×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

バックナンバートップページへ


■11月30日

中華街に行ってぶたまん1個だけ食べて帰ってきました。

にぎわう関帝廟。

中華街のいたるところにぶたまん売り場は点在していますが、そのうちの9割ぐらいは、これでその値段はどうなのかと考えさせられるものがあると思います。


余談ですが、最近自分を人としてどうなのかと思う頻度が高いので、もうこのままどうにかなってしまおうかと思います。




■11月29日

ここ最近、携帯への迷惑メールの量が激増中です。

メールが来る度に受信拒否に設定登録しているのですが、毎回違うアドレスで送られてくるのであんまり意味が無いようにも思います。

迷惑メールはアルファベットや数字が無作為に並べられたアドレスなので、多分『億』や『兆』の単位で新しいアドレスが用意されているのだと思います。

この携帯が受信拒否に設定できるアドレスの数は100個までで、もう90以上のアドレスを登録済みの状態。

もう後が無いです。

多分今日中にも限界を迎えてしまいそうです。

無尽蔵に迫り来る迷惑メールを相手に、たかだか100程度のスペックでよくがんばったと思います。

この携帯にも相手側と同等の設定量があればと思う反面、この小競り合いが一生続くのかと思うと、むしろ100で終わってよかったと思います。


ある意味メールが送られてこないこのメールアドレスにいつまでもしがみついていないで、さっさとアドレスを変更してしまうべきなのだと思います。




■11月28日

風がやや冷たく感じ始める夕暮れ時。

何か首元がチクチクすると思って、何気に服の襟首を触ってみたらタグがついてました。

どうやらTシャツを前後逆に着ていたようです。

『着ていたようです。』とか普通に言ってる場合じゃないなと思います。

たぶん義務教育以来数年ぶりの衝撃です。

子供か、もしくは大人の階段をのぼりきった人たちにのみ許される行為じゃないかと思います。

残念なことに私は子供じゃないので、必然的に後者になってしまいます。


ここは自分で気づくことが出来たことを評価してみてはどうだろうかと思います。

一日の後半ではあれど、自力で気づけたことに意義があるのだと思うことにしたいです。

その場でスグに着なおすのか、そのまま過ごしてしまうのかでも評価は分かれてくるのだとも思います。




■11月27日

遊びに爆竹が導入された小学校高学年頃。

当時道端や公園に当たり前のように存在していた犬のフン。

それに爆竹を刺して火をつけるという遊びが流行った時期がありました。

点火をすると同時に皆ダッシュで逃げるという遊び。

足の遅いヤツは背中に点々と飛び散った爆発の余韻が残ってしまうという、今思い出してみてもドキドキ感が溢れる遊び。

もちろん火を付ける人間が一番危険です。

しゃがんだ状態から振り返って逃げる必要があるので、どうしても皆より遅れてしまいがちです。

点火役はジャンケンで決めていたと思います。

数日放置されたカピカピのものより、生まれて間もないやや粘度があって臭ってきそうなもののほうが、やりがいがあって白熱していたと思います。

爆竹をズブズブと奥深くまで差し込めるやわらかさも求められます。


そんなある日、導火線に火を付けて逃げたところで、爆竹が不発だったことがありました。

おそるおそる近づいてみると、物体の湿度からか導火線の根本部分で火が消えてしまっていました。

そこで、もう一度それに火を付けてみようという話になりました。

正直な話、どういう結末がまっているかは小学生でもわかりそうなものです。

導火線の無い爆竹に火をつけるのだから、そこにタイムラグは皆無です。

誰かにやらせたい、、、。
その光景を見てみたい、、、。
でも絶対自分はやりたくない、、、。

小学生ならではの無責任さと、こらえきれない期待感を胸に始まる決死のジャンケン。

爆竹自体は物体に完全に埋まってしまっているので、火をつけようとする様子はハタから見れば単にうんこに火を近づけている危ない小学生。

関係者にしか理解出来ない緊張感や期待や不安、そしてあきらめが混在していた現場の雰囲気。

点火役はまさにヤケクソの想い。


ここで結果の詳細を語るつもりはないのですが、現在何万本を売り出している人気ゲームよりも、楽しさの瞬発力はこっちのほうが上だったと今でも思います。




■11月26日

『美味しいもの』を食べたとき、場合によっては今まで食べていたものが残念なものに見えてしまうことがあります。

ここで注意するべきは、凄いのは『美味しいもの』であって、自分はただ美味しいものを食べただけの存在なのだということを心に留めておく必要があるということだと思います。

立派な人徳者や、人として尊敬に値する人たちとばかり接していると、ふと自分が成長したわけでもないのに周囲の人よりも偉くなった気がしてしまうのと同じです。

仕事が出来る人間とばかり接していると、仕事が出来ない人間に腹が立つのとも似ています。

どの場合もあくまで自分は比較をしているだけの存在なので、上でもなければ下でもないです。

つい最近、ちょっとした知り合いに言われた話。


遠まわしに『勘違いをしてはいけないよ』と諭されたようにも感じたものの、悲しいことにどの時点での話を取り上げられたのかすらよくわかっていません。




■11月25日

近場の温泉に行ってきました。

平日なのでガラガラでした。

温泉を十分に堪能して、着替えて帰ろうと更衣室へ。

更衣室はロッカー形式のとこなのですが、私のロッカーの上のロッカーを開けて着替えている人がいました。

300以上のロッカーがある中で、使用されているのが1割にも満たない中、さらに更衣室にいる人間は全体の1%程度なのに、どうしてこのタイミングで上下のロッカーが同時に開けられようとしているのか。

この広い更衣室の中、何が悲しくて他人の男の全裸を間近で視認しながら着替えなくてはならないというのか。

多分友達でもちょっと離れたロッカーを使うだろうと思います。

結局はその人が着替え終わるまでずっと、離れた場所で全裸で扇風機にあたってることにしました。


色々な偶然が重なって生じた運命的な事象も、本人が気に入らなければ、ことごとくスルーされていくものなのだと思います。




■11月24日

今日は傘が無かったので雨に濡れて帰ってきました。

ふと高校の頃にクラスの女子とアイアイ傘をした記憶が蘇りました。

かなり頑張って思い出してみた結果、2回はあったと思います。

色恋沙汰からは遠い場所にいた高校時代の中で、もの凄く記憶があいまいです。

そんなことがあったら嬉しくて忘れられないハズなのですが、そうでも無かったということになります。

その内の片方を忘れかけてた理由としては、相手が特に気になる人ではなくて、その場の流れで一緒の傘に入ったからだと思います。

もう片方のケースは結構気にしていた女子が相手だったハズなのですが、その辺りの細かい描写が凄く不鮮明です。

自分の記憶が捏造されてやしないかと本気で不安になったりもします。

いや、確かにアイアイ傘になるやりとりはありました。

その娘の傘を自分が持つよう促された記憶もあります。


その後どうなったのかがほとんど思い出せないのは、脳が思い出す必要が無いと判断したからなのか、ある種の自己防衛本能なのかは自分でもよく分かりません。

ただ高校の頃の自分を振り返ると、後者のような気がしてならないから嫌です。




■11月23日

小学校高学年の頃、クラスの女子数十人が帰り際に校庭のド真ん中で円陣を組んで、せーので声を合わせて
「○○君大好き〜〜!!」
と叫ぶ、という遊びが流行ったことがありました。

