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春はピンク色から始まる季節『2008年・春』です。
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■5月31日

「○○さんは、きっと年上の女性に人気ありますよ!」
って年下の女性に言われました。

微妙だなと思いました。


多分年上の女性からは逆のことを言われるのだろうなとも思います。




■5月30日

身体がズッシリと重いです。

物理的に体重が2倍くらいになっているような気さえします。

肉体疲労時によく生じる現象です。


身体がそんな状態のときは、そのぶん頭の中が軽くなっているのだと思います。

考えて行動することが出来ないうえに、つい迂闊なことを口走ってしまいそうにもなります。

身体を動かすのがしんどいからなのか、とりあえず口だけが顕著に動きます。


身体が重くなったぶんのバランスを、口を軽くすることで対応しているのだとしたら、我が身体ながら雑なコントロールをしているものだと思うことにします。




■5月29日

眠いときというのは、たとえほんの数秒でも眠りたいと思います。

パソコンが処理動作を行う4〜5秒の間だったり、ドアの鍵を開ける際に立ち止まる1〜2秒の間だったりと、とにかく瞼を閉じたくてしょうがなくなります。

あわよくばそのまま寝てしまおうというメンタルな部分と、次の動作へと身体を動かすフィジカルな部分のバランスが崩れる一瞬。

フッと記憶が途切れ、重力のままに身体が床へと向かって加速度を増す刹那、危険を察知するのか身体だけが反応してくれます。

一瞬記憶が飛んでいるのでハッキリとは憶えていないのですが、フラッとよろけつつもそのまま倒れないあたり身体の防衛機能はたいしたものだと思います。


さっきトイレに行ったときは、倒れる以前に色々と大惨事になるところでした。

あぶないところでした。


それをさせなかったのは、人間の持つメンタル面の防衛機能だったのだろうとも思います。




■5月28日

バラといって思い出すのは、多分赤色のバラが一般的だと思います。

赤い色のバラが日本人の持つバラのイメージなのだと思います。

そんなイメージを踏まえて、『バラ色』って何色だろうと思います。

『バラ色の人生』という表現を、『赤色の人生』と言い換えると途端にダークなイメージへと変わってしまう気がします。

『バラ色の人生』=『華やかな人生』という意味合いがあるらしいですが、じゃあ別にバラでなくても花なら何でもいいだろうとも思います。

『カスミ草色の人生』
『タンポポ色の人生』
『サルビア色の人生』
『菊色の人生』

途端に侘しさや、どうでもよさや、切なさがただよいだす人生。


私の人生も『バラ色』とまではいかないまでも、せめて『スズラン色』くらいは期待してもバチは当たらないだろうと願いたいです。




■5月27日

「それは『ピー』してからじゃなきゃ食べちゃダメよ。」

近所のスーパーにて、会計前にお菓子を食べようとしていた子供を母親がそう言ってたしなめているのを耳にしました。

バーコードリーダーが主流の今、レジを通すことを『ピーする』と子供にわかりやすく表現たのだと思います。

(ピーする、か、、、。)

(ピーしてからじゃなきゃダメよ、か、、、。)

色々なことを想像してしまうのは、私が大人になってしまったからなのだと思います。


人の多い場所でひとりニヤニヤしていると、いろんな人から社会的にダメなものを見る目で見られてしまうので気をつけたいです。




■5月26日

コンビニでなんとなく買ったヨーグルト。

プロなんとかヨーグルト

下のほうに『森下仁丹(株)との共同開発〜』と記載されていることに気づきました。

『仁丹』って響きがなんとなく懐かしいです。

そういえばウチの父親も、昔『仁丹』を愛用していたと思います。

あのちっちゃい銀色の粒々。

効能の中に口臭予防というのがあったと思いますが、子供ごころにそのニオイ自体がクサいと感じた記憶もあります。

10年以上前の中高年が口臭予防と引き換えに身につけていた『仁丹臭さ』。


私達も中高年になる頃には、『ブレスケア臭い』とか思われる日がくるのだと思います。




■5月25日

以前タイのとある農園にいた頃、その農園で『ナーセック』という名のネコが飼われていました。

額から鼻先にかけて、線を描いたような模様がある特徴的な顔のネコ。

『ナーセック』という名前の響きが好きで、結構お気に入りでもあったので、よく呼びかけていたことも憶えています。

タイ人のネーミングのセンスの良さすら感じていたあの頃。


ある日、ナーセックの名付け親でもある農園のタイ人スタッフに聞いてみたことがある。

「『ナーセック』ってどういう意味ですか?」
「ん?ああ、『顔にラインがある』っていう意味だよ。」
「(・・・・・・・・・・・・そうなのか。)」

そのとき初めて、そのネーミングはどうなのかと思いました。


日本人と違って、タイ人が名前を付けるときは信じられないくらいに何も考えていないということに気づくのは、それからずっと後のことだったと思います。




■5月24日

ふと窓の外に目を向けると黒猫が座ってました。

不吉なイメージを持たれている傾向がある黒猫ですが、実際は幸運の象徴としてみられている例のほうが多いそうです。


調べてみると、魔よけ厄除けに加え、恋煩いにまで効果があるとされていたりもするから驚きです。

カーテンの隙間から窓越しに隠し撮りをしようとコッソリとシャッターを切ってみました。

きっと良いことがありそう、、、。
思いっきりカメラ目線の黒猫。

どうやら私の行動はバレバレだったらしいです。

しかも幸運をねだっている私の下心を見透かすような眼光。


とりあえず良いことが起こると信じることにします。




■5月23日

仕事の都合上、とあるサポートセンターと電話のやりとりをしました。

こちらの質問に対する新米オペレーター(多分)の対応が全然要領を得ませんでした。

(いや、聞いているのはそういうことじゃない。)

(さっきと言ってることが違うだろう。)

