスするので、作業効率を上げる為にも大抵のURLは『お気に入り』に登録してあります。 ただこの『お気に入り』という呼び方がちょっと納得いきません。 毎日何度となくアクセスする『お気に入り』ページ。 何のことは無い、仕事上の単なる近道。 『お気に入り』のタグをクリックする度に感じてしまう『お気に入り』というほどではないという想い。 出来ることなら『お気に入り』は、もっと大切なときにとっておきたいです。 ■8月28日 日中、扇風機で涼を取りながら読書にふけっていると、突然のインタホン。 もちろんインタホンは大抵突然鳴るものですが、普段滅多に鳴らないだけにやや驚きました。 ふと顔を上げると、モニターには制服の警察官。 (・・・・・・・。) (・・・・・・・・・・・・・・何かしたっけ?) (やましいことはしていない、多分。) (うん、大丈夫、大丈夫だ、きっと。) ドアを開ける為に玄関に向かう数秒間、自らを鼓舞しつつ様々なことに想いを巡らしました。 昔から何の罪もないのに警察官に声を掛けられることが多い私。 基本的に警察とは相性が悪いらしいです。 今回は『家族調査』というよくわからない名目で訪れたらしいのですが、やたらとそのことを説明してくるあたり、何かしらウラがあるような気がしてなりませんでした。 心の奥に潜む『社会に馴染めない部分』が多いと、挙動不審で被害妄想な人間が出来上がります。 ■8月27日 一般に『好きなタイプ』というのが誰でもあると思います。 それを前提に考えると、理屈ではどんな人に好かれるかという、『好きになられるタイプ』というのも存在しているハズだとも思います。 立証してみる為にも、過去の数少ない記憶の糸をたどってみました。 悲しいくらい、、、、、尋常じゃない程、、、、、個人によって幅の差がある『好きになられるタイプ』。 『好きになられるタイプ』があまり注目されないのは、この現実を直視すると切ない気持ちで死にたくなる人がいるからなのだと思います。 ■8月26日 大学生の頃、『代返』が当たり前のようにまかり通ってました。 仲の良い友人が休んだ時などは、頼まれずとも代返する人も多かった気がします。 教授たちがまだ代返に対して寛容だった古き良き時代。 講義室に生徒が4人しか居ないのに、11人出席という脅威の代返率を誇った講義もありました。 ■8月25日 最近結婚式のお誘いが多いです。 一時期ピークは過ぎたと思ったものの、また波がやってきた様子。 しかも余興やらスピーチやら、何かしら頼みごとが付いてきたりもしてます。 問題はイキオイでバカ騒ぎしてやり過ごせるような年齢じゃなくなってきたこと。 かといってスピーチはともかく、落ち着いた余興なんて想像もできないです。 (練習に時間をかけずに、ウケが良くて、しかも盛り上がれる余興、、、、、、。) 祝い事のハズなのに、頭にハゲが出来そうなくらい悩まされます。 ■8月24日 熱帯夜が続く昨今、半裸で寝ることが多いです。 そんなときにテレビで地震速報などを見かけると、ふと不安がよぎります。 もしここで地震があって、慌てて外に出た姿が半裸ではちょっと恰好が悪いです。 崩壊した家屋を前にたたずむ半裸の自分。 その後に警察やら役場やらで、半裸のままで色々と手続きする自分の姿を思い浮かべると、正直いたたまれなく感じます。 各種報道カメラの中、崩壊した家屋から救出された場合でも、やっぱり半裸ではテレビ的にもよくないです。 (日々の安眠をとるか、被災時の安心をとるか、、、。) そんな葛藤の末、枕元には常に着替え一式が置いてあります。 ■8月23日 涼をとる為に、たまたま立ち寄ったスーパーのアイスコーナー。 4リットルのアイスが特売で凄く安いかったです。 いつもなら迷わず購入する喜びのシチュエーション。 ただ、外は尋常じゃない猛暑の日中。 そして、家までは自転車で約20分。 (・・・・・・・・・・・・・・・無理かぁ。) アイスから派生する喜びと悲しみ。 『人間万事塞翁が馬』と言うように、喜びの後には必ず落胆が訪れることを、アイスに学んだ夏の日。 ■8月22日 テレビでサッカー中継を観ながら、ついうたた寝をしていました。 おかげで夢の中でずっとサッカーをやってました。 しかも妙にアナウンスの人に点を取るようにせかされていたような記憶があります。 サッカーをやったことなんてほとんど無い私が、少林サッカー並みのプレイをしつつも厳しく冷静な解説と叱咤。。 本来爽快な夢のハズなのに、ずっと怒られていたみたいで目覚めが悪かったです。 この日、日本はナイジェリアに完敗。 ■8月21日 「海に遊びに行きたいな〜。」 久々に会った友人がつぶやいた一言。 海で泳ぎたいかというと決してそういうわけではなくて、単に水着姿のオネーチャンが見たいという理由。 ワザワザしょっぱい水で泳ぎたいとは思わないらしいです。 海辺で育った私にとっては、夏の海に行って泳がないことのほうが考えられません。 やれやれという気持ちで話を聞く反面、浴衣姿のオネェーチャンを見たいという理由で祭りに行く私も、人のことは言えないのだということに気づきました。 ただ真剣に考えてみても、祭りの正当な楽しみ方が何なのか私はよくわかりません。 ■8月20日 偶然知り合いを見かけたとき、とっさに声を掛けることが出来ません。 いつも頭の中で言葉を整理してから、声を掛ける傾向があります。 (あっ、あれは、、、○○さん、、、。) (・・・・・・・・・。) (・・・・・・・・・・・・・・・・。) (・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。) (・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヨシ。) 「あっ、○○さんじゃないですか!」 頭で整理したわりに、ちょっと驚く小芝居は何故か省略できなかったりもします。 声に出して言った後は、自分の演技力の無さに対する自虐の失笑が尽きません。 偶然の出会いはいつも切ない笑顔から。 ■8月19日 高校生のとき、友人の弁当を食べるのが流行ったことがあります。 互いにおかずを取り換えるといったようなカワイイものではなく、特定の個人の弁当をみんなで無断で一方的に食べ尽くすという極めて悪質なイタズラでした。 ごはんもおかずも八割方は食べていました。 残りの二割はいわゆる『思いやり』です。 お昼休みに友人が弁当のフタを開けたときに、 「少ねぇ!!!!俺の弁当少ねぇよ!!!」 と絶叫するリアクションが面白くて、結構長いスパンで続いたイタズラ。 今思い出しても、斬新さの光るパンチの効いた行為だったと思います。 ■8月18日 何かの拍子に、服の上から乳首をピンポイントで引っ掻いてしまいました。 