全員で声を合わせるので名前の部分は雑音的に聞き取れなくなってしまうという仕組み。

普段言いにくいことを大声で叫べて、小学生ながらにいいストレス解消にもなっていたのだと思います。

その際、もちろん男子はそこに近づくことすら許されませんでした。

校庭のド真ん中であるだけに死角も無く、隠れて聞き耳を立てることも出来なかったと思います。

とはいえ異性が気になりだす時期でもあるだけに、自分の好きな○○さんが誰を好きなのかが知りたくてしょうがない気持ちでウズウズしていたことも憶えています。

聞き取れないことは分かっているのに、その度にちょっとドキドキしていた記憶もあります。

あの頃は不思議と根拠の無い希望に溢れていたのだなと改めて思います。

その希望がより一層妄想をかきたてていたと思います。

上手く聞き取れないのをいいことに、きっと自分の名前が叫ばれていると思い込むことが出来ていたと思います。

むしろその叫びの中に自分の名前を聞き取れていた気すらしていたと思います。

考えるほどに、あの頃の自分が持っていた希望はかなり危うい代物だったと思います。


今でもふと、過去の記憶がその希望とやらに捏造されてはしないかと不安になったりもします。




■11月22日

エロいハンドソープ。
外のトイレのハンドソープがなんかエロかったです。

『低俗』だと言われれば、素直に受け入れることにします。


人は叱ってくれる人間がいないと、どこまでもくだらない発想が可能なのだなと思いました。




■11月21日

強風が吹きすさむ快晴の一日。

昼頃から鼻水が止まりません。

ふと風邪かなと思ったものの、どうやら原因は花粉っぽいです。

この時期の花粉が何なのか知りませんが、身体の許容量を超えているので鼻水で洗い出してしまおうということだと思います。

IgE抗体がマストセルと結合することで、異物(花粉)を認識し排除しようとするメカニズムです。


常に再試験を課せられていた免疫学から、うろ覚えの知識で言ってみただけですが、専門的な用語はそれっぽく聞こえてしまう危うさがあります。

正直今でも免疫学は何度も再試を受けさせられたトラウマが消えません。


いや、正確に言うと、免疫学のみに限らず全ての教科において再試は何度も受けていたとも思います。




■11月20日

ジーンズを履くときは下着のラインが出ないようにパンツを履かないという人がいるそうです。

どうやらモデルや女性の方に多いようです。

聞くところによるとそれが普通だとか、場合によっては常識だとでも言わんばかりの口ぶりらしいです。

(これは由々しき事態ではないかと。)