間に口を挟むのは好きじゃないので一通り聞いてから再度確認してみるものの、いまいち説明の理屈があってません。

たぶん向こう側もよくわかっていないのだと思います。

仕方が無いので、こちらが順序立ててオペレーターの説明の間違いを説明したりもしました。

解決どころか先へ進む気配すら感じられないまま、迷走していく電話のやりとり。


そして23時を回っても、一向に終わる気配をみせない私の仕事。




■5月22日

白衣を着る仕事をしていたことがあります。

血液検査室で働いていた為、一日に数千の血液検体を処理していく中、白衣に血が付くことは珍しいことではなかったです。

場合によっては大量の血液が白衣にベットリとつくこともありました。

基本的に白衣は全員まとめてクリーニングに出すのですが、血がついた白衣は業者が持っていってくれないらしく、そのまま手元に戻ってきてしまうことも多々ありました。

仕方が無いので自分の家の洗濯機で洗うハメになるのですが、面倒なのでしばらくそのまま着ていたりすることもあったと思います。

その他様々な染色液の影響もあり、ムラサキやピンクなどの強烈に派手な色素も付着していく白衣。

白衣の清潔感どころか、芸術家を彷彿とさせるような服装の人たちがうろついていた検査室。

他の検査室の人たちから、
「その白衣はどうなのか?」
とツッコまれることも多々ありました。

今思えば、知らない人なら近寄ることもためらうような異様さがただよっていたような気がする検査室。


例に漏れず私もその中の一人ではあったのですが、人目につかない裏方の人間にとって、それはあまりにも普通すぎる日常の1コマだったのだなと思います。




■5月21日

朝型か夜型かと聞かれると、どっちでもないと思います。

なんだそれはと思われるかもしれませんが、多分そうなのだと思います。

毎朝早く起きていれば朝に強くなれるし、毎晩夜更かししていれば夜に強くなれてしまうのだと思います。

でも朝に強い人は夜に弱いし、夜に強い人は朝に弱いというバランスはとれているようなことも言えると思います。


そんな過程を踏まえて、朝早くに起きて深夜帯まで活動する日が続いた場合、統計的に自分が朝に強いか夜に強いかが実感できるのではないかとも思います。


面倒なので結論から言うと、そんな生活をしている人間は朝も夜もまんべんなく精神的に不安定になっていくだけなのだとも思います。




■5月20日

昨日の時点で風邪を引いていたのかもしれません。

朝起きたときに今日は異様な寒さだなと思っていたら、着ていたTシャツが寝汗でぐっしょりでした。

もともと風邪の自覚があまりなかったことと、汗をかいたこともあってかそれほど体調も悪くはなかった朝。

幸い今日は仕事が休み。

全快することを願ってもうちょっと寝てみることにします。



結論からいうと、最初に起きた時点で着替えをするべきだったのだと思います。

休日の午前中を犠牲にして、自覚できるくらいにまで成長した風邪の症状。


症状を朝の状態にまで戻すことに専念した休日の午後。

そしてまた全快を目指す休日の夕方。


今後の休日は、せめて休日であることを目指していきたいと思います。




■5月19日

『ピンチはチャンス』などという言葉。

窮地に陥ったときこそ自らが成長するチャンスでもある、ということなのだと思います。

こういう話を聞いているときは、気分が向上して前向きな気持ちになれます。

過去のピンチを切り抜けて成長してきた自負がそうさせるのだと思います。

もうピンチなんか怖くないし、むしろ受けてたつくらいのイキオイだったりもします。


でも実際はピンチの際にそんなポジティブな思考なんて持てるハズがないのだと思います。

そんなことを考える余裕が無いからピンチなのだと思います。


基本的にチャンスと思えるピンチなんて無いのだとも思います。




■5月18日

この前友人の母親の話を聞く機会がありました。

「女性はね、『妻』と『母』の比率は『妻』のほうに重点をおかないとダメよ。だって子供が育てばいつかは『母』から『妻』に戻るんだからね。」


人生の先輩の言葉は聞いていて面白いし、妙に感心してしまうフレーズがそこここに表れるのがいいです。

別に私は結婚もしていないし女性ですらないのですが、きっとその通りなのだろうなと納得していた記憶があります。


でも改めて考えてみると、多分『妻』と『母』の部分が反対だったとしても、それはそれで納得出来てたんじゃないかという気もします。

おそらく目上の人が言っているのであれば、何でも納得してしまう性格なのだと思います。


お手軽に騙されて不思議な壺を増やしていくタイプなのだと思います。




■5月17日

タイに住んで居たとき、食文化の違いの話題で村人たちと盛り上がったことがあります。

村の中に日本人は私一人だったということもあって、現場は孤軍奮闘の様相を呈していました。


「日本人は魚を生でたべちゃうんだってな〜!!」

そんなタイの若者の言葉に、やや異質なものを見るような視線が私に集中。

日本人側として言わせてもらうと、タイ人が豚肉や鶏肉を平気で生で食べていることにツッコミを入れたいところです。

「タマゴも生で食べちゃうらしいよ!!!」

そう言いながら、飛んできたカブトムシを捕まえて口の中に放り込む彼。

文化や価値観はそれぞれなのだなと思わされます。


『多数決』という『常識』の中で、完全にマイノリティとして笑い者にされた一日。




■5月16日

お寿司をごちそうになってきました。

三島の穴場・お寿司屋さん『寿みた』

口にする度に思わず目を閉じてうなってしまう贅沢な味わい。

今までの外食人生の中で、確実にベスト3には入る美味しさだと思います。

オゴってもらっておいて言うのもなんですが、思いの他リーズナブルなのも嬉しいです。

でも基本的に私が美味しいと評したところで、お店側にとってあんまりプラスにならないような気がしないでもないです。

まぁ、ちょっと検索すれば簡単に探すことも出来るので、その辺は各々の自主性におまかせします。


決断を他人に委ねることで、『力石のブタ抜き』のごとくスルスルと問題をかわし、責任を逃れていく処世術。




■5月15日

『色んな意味で〜』という表現をたまに耳にすることがあります。

ある物事に対して直接的に言うのを避けて、且つ含みを持たせた言い方として重宝されるこの表現。

使いやすいこともあって私もたまに言ってしまうことがあるのですが、その度に後悔の念に襲われます。


「色々な意味で美味しい、、、。」
「色々な意味で寒い、、、。」
「色々な意味で使えない、、、。」


本当は色々な意味なんて無いと思います。

せいぜい2通りぐらいの意味しか含まれていないと思います。

上手い表現が直ぐに出てこないときや考えるのが面倒なときに、この言葉で誤魔化しているのだと思います。

それでも聞き手側には、深い意味があるように錯覚させてくれるこの表現。


今後は自分自身を評価するときのみに使用していきたいと思います。




■5月14日

昨日墓参りに行ってきて、小一時間しっとりと雨に降られてきました。

そのせいか帰りは微妙な頭痛と熱っぽい感覚。

とりあえずアイスとジュースを2個ずつ買って、食べ歩きながら家路につきました。

熱っぽい身体を内側から冷やす心地よさ。

そしてアイスが無くなったら途中のコンビニで補充。

自分の好きなように行動できるのが大人のいいところなのだと思います。

アイスを食べるほどに頭がぼんやりしていくのがわかります。

部屋に着いた途端に倒れ込むように寝たのですが、タクシーで帰ったほうが確実に安上がりだったとも思います。

でも寝込んでいる間は食費が浮いたので、五分五分だったと思います。


これからも風邪の引き始めには、大人の対応をとっていきたいと思ういます




■5月13日

学生の頃、おばさんたちの香水の匂いが理解できなかったです。

どう考えてもイイ匂いではないし、むしろ気分が悪くなっていたと思います。

「なんで大人はみんなあの香水をつけてるんだろうねぇ?」
という私の疑問に対し、友人の一人が
「きっと俺たちも、いつかあの匂いにグッとくるようになるんだよ、、、。」
と悟ったようにつぶやいていたのが記憶に残っています。

そのときは、その友人がちょっとカッコ良く感じたりもしました。

きっと彼はその時既に大人の階段をのぼりかけていたのだと思います。


私の場合、今までの人生において何故だか香水をつけている女性との関わりが極端に少ないです。

だからなのか、今でも香水は好きじゃありません。


私に大人になりきれていない要素があるとするならば、それは周囲に香水をつけている女性がいないせいなのだと思いたいです。




■5月12日

かえるが目立つ季節になってきました。

我が家のかえるくん
窓を開けるといつも定位置に居座っているヤツ。

やや太り気味で、貫禄すら感じる風体。

多分毎日同じヤツなんだろうなと思います。


顔を近づけてみてもカメラを近づけてみても、微動だにしないふてぶてしさ。

指で背中を軽くぷにぷにと触ってみても、まったくの無視。


多分私はかなり下のほうに見られているのだろうなと思います。




■5月11日

美味しいものを食べると、単純に人は幸せな気分になれます。

だから美味しい料理を作れる人は、それだけで人を幸せに出来ると思います。

でも、料理が上手い人の功罪として、食べた人の幸せのハードルを高くしてしまうということも考えられると思います。

裏をかえせば料理下手な人は、食べた人の今後の幸せを増やしてくれているということになると思います。

ある意味それは、日々の日常に幸せが転がっている状態とも言えなくもないです。


この考え方は、当時料理が下手な人への励ましの言葉で使ったことがあります。

根本的な問題に一切触れようとしない励まし。


その効果は極めて不評だったと思います。




■5月10日

眠らなくても平気なときがあります。

お腹が減っていなければ無理に食べなくてもいいように、眠くなければ夜遅くても無理して寝る必要は無いと思います。

以前1日1〜2時間の睡眠で数年間過ごしていたことがあって、それ以来、身体が慢性的に睡眠不足慣れしてしまっている傾向があります。

今でもたまに夜寝ないで過ごす日があったりするのですが、それほどしんどさを感じていないような気がします。

身体がだるいような感じもあまりありません。

でも最近、気がつけば風呂の湯船で力尽きて寝ていることが多いのは、やっぱり疲れているからなのかなとも思います。

自己管理とかいう以前に、『感覚』を一から学ぶことが必要なのだと思います。


大人として、『目が覚めたら全裸で風呂場』というシチュエーションは、出来れば月イチくらいに抑えておきたいです。




■5月9日

今日は夜遅くから雨の予報がでてました。

カサをなくしてから、日々の空模様に敏感になっています。

大丈夫だろうとは思いつつも、一応昼のうちに洗濯物を取り込んでおきました。

とりあえずこれで雨が降ってきても、自分が濡れることを心配するだけでいいので安心です。

そんなときに限って雨は降らなかったりするものなのだと思います


実際雨が降り出したのは深夜帯。


そして今、水をしたたらせながら部屋に帰ってきたばかりの自分。

(27時過ぎか、、、。)


きっと世の中には、あらがい難い事象が運命として存在しているのだと思います。




■5月8日

喫茶店や飲食店の会計時でもめるのが嫌です。

よくおばちゃんたちとかが、私が私がと伝票を奪い合っているのを見るとアホらしく感じます。

私はそんな行為をしないように、会計の主張は1回までと決めていいます。

「ここは私が払いますよ。」
「いや、いいですよ。私が払いますよ。」
「いやいや、私が払いますって!」
「そうですか、ではお願いします。」

10秒足らずで不毛なやりとりが終わってくれます。

基本的にオゴりたいと言っているので、オゴってもらうことにさほど抵抗はないですし、たとえ相手が年下だろうが、払いたいのならば払ってもらっていいのだと思います。

それで相手が満足するのならば、何の問題もないとも思います。

決して自分がオゴりたくないわけではないし、むしろオゴりたいとすら思っていますが、もうかれこれ年単位で人にオゴっていません。


最近ではすっかり油断して、財布の中に千円ぐらいしか入っていなかったりもしますが、なんとかなってしまっているのがタチが悪いと思います。




■5月7日

何事にも先入観を持つのは良くないと思います。

もとより他人の評価や批評を気にするほうでもないので、物事の良し悪しは基本的に自分で判断してしまうことが多いです。

そういう行動をとっていると、ものすごく失敗が多かったりもします。

物事をまだよく知りもしない人間が、自分の範疇で世の中を相手に出来るほど、世間は甘く無いのだと思います。


でも結局は自分で失敗してみないと気づけない性格でもあるので、ある意味合理的なのだろうとも思います。




■5月6日

以前世話になっていた栃木のキャンプ場に行って来ました。

快晴の日差しが降り注ぐ日中においても、常に涼しい快適空間。

5年ぶりなので結構感慨深いです。


ゴールデンウィークも最終日で、お客さんもほとんどいない静かな午後。

当時みんなで作成したログハウスたちもちゃんと現役でがんばってました。



観光客の方々が一気にタケノコをむさぼっていった竹やぶを避けて、裏手の手付かずの竹やぶへ。


2〜3分で簡単に収穫できる。ついつい夢中になってどんどん獲っていきたい衝動に駆られてしまいます。

ほどよく小ぶりのものを、荷物にならない程度の量で止めるのがポイント。


ちなみに管理人さんのご夫妻にはちゃんとアイサツしています。

決して勝手に行って勝手に獲ってきているわけではありません。


我ながら大人になったのだなと思います。




■5月5日

最近見かけたCCレモンのテレビCM。

♪5時間目まで チャック全開 情けない〜♪
♪5時間目まで チャック全開 情けない〜♪
♪誰か言ってよ! そんなときには♪
♪Let's C.C.Lemon!!♪