「・・・・・・!!!」 「っっ!!!!!!!」 あまりの痛さに声が出ません。 しかも乳首を深くえぐるように引っ掻いてしまったらしいです。 思わずTシャツの上から左乳首を押さえつける私。 乳首を押さえつけるというより、左胸をわしづかみにするような体勢。 苦悶の表情に加え、半開きの口からはかすれた息がもれます。 はた目には発作を起こした人のように見えなくも無いです。 心配されて当然。 単に表面的な皮膚の痛みだけなのが、何故かものすごく申し訳なく感じます。 ■8月17日 一回やって挫折した『ビリーズ・ブートキャンプ』。 今でもビリー隊長の 「ワンモア・セット!」 というセリフが色んなときに頭の中で呼びかけてきます。 今日は三島の夏祭りに行ってきました。 神社でのお祭りに”おみくじ”は欠かせません。 おみくじをひく理由は、『神を味方にする』という淡い期待が込められています。 (さぁ、今回は、、、、、、。) (・・・・・・。) (・・・・・・・・・・・・。) (・・・・・・・・・・・・・・・微妙。) そしてこんなときに響く隊長の声。 「ワンモア・セット!」 (・・・・・・ヨシ!) とりあえず意地でも神様を味方につけていきたいと思います。 ■8月16日 『時間』をお金で買うことは出来ても、『ゆとりのある時間』を買うことは出来ないと思います。 たとえば電車などで倍以上かかる特急料金を支払えば、場合によっては小1時間の節約になるので、それは時間を買う行為だと思います。 でも基本的に急いでいなければ特急に乗る必要は無いですし、その場合は鈍行でのんびり目的地に向かうことが出来ます。 時間を買いたいと思うのは、それだけ急いでいるからであって、時間を買った時点ですでにその浮いた時間の使い道は決定していると思います。 結局のところ、時間の節約で『ゆとり』が生まれることは無いと思います。 ミヒャエル・エンデの『モモ』を読むと、大人が忘れていた時間の真理が見えてきます。 子供だましではない児童書は、いつ読んでも色褪せない魅力があります。 『大人が忘れていた』と言ってみたものの、私の場合もともと知らないことのほうが多いです。 ■8月15日 茨城の実家から静岡に戻る際に、北海道在住の姉からのお土産を持ち帰ることになりました。 一つは小樽洋菓子館の『生チョコレート』。 もう一つは、カチンカチンに冷凍保存された『特大ホッケの開き』。 折りしも今は猛暑厳しい8月のド真ん中。 生チョコを無事に静岡まで移動できるかが不安でした。 そして常温に出したとたんに、ドライアイスのように白い冷気が流れ出てくる『冷凍ホッケ』。 (・・・・・・。) (・・・・・・・・・・・・。) もしかすると姉は生チョコの保冷用に、あえてこの冷凍ホッケをつけたのかもしれません。 予想外に抜群の組み合わせだったと感じる反面、やはり姉には敵わないのだなとも感じた夏の日。 ■8月14日 休暇は特に何もせず、風通しの良い実家の部屋で小説を読んで過ごしました。 他にすることが思いつかなかったということが一番の理由です。 信じられないスピードで読み進められていく複数の文庫本。 モノに溢れた一人暮らしの自分の部屋よりも、何も無い実家のほうが充実した休暇を過ごせるのは間違いないと思います。 読んだ小説の影響で、読み終わった後に切なくて恋愛がしたくてたまらない気持ちに襲われたりしました。 そしてそんなときに他の情報に逃避することが出来無い部屋では、危険過ぎるほど感情のみがたかぶってしまうということを、身をもって感じました。 それなりに危険だと思いました。 ■8月13日 お盆休みを利用して茨城の実家に帰ってみました。 ちょうど兄夫婦も戻ってきていて、姪っ子と初の対面。 そして予想に反して姪から警戒視される私。 以前から無意味に子供には好かれるという特性があったのですが、一気にその自信が崩れ去りました。 内に秘めておくべき大人の汚れた部分が、もんじゃ焼きのように外へとにじみ出ていたのかもしれません。 別にもんじゃ焼きが汚いとは言ってません。 ■8月12日 愛用していたサンダルが壊れました。 靴底がめくれてしまい歩くたびにぴたんぴたんと音がします。 買ってから約8ヶ月。 それでも雨の日以外は毎日履いていたので、まぁ頑張ったほうなのかもしれません。 細かい計算は抜きにして、概算で1日12.4円の働きをしたサンダル。 これを高いとみるか安いとみるかは人それぞれだと思います。 もちろん修理して使う予定です。 あくまで『物を大切にする』ということが前提であって、決して価格的なことを気にしているわけではない、ということを自分自身に納得させておきます。 ■8月11日 昨晩、何の前触れもなく突然プリンが食べたくなりました。 早速コンビニにプリンを買いに行きました。 その行動に何の迷いもありませn。 一人暮らしの大人の為せる業だと思います。 (プリン!プリン!プリン!) プリンに想いを馳せながら自転車のペダルをこぎ進むコンビニへの道。 声に出さないのは、もちろん私が大人だからです。 やや息切れ気味でたどりついた深夜のコンビニ。 真っ先にプリン売り場でプリンを物色する中、ちょっと冷静になります。 そんなに急いで駆け込んできた人間が、プリンだけ買って帰るのはいかがなものか? (カモフラージュにヨーグルトも買おうか・・・。) (いや、ゼリーにしようか・・・。) 悩んだ末に、プリンとゼリーとヨーグルトとアイスを購入。 欲望に目がくらんでいる人間は、正常な判断が出来ないというか気づくことが出来ないのだと思います。 ■8月10日 会社帰りの夜道。 道端の暗がりにぼんやりと光る顔が見えました。 よく見ると男の人が携帯電話の画面を食い入るように見ていただけでした。 すれ違う直前まで気がつかなかったので、ちょっと驚きました。 よく見ると不自然なくらい顔を近づけているのがうかがえます。 画面との顔との距離が1センチくらいしかないです。 (それじゃ見えないだろう・・・。) そんなことを考えていると、男性の右目の視線がコッチを向いて私と目が合いました。 (こ、、怖い、、、。) 正直すれ違った後も怖すぎて笑いが止りませんでした。 色々なものを棚に上げつつ、世の中には変な人がたくさんいるのだと思います。 ■8月9日 「いらっしゃい!今日は何にしますか?」 気がつけば常連のような声の掛けられ方。 夕食を作るのが面倒なときに近所の弁当屋さんをよく利用するのですが、いつの間にか店員に顔を憶えられていたらしいです。 「いつもありがとうね。」 と、親しみを込めた言葉も投げかけられました。 よく考えたら、ここのところ3〜4日連続で弁当です。 「今日は(買いに来るの)早いね。」 などと、日常生活を把握されているような言葉も飛び出しました。 