過去に数回ではあれど、私がズボンのチャックを締め忘れていたことは少なくは無かったと思います。

幸い現行犯として指摘されたことはありませんでしたが、単に気を使われていただけかもしれません。

そんな私がノーパンでジーンズを履いた日には、まさに現行犯として普通に刑務所行きになると思います。

『ついうっかり』とかは通用しない大人の世界。

傷つくとかいう以前に、もう社会的にも立ち直れません。


常に犯罪と隣り合わせのハードボイルドな日々。

今ちょっとカッコよく言ってみましたが、だからどうしたと単純に怒られるだけだと思います。


これからは過去にパンツを履き忘れたことが無いからといって、安心出来ないのだなと気を引き締めていくことにします。




■11月19日

西表島で働いていた頃、サンゴ礁で足を切ってしまったことがあります。

サンゴ礁はちょっと触れただけで、キレイにパックリと深く傷をつけてくるから要注意です。

しかもその際の傷口は、いつまでたっても血が止まらないというオマケつきです。

サンゴでの傷は見た目の出血の派手さに比べて痛みがほとんど無いです。

ただただ血が流れ続けるだけです。

当時お客さんをガイドしている後半でその傷を負ったこともあって、仕方なくそのまま放置しておいたことがありました。

事務所に戻ってからも仕事が山積みだったので、結局放置してました。

水仕事がほとんどだったので、常に足の血を洗い流しながら作業をしていたのですが、うっかり数分間放っておくと足が見事に鮮血に染まっていたりしました。

そして運が悪かったのか良かったのか、そこを社長婦人に見つかって島の診療所行きを余儀なくされました。

結果は3針縫って2週間の安静。

その間はガイドに出ることも許されず、朝から深夜までパソコン作業をする羽目になったことを憶えています。

その日相手していたお客さんが、数千人を案内してきたガイド生活の中で一番好みの女性だったことも鮮明に憶えています。


そのお客さんと私の怪我との相互関係があったかどうかは、不思議なくらい思い出せないブラックボックスです。




■11月18日

目が覚めたらこんな感じでした。
ニセ南国。
一見、南国風の光景。

これが作り物の観葉植物と照明だということはスグに気づきました。

この画像の暗い部分を青空風に変換処理すれば、うまい具合に騙せるかもしれないとも思いました。

ちょっとやってみようかと思ったものの、面倒なのでやめました。

誰かを騙す必要もなければ騙すべき人もいなかったからです。

好ましいことなのに不思議と寂しさが込み上げてきます。


個人レベルではあるものの、CG界における画像処理の技術的なスキルの進歩の縮図がここにあります。




■11月17日

自宅のトイレでは絶対ウ○コをしないという人の話を聞いたことがあります。

その人は必ず学校や駅などの外出先で済ませることにしているらしいです。

理由は水道代の節約になるからということです。

分かりやすすぎる理由。

反面、果たしてそれだけの理由でそのしばりは成立するものだろうかと疑問にも思います。

自らの力では止められないような有事の際にも、自宅のトイレに安住を求めたことは過去前例が無いらしいです。

夜中自宅に居る際でも、迷わず外出するそうです。

そこまでいくと、過去に水不足によるトラウマでもあったのではないかと勘ぐってしまったりもします。


水を大切にするが故に、彼がそれ以上のトラウマを背負ってしまわないことを願いたいです。




■11月16日

小学校3年生の頃の先生のアダ名は『タナバァ』でした。

『タナ』は苗字の一部、『バァ』はババァのバァ。

もちろん先生の前では言えない生徒同士の隠語として活用されていました。

同様に小学校4年生の頃の先生のアダ名は『シノヘン』。

『シノ』は苗字の一部、『ヘン』は変態のヘン。

もちろんこれも生徒だけの隠語。

子供はちょっとでも気に入らないと、平気で酷いことをする傾向があるから怖いと思います。

このアダ名は先輩の代から代々引き継がれてきていたのですが、子供たちは皆結構スンナリそれを受け入れてきていたと思います。

それが単なる惰性なのか感情なのかはわかりませんが、自分もちゃんと下の代に伝えていたと思います。

最初に言い出した子供も、ここまで代々受け継がれていくとは予想していなかっただろうと思います。


当事者の子供たちも、もはや個人では止められない大いなる流れが世の中には存在するのだということに、子供ながらに学べたのではないかと思います。




■11月15日

付き合いで久しぶりにグラスワインを一杯だけ飲んだら気持ち悪くなって吐いてしまいそうになりました。

吐くとブルーな気持ちになるので、出来る事なら避けたいです。

ただこのまま吐いてしまいそうな状態が続くのであれば、いっそのこと全部出してスッキリしてしまいたいとも思います。

普段吐きなれていないだけに、中々踏み出せない領域でもあります。

もう既に何度か胃液っぽい味を口の中で感じつつも、ただただアルコールの分解を願って待つしかありません。

幸いあとは自分の部屋に帰るだけ。


無口になりつつも解散の声を待ってたその時、

「じゃあ、最後にラーメンを食べようか!」

ここにきて衝撃の提案。


そしてまさかの完食。


案外胃袋の許容量的には何の問題も無かったのだと思わされました。

詳しい仕組みは知りませんが今悲鳴をあげているのは多分肝臓です。

肝臓の処理能力の悪さが、胃の中のものを全て放出するという結果を呼ぶのだとすると、胃袋側にとっては完全なとばっちりだとも思います。

多分胃袋側には、そんな切ない連携を取らざるを得ない複雑な内部事情があるのだろうとも思います。


そんなやりきれない胃袋の叫びが、オレロレロレオぅロレロレロレロ・・・・という声にならない声を出させるのだと思います。




■11月14日

夢の中に大学の頃気になっていた先輩が久々に登場。

大学の頃のままの姿で登場するという矛盾を感じさせないのが夢。

私は気になる人の一貫性があまり無いので、今でも正直不思議に感じてしまう存在の人でもあります。

言ってしまえば、好きになったり嫌いになったりするのに理由なんて無いです。

今でも「何で?」と聞かれて明確な答えを言える自信は全くありません。

今はもう忘れましたが、当時とりあえず周囲に納得してもらえるような答えは用意していたような気がします。

基本的に魅力が無い人なんていないのですが、その辺は自分なりにも何らかの理由が欲しかったのだろうと思います。


自分の心情を素直に吐露すればするほど怒られそうな気がするから不思議です。




■11月13日

寝る前に喉が渇いたので水をガブ飲みして寝ました。

そのせいか深夜におしっこがしたくなってトイレに起きました。

布団から出るのが寒くてしんどく感じる時期になってきただけに、我が生理現象ながらうっとおしいことこの上ないです。

それを踏まえて、次の日は水を飲むのを我慢して寝ることにしました。

結果、喉がカラカラになって深夜に起きて水を飲みました。

水を先に飲むか後に飲むかが変わるだけで『深夜に起きる』という行動は変わらないのだなと思いました。

いわゆる相対性理論の等価原理です。


よく知らないからこそ、堂々と言い切ることが出来ることもあるのだと思っておいて欲しいです。




■11月12日

今月は『ちゃんと朝食を食べよう』ということを目標にしていたはずでした。

その目標は開始2日目で早くも『とりあえず朝食を食べよう』に変わっていたと思います。

そして今日は久々に寝坊をしたので『連日朝食を食べる記録』は2週間を待たずして更新を断念。

今思えば多少古典的でもトーストをくわえながら走ることも出来なくはなかったかもしれません。

そうすれば曲がり角でぶつかる出会いがあったかもしれません。

『おれがあいつであいつがおれで』的な事件が起きたかもしれません。

そう言えば一人暮らしをする中で、朝食がトーストだったことは皆無です。

今までの人生の中で数千回以上このチャンスを逃していたのかと思うと、もったいないことをしていたのだなと改めて思います。


今までの人生において新たな出会いが少なく感じたのは、この部屋にパンやトースターが無いことが原因だと判明。




■11月11日

興味本位で買ってみた調味料。
食用とは思えない味わい。
調味料に『デス』ってどうなのか。

辛いものはそんなに得意でもないですが、好きなほうでもあります。

試しにほんのちょっとだけ指先で触って、舌の上にチョンと乗せてみました。

数秒のタイムラグの後、とめどなく汗が流れてくきます。

過去に味わったことの無い尋常じゃない辛さ。

500ml近い水を迷わず一気にガブ飲みできました。

料理の繊細な味付けの全てを台無しにする要素が満載の調味料。

味とかを無視して、ただひたすら汗をかきたい人にはお勧めだとも思いました。

一回の料理に一滴が限界と考えると、賞味期限内に使い切るのは不可能だとも思います。


この調味料がプレゼンを勝ち抜いて商品化された経緯の中で、どこかにかなり問題のある人が紛れていたのだと思います。




■11月10日

『日本』という言葉をタイ語で言うのが難しかった記憶があります。

正直自分がちゃんと言えていたのかもかなり怪しいです。

日本語読みでは『イ゙ープン』と表記されていたりします。

なんなんだそれはと思います。

そんな日本語は無いのですが、がんばって声に出してみると『
ギィープン』みたいな発音になります。

この読みが正解かどうかもよくわかりません。

中には『ジープン』と表記されているものもあり、知り合いの日本人が実際にそう言っているのを聞いた事はあります。

でもそう思って普通に私が『ジープン』と言ってみてもあんまり通じなかったと思います。

タイ人の発音を聞くと、『ジープン』ではなく『イープン』と聞こえます。

そこで開き直って私も『イープン』と言ってみると、大抵「ん?」みたいな顔をされます。

そこはやはり『イープン』ではなく『イ゙ープン』と言わないと駄目らしいのです。

「日本人のくせに『日本』って言えないのかよ〜。」
とタイの友人によくからかわれました。

(ちょっと待て。それは私のせいじゃない。むしろお前らのせいだろう。)
と思いながらもそれが言えなかったあの頃。


そもそも日本人が日本って言いにくい言語ってどうなのかと今でも思います。




■11月9日

帰るとビショ濡れの洗濯物が待っていることは知ってました。
洗濯後に雨。
もう数え切れないくらい経験済みなので、いちいち落ち込むこともありません。

ちょっと多目に『すすぎ』をしたと思えばいいです。

より丁寧に洗ったということです。

しかも自然の流れに逆らわない、『地球に優しいすすぎ』です。


このまま明日まで放置することで、『地球に優しい脱水』も兼ねて行うことにします。




■11月8日

久しぶりに転びました。

ちょっと足がつまづくとかではなくて、両手を完全に地面につけたカタチ。

そこに段差があることは重々承知していたにも関わらずです。

「もう足があがらなくなってきている。」
と指摘されたときは納得しそうな反面、精神面が受け入れるのにやや抵抗を感じたりもしました。

今後精神的なダメージを受けないためにも、これからはヒザが直角になるまで足を上げて歩くことを意識しておくことにします。


それを実際にやってみると、思いの他速く歩くことができることと、すれ違う人たちの視線によるダメージが予想外に大きいことに驚きます。




■11月7日

マヨネーーーーズ!!
昨日突然マヨネーズを貰いました。

これを単品でもらう機会って人生の中であんまり無いと思います。

何はともあれ調味料事情の希薄なこの部屋において救世主のような存在。

久々のマヨネーズとの再会にややテンションも上がります。

反面、数年ぶりに手にした慣れないマヨネーズを前に、どうしたらいいかわからない状態でもあります。


経験上、『久しぶり』とか『慣れない』とかのワードは後々トラウマを生むフラグ立てにもなりかねないので、せめてマヨネーズは克服しておくことにしたいです。




■11月6日

寿司と日本酒。
お寿司をご相伴に預かってきました。

お寿司にはやっぱり日本酒が合います。

1カン食べてはクイと一口。

寿司ネタが変わる度にお酒の味わいも変化していくさまは、まさに日本酒の醍醐味。

醸造酒である日本酒は、食事中に飲むアルコールとしても日本食のうま味を引き出す最適な存在とも言われます。

日本酒と日本食が生み出す抜群の相性がここにあります。

もちろん全て聞いた知識です。


ちなみに私はお酒が全然ダメなので、今日の日本酒は数年ぶりの1杯。

これでややほろ酔いです。




■11月5日

もみの木気どり。
気がつけば近所の店先の木にちょっとだけイルミネーションがついてました。

(もみの木気取りか。)

クリスマスに向けて恋人たちへのムード作りに貢献しているのかと考えると、思わず軽く舌打ち。

そもそもまだ暗くなっていない内からこのささやかなライトアップはどうなのか。

エコ的にも樹木的にも多分やさしくないと思います。

きっとそうです。


今後はエコロジーの視点からこういった部分を強く批判していくことにしたいです。




■11月4日

小学生の頃、理科室や家庭科室、視聴覚室等の特別室はテンションの上がる場所でした。

正確に言うと、授業の一端で入るのはそれほど嬉しくは無かったのですが、何も関係が無いときに誰もいない特別室に入ったときが凄く興奮した記憶があります。

大抵は普段カギがかかっているのですが、ごく稀にカギが開いたままになっていることがあって、偶然を装って友人たちとコッソリ入るドキドキ感がたまらなかったのだと思います。