彼が5時間目までトイレに行っていないことが単純に凄いと思いました。


もし彼がトイレに行っていたのだとしても、それはそれで凄いとも思います。




■5月4日

イヤなことを先送りにしてしまうことはよくあることだと思います。

やらなきゃ、やらなきゃ、と考えながらも中々手につかなかったりもします。

そしてそんなときに、予期せずしてさらに凄くイヤなことが起こったりもします。

まさに『泣き面に蜂』と思いがちなのですが、その場合、案外最初に感じていたイヤなことが、そうでもなくなっていたりもします。

新たに登場した凄くイヤなことを先送りにするために、とりあえず最初のイヤなことをやろうかという気になったりもします。

そして実際にやってみると、確かにイヤではあるものの問題が一つ解決に向かい、身軽になれたりもします。

イヤなコトは細かい面倒事を一気に片付けてしまえるイイ機会だったりもします。

『悲しみは新たな悲しみが癒してくれる』というネガティブな名言もあります。

そんな考え方もあります。


文章の語尾が断定ではなく、『〜だったりもします』としているのは、そうではない救いようのない事態が現実にはあるということが、無意識にそうさせているのだとも思います。




■5月3日

マスカットの香りつきトイレットペーパー

特売だったトイレットペーパーを購入。

よく見ると『マスカットの香り』と記載されています。

なるほど確かにほんのりと芳香が感じられます。

でも、それはどうなんだろうとも思います。

そんなささやかな香りでは誤魔化されないという現実を気づかされるだけじゃないかと思います。

いや、むしろ再認識というべきか、、、。

この中途半端な微香が、今後のトイレタイムに新風を引き起こす予感。


便座に座る姿勢がそのまま落ち込むポーズにならないように、強い心を身につけていきたいと思います。




■5月2日

「何か食べたいものある?って聞いたときに、なんでもいいって答えられるのが一番困るぅ、、、。」
という女性のセリフはよく耳にします。

確かに突然聞かれるとスグに答えることができず、
「なんでもいい」
と答えてしまうことはよくあるかもしれません。

でも
「じゃあハンバーグで。」
とか言ったら言ったで、大抵
「え〜、面倒くさい、、、。」
という否定の言葉がかえってくることもよくある話だと思います。

とどのつまり『何か食べたいもの』とは、聞き手の意思とは無関係に答えが既に存在しているものなのだと思います。

多分、『カレー』とか『そうめん』あたりが正解なのだろうと思います。


「何か食べたいものある?」という問いかけが、
「私がラクして作ろうと思ってる今夜の夕食を当ててごらん?」
ということと同義語なのだと気づくことが、円満な大人の会話への第一歩なのだとも思います。




■5月1日


今年に入って何度目かの布団干しっぱなし。

朝の7時から約16時間の長期にわたって外の空気にさらされていた布団。

しかも今日は敷布団も一緒に干してあります。

こうなることは容易に予想が出来るハズなのですが、毎回昼過ぎぐらいにならないと気づけません。

もちろん気づいてもどうなるものでもないです。

この場合、今夜の寝床の冷え具合を予想しておくことが重要です。

私のように布団干しっぱなしのベテランになると、後悔の念なんて微塵も感じません。

一番大切なのは、布団の冷え具合を予想の範疇にしておくということです。

むしろ、
(案外冷えてなかったな、、、)
と思えるぐらいのレベルまでの低い予想が理想です。

マイナスの要素から、ちょっと幸せな気分をつかみとるチャンス。

自分を傷つけない為に長年培ってきた『最悪の予想テクニック』。


そして今日も、全身に冷えピタを貼り付けられたような悪寒を感じる布団が私を待っています。




■4月30日

近所で断水になったというニュースが流ました。

そういったインフラの使用制限を聞くと、沖縄に住んでいたときのことを思い出します。

西表島に住んでいた頃は、台風の度に停電・断水が3〜4日は続くことがよくありました。

外は暴風雨で出られません。

窓を開けることなどもってのほかでした。

停電でエアコンもつけられない締め切った部屋の中で、真夏の湿度を存分に体験していたあの頃。

狭い部屋でロウソクなんかをつけていたので、かなりの不快指数でした。

ただ、唯一仕事を休める自然現象だったので、それほどイヤでもなかった記憶があります。

何もしない時間を過ごせることが至上の幸せだったあの頃。


不便な状態は裏を返せば幸せいっぱいの状態でもあるのだと思うことがあります。




■4月29日

小学生や中学生の頃、授業中にメモ書きをして席の離れた友人に回して伝え合うということがよくあったと思います。

ケータイなどが無い時代の、学生苦肉の策の一つ。

特に女子の間で多かったと思います。

先生が黒板を向いている隙に、生徒の間で席から席へと回されるメモ書き。

思春期真っ只中の頃ということもあり、クラスの女子たちがどんなことを内緒で伝え合っているのか凄く興味を抱いたことを憶えています。

一説によると、誰が誰のことを好きかだとかの恋愛事情が赤裸々に書かれていたという話でした。

(ひょっとして自分のことが書かれているのではないか、、、。)
(もしかして○○さんの好きな人が書かれているのでは、、、。)