日々同じような服を着ていることが引き起こす功罪。 ■8月8日 『電車の乗り間違い』は誰でも一度は経験したことがある失敗だと思います。 計画を立てるのが苦手な私にとって、複雑な路線図を憶えてから出かけることはまずありません。 当然のごとく乗り間違えていることに気づいてから、電車内の路線図とにらめっこしていることがよくあります。 (新幹線って車内に路線図無いんだな・・・。) と、最近思いました。 多分、乗り間違える人なんていないと思われているのでしょうが、ちゃんとここにいるので気をつけて欲しいと思います。 ■8月7日 休日を利用して横浜まで行ってきました。 平日だというのに人波あふれる横浜駅。 4〜5年ぶりくらいの人と会って久しぶりに話し込んだ日中。 そしてズボンのチャックが全開だったことに気づいた夕刻。 (これは、、、いつから?!) 今日一日の行動に頭を巡らす。 結果、今日はまだ外出してからトイレに行ってません。 奇しくも自分の部屋を出る直前に行ったきり。 外見的には『Tシャツ裾出し』の着こなしに救われていたフシがあります。 今『着こなし』と言ってはみたものの、着こなせてはいなかったのだと思います。 ■8月6日 以前勤めていた会社で、乗っていた車を凹ませてしまった日。 (これは多分、、、バレる。) 何か上手い言い訳はないかと考えながら帰社する道のり。 (あーでもない、、、こーでもない、、、う〜〜ん、、、。) その日は水難救助員の資格の実技講習を受けた後ということもあり、体力の無い私はヘロヘロの状態。 休もうかと思いつつも、あと少し、あと少し、と考えながら車を走らせる私。 次に私が気がついたときは、運転する車が道路を外れて物凄いイキオイで草むらをバウンドしている真っ最中でした。 慌てて思わず踏んだのがアクセル。 (・・・・・・いや、違う、そうじゃない。) ようやくブレーキを踏めた頃には、車は道路脇の側溝に片輪を落として身動きが取れない状態になってました。 車は片面が傷だらけでボロボロ。 人の通りもない、車も滅多に通らない、携帯電話も通じない、沖縄の離島の中でもさらに僻地で起こったミニ事件。 電柱にぶつからなかったのは、その区画に電気が通っていなく電柱自体が無かった為です。 ※あったら多分死んでました(後日談)。 車から這い出す無傷の私。 このとき、最初につけた凹みの言い訳を考える必要が無くなって、ちょっとヤケクソ気味の半笑いでした。 『木の葉を隠すには森の中』とはよく言ったものだと思います。 ■8月5日 子供の頃の遊びで、数種類あったオニごっこの中の『色オニ』が印象に残ってます。 オニが何らかの色を言った瞬間からタッチオニがスタートして、他の人はその色のものを探してそれに触ればセーフ、触る前にオニにタッチされたらアウト、という遊び。 公園などが遊び場だったこともあり、赤やピンクなどの派手で人工的な色が狙い目でした。 もちろんその場に無い色を言うのは反則なので、子供なりに節度を踏まえて色を選ぶ必要もありました。 さらに言うと、あえて目に付くところの色にしたり、相手が着ているTシャツの色にしたりと、オニにとっては自分の想像通りに相手を動かす出来レースでもあった気がします。 何も考えていないような子供の遊びも、実はそれなりの頭脳戦があったことを、大人になってふと思い出しました。 ■8月4日 生まれて初めてチョコバナナを食べました。 幼い頃、初めてお祭りでチョコバナナを見かけたときに、その単純な作り方を見て、 「(子供だましだな・・・。)」 と、子供ごころに感じた記憶があります。 食べたことが無くてもその味が容易に想像できたこともあって、結局今まで食べる気になれませんでした。 別にこだわりも何もないので、たまたま今日の『柿田川湧水祭り』で何となく食べてみました。 (・・・・・・。) (・・・・・・・・・・・・。) (・・・・・・・・・・・・・・・・・・。) 「うん、、、バナナ、、、、、、だね。」 口いっぱいに広がる食べ慣れたバナナの味。 チョコの存在感がほぼ感じられなかったことが、予想外に衝撃的でした。 ■8月3日 パンを食べようかご飯を食べようかで悩むことがあります。 一食の予算を500円前後と考えると、パンなら5個、御飯ならお弁当1個。 バラエティに富んだ5種類の焼きたてパン。 ボリューム感の溢れるホカホカのお弁当。 腹持ちが悪くやや物足りなさも感じるパン。 おかずが単品で全体のバランスにやや遅れをとるお弁当。 相場としてはお腹が減っていればお弁当、さほど減っていなければパン。 考え出すと一長一短としか思えなくなります。 葛藤の末、最終的にこの日はラーメンを食べることにしました。 ■8月2日 一人暮らしを始めた当初は自分で好きなものを作って食べるのが嬉しく感じるという、食卓の黎明期があります。 しばらく経つと思いの他食費がかさむことに気づき、食卓が徐々にインスタント食品に侵食されていく妥協期。 さらにしばらくすると、コンビニの弁当のみの生活に変わる、食卓の無関心期。 その後、美味しいものが食べたいという想いの中、予算と葛藤しつつも外食が多くなる混迷期。 人それぞれではありますが、高確率で一人暮らしの男性が経験していく食卓の流れ。 根底には常に『面倒くさいから』という想いが共通しています。 ■8月1日 今年はまだ一回も海に行ってません。 海辺で育ったせいか、夏場は海に行きたいという想いが強いです。 でも海に行って何をするのかというと、これといってすることは無いです。 行ってみると案外1時間くらいで飽きてしまうだろうなということが予想できます。 中学生時代には、夏休みはほぼ毎日海に遊びに行ってヘロヘロに疲れるまで泳いでました。 大人になった今、子供の頃の自分が海で何を楽しんでいたのかがまったく思い出せません。 常に生産性にこだわる大人になってしまうと、子供の行動が理解出来ないのだと思います。 ■7月31日 髪に寝グセがつくようになってきました。 最近までボウズ頭だったので寝グセとは無縁の毎日を送っていたものの、さすがに髪が伸びてきました。 放射状に伸びていた短髪が、若干ながらも重力によってシナりはじめてきています。 このくらいの時期の寝グセはタチが悪いです。 ちょっとシャワーを浴びたくらいでは直りません。 帽子をかぶる理由の中には、そんなやむをえない事情も含まれています。 ■7月30日 今このとき、全身に走る筋肉痛。 間違いなく昨日初めてやってみた『ビリーズブートキャンプ』のせいです。 朝や日中に比べて、明らかに夜の今が一番痛いです。 『運動不足の人は筋肉痛が次の次の日くらいにくる』なんていいますが、微妙な時間差で遅れてきた私の筋肉痛。 