図工室と放送室は超テンションが上がった記憶があります。

保健室と図書室は思った以上に楽しむ要素が無かったと思います。

禁断の校長室は、怖くてすぐに出た記憶があります。


こうして思い返してみると、特別室はもれなく侵入経験があったのだなと思います。


特別室内で、ただただ走り回ったり床に寝転んだりしていたあの頃の思考回路は、自分のことながら理解し難い要素が満載だったとも思います。




■11月3日

スキンダイビングにおいて、水面に浮かんだ状態で身体を腰から折り曲げ、真っ直ぐ水底に潜る動きを『ジャックナイフ』という言い方をします。

『ヘッドファーストダイブ』という別の呼び方もあったと思いますが、大抵の人は『ジャックナイフ』の方を好んで使っていたと思います。

理由は多分、なんとなくかっこいいからだと思います。

単に『潜り方』と言えば何も問題なく相手に通じるような場面でも、ついつい使ってしまうプロっぽい響きの魅力を持っている言葉。


また同様に『レイ』等でもお馴染みの南国の花『プルメリア』も、『インドソケイ』という別の呼び方があります。

主に『プルメリア』の呼び方が浸透しているのは、なんとなく響きがかわいらしいからだと思います。

確かに『インドソケイ』では人気者になれそうもありません。

実際『インドソケイ』は東南アジアではお葬式に使用される花です。

また、キョウチクトウ科の植物なので毒もあります。

しかも結構『猛毒』の部類です。


この辺のうんちくを淡々と解説することで、プルメリアを見てはしゃいでいた女性観光客のテンションを一気に下げて楽しんでいた記憶があります。




■11月2日

「葉っぱ食べる?」
と、声を掛けられて大根の葉っぱを大量にもらいました。
大根の葉がたくさん。

とりあえず苦味をとる為に湯通しをしてみます。
湯通しする。
相変わらず量を間違えることから始まる料理。

葉物はカサが減るので結果オーライです。
ひたすら煮込む。
適当に味をつけたスープがほぼ無くなるまで煮込んで濃い味に仕上げてみました。

和え物風。
小鉢に盛ればそれなりにカタチになります。

小鉢にはとりあえず盛ってみただけで、実際はこの20倍くらいの量があります。


とりあえず湯通し。
また軽く湯通ししてから、今度はツナ缶と油で炒めてみます。

食材の使用量は常に大胆。

シーチキン炒め。
小さくまとめれば大抵のものはそれなりに見えてくれます。

いちいち小鉢に盛ってみるのは『食べきる』というモチベーションを高めるためです。

大根の葉カレー。
ヘルシーなほうれん草カレー風に仕上げてみたり。

大根の葉焼きうどん。
色どりの寂しい焼きうどんを作ってみたり。

大根の葉ラーメン。
単純にラーメンの具にしてみたり。

大根の葉カレーうどん。
カレーうどんにしてみたり。

(もうこれ以上は、、、。)
と思ったあたりで大根の葉が無くなりました。


最終的に全部食べ切るまでに3日ほどかかりましたが、改めて自分の料理のレパートリーの単調さに気づかされた日々だったと思います。




■11月1日

味噌汁をマグカップに入れて飲んでみました。
マグカップ in 味噌スープ

正確に言うとマグカップ以外に手頃な大きさの器が無いからです。

熱々のコーヒーを飲む感覚同じと考えれば、そこにそれほどの違和感は無かったです。

世の中には缶入りのおしるこが普通に売っているのですから、味噌汁をドリンクスタイルで飲んだって何ら問題は無いとさえ思います。

夜はめっきり冷えてきた昨今、身体を中から温めるのにも最適です。

片手をポケットに突っ込んで、ちょっと遠くを見ながら飲んでみたりもします。

うっかりコーヒーのCM依頼が舞い込んできそうなくらいのナチュラルなたたずまい。


もしこの状態で突然の来客があったとしたら、迷わず流しにこの味噌汁を捨てにいくとも思います。




■10月31日

ふとドリアン売りのおじさんのことを思い出しました。

もちろんタイにいた頃の話。

ドリアン売りは常に棒を携帯しています。

客がドリアンを買いにくると、山積みにされたドリアンを片っ端から棒でポンポンと叩き始めます。

熟練のドリアン売りは、その洗練された感覚と巧みな棒さばきで熟した食べ頃のモノをチョイスしてくれます。

多分スイカをコンコンと叩くのと同じ考え方だと思います。

「うん、コレだな。」
と言いつつ、ドリアンを渡してくれるおじさんは何故かいっつも無愛想でした。

家に帰って皮を剥いてみると、熟した食べ頃のプニプニの果肉が現れる、というわけではなかったです。

おじさんの選んだドリアンがちゃんと熟していた確率は、ひいき目にみても4割くらいだったと思います。

どういう感覚でドリアンの熟し加減を判断するのかは知りませんが、少なくともあのおじさんはよく分かっていなかったんだと思います。


でも今思えば、おじさんはいつも『コレだ。』と言うだけで、決して『コレがウマイ。』とは言っていなかったような気もします。

あのおじさんが『コレだ。』と言っていた『コレ』とは、多分おじさんの中の概念的な何かで、毎回変わっていたのではないかと思ってます。




■10月30日

好きな動物を聞かれたとき、世の中の女性の7割近くが『犬』と答えるらしいです。

これは心理的に、好きな異性のタイプにも相当するらしいです。

犬の持つ感情表現の素直さ、忠実さ、わかりやすさ、などが世の7割方の女性たちが求める理想の男性像だということです。

なるほど確かに自分にはそんな要素は無いです。


世の中には私のことを求める女性が3割もいるのだと前向きに考えていくことにします。




■10月29日

『他人は自分を映す鏡』という言葉があるように、何か嫌なことがあったときは自分自身を見つめなおしてみることが大切だと思います。

常々私にはメールや電話がこないと思っていたけれど、それも自分から発信していなかったことが原因です。

きっとそうです。

気づいてしまえば簡単なことです。


物事はシンプルであればあるほど、色々なことに気づかないフリをする必要があるのだなと思います。




■10月28日

原付で30〜40分ほど風を切ってきました。

詳細を言うと、30〜40分ほど風を切りつつ道に迷ってきました。

結果、抜群に寒いです。

やっと自分の部屋に帰ってきてドアを開けたら、部屋の中も寒い。

窓が全開に開けっぱなしでした。

ドアを開けた拍子に冷たい風が吹きぬけていく部屋。

戸締りを忘れていた苛立ちと、震えて帰ってきた部屋が寒いという侘しさ。

もちろん仮に戸締りをしていても部屋が寒いことに変わりはないのだとは思います。


今後一人暮らしの切なさを直視しないためにも、部屋の寒さは戸締りをし忘れたせいにし続けることにします。




■10月27日

アメを食べている状態で女性といい雰囲気になったとき、
「今ならもれなく甘いキスだよ。」
というウィットに飛んだジョークをハタチ前後の頃に考えていた記憶があります。


当時結構意識して頻繁にアメをなめていたのですが、一切そういった状況にならなかったことも憶えています。




■10月26日

『更衣室』とパソコンで打ち込むつもりが、『行為室』と変換されました。

(行為室、、、。)

なんかちょっとドキドキする響きだと思います。

行為をするための部屋なのだから別に間違ってはいないのだとも思います。

室内行動の定義づけが広範囲になっただけです。

むしろ便利です。

あんな行為やこんな行為も出来る『行為室』。


もっともそこに秩序が無いのであれば、○○室と名づける意味も無いのだろうとも思います。




■10月25日

子供の頃、戦隊ヒーローものの番組が好きでよく見てました。

今活躍しているのが何レンジャーなのかは知りませんが、姿カタチを変えながら今でも続いている戦隊モノは凄いと思います。

いっそのこと『モーニング娘。』みたいに大々的に一般オーディションとかして、どんどん増えていけばいいのにと思います。

○○レンジャーを目指して身体を鍛える健康的な子供たちが増えるんじゃないかと思います。

将来の夢がヒーローだなんて夢のある話だと思います。

レンジャー予備軍といったジャニーズジュニア的な存在も出てくると思います。

自分の好きな色のレンジャーを目指して様々なカラーが新たに登場する戦隊モノ。

より一層、色の個性が引き立って面白いと思います。


 『オレンジレンジャー怒りの叫び!
     