メモ書きが回ってくる度に、誰と誰がやりとりをしているのかをチェックしては、自分を絡めた関係を想像し一喜一憂していたあの頃。

実際は9割方が単なる日常会話だったらしいですが、若かりし頃の想像力は凄かったのだと思います。

教室の片隅で、壮大な妄想ラブストーリーの世界へ逃避していたあの頃。


人の話を真剣に聞いている様にみせながら、まったく別のことを考えるスキルは、多分その頃には確立していたのだと思います。




■4月28日

今日1日の一瞬で、結果約18万円ほどの個人的な損失を出しました。

約束を破るということは相応のリスクを負うことなのだと改めて思います。

むしろお金で済んだという時点でそれはたいした問題ではなかったのだとも思います。

ほとんどのことはお金で解決できると思いがちな反面、本当に必要なことは案外そうでもないということに薄々気がついてきています。


ちょっと達観しているようなイイコトを言うことで、そんなセリフを吐くには程遠い考え足らずな自分をぼやかしておきます。

『妥協』は『解決』とは違います。




■4月27日

「これは!変な誤解を生むチャンスですよ!」
「いや、ピンチだから、、、。」

トラブルのさなか、慌てない手段として有効なのは天然ボケの人間がそばにいることだと思います。

冷静なツッコミを入れることで、頭の中を慌てる前の状態に戻すことができます。

もっともそれで状況が解決するわけではないということは痛いほどわかっています。

慌てる慌てないに関わらず、避けようの無い現実というのはあるのだと思います。


この状況の詳細や結果を書かないことからも、そこは察してください。


さっきふと思い出した過去の追憶。




■4月26日

『鼻くそ』の上品な言い方がわかりません。

『目くそ鼻くそ』とか言いますが、『目くそ』のほうは『目やに』という言い方ができるぶんまだいいと思います。

『耳くそ』だって『耳あか』とか『耳かす』とか言い換えることができます。

『歯くそ』も一応『歯垢』と呼ばれ始めて久しいです。

『へそ』にいたっては分不相応に『ごま』などと呼ばれたりもしています。


そんな中、孤立して扱いが悪い『鼻くそ』。


上品な女性も『鼻くそ』と向き合うときは、やっぱり『鼻くそ』と言うのだろうなと考えると、ちょっとワクワクしたりもします。

誰に対しても平等に『鼻くそ』でありつづける『鼻くそ』は凄いとも思います。


『鼻くそ』の上品な言い方がわかりさえすれば、きっとこの文章も上品なものに変わるのだろうとも思います。




■4月25日

眠さと疲れで頭がよく回りません。

こんな状態になるまで活動しているのも考えものだとは思います。

もっとも、頭がよく回らないのは眠気や疲れ以前の問題です。

もちろん、そんなことはわかっています。


これからも、日々頭が回らない理由を探しながら、自分自身をあたたかく見守っていきたいです。




■4月24日

朝から雨が降ってます。

外に出てからカサが必要なことに気づいて玄関に戻りました。

玄関にカサが無いことに気づいて部屋まで戻りました。

押入れとかを開けながら、カサの行方に想いを馳せるひととき。

いや、朝からそんな黄昏れている場合じゃないです。

そもそも押し入れにカサが入っていないことぐらい分かっています。

多分、飲み屋か駅のホームか新幹線の車内かタクシーの中かコンビニか会社か、、、。

考えるほどに全然絞り込めないむなしさ。

いたずらに時間だけが過ぎていく朝。


濡れることから始まる一日。




■4月23日

物事はすべからく考えてから行動する必要があると思います。

でも最近、『考えないで行動しなさい』という中々デンジャラスな指摘をされました。

もちろん言いたいことは何となくわかります。

私の場合特に、考えすぎてタイミングを逸してしまうことは珍しいことではないので、わかってはいるつもりではあります。

ただ私の場合、一般的な人よりも考える能力が足りない傾向もあります。

熟考して熟考してようやく人並みの行動がとれているのだと思います。

行動すればよかったと感じることより、行動しなくてよかったと感じることのほうが格段に多いです。

「とりあえず考える前にやってみました〜。」
などと言って結果が失敗だった日には、目も当てられないと思います。

もちろんやったことがないわけではないです。

周囲からの悲しみのつぶやきと落胆の溜息を欲しいままにしてきた私。

頭の良いやつからポジティブな指摘を受ける度に、何も考えずに殴ってやろうかと思うことも多いです。


もちろんそれをしないのは、私が常に考えられているからなのだとも思います。




■4月22日

とりあえずベラベラと話していると、無意識にでた言葉なのに相手に強い印象をあたえていることがあります。

無意識にでた言葉なので、本心でもなければ速攻で忘れているようなことだったりもします。

良い印象ならまだいいのですが、往々にしてそうでないことのほうが多いです。

言い方を変えれば、後者のほうが印象に残りやすいからなのだと思います。


友人の私に対する印象が昔からまったく変わらないのは、よっぽどイメージが悪い一瞬があったからなのだとも思います。




■4月21日

真上を見上げると、口が半開きになります。

そのままの顔で首を正面に戻すと、社会的に警笛を鳴らされる顔になっていることが多いです。

やってみると分かると思います。


人は他人に見下ろされるとイヤな気持ちになりがちですが、それもしょうがないかなと思わせる顔をしているからなのだろうと思わされます。




■4月20日

オリンピックに向けて、どんどん新しい競泳水着が開発されているらしいです。

ちょっと前に聞いた話では、シャークスキンなる鮫肌に似た素材で作った水着が水の抵抗を減らすとかそんな話だったと思います。

そして今度はカジキの肌を模して水着が作られたらしいです。

なんでもカジキの肌のヌルヌルが水着に反映されていて、水の抵抗を減らすらしいです。

鮫肌水着の頃から感じてはいたのですが、最先端の水着を買えない国や、その開発に資金をまわせない国もあるだろうと思うと、少々ズルイ気もしてしまいます。

そのうちナノマシンとかが水着に組み込まれてくるようになって、人の力とかどうでもよくなるような競泳になることを想像してみたりもしますが、まぁそれはそれで面白いのだろうとは思います。

『イカ肌』とか『エビ肌』とか、海産物のキャラクター水着競泳祭りとかがあってもいいと思います。


そのときは、あえて『ウニ肌』とか『ナマコ肌』とかの、やる気のない水着たちを応援していきたいと思います。




■4月19日

2泊3日で東京に行ってきました。

宿泊先のホテルでは、セミダブルのシングルルームを独占するという優雅さ。


一人での宿泊は、部屋のランクが上がるほどに寂しさの度合いも上がるのだと思います。




■4月18日

携帯栄養補給食の代表格ともいえるカロリーメイト。

発売当初は特にライバルも無く、知名度も一気に広がった栄養食のパイオニアともいえるカロリーメイト。

また、『ダイエットに』というニュアンスの宣伝文句があって、ちょっとした誤解を生んでいたと思います。

「私、ダイエットのためにカロリーメイト食べてるんだぁ。」
と言いながら、食事とは別に常にカロリーメイトを食べている女子がいたりもしました。

当時、私はその娘が言っている意味がよくわからなかったのですが、とにかくカロリーメイトを食べれば食べるほどダイエットできると勘違いしていたっぽいです。

若さ故の誤解。

なんとなく、それは間違っているのだろうなと気づいてはいましたが、特に指摘をしなかったのは、私がその娘に興味がなかったからなのだと思います。


大量のカロリーを摂取しているハズなのに、当時その娘がそれほど太っていなかったのも、若さ故だったのだと思います。




■4月17日

今、静岡に住んでいるということを友人に話すと、
「桜エビ獲ってるの?」とか
「茶畑?」とか言われることが多いです。

(・・・その安易さは何?)

別に住んでいる土地の名産に関わる職種である必要は無いと思うし、むしろそうである可能性のほうが格段に低いと思います。


飲み会の席などで、私限定で、
「うーなーぎ!うーなーぎ!」
という非常にしょうもない『出囃子』や『一気コール』も誕生しました。




■4月16日

春物のジャケットが無いです。

ずっと前から買いに行こうと考えていたのですが、結局まだ行けてません。

夕方を過ぎてもさほど寒くはならなくなった昨今、もう冬山用のコートを着ているのはどうかとも思います。

でもコートを脱ぐとTシャツかワイシャツ姿になってしまうので、途端に夏を先どりしてる様になってしまいます。

『先どり』とか『先駆者』とか、自分には一番似合わない言葉だとも思います。

多分真夏になっても微妙にずれた服装をしている自信があります。

さらに真冬になる頃には、今のコートを無くしていたりするのだろうと思います。


『ウォーリーを探せ』みたいに、その場に馴染んでいるようでよく見ると全然馴染めてはいないのが私なのだとも思います。




■4月15日

いつの頃からか、モノを左手で持つ癖があります。

携帯を受けるときも、飲み物を飲むときも、バックを持つ際も左手を使っています。

何となく、利き腕の右手が空いていないと不安を感じてしまう性分です。

でもよく考えると、学生の頃はそんな癖は無かった気もします。

たまに右手でモノを持つと、強迫観念があるかのように左手に持ち替えてしまう自分に気づきます。

何かがあったときに、直ぐに正確に反応出来る右手が空いていることの安心感。

(・・・『何か』ってなんだ?)

一体いつから何故こんな癖がついているのかを考えてみるものの、思い当たるフシが全く無いです。


きっとここ数年の間で消された記憶があるのだと思います。




■4月14日

自分の言葉に重みを持たせることを考えてた時期があります。

今、自分の中で凄くイイことを言った!と思っても、周囲のリアクションが薄かったりしたことがキッカケだった気がします。

多分テキトーな私の性格を見抜かれていたのだと思います。


人の言葉に重みを感じるのは、その人の経験であったり信念であったりしますが、それを求めていては時間がかかりすぎてしまうと思います。

とにかく今すぐに、即効性のある方法。

そんな中、自分の言葉に信憑性をもたせる方法として、言葉の語尾に『〜〜って○○が言ってたよ。』とか『〜〜らしいよ。』とかを付け加えるということがかなり有効だということに気づきました。

情報が自分発進でないことにしただけで、3〜4割増しくらいに信憑性がアップした気がします。


刹那的に楽な方法を模索する性格は、今も昔も変わってません。




■4月13日

今日、大量のワカメをもらいました。

詳しい経緯は省くとして、味が良いとされる早春の採れたて生ワカメ。

めかぶ部分から葉体まで、丸々ワカメそのまんまの状態で今手元にあります。

海辺で育った割に、ここまで素の状態のワカメを食べたことが今まで無かった気がします。

常に浜辺にゴロゴロと流れ着いているのを見ていたので、子供ごころに食べ物だという印象が弱かったのだと思います。

めかぶの部分を持ってブンブン振り回していた記憶。

また、海で泳いでいるときに足にからみついてくる厄介者。

砂の造形をつくりだすときも、色々な部分でワカメが登場してました。

砂浜でゲームをする際のラインや目印にもワカメが大活躍。

海パンの中に突っ込んで、股間からあふれ出すワカメを剛毛に見立てるという最低な下ネタは一世を風靡したりもしました。

ワカメとの多彩な思い出は尽きません。


そして今、こうして『食』としてのワカメと向き合う中、どうすればいいのかまったくわかりません。




■4月12日

小学校の時、クラスメイトの一人が骨折で入院したときのこと。

小学生にとってはそれなりの事件だったと思います。

早速友人を誘ってお見舞いに行くことに。


友人の為というより、『お見舞い』という人生史上初のイベントに、小学生ながらにワクワクしていた私。

『お見舞い』に行くには『お見舞い品』が必要という小学生なりの常識があって、とりあえずみんなでコンビニへ。

コンビニくらいしか行けないあたりが小学生だったのだと思います。

また、『お見舞い品』イコール『花束』という認識もあったと思います。

でも友人が先に花束を買ってしまったので、私は何か他のものを選ぶことにしました。

別に2人共花束でもまったく問題は無いのですが、小学生なりの気づかいがそこにあったのだと思います。

結局私は『北斗の拳』のコミック1,2巻を購入。

何故それを選んだのかは、正直全然憶えていません。

一緒にいた友人が
「本当にそれを買うの?」
と何度も聞いてきていたことを憶えています。

今思えば、入院のお見舞いにマンガを持っていくことは、あながち間違ってはいなかったと思います。

実際『北斗の拳』は退院後に友人から大絶賛されました。

ただ、当時の私には何故そんなにも喜ばれたのかが謎でした。


ちなみに私はまだ『北斗の拳』を読んだことがありません。




■4月11日

先日、南米旅行から戻ってきた父にお帰りメールを出したら、こんなメールが返信されてきましたた。

『ありがとう。ちゃんと食事をとって過ごしてください。』

極端に短いメール文章の上、その7割方が食事に対する注意。

食生活を気にするのは、親が子に話をする際の枕詞のようなものと思っているのですが、正直ナカナカに鋭い指摘でもあります。

こちらの生活をほとんど知らないハズなのに、さすがは『親』というべきか、、、。

知ってか知らずか怖いくらいに的確なのが凄いと思います。


南米旅行の内容に一切ふれていないことも、ある意味凄いと思います。




■4月10日

中学校の頃、英語の授業では必ず小テストがありました。

5〜10問程度のテストで、点数はつかずに英語で評価されるものだったと思います。

確か『Porfect(パーフェクト)』が最高で、次が『Excellent(エクセレント)』、そして『Very Good(ベリーグッド)』、『good(グッド)』、〜中略〜、そして最低評価が『Poor(プア)』。