中途半端な遅れと思いつつも、夜寝るときにピークになってくれるあたり都合が良いと言えなくもないです。 ■7月29日 選挙の投票に行ってきました。 役人は投票所に人を使い過ぎだと思います。 投票用紙を受け取る係(1人)。 用紙のバーコードを読み取る係(1人)。 記入用紙を渡す係(2人)。 投票を終わった人に挨拶をする係(2人)。 何か知らないけど座っている係(1人)。 ざっと見て、投票所に居たのはこの7人でした。 もちろん皆それぞれ他に何かしらの役割を持っているのだと思いますが、暇そうに見えて仕方がありません。 せめて何か書いているふりとかパソコンをいじっていたりとかして欲しい気もします。 役人たちが高確率で所持している『仕事をしているように見せるスキル』を、こういう時にもう少し発揮して欲しいと思います。 ■7月28日 全身が痛いです。 先日自転車で転んで、身体を壁にしこたま叩きつけたのが原因じゃないかと思います。 転んだ時はすり傷とかの痛みの方に気が向くこともあって、怪我自体はたいしたものではないと判断してました。 でも、数十時間後には確実に全身打撲の症状に気づかされます。 外傷が見当たらない状態なだけに、筋肉痛と何ら変わりない症状がしんどいです。 いっそのことあえて大げさに包帯とかを巻くことで、周囲にいたわって欲しいという気持ちを全面に押し出してみようかと思います。 ■7月27日 各地で温暖化がささやかれる昨今、『ベイトソンのゆでガエル』の話を引き合いに出して、そのリスクの警鐘を唱えているケースを聞くことがあります。 非常に納得しやすい理論で、様々な分野に使用できる話。 でも、この話を調べてみると『かえるは茹で上がらない』と唱えている学者もいるらしいです。 私が思うに実際にカエルが茹で上がるかどうかは、議論すべき部分では無いと思います。 『鍋の形状に問題があったのではないか』とか本当にどうでもいい話が議論されていることに驚きます。 ■7月26日 自転車で会社から家路につく道すがら。 片手には閉じた傘と夕食の弁当とコンビニで買ったアイスとお菓子。 そして突然自転車のバランスが崩れて、一気にサドルから投げ出される私。 状況が理解できないまま、後方で派手な音を立てて倒れる自転車。 自分は何故か転ぶこともなく、勢いそのままに4〜5メートル先の壁に立ったまま激突。 不思議とたいした怪我も無く、ノコノコと倒れた自転車の位置まで戻る私。 我ながら中途半端な転び方をしたものだと感じつつも、お弁当が無事で本当によかったです。 周囲の視線とかどうでもよく感じるくらい、ただただ弁当の心配をしていた私。 部屋に戻ってから愛用の傘がボロボロになっていることに気づいたのですが、いまだに傘が壊れた意味も転んだ理由もよくわかりません。 ■7月25日 健康的な生活を旨として、食事には結構気を使っています。 ここのところ毎食続いているインスタントラーメンは、全てノンフライ麺という徹底ぶりです。 毎日食べるアイスも、着色料の少ないバニラアイスばかりです。 バランスよく野菜をとるためにも、フライドポテトやポテトチップによるジャガイモの摂取も欠かしません。 健康に気を使っていると思い込むことは、さほど難しいことではないのだと思います。 ■7月24日 女性が男性の部屋に訪れた際、驚く要素の一つとして裁縫道具が無いことが挙げられるらしいです。 女性に言わせると、あって当然のツールだそうです。 同様に男性に言わせると、女性の部屋にドライバーが存在しないケースがあることに驚きを隠せません。 ドライバーセットは生活の必需品だとさえ思います。 どちらのツールも修復作業に使用されるという共通点はあるのに、男女で使用頻度の差が顕著に表れるももです。 ちなみに私は学生時代、台所に鍋が無いことに驚かれた記憶があります。 ■7月23日 仕事が終わって部屋に戻ったのが夜の9時過ぎ。 本日始めての食事を取ろうと思ったものの食べ物が全く無かったです。 冷蔵庫は電源が入っていないし、食物は生米くらいしか見当たりません。 外は小雨が降っていて外食に出る気もおきません。 とりあえず『水をガブ飲みして寝る』という一人暮らしならではの対処。 生活力がある人間のスキルとして、『ヤセ我慢』と『ごまかし』は必須能力です。 ■7月22日 健康スポーツ科学が浸透し始めていた私の学生時代。 ピンポイントの筋力訓練や、当時としては休憩や水分補給を多分に取り入れたムリの無い効率の良い鍛錬など、今までの『根性論』とは真逆の存在。 それでもまだ過半数以上が『根性論』を正論としていた時期でもありました。 オリンピックやスポーツ界の有力選手が結果を出し始めて、ようやく常識として広がっていった記憶があります。 当時スポーツ選手や指導者たちにも、様々な衝撃や波紋をもたらしていたと思います。 練習中にこっそり水をがぶ飲みしていたり、身体がダルいから今日は気分的に休もうかな、、、とか、根性規制の中でもひっそりと身体に正直に生きてきた私にとっては、今までの罪悪感が正当化されたような爽快感がありました。 ■7月21日 祭りの打ち上げで家に戻ってきたのが25時。 別に深夜帯まで起きていることは珍しいことではないのですが、一人で起きているのと人前で起きているのとでは勝手が違います。 人前だと無意識のうちに身体のどこかが緊張していたのか、部屋に戻ってからの疲労感と眠気と思考力の低下が激しいです。 寝る前にシャワーを浴びようとして、服を着たままシャワー室に入っていた私。 靴下が濡れないようにバスルーム内の水溜りを避けつつ歩く私。 今までこんなことに気を使ったことが無いという違和感を感じて、ようやく自分の行動が間違っていたことに気づきました。 「疲れのせい、、、疲れのせい、、、。」 やさしくやさしく自分に言い聞かせます。 ■7月20日 学生の頃にやったバイトの中で、警備員の仕事が一番つまらなかったです。 特に夜の通行止めの仕事をしているときの暇さ加減といったらなかったです。 車も通らない道の真ん中で立ちっぱなし。 (通行止めの必要があるのか?ここ、、、。) 不毛な愚痴に加え、襲い掛かる眠気と寒気。 寝たくても底冷えする寒さで眠ることもできない深夜帯。 先輩のススメで解決策にストッキングを着用したこともありました。 正直な話、ストッキングは何の解決にもならなかったことを憶えています。 ■7月19日 3人兄弟の末っ子にあたる私。 両親が私たちに何かをくれるときは、同じものを色違いで買ってくることが多かったです。 その色違いのものを兄弟で取り合うのですが、姉が赤、兄が青、そして私が黄色という暗黙のルールがあった気がします。 正直な話、いつも自分が黄色なのがちょっとだけイヤだったような記憶があります。 ヒーローになりきれない三枚目の色だということを、子供ごころに気づいていたのかもしれません。 