〜勝手に間違えたのオマエらだろ!〜 』の巻

 『ピンクレンジャー、桃レンジャーとの確執
  
   〜夫のシャツに桃の残り香〜 』の巻

 『薄黄レンジャーの苦悩
     
〜目立たないけど僕だって怪人を倒してます〜 』の巻

 『新人類!?友禅染レンジャー登場
     
〜単色否定に周囲からの孤立〜 』の巻

 『紫レンジャー生き別れの親探し
     
〜赤レンジャー青レンジャー露骨に知らぬそぶり〜 』の巻

 『肌色レンジャーの願い
     
〜僕にもレンジャースーツを作ってください〜 』の巻


もう考え出すと止まらないくらい楽しいです。

子供が夢見るような内容が出てこないことが少々残念でもあります。

内容がやや大人向けです。


ちなみに『茶レンジャー』は地味な色である反面、そのアグレッシブな響きで人気が出ると思います。




■10月24日

中学生ぐらいの頃、睡眠中の夢の途中でこれは夢だと気づいたことがありました。

夢の舞台は学校の教室。

クラスメイトがチラホラ動き回っている休み時間。

夢と気づいた私は、日常でははばかられるあんなことやこんなことが堂々と出来るチャンスだと嬉々としていた記憶があります。

でも、様々な諸事情を考慮して詳細の記載は避けておきます。

奇しくも思春期真っ只中なのだから多少は多目に見てもらえると非常にありがたいです。


夢の中だからといって何をしてもいいかというと、案外そうでもないのだなという、後々精神面でのトラウマを積み重ねていく最初の一歩でもあったと思います。




■10月23日

小学生の頃、比較的ずっと仲の良かったクラスメイトが実は双子だったということを5年生ぐらいのときに知りました。

衝撃的な事実に聞こえなくもないのですが、その双子のもう片方は隣のクラスに居たので自分が無知だっただけです。

その二人はすごくよく似ていたらしいのですが、私が初めて見たときは何が似ているのか分からないくらい別人だと思った記憶があります。

今記憶の糸をたどってみると、確かによく似ていたような気はします。

双子なのだから当たり前です。

似てることすら感じなかったのは、当時の自分に何かしら問題があったような気がしないでもないです。


20代後半ぐらいで知り合った双子の姉妹を、約3年かかっても判別出来なかったことを考えると、大人になって失われた何らかの能力があったのだとも思います。


それが『純粋さ』なのだろうということに何となく気づいていなくもないです。




■10月22日

昨日スパゲティの美味しいお店で遅い昼食を食べてきました。
ボルカノでランチ。

後ろの席では小学生くらいの女の子と、その母親らしき女性の2人がちょうど食事を食べ終えた頃の様子。

20代〜30代くらいの少々若い雰囲気のある母親の声が背中ごしに所々耳に入ってきました。


母「ねぇ、タバコ吸っていいかな。ちょっとだけ。ほんのちょっと。横向いて吸うから。ダメ?!え〜!!だって家でも我慢してるんだよ。ここでぐらいいいじゃん!!」
娘「・・・・・・。」
母「スパゲッティとスパゲティーってどっちが正しいと思う?パスタとかは無しね。」
娘「・・・・・・。」
母「いや、正直何がショックだったかっていうとさ、やっぱりアノ人家賃払ってくれないんだな〜って思ってさ。」
娘「・・・・・・。」
母「あぁ、外に出ててもいいわよ。これ一本ちゃんと吸い終わってから行くから。」


色々と突っ込みどころが多い会話でした。

喫煙してもいいかを娘に懇願するも、にべもなく断られている母親。

そもそもタバコを吸うのに『ちょっとだけ』っていう制限は意味が無いと思います。

そして一瞬どうでもいい会話になったかと思えば、小学生にそれはどうなのかと思わせるほどのヘビーな内容の話を持ちかけていたりもしてました。

最終的にタバコを吸ってしまっているらしいことも衝撃的です。

『ちゃんと一本吸う』という一見正しいように聞こえる表現も、単にガッツリ1本吸っているだけです。

最初言ってた『ほんのちょっと』はどうしたと言いたい。


しっかりした印象を受ける女の子を見ていると、子供は大人が思うよりも大人のダメな部分を見抜いて学んでいくのだろうなとも思ったりしました。




■10月21日

長ネギをちょっと使って置いておくことがよくあります。
長ネギ使い切れず。

・・・1日後。

ちょっとした頑張り。
切った部分から勝手にちょっとだけ成長してます。

若干お得な感じがするものの質量的に変わるハズがないので、その分ネギ自体がややしなびてしまっているのだろうと思います。

ネギ側にしてみれば、ここにきてちょっとだけ頑張りを見せる何かしらの意義があったのだろうと思います。


もちろんまったくと言っていいほどに興味を惹かれないことです。




■10月20日

高校1年生の頃、『ドボン』というトランプの遊びがクラス内で流行してました。

ゲームの終了時にはマネー的な存在が発生したこともあり、中毒的な要素もはらみつつ周囲の生徒を巻き込んでいったドボン旋風。

『運』はもちろん『確率』や『読み』が重要なゲームだったこともあり、直感派と頭脳派で数ヶ月のうちに勝ち組と負け組みにクラス内が分かれていったと思います。

漱石クラスの紙的な要素が数枚といった、当時高校生にとってはかなり切実な状況に追い込まれている人もいました。

一回のゲームでは平等院鳳凰堂風の銅っぽい存在が行き来するだけだったハズなのに、積もり積もって首が回らなくなっているという、大人社会の未来予想図のような状況も見え隠れしていました。