当時英語の塾に通っていたこともあって、私の評価はほぼ『パーフェクト』でたまに『エクセレント』になる程度だった記憶があります。

一度『ベリーグッド』の評価をとってしまったときは、心底ブルーな気持ちになったことも憶えています。

この頃は勉強嫌いな私も、塾のおかげで一応それなりの成績をとっていたという古き良き時代。

今となってはベリーグッドと言われる状況も要素も皆無。


もっともここは日本なので、ベリーグッド!などと平気で言ってくるような人とは、あんまり関わりたくないという理由を建前にしておくことにします。




■4月9日


昔のプルトップキャップが落ちてました。

小学校の頃、このプルトップを巡ってジュースの飲み方に派閥があった記憶があります。

開けたあとにこのキャップを指にはめてジュースを飲む派と、開けた直後にキャップをジュースの中に沈めてしまう派の2派。

もちろん当時はこのキャップをその辺にポイ捨てするのは珍しいことではなかったのですが、小学生なりに一応それはタブーであるという気持ちは持っていた気がします。

基本的にクラスのほとんどがキャップを指にはめる派で、私もその一人でした。

あるときクラスの人気の女子が、開けた直後にキャップを中に入れて飲む方法がイイと言い出したのをキッカケに、いつのまにかクラスの半数近くがその方法を採用するようになったことを憶えています。

もちろん私もすぐに飲み方を変えました。

中学生になって、周囲のみんなが指にキャップをはめているのを見て、またすぐに飲み方をもとに戻したことも憶えています。


とにかく主体性が皆無だった義務教育時代。




■4月8日

今さらながら脳内メーカーをやってみました。

占い同様どんな結果が出ても、そんな気がしないでもない気分にさせられると言われている脳内メーカー。

脳内メーカー
とはいえ、あんまり納得出来ない微妙な結果が出てきました。


とりあえずこれを免罪符として、今後は遊ぶことを最優先にする方向で、『遊び』と真摯に向き合って行きたいと思います。




■4月7日

古くは昭和48年から、毎年時代を風刺した言葉で新入社員が命名されています。

今年の新入社員は『カーリング型』とのこと。

周囲が頑張って環境作りをしないと、減速したり止まってしまうという意味が込められているらしいです。

毎年その意味には批判的な『毒』が込められている傾向があります。

その意味には、良い面と悪い面があったような気がしますが、過去の事例を見てみると、全部そうではないらしいです。

私は『形態安定シャツ型』だったらしく、評価もそれほど悪くはなかったです。

ただ、過去の事例の中にはそれはどうかと思わせるものも多いです。

昭和60年度からの3年間が特にヒドイです。

『使い捨てカイロ型』
 もまないと熱くならず、扱い方もむずかしい。

『日替わり定食型』
 期待したわりには変わり映えせず、同じ材料の繰り返し。

『テレフォンカード型』
 一定方向に入れないと作動しないし、仕事が終わるとうるさい。

この批評だけをみると、怒涛の駄目っぷりがうかがえます。

勝手に命名されたほうはイイ迷惑だろうとは思います。


でも結局のところ、過去全ての年代のタイプにおいて、言われてみれば自分が当てはまってしまうような気もします。




■4月6日

食べ物の好き嫌いがある人は、それだけ舌が敏感なのではないかとも思います。

ニンジンやピーマンが嫌いな人とかは、すり潰して他のものと混ぜた状態でも、その存在を敏感に察知できる舌を持っている場合が多いです。

もちろん嫌いじゃない人でも、どんな食材で構成されているかを感じとることはできるのですが、限定した食材にこだわってピンポイントで反応するのは難しいと思います。

嫌いなものがある人は、嫌いな味を他の味よりも鋭く感じとることができているのだと思います。

嫌いな食べ物が無い私は、全体の味をぼんやりとしか把握していないので味覚が敏感に反応することがほとんどありません。

「コレ○○が入っている!」
という声を聞いて、
(あぁ、言われてみればそうだな、、、。)
と気づくことは出来ますが、そのこだわりが凄いなと思います。


嫌いなものがあるということは、それだけこだわりを持っているという意味で長けているような気がしないでもないです。




■4月5日

『インビテーション』ってエッチな単語だと思ってた時期があります。

淫靡(いんび)っていう響きだけで勝手に思い込んでいたのだと思います。

受験シーズンになるぐらいまで勘違いしたままでした。

何かの招待状にインビテーションと書かれているのを見て、無駄にドキドキした記憶もあります。


若さとはそういうものです。




■4月4日

以前勤めていた職場で、PCを使用する際に個人個人でパスワードを設けようという話になったことがあります。

システム管理課から突然そんな要求が各課に回ってきて、一人一人暫定のパスワードを決めて提出することになりました。

パスワードは4ケタで、アルファベットと数字を組み合わせるという条件。

課長から突然白い紙を渡され、自分が使用するパスワードを書いて提出。


パスワードを打ち込む面倒さを極力なくす為にも、片手で打ち込める範囲で且つEnterキーの近くが望ましいと考えた私は、その場で『90OP』(きゅう・れい・オー・ピー)という4ケタに決めました。

憶えやすさよりも機能性を重視した選択。

でも、今パソコンで打ってみてもわかるように、ふり仮名を付けないと非常に紛らわしいです。

後日この『90OP』がシステム管理課でちょっとした物議をかもすという珍事もありました。

そんな紆余曲折を経たものの、個人パスワード案自体がいつの間にか無かったことのように消え去り廃案。


決して直接的な原因ではなかったとは思いますが、私の『90OP』がやる気になっていたシステム管理課の出鼻をくじいていたのだとしたら、申し訳なかったなと思います。




■4月3日

小学校の頃の胸章は、透明なカバーの中に名前を書いた専用の布紙を入れ、安全ピンで服につけるタイプだった記憶があります。

また何かトラブルがあったときに電話をすることが出来るように、裏側に十円玉を入れておく人も多かったです。

私がこの十円玉を利用したのは、9割方学校で忘れ物をしたときでした。

様々な忘れ物をする中、一度ランドセルを忘れたことがありました。

当時の私にとっては、感覚的に教科書を忘れるのと大差なかったのですが、思いの他みんなに騒がれた記憶があります。

大人になった今でも同窓会の度にその話題を出されて、改めてそれなりの事件をおこしていたのだなと再認識させられます。


本当に心の底から勉強に興味がなかったのだろうと思います。




■4月2日

私の携帯はほとんど鳴らないのですが、なんと昨日『非通知』の着信がありました。

奇しくもフロに入っていたところだったので、電話に出ることが出来なかったのが悔やまれます。

『非通知』なのでこちらから掛け直すことも出来ないです。

私に想いをよせる内気な女性が、あえて『非通知』に切り替えて電話をかけてきてたかもしれません。

(誰かな〜。あのコかな〜。いや、やっぱりあのヒトかな〜。)

夢がふくらむ『非通知』。


これからも『非通知』の着信には過度な期待をよせていきたいと思います。




■4月1日

花粉症の人は、朝起きがけにくしゃみや鼻水の症状がでることが多いのですが、これを『モーニングアタック』というらしいです。

(何がモーニングアタックか、、、。)

そんな軽い英語で表現されたくないです。

英語でちょっとお洒落な言い方にして、花粉症患者を誤魔化そうとしている気がします。

いや、よく考えるとそんなにお洒落な表現でもないです。


もし花粉症じゃない人が、
「それはモーニングアタックだね。」
などと知ったふうに言っていようものなら、
(そんなんじゃねぇよ、、、。)
と速攻で荒んだ気持ちになれる自信があります。