今となってはカレー大好きキレンジャーとしての自分を、全面的に押し出していきたいとさえ思ってます。 ■7月18日 先日に引き続きカップアイスのスプーン。 アイスはやっぱりこのスプーンで食べたいです。 よく見てみると、『スペシャルスプーン』と記載されてました。 その名前もどうかとも思います。 ■7月17日 コンビニでカップ系のアイスを買うと、レジでスプーンをつけてくれます。 あの木でできたヘラのようなアイス用のスプーン。 いつもと変わらない日常の1コマなのですが、今日のレジで袋に入れられていたのは、プラスティック製のスプーン。 (ぇええ!これはゼリー用じゃないか!!) (・・・・・・・・・。) よく考えたら何故このプラスティックのスプーンをゼリー用だと思ったのかが、今でもよくわかりません。 ■7月16日 滅多に鳴らない私の携帯。 そして携帯に負けず劣らず反応の少ない私のPCメール。 たまにチェックしてみるものの、大抵メルマガと迷惑メールしかきていません。 約10年前にメールを始めたばかりのときは、毎日のようにメールをチェックしては一喜一憂していたあの頃。 (・・・・・・・・・。) 冷静に思い出を探るように記憶の糸を辿っていくと、あの頃も別にメールが来ていたかというと、そうでもなかったような気がします。 あまりにも反応の薄いメール事情に、無意識的に過去の記憶の改ざん処理がされていたのだと思います。 ■7月15日 久しぶりに何か美味しいものを食べに行こうと思って外出。 何を食べるのか決めていなかったこともあって、40分程以上さまよった挙句、面倒くさくなって結局『松屋』に入りました。 さらに食券を買う際に財布に500円しか入っていなかったことに気づき、選択肢など最初から無かったことにも気づかされました。 今まで食い逃げ犯として捕まっていないのは、単に運が良かったからなのだと思います。 ■7月14日 せっけんに髪の毛がついていると妙に気になることがあります。 「そんなときはお尻で髪のついた部分を数回こすると簡単にとれるんだよ。」 過去に友人が誇らしげに話していたことを憶えています。 その話を聞いたときは、人生のワースト3に入るくらいの無駄な知識だと感じたことも憶えています。 あれから10年以上の時が経った今、無意識的に自分の技として活用していることに気づかされます。 思いのほか役に立ってしまっていることがまた妙に悔しいです。 ■7月13日 電気を付けっぱなしで寝てました。 電気を消しに行く労力よりも眠気の方が勝ってしまい、布団を頭からかぶってやり過ごします。 でも息苦しくて眠れないうえに、顔を出すと眩しくて眠れません。 (・・・・・・一体どうすればいいんだ?!) 悪夢にうなされるようなジレンマの中、浅い眠りを繰り返しました。 電気を消せばいいのですが、眠い人間は基本的に適切な判断が出来ません。 ■7月12日 仕事中、ある人から8ヶ月ぶりくらいに電話がきました。 意外な人からの電話なので2倍の驚きがあります。 その人からの電話が嬉しいかというと正直そうでもないです。 どちらかというと私の中で負のイメージのある人です。 それが何故なのかはよくわかりません。 いや、正直に言うと理由はハッキリしているような気もします。 『2倍の驚き』としたのは、私の携帯が鳴ること自体非常に珍しいということに起因しています。 ■7月11日 引っ越してきて初めてゴキブリに出会いました。 一体この部屋の何処に隠れていたのか、何を食べていたのか不思議に思います。 幸い私にはタイ人から習った必殺のゴキブリ対処法があります。 即効性、合理性、殺傷性、正確性、どれをとっても殺虫剤や新聞紙を上回る対処法だと感心した記憶があります。 もちろん日本でも利用は可能ですし、実際にさっき私が実行したばかりです。 地球にやさしいエコロジカルな技です。 それなのに日本人にはほとんど理解されない禁断の技でもあることは否めません。 さっき足を洗いました。 ■7月10日 やや夜更かしをした次の日の朝。 気だるい目覚めと共に、ぼんやりと時計が見えます。 (11時30分か、、、。) (、、、、、、、、、。) (、、、、、、、、、、、、!?!) 思いっきり寝坊していたことに気づき、一瞬だけ焦るものの直ぐに今日が休みだったことに気づきました。 折角の休みなので、これ以上時間を無駄にしないように布団から起き出す私。 よく寝たハズなのに、妙に眠いです。 それもそのはず、よく見ると時刻は朝の5時55分。 長針と短針を見間違えるという、今どき類をみない斬新なトリックでした。 ■7月9日 実家と一人暮らしの違いは多々ありますが、その感じ方は人それぞれだと思います。 『食事の時間が寂しい』と考える人もいれば、『いつまでも寝ていられる』と考える人もいると思います。 感情的な部分以外にも、『部屋が散らかりっぱなしになる』とか『冷蔵庫の中の充実さ加減』とか物理的な部分にもそれぞれの影響が現れます。 ただ、万人に共通する一人暮らし特徴は、なんといっても実家ではありえない『全裸率の高さ』だと思います。 ■7月8日 蛇口をひねるだけでお湯が出てくる環境が恵まれていると、しみじみ思うときがあります。 池と桶しかない村にいたときは、水浴びがとにかく面倒でした。 それでも水道が欲しかったかと言われると、それほど必要性は感じてなかった気もします。 でも、お湯の出るシャワーの必要性は常々感じていました。 吐息が白く染まる季節の水浴びは、勇気と気合いと根性とあきらめが必要でした。 寒いからといって朝の水浴びをサボったのがバレると、村の娘たちに会うたび 「うわっ、クサッ!」 と冗談交じりに言われてしまうという、痛い状況に陥る怖さもあります。 ■7月7日 今日が七夕であることを今思い出しました。 小学生の頃に、学校のイベント(七夕集会)に向けて短冊に願い事を書いたときのこと。 先生や親に見られるのが嫌で、本心を書けなかった少年時代。 『大人達が子供向けに用意したイベント』という枠組みが嫌で、子供なりに屈折した考えを持っていたと思います。 そのとき私が書いた願い事は 『へいぼんなサラリーマンになりたい』 という大人を切なくさせる内容でした。 ■7月6日 ちょっと前に友人が口ずさんでいた歌、その名も『おっぱい』がまだ記憶に新しいです。 頭が悪いことを前提に口ずさみたい曲だと思いました。 何となくまた聴きたくなってネットを調べてみたら、見つけることができました。 しかも結構反響のあった曲だったらしいです。 (そうなのか・・・・・・。) 何度聴いてみても、シラフでは歌えない曲だと思いました。 この曲を作った人も聴いている私も、心に問題を抱えているのだと思います。 ■7月5日 大学の時、問題用紙も解答用紙も白紙で配られたテストがありました。 教授が一言、 「この教科で勉強した知識を書きなさい。」 (何?それ、、、。) 手ヌキとも感じられる反面、勉強した分だけ確実に点が取れるという、一夜漬けでヤマをはってきた生徒泣かせのテストでした。 他にも、 「テスト範囲を全て憶えておくように」 と事前に通告があった通り、本当に全ての問題が出てきたテストもありました。 また、毎年同じテスト問題の教授もいて、過去問を持っていた過半数が5分でテストを終わらせて、30分で9割方退席するという珍事もありました。 ■7月4日 「しまった!」 と実際に言っている人を見たことがありません。 よく考えたら自分でも言った記憶がないです。 本当に『しまった』という状況のときは、そんな言葉はでてこないのだと思います。 実際に口に出して言ってみると、その『しまった』感の無さに驚くことが出来ます。 ■7月3日 本を買っておいて読まないことがあります。 正確に言うと、本を読む時間をプライベートタイムに組み込めていない自分がいます。 そんなにスケジュールがいっぱいなのかというと、そうでもないです。 時間を作ろうと思えば多分いくらでも作れます。 私の中で『読書』という娯楽が、低い位置に設定されているからだと思います。 『長時間の電車移動や待ち合わせ・待ち時間などに、公衆の面前でインテリっぽく見える時間つぶし』というジャンル内では、かなりの上位に位置しているハズの『読書』。 原因は、会いに行く人もいなければ移動することも無いからということが明らかです。 ■7月2日 最高齢者へのギネス認定のニュースがやっていました。 ただいつも思うのは書類として証明できていないだけで、実際に高齢な人はもっとたくさんいるのだろうと思います。 インディアンや山岳民族の人たちなど、きっともっと健康的に歳をとれている人がいると思います。 ただ、そういう人たちは得てして自らのことを平気で150歳とか言ったりする傾向があるから信用されていないのだと思います。 実際の年齢よりも多くサバをよむという、ある意味ポジティブな感覚。 以前タイの病院で会ったじいさんは、自称130歳でした。 見た目は80歳くらいなのですが、 (そぅなのかな・・・、) と思ったりもしました。 でも、そのじいさんが油っこいチャーハンをバクバク食べている姿を見て、もう年齢とかどうでもよく感じた記憶があります。 ■7月1日 中学校の体育館に地下倉庫がありました。 跳び箱やイス、マットなどの様々な体育用具が収納されている所で、光の差し込まない真っ暗な場所でした。 普段はカギがかかっている場所だったのですが、いつのまにか開けっ放しになり、そこで語らう恋人達まで出始める始末。 暗がりに好き合う男女が2人きり、というシチュエーションが中学生なりにドキドキ感を提供してくれていたと思います。 私がその倉庫でサボろうかと考えていた矢先、誰かが入ってきたので慌てて隅に身を潜めてやり過ごそうと試みたときのこと。 でも、よりによって私の目の前僅か1M程度の場所に座り込み、語らい始める恋人達。 始めのうちは、良いネタが入ると思って息を潜めていましたが、基本的に恋人達の会話というのはラブラブである程、第三者にとって退屈極まりない傾向があると思います。 このあと何がどうなって何がおこったかは、当事者たちと思い出の中に秘めさせてください。 ■6月30日 久々にタイ料理を堪能してきました。 辛い料理は結構好きなので、 「辛い、辛い、、、。」と言いつつも汗だくになって食べてしまいます。 そんな私を見て、たまに友人から 「辛いものが好きって言ってたけど、結構からそうじゃん。」 と言われることがあります。 その問いかけを言われる度に思うのですが、辛いから好きなのであって、辛く感じてなかったらそれは辛いもの好きでもなんでもないと思います。 『掃除好き』と『綺麗好き』が必ずしも同意ではないことと似ています。 いや、全然似てないことは知ってる上で、ただ言ってみたかっただけです。 ■6月29日 深夜の時間帯、部屋中の音を消して目を閉じると、上の住人の足音に気づくことがあります。 車の音も聞こえない場所なので、気になりだすと結構眠れません。 立ったり座ったりしている動作まで頭に浮かぶようで、妙に敏感になった聴覚が正直うっとうしくも感じます。 同じ構造のワンルームの敷地内を移動していることを考えると、見てもいないのに、その部屋のモノの配置まで見えてきそうになります。 以前お寺で瞑想にチャレンジしたときも、このムダな想像力に悩まされた記憶が蘇りました。 ■6月28日 気になるニュースがありました。 注釈には、『シマウマ(ゼブラ)と馬(ホース)を掛け合わせた「ゾース(ZORSE)」。』と記載されています。 2つの英単語が組み合わさった造語、ゾース(ZORSE)。 抜群の安易さが漂うネーミングだと思います。 「私は、ゾース、か、、、。」 写真からも、そんなつぶやきが聞こえてきそうです。 ■6月27日 一人暮らしとタマゴは密接な関係にあります。 手頃な価格で入手できる上に、調理もしやすく栄養価も高い。 貧乏学生の偏った食生活に、ささやかな変化を与えてくれる重要なタンパク質です。 ある意味、食事にタマゴを使用する日は『ちょっと贅沢な日』という喜びもあった気がします。 そして『火を通せば平気』という建前のもと、本当は平気じゃないことを知りつつも食べてしまう魔力も持ち合わせています。 ■6月26日 ここ数年マクドナルド系のジャンクフードを食べていません。 でもたまに無性に食べてみたくなるときがあります。 別に我慢をしているわけでもないので、暇があれば食べに行くことは珍しくありません。 もっとも、近場にあるモスバーガーの目の前まで行くことはあっても、『価格』と『ボリューム』と『味』と『満足感』のバランスが納得いかなくて、いつも入り口付近で引き返えしてしまいます。 どれか1つだけ突出している個性は嫌いでは無いのですが、食べ物に関しては妙にシビアな自分がいたりします。 あくまでも『価格』だけにこだわっているわけでは無い、ということを全面に押し出しておきたいです。 ■6月25日 転んだり、ぶつかったり、ある程度の怪我を生じる直前に、子供の頃から共通して頭に浮かぶ言葉があります。 (面倒くさい・・・。) 自転車から空中に放り出されたときも、 避けきれない位置に車が迫っていたときも、 高所から岩場へ落ちていくときも、 いつも最初の感情は『面倒くさい』という想い。 その後の処置や病院通いによる、日常生活の様々な不便さを先読みした感情だったと思います。 実際に衝撃を全身に受けた後も、『痛い』よりも優先して口走る『面倒くさい』。 