私は何故か素直に勝とうとせずに、とにかく相手の裏をかくことばかりを考えていたので、結果中途半端に弱かったと思います。

結局パシリ的にパンを買いに行ったり、現国の課題を請け負うとかで、上記のような勝敗による副産物的なものをチャラにしてもらった記憶があります。


マグロ漁船的な考え方の縮図がやさしいカタチで存在していたのだなと思います。




■10月19日

タオルを貰いました。
バーバリー登場。
しかもブランド品。

バーバリーなんて女子高生のマフラーでしか見たことが無いです。

現時点でこの部屋唯一のオシャレアイテム。


今まで頑張ってきた日用品をないがしろにしつつ、今後はバーバリーのタオルを使っている自分を全面に押し出していくことにします。




■10月18日

久しぶりに昼食をお腹いっぱい食べました。

迂闊にも猛烈に眠いです。

昼食を満足いくまで食べるときは、食後のコーヒーが必須なのだなと改めて思いました。

そう思うと、朝食をお腹いっぱい食べるなんてもってのほかのような気がしないでもないです。

自制が出来ない人間にとって一日の食事を夕方の1食で済ませることは、ある意味身体に適した行為なのだなと思ったりもしてます。


人は十人十色と言うように、身体の使い方も個性があって然るべきなのだと柔軟に考えていくことにします。




■10月17日

ヨックモックを食べる機会に恵まれました。
瀟洒なお菓子。

私にとっては幼い頃から憧れてやまない、高級且つお洒落の代名詞のようなお菓子。

サクッと軽やかなクッキー生地の食感に、チョコが控えめながらも絶妙に混じり合い、上品な味わいを醸し出す垂涎の一品。


直前にぺヤングのやきそばを食べてしまっていたことを、これほど後悔した日は無かったです。

ヨックモックを食べた後も、口の中にソース味の風味を残すぺヤングは、ある意味凄いと思いました。




■10月16日

すごくドキドキする夢をみました。

目が覚めてからもしばらくは余韻に浸っていたいと思ったのは久しぶりです。

実際にはありえない話でしたが、可能性がまったく無いわけではないような話でした。

むしろ登場人物の矛盾を除けば、無くはない話でした。

朝から期待に夢が膨らむゴキゲンな一日の始まり。


そして今、何事も無く一日が終わるのだなと思っているところです。




■10月15日

駄菓子をたくさんもらいました。
駄菓子色々。
駄目な菓子と書いて駄菓子。

赤色3号とかの着色料満載で構成された、日本が誇るジャンクフードです。

味に関してもジャンキーさが満載。

子供の頃は大好きでしたが、大人になって冷静に食べてみると、すごく訳が分からない味がします。

子供の頃は1日に2〜3個程度の駄菓子しか買えませんでしたが、大人になった今となってはこうして大量に食べることができます。


ただ、2〜3個以上の駄菓子を一気に食べると、胸焼けが止まらないということに大人になって気づきました。




■10月14日

以前職場の先輩が年に1〜2回くらいのペースで、3日間のプチ断食をしていたのを憶えています。

身体の器官を休ませることと、体内の毒を全て出し切ってしまうことが目的の一つだと言ってたと思います。

その人は断食中も毎日の農作業をこなしていたし、食事の席にも水のみで参加してました。

今考えても意思の強い人だったのだなと思います。

私も何度か断食に挑戦しようと考えたことはあるのですが、上手くいった試しがありません。

空腹時の誘惑に勝てたことがないです。

断食に対して、あんまり想い入れが無いからだと思います。

いつも食後の満腹時に断食を決断しては、空腹時に挫折することを繰り返していたと思います。

それは日常とまったく変わらない食生活。

徹夜明けでうっかり丸一日寝てしまった日が、予期せずして断食の最高記録だったのではないかと思います。


健康法の一つである『断食』にもっとも近づけた日が、不健康な日々の産物であるという妙。




■10月13日

くしゃみをするときに、
「ぶぅえっっくしぃょぉぉん!!ぅぁあ〜!ちっくしょぅ、、、。」
と豪快に声を出す人をたまに見かけます。

見ていてもさぞかし気持ちいいのだろうなと思います。

くしゃみのあとの奇声や『ちくしょう』などの付属語は、くしゃみの余韻をより長く楽しむための接尾語なのだろうと思います。

ハンマー投げの選手が投げた後に叫んでいるのと似たような感覚がそこにあるのではないかと思います。

このワザと大声でくしゃみをするという行為は、やってみると案外難しいです。

これをやっている人は年配の方が多いので、それなりに熟練した技なのだと思います。


また、一度やるともう後戻りが出来ないほどの快楽性と中毒性を兼ね備えているのだろうとも思います。




■10月12日

一昨日から住んでいるマンションのネット回線が繋がらなくなりました。

早速レオパレスの管理者に問い合わせてみると、、、。
「えー、どうやら現在そちらのマンションが全てそのような状態になっているそうで、現在技術スタッフが対応中のようでして、、、復旧まで4〜5日はかかるかと。」

(4〜5日とは結構な期間だ。)

もしメールの返信が4〜5日も遅れたら相手側に失礼だと思いますし、大切な約束事や重大なチャンスをとりこぼしてしまう恐れもあります。

愛の告白的なものも無いとは限らないです。

ここ半年間、このPCメールには友人からの連絡すら一切無いのですが、可能性はゼロではないのだと思いたいです。

半年前にきたメールも、単なるご機嫌伺いで内容はたったの1行でしたが、もちろん可能性はゼロではないのだと思いたいです。

そのメールを除くと、約1年くらい前にも友人からメールが1通届いていました。

この事実を整理すると、半年毎に1通のペースでメールがきていると言えなくも無いです。

そしてまさにこの4〜5日の間に、半年ぶりのメールが送られてこないという保障はどこにもないのだと強く主張しておきたいです。


被害妄想の強い人間は、期待妄想も激しく強いのだろうと思ってくれて構いません。




■10月11日

セブンイレブンで『おにぎり100円セール』が開催中。
おにぎり100円セーーール!

セール中、やや高額のおにぎりはあっという間に棚から姿を消してしまいます。

確かに通常価格105円のシーチキンおにぎりを買うより、通常価格135円のサケおにぎりを買ったほうがお得感があるのは分かります。

私も常日頃から購入しているサケやタラコのおにぎりが安く買えるのは嬉しいです。

反面、ここぞとばかりに高いおにぎりを買っているようなセコい印象を持たれてしまうというネックもあると思います。

「いや、別にセールだから買うわけじゃないですよ。100円じゃなくてもいつも買っていますよ。」
と、声を大にして言いたいところです。

もちろん言いませんが。

なんか今日はおにぎりを買うのをやめようかと思うほどの弱気っぷりです。


いつもチョコレートを買っているのに、バレンタイン前の数週間は買えなくなってしまうことと悩みの系列は同じです。




■10月10日

「突発的に行動を起こす傾向があるよね。」
と、友人に評されることがあります。

でも実際はそうでもないです。

8割方は結構前々から考えて計画を立てていると思います。

ワザワザ事前に話をしていないだけです。


ひっそりと計画してひっそりと中止した計画の8割方は、口にするのもはばかるラインナップであることも自負してはいます。




■10月9日

色々と悩みが尽きません。

大人になると、やるべきことが分かっていても出来ないことが増えてきます。

悩みが尽きないのは、悩みの解決を先送りにしているからです。

でも正直な話、そんなにたくさん悩みのタネがあるわけでもないです。

ただ延々と解決しないから、延々と尽きないだけです。

もっとも誰かに相談したところで軽く一蹴されてしまうような悩みでもあります。


もし後日この日の日記を見返す機会があったとして、衝動的に消去してしまうことのないように、このまま内容はボンヤリとした状態にさせておいてください。




■10月8日

無茶なことをしては身体を壊している友人がいます。

何も考えていない子供のすることと思われがちですが、何気に大人に結構多いと思います。

正直その気持ちは分からないでもないです。

ちなみに私はやりません。

身体を壊したときに純粋に自分が一人になってしまうことを知っている人は、行動に歯止めがかかってしまうからなのだと思います。

私だって身体を壊したときに心配してくれる恋人や看病してくれる奥さんがいれば、迷わず無茶をしている自信があります。

一人きりの馬鹿にとって、支えてくれる人のいる馬鹿の行動判断には敵わないという一種の憧れすら感じたりもします。


結婚して友人との付き合いが疎遠になる理由の一つが、この辺の行動の違いにあるのだとも思います。




■10月7日

またか、、、。
最近こんなのが多いです。

買うときはまだ残っているなんて微塵も思ってもいなかったので、正直ショックです。

バスルームを頻繁に掃除しているわけでもないので、いつのまにかその記憶がすっかり無くなっていたのだと思います。

そんなに掃除をしていないのに、使い切ったと思った根拠はなんだったのだろうとも思います。

しかも毎日必ず視界に入る位置に保管しているものでもあります。


もし来訪者に凄く風呂掃除好きなんだなと思われたら、そのまま誤解させておくことにします。




■10月6日

納得いかないことや、思うようにものごとが進まないときに、顔つきが変わっていることがよくあるらしいです。

自分では意識しているつもりはないのですが、指摘されることがよくあるので感情が顔に出てしまっているのだと思います。

ただ、指摘される表現と実際の感情が食い違っていることがよくあります。

『困っている』ときに『疲れている』と評されたり、『眠い』ときに『怒っている』と言われたりもします。

もちろん誰にも何も気づかれないよりは良いのだと思います。


少なくとも通常の状態ではないということを読み取ってもらえるだけありがたいと思うことにします。




■10月5日

タイの風習の一つで、本名とは別にアダ名を誰もが持っているというものがあります。

家族間や友人はもちろん、学校や職場でもそのアダ名で呼ばれ続けます。

よっぽど親しい友人でも本名を知らないというのは、別に珍しくもないことらしいです。

大抵生まれたときに親が名付けるのですが、誰ひとり日本人のように真剣に考えて名付けてません。

その時に雨が降っていたから『雨』と名付けたり、テレビでバスケを見ていたから『バスケ』と名付けられてたりします。

他にも扇風機が目に止まったから『扇ぐ』だとか、『鳥』とか『ヤギ』とか何でもアリ。

タイの農家では知らない人のいない日本企業名『クボタ』と名付けられていた人もいました。


そんな世界にいると、何かもう色んなことがどうでもよく感じてくるから不思議だったと思います。




■10月4日

本を読むのは好きなほうなのですが、別に読むのが得意なわけではないです。

本を読み始めると、大抵30分くらいで眠くなります。

基本的に本を読むのは暇なときなので、眠くなったら迷わず寝ます。

なので1冊の本を読み終えるまで2〜3週間かかってしまうことは珍しくないです。

眠くなることを見越して、布団に潜ってから読み始めたりもします。

そんなことをしているから眠くなるのだと指摘されることもあるのですが、立っていても座っていても例外なく眠くなります。

実際立って本を読んでいて、バサバサと本を地面に落とした音で目が覚めたことが何回かあります。

そのうちの2回ほどは知り合いに目撃されました。


疲れているんじゃないかとか、身体の心配を凄くしてくれたりしましたが、あれはただ本で眠くなっていただけです。




■10月3日

料理をすると大抵予想通りのものが出来上がります。

自分で作っているので当たり前なのですが、結局のところ何か偶然の間違いでも起きない限り、自分で作った料理で予想以上に美味しいと感じることは難しい気がします。

私が普段料理をあまり作らない理由の一つです。

もちろん今考えた理由なので、正確には『新たな理由の一つ』です。

たまに突発的に何かを作りたくなることはあるのですが、そんなときはどことなく『調理』ではなく『実験』といった雰囲気がただよいます。

味以外に何か別の、自らを奮い立たせるモチベーションが料理には必要なのだと思います。


稀に、作っていくうちに段々と楽しくなってくることがあるような気はするのですが、あくまで初めての料理限定で、2度目は無いです。


一昨日予想以上に楽しかった初めてのハンバーグ作りも、多分2度目は無いのだと思います
Cookingハンバーグ編参照)