■3月31日

静岡が誇る銘柄の一つ『紅ほっぺ』。
静岡いちご『紅ほっぺ』

最近『食』が偏っていたので、ちょうど何かビタミンが欲しいと思っていたところです。


『ビタミン』という言葉には少々苦い思い出があります。

タイの田舎に住んでいた頃、体調が悪いことを訴えると必ず
「じゃあ、ビタミンを摂りなさい。」
と言われます。

『風邪』イコール『ビタミン不足』という図式が妄信的に確立していたと思います。

決して間違いではないのですが、『ビタミンさえ摂れば風邪が治る』というビタミン万能説みたいな風潮も感じられました。

ちなみにビタミンはタイ語で『ウィターミン』。

日本人が英語の表現に何となく従ってしまう傾向があるように、タイでも外来語には認識が中途半端な傾向があったのかもしれないです。

体調が悪いときに、執拗にバナナを食べさせられていた昼下がり。

数日後に風邪が治って、それがバナナでビタミンを摂ったおかげと言われることが妙に納得がいきませんでした。


もちろん今でもあんまり納得はしてません。




■3月30日

考えごとをしているときに、
「疲れてる?」
と聞かれることが多いです。

考えごとをしているだけに、突然の質問に即座に対応することが出来ないです。

疲れを感じていたわけではないのですが、もしかしたら疲れてるのかもしれないと考えてしまったりもします。

特に疲れてはいないハズと思いつつも、それが単なる自分の思い込みのような気さえします。

本当は疲れているんじゃないのかと自問してみるも、自答は出来ません。

どうやら私が悩んでいる表情は疲れてる感じに見えることがあるらしいです。


精神的に不安定なときは、とりあえず疲れてることにして周囲のハードルを下げることも一つの処世術なのだと思います。




■3月29日

サランラップの『サラン』ってなんだろうと思ったことがあります。

この程度の疑問なら、今はネットで調べればすぐにわかります。


私なりに考えていた予想として、
皿にラッピングするから、サラニラップがサランラップに変化したという仮説その1。

元素記号的にサランなる物質があって、それを原料にしたラッピング素材だからという仮説その2。

サラ氏とラップ氏による共同開発なので、サラアンドラップが変化してサランラップになったという仮説その3。


一番どうでもいい答えだった仮説その3が、何気に真実に一番近かったのは驚きです。

もうちょっと頑張って仮説を立て続けていれば、多分十数個目ぐらいでズバリ当てられたんじゃないかとも思います。


仮説として当てることが出来ていた、ということを自慢しておくことにします。




■3月28日

携帯のメールの返信が遅れる傾向があります。

正確にいうと、忘れている傾向があるのだと思います。

基本的にメールを見たときにスグに返信すればいいのですが、状況的にそうもいかないことの方が多いです。

人と会っていたり、何らかの作業をしていたり、仕事中だったりします。

じゃあ時間のあるときにメールを見ればいいのですが、携帯のメールは届いた瞬間に見たくなってしまうという魔力があります。

見ないで我慢してればいいのですが、そんな時はまだ見ぬメール内容に必要以上に期待感が上がってしまうという悪循環があります。

前例も無いのに、根拠もなく自分で勝手に高くしたハードルで自爆。


些細な日常の中でも、何も無いところからマイナス要素を構築するスキルが光ります。




■3月27日

女性が料理を作る場合と、男性が料理を作る場合とでは、本質的な目的が異なるらしいという話を聞きます。

簡単に言うと、美味いものを作ることを最終目標におくのが男性で、相手に満足してもらうことを最終目標におくのが女性ということらしいです。

うっかり女性の料理を批判してしまうと、もの凄く根に持たれるのは、その為なのではないかとも思います。


それが恋人とかの関係じゃなくても、何年経っても忘れてないのが凄いと思います。

軽い気持ちで言った一言で、軽く数年間はちくちくと言われ続けてしまいます。

それだけ女性は料理に対しての想い入れが強いのだろうと思います。

『確かに悪かったけれど、そんなに悪いこと言ったかな。』という主張をあえてしないのは、それだけ女性の料理批判には慎重さが必要ということを学んできたからなのだと思います。


料理の感想もただ『美味しい!』だけでなく、様々な言葉で全体をぼんやりと表現するスキルを、こうして人は学んでいくのだろうと思います。




■3月26日

今日は全体的に物事が上手くいきません。

『失敗』というわけでは無いのに、何かがズレている感覚。

何が足りないのかわからないジレンマの中、中途半端な結果ばかりがストレスと共に積み重なっていく一日。


さっきも目の前でバスに乗り遅れました。

1分にも満たない誤差で、歩くハメに。

早足で歩き出すと、前方でバスが渋滞に詰まって停止中。

(次のバス停まで走れば間に合うだろうか?)
(いや、今目の前がバス停なのに、次のバス停まで間に合うハズが無い。)
(でももしかしたら、、、。)

そんなことを考えつつ、バスに追いつきそうな場所まで歩いてきてしまった私。

(最初から走っていれば間に合ってたのに、、、。)

そうしなかったことを悔やみつつ、希望を持って走り出す私。

途端にバスも走り出したので、結局走るのを諦めました。

ホントに今日は中途半端なズレを感じます。

次のバス停を過ぎてすぐのポイントで、今度は信号待ちでバスが停止中。

(あの信号が結構長いことはわかっているのですが、さらに次のバス停まで走ったとして間に合うものだろうか?)
(いや、今度は最初から走ってみれば間に合うかもしれない。)
(よし、スグに走ろう!)