多分『痛い』と声に出すことの不毛さに、心が気づいていたからなのだろうと思います。 ただ不毛さにかけては、言葉が変わった今もあんまり変わっていないとも思います。 ■6月24日 ぺたぺたと道を横断している一羽のカモ。 私のアパートの目の前で、たまに見かけます。 時折立ち止まって、そしてまたぺたぺたと歩き出すカモ。 この何も考えていないような能天気さに癒される時があります。 でも場合によっては無性に腹が立つ時もあります。 そんな彼は、時に私に心のすさみ加減を教えてくれる指標でもあります。 ■6月23日 自転車で交差点を渡ろうとしたときに、バイクに乗ったおっちゃんが満面の笑みで私を凝視していることに気づきました。 「あ、どーも・・・。」 と、すれ違いざまに軽く会釈をするものの、誰なのかまったくわかりません。 顔や服装、全体の雰囲気、頭のてっぺんから足の先まで、どこを見ても自分の記憶に当てはまる部分が全く無いです。 こんなに見覚えのない人を見たのは久しぶりな気もします。 初対面の人以上に見覚えが感じられません。 多分、運命的に出会ってはいけない人だったのだろうとさえ思ってます。 ■6月22日 寝ているときに顔のそばで蚊に飛びまわられると、この上なくうっとうしいです。 ぷぁぁーーーーーーーーぁぁあああぁぁーーーーーーーんんぁぁん 微妙にウェーブを効かせた、やや高めの耳障りな羽音。 いっそのこと、いくらでも血を吸って構わないから、耳元で羽音だけは立てないで欲しいとさえ思います。 そもそも奴らは身体の大きさの割りに、燃費が悪すぎじゃないかと思います。 ■6月21日 学生時代、ファミレスでバイトをしていた時期があります。 学生は採用された時点で、『ホールスタッフ(接客)』と『厨房スタッフ(調理&裏方)』のどちらかに配属が決まります。 この配属はマネージャーの好みによって決められ、可愛い娘はホール、微妙な娘は厨房、という暗黙の決まりごとがありました。 バイトの面接に来ている娘を見かける度に、 「今度の娘はホールだろうね・・・。」 「あの娘は、、、内側かなぁ、、、。」 などという、いわゆる下衆の勘ぐりが絶えなかったあの頃。 もっともマネージャーの好みが一般的過ぎて、賭けの対象にすらなりませんでしたが、年に一度くらいの割合で予想外の配属に驚かされたこともありました。 ■6月20日 気分的に走りたいときがあります。 そんなとき実際に走れる状況にあったことがまずなかったと思います。 それなのにのんびり休みたいときに限って、走らなければならない状況に追い込まれることは多いです。 普段走っていない人間が100Mも走れば、息切れを通り越してノドの奥に激痛を実感できたりします。 しかもしばらくの間、 「ハァ、ハァ、、、」と息切れが続いて人前には出られません。 変質者に間違われるのではないかと不安になってしまうのは、心が病んでいるからなのだと思います。 ■6月19日 大学の後輩から 「部活の合宿に参加しませんか?」 という連絡がきました。 バスケ部の合宿なのですが、卒業してから10年近く経っていても律儀に連絡をしてきてくれます。 (当時、部内恋愛のるつぼだったあの場所は、今でもその伝統が残っているだろうか・・・。) 体力的な面は置いておいて、ちょっと行って見てみたい気もします。 ■6月18日 ここ数年ギャンブルをやってません。 その日の食費もままならなかった学生時代に、競馬で『確実に勝つ』とまでメディアが騒ぎ立てた馬に家賃を全額賭けようと決意したことがありました。 たまたまその日にお金を引き出すことが出来ず、自分の運の無さを嘆きつつも部屋で競馬中継を眺める昼下がり。 私に1.5倍の富をもたらす予定だった馬は、勝敗にまったく関与していなかったという衝撃。 それ以来競馬はスッパリ辞めたのですが、今思えば私のギャンブル運は中々なものだったのだと思います。 ■6月17日 『ガリ勉』=『メガネ』 そんな概念が成り立っていた約二十年前。 しばらくして、 『オタクのアイテム』=『メガネ』 というイメージが定着した時期があったのが約十数年前。 そしてここ数年の間に、 『お洒落アイテム』=『メガネ』 という流れが一般的に浸透してると思いますう。 ただ上記の要素はあくまでマジョリティとしてその時代の流行に乗っただけで、間違いなく以前の要素もマイノリティとして常に存在はしていたと思います。 確かなことは今私が『メガネ』をつけたところで、お洒落のレベルは一向にアップしないということです。 ■6月16日 「今日の仕事は釣りよ!」 そんな言葉で1日が始まる日がありました。 タイで『その日暮らし』をしていた頃に、月に1〜2回くらいの割合で言われた言葉。 その日は一日中釣り糸を垂らして過ごします。 釣り好きな人にはさぞかし羨まし過ぎる話に聞こえるかもしれませんが、案外そうでもなかったです。 要は『今日のオカズを釣って来い』ということなので、釣れるまで帰ることができません。 殺気、必死、焦り、餓え、欲望、、、、、、。 釣りの日は、私の周囲には様々なオーラが渦巻いていたと思います。 そこには趣味で釣りを楽しむ余裕なんて一切なかったです。 また、釣れなかったときに 「あそこの魚達は賢いからね・・・。」 と、決まり文句のように言われる一言が妙にせつなかった記憶があります。 ■6月15日 応援してたりファンだったりする芸能人が結婚したりすると妙に悔しいです。 (なにーーー!!) と、心の叫びが出てしまいます。 出演ドラマや映画などの名場面が頭をよぎります。 数秒後、 (・・・・・・・・・そっか。) と、アッサリ気持ちの整理がつきます。 多分気持ちの整理と言うほど、話したことのない人に思い入れなんて無かったのだろうと思わされます。 ■6月14日 『風水』というジャンル。 この風水を調べてみると、この部屋に色々な問題が生じていることがわかります。 金運が上がる風水、恋愛運が上がる風水、仕事運が上がる風水、人間関係が良くなる風水、、、、、、。 部屋の方位とか、ベッドの位置とか、カーテンの色とか、風水的にどんどん酷評をされる私の部屋。 私がモテないのも、お金が貯まらないのも、頭が良くないのも、きっと全てこの風水的なものが原因なのだと思うことにします。 ■6月13日 いつも朝食を食べません。 たまには朝食をちゃんと食べてみようと思って、近場の生鮮市場へと向いました。 無難に『朝定食(525円)』を注文。 市場の隣の食事処だけに美味しくシンプルな魚定食が食べられます。 しかも、食堂のおばちゃんがご飯を大盛りによそってくれます。 『1日の活力は朝食から』というのは知っていますが、慣れない朝食は胃がもたれます。 しかもお腹一杯になって、仕事中に眠くなるという副作用付きでした。 ■6月12日 沼津の献血ルームに行ってきました。 5年ぶりくらいに成分献血をしたのですが、献血ルームのサービスは嬉しい反面、過剰だとも思います。 その帰り道、ドンキホーテで買い物。 出口付近でくじ引きみたいなのが引けて見事『2等』が当選。 「ああ!凄い!2等ですよ!」 「はぁ、、、。」 「もっと喜んで下さい!」 「はぁ。」 話を聞くと、どうやら有線の受信機みたいなのが当たったらしいです。 自宅で有線が聞き放題というサービスが受けられる機械。 (これは・・・・・・少し思い当たるフシがある。) ”詐欺”とまでは言わないまでも、確か当選を利用して契約を結ぶキャッチの一種があった気がします。 実際毎月6千円程の受信料が掛かることを、私が聞くまで説明しないという胡散臭さ。 満面の笑みでフレンドリーに説明をしていたお姉さんが、 「契約しません」 の私の一言で、瞬時に無表情になる様が凄かったです。 ■6月11日 仕事中、忘れないようにメモをとることがあります。 処理し終わったメモは、もちろん机の上から整理していきます。 そんな中、処理できないメモが一件。 一気に3つ4つの仕事を同時進行していたせいか、何でこのメモをとったのかが思い出せません。 間違いなく私の字で、 『土よう カレーとまぐろ』 と、書いてあります。 これの詳細を思い出すのに結局小1時間程かかる痴呆ぶり。 自分のメモ能力を棚に上げて、実用性の無かったメモが腹立たしいです。 ただ、予想外にこれがちゃんとした仕事のメモだったという意外性はありました。 ■6月10日 以前付き合っていた彼女に、 「男が洋式トイレで小用を足したあとは、便座を下げておくのがエチケットなのよ」 と、言われたことがあります。 男性が女性に対する気づかいというか、いわゆるマナーらしいです。 「・・・じゃあ、女性の場合は便座を上げておくのがエチケットなんじゃないの?」 と、いう私の素朴な問いかけは、 「それは屁理屈よ」 と、にべもなく速攻で却下されてしまった淡い記憶。 しかもその後の 「・・・トイレだけに?」 という私の返しは、軽〜く無視もされました。 当時はなんとなく納得してしまったのですが、何故それが屁理屈なのかがいまだによくわかりません。 ただ、『トイレだけに?』のくだりは無視されても仕方が無かったとは思います。 ■6月9日 パリに住んでいるビジネスマンの友人から携帯にメール。 彼からメールが来ることは珍しいです。 年間に1〜2回あるかないかといったところです。 内容はというと、今時小学生でも言わないような『うんこ』がらみのギャグが一言書いてあるだけでした。 私が返信しても、また似たような一言が返ってきます。 彼とは会話のやりとりが出来ない不思議な関係のまま、ずっと会ってません。 ■6月8日 旅行に行く予定もないのに本屋の旅行雑誌コーナーで『るるぶ』とかを読んでしまうことがあります。 (ここは面白そうだな・・・、ここは結構安いかも・・・、いや、ここも悪くない・・・。) (・・・・・・。) (・・・・・・・・・・。) (・・・・・・・・・・・・・・・・・。) (・・・・・・・行かないけど。) 読む雑誌は毎回違うのに、結論は毎回同じという妙。 かつて私が沖縄に住んでいた頃に仕事で書いたねつ造体験記が、未だに広告として使用されていたのが面白かったです。 ■6月7日 天気予報で『雨』とあったのでカサを持って出勤。 予報通り帰り際には雨が降り、得意気にカサをさして歩く帰路。 自分が予報したわけでもないのに、先を読んだ行動に酔いしれたりします。 数分後、窓の外でビショ濡れになった洗濯物を前に、ため息が止まりません。 ■6月6日 ちょっと前にテレビCMでタレントの優香氏が 「♪カクテルなのにカ〜ロリ〜オーフ!!」って歌ってたメロディが忘れられません。 あの上手く歌おうとしていない、いさぎよさが凄いと思います。 何度聞いても面白いです。 一昔前に布施博がクラシアンのCMで歌ってたアレも凄かったですが、それを上回るインパクトがあります。 最近そのCMを見かける機会に恵まれず多少物足りなさを感じていたものの、サントリーのサイトでそのメロディを試聴可能なことを発見。 やっぱり何度聞いても面白いものは面白いです。 ■6月5日 『自分を一つの会社として考えると、行動が無駄なく組織的になる』 どっかの社長が何かの雑誌で言ってた言葉だったと思います。 ちょっと印象に残る言葉だったので何となく憶えているのですが、改めて自分を見つめなおしてみると、この会社は倒産寸前なのだなと思います。 今日はティッシュを買いに行った矢先、『アイス全品2割引』に魅かれてティッシュを買い忘れるダメ会社ぶりを発揮しました。 ■6月4日 気がつくと午前3時ぐらい。 パソコンの前で力尽きていたようで、とりあえずそのままモソモソと寝支度を始めました。 頭がボーっとしていて、いつの間に寝たのかがいまいち思い出せません。 パソコンを閉じようとブラウザを消していく中、インターネットで『占い師』と検索している画面がありました。 私がその検索に辿り着いた経緯がよく思い出せません。 いや、ぼんやりと思い出しかけてはいるのですが、思い出すべきではないという精神的な力が働いていると思います。 ■6月3日 気分的にスルメが食べたくなったので近所のスーパーで購入。 商標は『みだれ足』。 綺麗で上品なものを好む日本人を相手に、みだれていることを全面に押し出した前衛的な一品だと思います。 いつか私も胸を張って『みだれ』を強調しつつも、こうして社会的に認められるような存在になりたいです。 ■6月2日 掃除をしたいときに時間が無いことはよくあります。 朝の忙しい時間帯に、細かい汚れが凄く気になったりします。 時間が無いので掃除は先送りにしますが、結局そのままで、いつまでも本格的な掃除が出来ません。 時間が空いたときには好きなことをして、時間が無いときにはやりたくないことをやろうとしているからだと思います。 結果、自分にとって面倒なことは時間がなくて出来ないという言い訳のもと、今日までやらずに済んでいます。 自分に嘘をつかない大人の処世術が光ります。 ■6月1日 今時まだボールマウスを使用しています。 ちょっと動きが悪くなってきたので分解掃除をしてみることにしました。 調べてみるとボールの周囲の部品にホコリが大量に付着していたので、軽く掃除。 人は思わぬアクシデントの際に、周囲の時間の流れがスローモーションのようにみえることがあります。 私の手を滑るようにゆっくりとマウスが落ちていき、部品の一つ一つが床の上でバラバラに散乱する光景が繰り広げられます。 今でも脳裏で何度でも鮮明なスロー再生が可能です。 脳の中でも無駄な機能だなと思います。 |
■トップページへ |