■10月2日

2〜3日くらい前にマクドナルドのハンバーガーを久々に食べました。

何でこんなに長い間食べていなかったのだろうと不思議にすら思います。

別にハンバーガーが嫌いなわけではないですし、モスバーガーなら2年前ぐらいに食べた記憶があります。

避けているわけではないのですが、私の中で好んで食べるほどでもない存在なのだろうと思います。


基本的にハンバーガーはサンドイッチの具を肉に変えた、いわゆるサンドイッチの亜種的な位置づけです。

もちろんサンドイッチが嫌いなわけではないのですが、それならサンドイッチを食べればいいと思います。

サンドイッチでは肉的な存在が物足りないと思うことはありますが、だったらゴハンと一緒に肉を食べればいいじゃないかと思います。


多分ハンバーガーとかサンドイッチとかはどうでもよくて、最終的には単にごはんが好きだからということでいいのだと思います。




■10月1日

ネットカフェの狭っ苦しい空間は嫌いじゃないです。

ひたすらくつろぐ。
マンガとか読まずにひたすらマッサージチェアで身体をほぐしたりするのが好きです。

子供の頃はマッサージチェアなんてくすぐったいだけだったのですが、いつの間にか『イタ気持ちいい』ぐらいの感覚になってしまっています。

それだけ身体が鈍感になったということなのだと思います。

1時間以上マッサージを続けると、必要以上に身体をほぐしてしまったような感覚におそわれます。

マッサージが2時間続くと、動いていないのに身体全体が熱く火照って汗ばんできて、3時間座り続けると、もの凄く疲れることもできます。


これからネットカフェに行くときは、「汗を流してきます。」と言うことにします。




■9月30日

でっかい梨をもらいました。
とにかくでっかい。
果物の中でも梨は好きなほうです。

リンゴよりも梨のほうが好きです。

子供の頃、母親はとにかく私にリンゴを食べさせようとしていた記憶があります。

確かに当時は今以上に『リンゴ万能説』のような風潮があったような気がします。

好んで梨を貪り喰う私をみて、うまい具合にリンゴ好きに移行出来ないものかと、母は考えていたのだろうと思います。

「梨なんて何の栄養も無いのよ。リンゴを食べなさい。」
という極論まで言われた記憶があります。


その甲斐あってか、私は今でもリンゴを買って食べたことがありません。




■9月29日

部屋の床の上でいつの間にか寝てました。

気づけば深夜0時。

うたた寝が快適な時期。

一人暮らしに許される特有の無駄時間の使い方が見受けられます。

今は目が冴えているので、多分このまま深夜の2〜3時くらいまでは起きていると思います。

先のことを考えない自由な空間がここにあります。

深夜の暇つぶしに、友人たちに無差別の電話攻撃をしなくなったあたり、私も大人になったのだなと思います。


今思えば、深夜の電話は暇といっしょに自らの友人もつぶしていく行為だったのだとも思います。




■9月28日

今日はさわやかな秋晴れの一日。

久々にやや寒いです。

長袖Tシャツでは肌寒く、セーターを着るほどでもない気温。

上着を羽織るのもやや考えさせられます。

でもTシャツでジッとしてると屋内でも寒いです。

でもちょっと身体を動かすとやや汗ばんだりもします。

服の選択が中途半端に面倒くさい時期です。

色々と試してみたところ、地肌に直接ジャージを着るのが一番ちょうど良かったです。


社会的な要素を一切無視すれば、基本的に服なんて実用的で快適であればいいのだと思います。




■9月27日

食堂とかで出てくる水を一気に飲む癖があります。

店員さんが水を注ぎにきてくれるような店では、大抵3〜4回ぐらいは新たに注いでもらっていると思います。

数人で来店した時とかは、店員さんがまだ他の人の水を注いでいる間に飲み干してしまうことも少なくなかったと思います。

そういえば高校生のときにバカ4人でラーメン屋に入って、全員で水の一気飲みを繰り返して3周半ぐらい水を注がせ続けたこともありました。

2周目以降は皆ゲップをしながら頑張って水を飲み続けていたと思います。

そのときの店員のお姉さんの苦笑いが今でも忘れられません。

若さゆえの過ちだったと思います。


その後のラーメンをちょっと残してまで水を飲み続けた理由を、今はもう憶えてません。




■9月26日

数年前にミクシィに登録をしたのですが、ただの一度も更新せずに現在に至っています。

さらに数年前にヤフーのサービスでホームページを作ったのですが、それも1回の更新でそれっきり。

状況的に余裕がなかったり、その他様々な理由で続かなかったのですが、結局のところ続けることが苦手だったからなのだと思います。

なまじやる気があると、力が入りすぎて全然続かなかったりします。

なんとなく暇つぶし感覚で始めて、なんの制限も課さない自由な環境だと、なんとなく続いていってしまうものなのだと思います。


なあなあの状態でなんとなく不毛なことを延々と続ける体質は、色々なところで反映されているのだなと思います。




■9月25日

以前働いていたキャンプ場に小さな釣り堀がありました。

それほど大きな池でもなく、沼っぽい状態になることもあったと思います。

家族連れが多い夏の真っ盛り、奇しくも沼状態だった釣り堀に5〜6才くらいの女の子がハマッてしまったことがありました。

子供の泣き叫ぶ声が聞こえて慌てて私が現場に駆けつけたときには、女の子は既に胸のあたりまで泥沼の中。

とりあえず後先考えずに女の子の傍まで辿りつき、力任せに一気に引っこ抜く。

そのまま手を伸ばして泥だらけの女の子を母親に預けて一件落着、のハズだったのですが、コトはそんなスマートには終わりませんでした。

女の子を引き抜いた反動で、自分は太ももが隠れるくらいまで沼に沈んでしまったいました。

被害者が入れ替わっただけ。

(あぁ、どうしよう、、、。)

幸い沈むのは腰のあたりで止まりましたが、その時既に当事者の親子もギャラリーたちも現場から去ってしまっているという非情さ。

上半身だけが沼から出ていて、一人呆然としている私の姿は多分シュールだったと思います。

セルフレスキューを考えない人間がたどり着く悲惨な末路。

全身泥まみれになりながらも、なんとか一人で脱出することは出来ましたが、お気に入りのサンダルも含め色々なものを失った日でした。


何も考えずに行動して、何も得られないどころか、しかも失うという状況を作り出すのは、今もあの頃もあんまり変わっていないような気がします。




■9月24日

大学生の頃、気分的に授業をサボることはありました。

別に用事があるとかではなくて、ただ何となくサボってました。

午後の最後の1コマとか、お昼前の1コマがサボリの最有力候補でした。

何をするわけではなく、ただひたすら帰りたかった記憶があります。

基本的に授業がつまらないときは、後ろのほうの席でただ眠っていればよかったので、サボるときはよっぽど気が乗らなかったのだと思います。

それでも出席日数ヤバくなるほどのサボり魔ではなかったです。


最終的な成績の優劣は置いておいて、休みたいと思ったときに休むことが出来ていた程度の優等生ではあったのだと自負しています。




■9月23日

ウルトラマンタロウ
ウルトラマンタロウって何気に名前が凄いと思います。

表記をカタカナで書いているとはいえ、純日本名の『太郎』。
ウルトラマン太郎
全国の『太郎』さんには申し訳ないですが、ヒーローの名前としては昨今類をみない普遍的な和名だと思います。

当時何の違和感もなく受け入れられていたあたり、時代のニーズには合っていたのだろうと思います。

とはいえ『ウルトラマン』という英名に『太郎』という和名を持ってくるセンスには敬意を表します。

ニュアンス的には『ウルトラマン鈴木』みたいな感じでもあります。
ウルトラマン鈴木
全国の鈴木さんに怒られそうですが、ヒーロー感が薄くなった気がします。

多分どんな名前を入れてもダメな感じがします。
ウルトラマン斉藤
全国の斉藤さんはもちろん、ウルトラマンフリークの人たちにも謝っておきます。決して悪気は無いです。


少なくともお隣の斉藤さんがこんな人だったら私は嫌です。




■9月22日

部屋でだらだらと寝そべるひととき。

天井に、、、。
(ん?何だ?あれ?)