そしてまた私と同時に走りだすバス。

100メートルも走らないうちに、敗色が濃厚な現実に走ることを諦める私。

無理に決まってると思いつつもバスを見ると、今度は右折車の後ろでバスが進めずに停止中。

凄くイヤらしいタイミングで、度々私に走らせようとさせるバス。

ちょっと頑張ってまた走りだす私。


結果、次のバス停で乗ることが出来てしまっているという現実もまた、中途半端なのだと思います。




■3月25日

大学生の頃、麻雀にハマってました。

暇があれば友人たちを集めて麻雀をしていたと思います。

昼間は学校があったので、基本的に夜通しで行われた麻雀。

休日があろうものなら、昼夜を問わず丸一日ずっとやってました。

最高では雀荘で2泊3日麻雀をやり続けたこともあります。

何がそんなに面白かったのか、皆それが当然のように麻雀に没頭してました。

麻雀卓を囲むメンツの中でも、私は唯一タバコを吸わなかったのですが、部屋にこもった副流煙を吸い込む量はハンパじゃなかったです。

今でも煙草は吸わないのですが、煙草のケムリがまったく気にならないのは、その頃の経験からきているのだと思います。

幸か不幸か今、タバコにも麻雀にもハマっていないのですが、夢中になれるものがまったく無い状態なのも考え物です。


広く浅く中途半端に物事にハマってるのは、幼い頃から何も変わってません。




■3月24日

小学校の頃、たてぶえが得意でした。

ふえのテストの際はいつも、まず初めにお手本として吹くように先生から名指しされていた記憶もあります。

テストに合格出来ない人は、放課後に残って合格するまで練習をさせられていましたが、私は友人を待つ為にその光景を眺めてました。

中には「教えて!」と私に聞きにくる友人もいました。

その度にとりあえず吹いてみたりするのですが、単に音階を奏でるだけのたてぶえのテストで、教えられることなんて無かったと思います。

曲半ばくらいで、
(これ、聴いてても意味ないんじゃないか?)
という想いが友人の表情にも出てきます。

私も吹き始めた手前、
(これって、意味ないんじゃないか?)
と思いつつも、最後まで吹きます。

私の曲を一通り聴き終わった友人の反応も微妙です。

「どう?わかった?」
「うん、わかった。ありがとう。」


小学生にして、私も友人たちも表面的な会話を交わすスキルは持っていたと思います。




■3月23日

ここ一ヶ月以上、お米を食べてません。

そしてかなりの頻度で『うどん』を食べてます。

確か2月の半ば頃、『ただうどんを食べ続けてみる』というコーナーを立ち上げようとして始めたことだったと思います。

結局コーナーの盛り上げ方がわからないのと、思いの他食費がかさむこともあって、今日企画倒れということになりました。

そもそも何故これをやろうとしたのかも、よく思い出せません。

物事をやろうとするポジティブな想い。

『うどんを食べ続ける』ということにどんなポジティブな要因を感じたのか我ながら謎です。


『うどん』コーナーの禁止事項でもあった、コメ由来のせんべいを食べつつ物思いにふけってます。




■3月22日

中学生の頃、『置き勉(おきべん)』という行動をよくとってました。

今どういう言い方をしているのかは知りませんが、勉強道具を学校に置きっぱなしにして家に帰るという行為のことをそう呼んでました。

どうせ持ち帰っても勉強しない教科書等で、わざわざカバンを重くすることを避けた効率重視の策です。

行動としては理にかなっているものの、学校側がそれを許すハズもなく、『置き勉』を指摘される生徒も少なくはなかったです。

ある程度控えめに行われていた行為でもあった『置き勉』。

そんな中で、机の中に入りきらない教科書群を、外から丸見えの教室ロッカーに入れておいたり、イスの上に置いておくという革命児が現れ始めたりもしました。

学校机の容積の都合上、全ての教科を置きっぱなしにすることが不可能なのは、学校側の物理的な配慮なのではないかと今さらながらに思ったりもします。


勉強をする必要があるとか無いとかいう以前に、カバンを軽くすることに余念がなかったあの頃。




■3月21日

気がつけばトイレットペーパーが残り1巻きの状態。

生活の必須アイテムであるにも関わらず、頻繁に買うものでも無いのでついつい忘れがちになってしまうものの一つ。

1年前の入居初日に買いに行ったのを憶えているので、1ヶ月に1ロール程度の減り具合です。

たかだかその程度の使用量ではあるものの、決して失ってはいけないアイテムでもあると思います。

切らしてしまった際のダメージは、ショーユやバンソーコーの比じゃないです。

気がついたときに、もうどうにもならない状況におかれている可能性は大いにありうる話だと思います。

たかだか400円程度の買い物を面倒くさがって、ハイリスクノーリターンな事件を起こす必要は無いはずです。

だからこそ、気づいたときに買っておく必要があるのだと思います。


トイレットペーパーを買っている人たちは、その人の人生に影を落としかねないという焦燥感や緊張感に駆られた姿でもあるのだと思います。




■3月20日

パリパリと香ばしい食感のお茶請けを味わいながら団らんする食後のひととき。

タイに住んでいた頃の日常の一コマ。

やや暗くなり始めるこの時間帯、村の娘が森の方へと歩いていくのを見かけて、声を掛けたときのこと。

「カエル捕りにいってくるぅ〜。」
と言った娘のその口調は、日本で言うところの『ちょっとコンビニに行ってくる。』と、ほぼ同じ感覚のものに感じました。

カエルはもちろん『食料』として捕まえます。

慣れていない当初は、
(若い娘がカエル捕りかぁー、、、。)
と、軽いカルチャーショックをうけたりもしました。

そんなことを思いつつも、そのとき自分がつまんでいたお茶請けはカブトムシでした。

私は虫を食べることにそれほど抵抗はなかったのですが、娘とカエルをスムーズに繋げて考えられるまでには、約半年はかかったと思います。


こだわりを持つポイントや線引きは、人それぞれなのだろうなと思います。




■3月19日

小学校の頃、道路に大の字で寝転がったことがあります。

確か話の流れの中で、そのくらいのことは出来ると私自身で言ったと思います。

道路視点から見る今までと異なる風景が衝撃的でした。

もう一つの感覚として、道路で寝るという日常に有り得ない行為をすること自体に、妙にドキドキしていたことも憶えています。

子供ながらも非日常を求めて遊んでいたあの頃。

大人になると、お金を使って非日常を求めて遊ぶ傾向があるのだと思います。


それでもやってることは今も昔も本質的にあんまり変わっていないのだと思います。




■3月18日

風呂に入りながら本を読むことがあります。

未読の本が無いと風呂ではなくシャワーで済ませてしまう傾向があります。

花粉症のこの時期は、症状が和らぐ期待を込めてほぼ毎日のように長湯をしてしまいます。

小説もほぼ2〜3日に1冊のペースで消費します。

じっくり楽しみたいのに、ついついナナメ読みしてしまいます。

この時期は特に風呂場への日用品進出率が高く、様々なものが水で駄目になっていきます。

長湯をしていたいという想い(花粉症的に)と、長く本を楽しみたいという想い(嗜好的・金銭的に)。

風呂に入り浸る理由が、常に風呂の本質であるとは限らないように、物事の側面には色々あるのだと思います。


私自身の色々な側面も、そういうニュアンスで暖かく見守って欲しいと思います。




■3月17日

今日は花粉症の症状が特にヒドイです。

病院でもらった薬もまったく効かなくなりました。

話している途中で息が出来なくて苦しくなります。

特に『ナ行』の言葉は、唯一の呼吸手段である喉を舌でふさぐ必要があるので、この上なくしんどいです。

無意識に『ア行』で代用していたりすることもあります。

そんな中で気づいたこととして、鼻づまり時の『ア行』は予期せずして『ナ行』に聞こえてしまうことが多いです。

結論から言うと『ア行』が使えないことになるのですが、言葉の基盤である母音が使えないのに、他の行の言葉が使えるのは矛盾しているとも思います。


花粉症の症状がヒドイ時は、判断力が鈍って面倒なのであんまり深く物事を考えないようにします。




■3月16日

ミッション系の高校に通っていたこともあって、週に1コマ『聖書』の授業がありました。

しっかり期末テストにも『聖書』が1科目としてあったと思います。

私の知る限りでは敬虔なクリスチャンの生徒は一人もいなかった気がします。

確か神社の娘もいました。

正直受験には関係ないですし聖書の先生も甘々だったので、何もしなくてもそれほど悪い評価はされなかったのだろうと思われる『聖書』。

それでも内申点に関わる教科の中で、もっとも上げやすい科目でもあったことから、みんなとりあえず勉強をしていた感があった『聖書』。

(『数学』が全然わからないから、とりあえず『聖書』の勉強でも、、、。)
と、そんな感覚があった気がします。

そんな私の『聖書』の成績は、5段階評価で常に『4』でした。


特に興味がなかったので、友人達の成績がどうだったかは憶えていませんが、今思えば、『聖書』の成績はみんな一律『4』だったのではないかとも思います。




■3月15日

バスの車窓から。

街角の風景

ちょっとした事件だと思いました。


一番左で屋根を押さえているのは交番のお巡りさん。

切実な状況にも関わらず、右側のおばさんは片手で雑談するという余裕をみせていました。


上のおじさんの作業が終わったあとで、改めて根本的な解決を迫られるのだと思います。




■3月14日

カナダから帰ってきた友人がくれたお土産。
どーーーーーん。
カナダの色が微塵にも感じられないところが凄いと思います。

むしろ南国のシーサーを感じさせるデザイン。

こういう、どうでもよさが漂う一品は嫌いではないです。

手抜き感を隠さない裏面
手作り感のあふれる裏面。

一応『笛』としての能力を有していますが、その笛の音は呪いをかけられそうな響きがあります。

やや傾いて立つ。
こうして立たせることもできるので、机の上にでも飾っておくことも出来ます。

この立たせ方の違いによって、暗号的な決め事をしておけば、色々な意思表示を相手に伝える道具にも出来そうです。

例えば、
様々な角度で立てる。
『今日は体調不良です。』

こんな向きでも・・・。
『機嫌が悪いので話しかけないでください。』

こんな向きでもしっかり安定。
『財布を落として超ブルーです。』

上目使いも可。
『冷蔵庫のプリンは食べないでください。』

寝る。
『今夜はカレー。』

ネガティブな内容しか浮かんでこなかったので、最後のだけは、かなりがんばって良いイメージを探してみました。

伝える相手がいない中で、不毛ながんばりが切ないです。


そんな憂いの溜め息も、異国の民芸品が笛の音色に変えてくれます。




■3月13日

私が予備校に通っていた頃は、寮に住んでいました。

寮の決まりとして、他の人の部屋に入ってはいけませんでした。

もちろん遊びたいさかりの時期ということもあって、そんな規則を守っている人はいなかったと思います。


寮の管理者は『寮長』と『事務長』の2人だけでした。

通称『ホトケの寮長』、『オニの事務長』。

『事務長』の見回りで摘発された友人達は数知れないほどいました。

『事務長』の摘発率の高さは、通常歩けばギシギシと音がする寮の廊下を、無音で歩いて回れることにあったと思います。

寮生たちにとっては、音も無く突然出現する『事務長』は脅威でした。

あるとき、トイレに行こうと部屋を出ると、ちょうど廊下の角を曲がる事務長の後姿をみつけました。

自分の部屋の前を通っていったハズですが、やっぱり全然気がつきませんでした。

そのとき事務長は、真冬にも関わらず裸足でした。

廊下を無音で回る事務長の謎が解けた気がしました。

事務長の談笑摘発に対する意気込みを感じたひとときでもありました。

後日、裸足で廊下を歩いて検証してみたのですが、なぜか無音とまではいかず、結局事務長の謎は解明されずじまいでした。


過酷な受験戦争の中、そんな謎の解明に夢中になっていたあの頃。




■3月12日

この前、遊びでちょっとした心理テストをさせられました。

質問は下記の3つ。

●あなたの好きな色と、その好きな理由は?
●あなたの好きな動物と、その好きな理由は?
●あなたの好きなスポーツと、その好きな理由は?

お酒の席ということもあって、何も考えずに答えてみました。

この心理テストの種明かしは、下記の3種が示されるということらしいです。

『好きな色・その理由 → 理想の自分』
『好きな動物・その理由 → 理想の異性』
『好きなスポーツ・その理由 → 理想のセックス』


「あなたの好きな色は?」
「う〜ん、緑かな。」
「その理由は?」
「植物の色だから。」


「じゃあ好きな動物は?」
「動物かー、、、イリオモテヤマネコかな。」
「・・・その理由は?」
「滅多に会えないし、貴重なところかな。」


「好きなスポーツは?」
「バスケかな。」
「その理由は?」
「昔からやってたし、みんなで遊べるから。スポーツはある程度の人数でやれるのが楽しいよね。」


実際のところ、相手にどう思われていたかはわからないのですが、ド変態と思われていたんじゃないかと思います。


この心理テストが私の深層心理を引き出すことに成功したかどうかは自分でもよくわかりませんが、私的にこの場所でこの回答をしたのは失敗だったのだと思います。




■3月11日

整体とかリラクゼーションとかで凝った部分をマッサージされると、気持ちいいと思う反面、逆に揉んでくれた人をマッサージしてあげたい気持ちになったりもします。

多分、少年の頃から姉に肩揉みや腰のマッサージを強要されていたことが起因しているのではないかと思います。

姉が納得するまで揉み続けることの重労働を知りつつも、不思議と断れなかった姉の指令。

それ以外にも様々な状況で、2人の弟を自在に使役していたフシがある姉。

無意識に男を操作する天性の何かを兼ね備えていたのだと思います。

滅多に会わないからいいものの、多分今でも姉の命令には何も考えずに従ってしまう気がします。

学生時代の頃ずっと年上の女性に興味が持てなかったのも、姉に感じた魔性を重ねて無意識に避けていたからではないかとも思います。


姉を語る上でハッキリとした結論が出ないのは、いまだに訳がわからない存在だからなのだろうと思います。




■3月10日

花粉症で鼻が使い物にならない状態です。

ファジィに水を出すだけの物体と化してます。

苦しいながらも口だけで息をしていると、スノーケリングのインストラクターをしていた頃を思い出します。

当然ながらスノーケリング中は鼻で息しません。

物理的な条件は花粉症と同じにも関わらず、スノーケリング中にまったく苦しさは感じませんでした。

視界一面に広がるサンゴ礁も、何度も見ていると感動は薄れてしまうので、珍しい景色に気をとられていたからとは思えません。

それは単に慣れているからだろうと思ったりしますが、10年以上付き合っている花粉症に慣れを感じたことは一度も無いので、それもやっぱり違うと思います。

突き詰めて考えていくと、『鼻で息が吸えない』という物理的な苦しさを、『鼻から勝手に水が出てくる』という精神的な苦しさが助長させてているのが『花粉症の息苦しさ』なのだと思います。


ちなみに、『鼻から出てくる水を処理せずにそのまま放置する』という選択肢は、ティッシュの代わりに大切なものを失う一線なのだとも思います。




■3月9日

スーツを着ると多少なりとも雰囲気が変わります。

普段着ないからなおさらその傾向が強いのだと思います。

年に数回しか着ないスーツ姿で、年に数回しか会わない友人たちに会うと、
「あれ?○○ってそんなちゃんとしてたっけ?」
と、複数の友人から言われます。

(失礼な話だ。)

学生時代の友人には、服装がズボラだったイメージが強いらしいです。

ただ、今回初対面の人たちに、
「真面目な人なんですよね?」
と第一印象を言われたときは、久々に感動を覚えたくらい衝撃的でした。

自分の第一印象が真面目に見えているということに関して、役作り?に自信が持てた気がした一日。

もっとも今回はスグに脇から否定のジャッジが入ってしまったのですが、場所によってはこれは上手い具合に利用できるのではないかと思ってました。


そんな企みを考えているときの私の笑顔は、実に『さわやか』だったらしいことも判明。




■3月8日

友人の結婚式の受付を担当してきました。

新婦さん側の受け付けの人に挨拶をする中、2人ともキレイな女性なので、自然な笑顔のつもりがにやけてしまっていないか不安になったりもしました。

そこで久々に予想外の展開がありっました。

「○○君、久しぶりだね。」
「・・・・・・・・・・・・うん?」

思わずすっとんきょうな声を出してしまう私。

(え??この人誰?)

もの凄いスピードで過去の記憶を探るものの、目の前の女性がまったく思い出せません。

「あれ、憶えてないかー。ふーん。」
「あ、やー、えー、んと、、、。」

基本的にこの時点でもう取り繕うことなど出来ません。

ここは正直に聞いてみるのが一番です。

「ごめん、何処で会ったっけ?」
「私、△△だよ。」
「えっ!!!」

出てきた名前は中学時代の同級生でした。

ごめんごめんと謝りつつも、本当は思い出しかけてたとか、何処かしら見覚えがあったとか、あることないこと必死で並べ立てて何とか体裁を保とうと努力するひととき。

その直後、もう一人の女性が
「私は中学も小学校も同じだったんだけど、○○君?」
と、抑揚のない口調で話しかけてきたときには、慌てる表情をつくる余裕すらなかったです。


決して自分の記憶力を過信しているわけではないのですが、面影が全く無くなってるのはズルイと思います。




■3月7日

友人の結婚式が間近になって、招待状を失くしていることに気づきました。

受付を頼まれていたのですが、会場に行く時間等の詳細が思い出せません。

(ここにきてそれは痛い。)

(さて、誰に聞こうかな、、、。)

そんなときに鳴り響く友人からの電話。

まさに天の助け。

「当日は駅から会場まで車出すから乗っていきなよ。」
「おー、ありがとう。」

「そういや、○○のヤツ招待状をまだ開けていないんだってよ。」
「!?」

「まったく友達として最低だなー。」
「・・・・・・・・・・・・・・・
うん。」


結局何も聞けず、最終的には直接式場側に聞いて解決。




■3月6日

思い出したくなくても何度も思い出してしまうことってあります。

考えてみると、嫌なことほど思い出す頻度が高くて、自ら忘れないようにしているのではないかと感じることもあります。

号泣や絶叫が伴うインパクトの強い想い出は、そうそう忘れられるものではないです。

結局のところ、内容の良し悪しよりも想いが強いか弱いかということなのだろうと思います。

消したい過去はあっても、消したい記憶が無いのはそういうことなのだろうと思います。


単に彼女にフラれた夢を見ただけなのですが、感情を分析することで本質をぼやかそうとしているネガティブさが垣間見えます。




■3月5日

高校3年生の頃、『受験』ということもあってとりあえず勉強をしなきゃという気持ちにはなってました。

私の学校には『学習室』という、自習専用の部屋があったのですが、その部屋に漂う無言の緊張感が好きになれませんでした。

学校内で勉強するときは、休日の誰もいない教室がほどよく都合が良く好きでした。

ただ、そう考えるのは私だけではなかったらしく、先客がいることもよくありました。

受験後期になってくると、大抵カップルが教室を占領するようになっていて、教室の扉の前まで行ってスゴスゴと帰った記憶があります。

教室の扉を開けないのは、扉の向こうが別世界になっている可能性が極めて高く、その日の勉強が手につかなくなるのを避ける為の自己防衛本能です。


今でも閉まっている扉を開けるときに感じる緊張感やワクワク感は、この時に培ったものなのだとも思ってます。




■3月4日

無性にマンゴーが食べたくなるときがあります。

南国のフルーツとして名高く、日本ではその値段の高さでも名高いマンゴー。

西表島にいたときでも、高価なので島の人はほとんど食べることが出来てなかった気がします。

でも、タイに住んでいた頃はタダで食べ放題でした。

農園に何本もあるマンゴーの木から、食べごろの果実を自由に取って食べることが出来ました。

たまに業者が来て、1キロ2バーツ(約6円)くらいで大量に持っていってたりしました。

マンゴーやパパイヤをブタの餌にしていた家も珍しくなかったです。

そういや田舎で食べたそのパパイヤブタ?!は、やっぱり美味かった気がします。

テレビとかで放送されている『究極の味』とかは、案外田舎で日常に食べられているものなのだろうなと思いました。

金は無くても贅沢なものを食べていた田舎の村。


あの頃の田舎の『食』を今の生活に取り入れようと考えると、途端に財布から悩ましいオーラが見え隠れします。




■3月3日

夕方過ぎて痛恨のタイミングで降り出す突然の雨。

それでも仕事が終わって帰ろうと思う頃は、雨が止んでいるという幸運。

部屋まで雨に濡れずに帰れるものの、部屋では雨に濡れた洗濯物と対面予定。

雨の日の喜びと悲しみ。

それにしても、毎回似たようなことを経験しているような気がします。

きっと『自分が雨に濡れないこと』と、『洗濯物が雨に濡れること』は表裏一体なのだろうとも思います。


これからも雨に降られない対策として、アグレッシブに洗濯物を干していくことにします。




■3月2日

『ちゃーんとやさしく もっとうるおう うーんとキメキメ サッ!』
のフレーズが耳に残るカネボウのCM

気の抜けた様なわかりやすいメロディと、スペシウム光線のようなポーズをとるタレントさんが気になっていたこのCM。

女性が一人で部屋にいるときに、こういう訳のわからない行動をしているというシチュエーションが好きなのだと思います。

決めポーズのときの勝ち誇ったような生意気な顔が、それほど嫌に感じないのは、脳天気なBGMが結構影響しているんじゃないかとも思います。


CMが流れる度に、みうらじゅん氏はやっぱり凄いなぁと思うのと、やっぱり自分はオリエンタルな雰囲気の人に弱いのだなと再確認させられます。




■3月1日

最近メガネをかけることが多いのですが、まだ慣れてません。

今日もコーヒーを飲む際にレンズが曇ったので、外して置いておいたら、すっかり忘れてそのまま移動してしました。

数時間後、職場の先輩が見慣れないメガネ姿で登場したときには、
「あぁ、(メガネを掛けると)ちょっと雰囲気が違いますね。」
と、普通に対応。

その2秒後くらいに、それが自分のメガネだということに気づいて、
「あっ!!そのメガネ・・・。」
と、思わず半音高い声で驚きました。

久々にとった素のリアクションが妙に気恥ずかしかったです。


最初に何も気づかない反応、無言の間(マ)、そして気づくタイミング、今後はその辺のリアリティを、計算の範囲内で使用していきたいと思います。




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