カマキリ?
(カマキリだ、、、。)

(すっごいコッチ見てる。)

そもそもどっから入ってきたのかが謎な存在。


妙に好戦的。
カマをヒュッと振って威嚇とかしてきます。

(いや、ココあなたの部屋じゃないですから、、、。)

(私の住まいですから、、、いや、そりゃあ借家ですけどね。)


天井に手が届かないので放っておいたらいつのまにかいなくなってました。


部屋のどっかで卵を産んで繁殖していないことを願ってます。




■9月21日

その人の良い部分が見えやすいタイプの人っていると思います。

総合的に判断するとそれほどでもないことのハズなのですが、自然とそれが評価されているタイプ。

逆に悪い部分が見えやすいタイプの人もいると思います。

そこそこ有能なハズなのに妙に欠点ばかりを指摘されてしまうタイプ。

特に後者の人は、前者の人以上の能力を有していても全く評価されないことに理不尽さを感じることもあると思います。

多分生まれ持った性質というか、にじみ出る雰囲気のようなものが、周囲の人たちにそう評価させるのだと思います。

私も専らダメ出しのほうを重点的にされるタイプです。


これに関しては自分でも何を評価してもらえばいいのかよく分からないので、世間の評価が合っているのだと思います。




■9月20日

タイに住んでいたとき、基本的に洗濯は川でやっていました。

水を汚さないように石鹸や洗剤を使わないようにしていたので、なんとなく濡らしていただけだったと思います。

洗濯物をこすってもこすってもあんまり汚れが落ちなかったのですが、こすることで洗濯してる雰囲気が欲しかったのだと思います。

洗濯の時間はだいたい10分くらいだったので、時間的には最新の洗濯機をも凌駕していました。

最終的には自ら服のまま川に入って手足をバタつかせて終わらしていたこともありました。

服も身体も一緒に洗えるという合理性。


そのうち洗濯機と風呂を融合させたような便利家電が販売されることを見越して、今のうちにアイデア特許を取得しておきたいと思います。




■9月19日

『何事も常に先の先まで見据えて行動をする必要がある。』
と、そんなことを誰か偉い人が言ってたと思います。

先を見て踏み出した矢先に足元の小石でつまづいている自分が容易に想像できます。

基本的にまず足元を注意するべきです。

でもそれだと先を見ることができません。

そして先を見れば足元をすくわれます。

堂々巡りです。

基本的に先を見て進むことは、論理的な矛盾を引き起こしてしまうのだと思います。


先を見て進もうとすることは、私にとって精神衛生上よろしくない行為です。




■9月18日

最近携帯に迷惑メールが頻繁に入ってきます。

深夜帯のありえない時間に着信したりもします。

期待と共に開いたメールが迷惑メール。

そんな日々が続いています。

今まであまり迷惑メールが無かっただけに落胆度合いもひとしおです。


あらためてこの携帯には普通のメールが入ってこないのだなと再認識させられてます。




■9月17日

幸せな人間の声を聞いていると、何となく幸せな気分になれると思います。

後々その時のことを思い出しても、やっぱり何となく嬉しくなってしまうと思います。

(アイツ幸せそうだったなー、、、。)
と思うほどに口元がほころびます。

俗に言う『幸せを分けてもらった』というやつです。


ちなみに色んな所で幸せを思い出していると、色んな人から可哀想な人を見るような視線を投げかけられたりします。




■9月16日

毎晩ほぼ必ず部屋の網戸にカエルが張り付いています。
ちょっとシュール。
ちょっと窓を開けた隙に部屋の中に入ってくる傾向があります。

何を求めているのか、とにかく部屋の中に入ろうとしてきます。

恥ずかしいアングル
何をして欲しいのかわからないので、あられもない姿を撮影してみました。

「普段人に見せない部分をネットで全国に配信される気分はどうだい?」
と卑猥な言葉をかけて様子をみてみたりもしてます。

これで次の日に網戸に張り付いていなかったら、効果があったのだと思うことにします。


懲りずに次の日もまたいるようならば、そういう趣味だったのだなと思うことにします。




■9月15日

先日から野菜を食べています。

基本的に私は冷蔵庫を効率的に活用出来ない人間なので、あるものは全部食べてしまいます。

先日の余った野菜をとにかくナベに入れていきます。

ナベからあふれる野菜
そしてこれは確実に失敗。

野菜がナベのフチよりも上に盛り上がる様子。

野菜を入れていく過程で気づきそうなものですが、とにかく野菜を使い切りたかっただけです。

このときナベの横には、さらにボウル1個分くらいの野菜が切った状態で残っています。

結局、食べながら鍋に野菜を加えていくという『一人鍋』状態。


誤算だったのはナベの大きさを間違えたことよりも、常に煮立っているので熱すぎて中々食べられなかったことです。




■9月14日

中学の頃、体育館が狭かったこともあって、バスケ部とバレー部で交互に体育館利用をしてました。

もちろん校庭にもバスケコートはあったので、雨が降らない限り特に練習内容に変わりはないのですが、屋内と屋外ではモチベーション的にも大きく差があったと思います。

ちょっとでも雨が降ってしまうと、水はけの悪いグラウンドのコートにでっかい水溜りが出来てしまってました。

しかも水溜りは必ずゴールリングの真下に出来ていました。

試合をやってもみんなミドルシュートしか打たないというゲーム性の無さ。

シュートが入ったら入ったで、水溜りにボールが落ちる直前にキャッチしなければならないという難しさ。

水溜りを飛び越えつつ空中でボールをキャッチするという、中学生ながらにアクロバティックなプレーが繰り広げられる部活。

うっかりボールを落とすと派手に泥水が跳ねるうえに、もう誰もボールに触ろうとしない状況。

「おーい、さっさとボール洗ってこいよー!」

得点を決めた人間がボールを洗いに行くうえに、非難もされるという理不尽さ。


たとえ納得がいかなくても、やらなくてはならないことが世の中にはあるのだということを、人は結構若い段階で色々な経験から学んでいくのだと思います。




■9月13日

お寿司屋にて。
寿司屋で食べるタマゴ焼き
おまかせネタの合間に出てきた『4日目の卵焼き』。

味が熟成されていてカステラやケーキのような味わいが堪能できました。

じゃあカステラやケーキを食べればいいんじゃないかという考えが全く浮かばない味わいでもあります。


ただ、実際にこれがカステラやケーキだったとしても、気づかずに受け入れてしまいそうな危うさは持ち合わせているのだと思います。




■9月12日

身体に気を使って、たまには野菜を食べることにしています。

冬瓜&ニラ
今回スーパーで購入したのは冬瓜とニラ。

シンプルに冬瓜のスープを作ってみることにしました。

冬瓜をひたすら煮込む
お湯をはったナベに大きめに切った冬瓜を投入。

スープに味を付けたらあとは冬瓜が柔らかくなるまでひたすら煮込みます。

基本的に一人暮らしの料理に難しいことは何も無いです。

ニラの投入で一気にクライマックスへ
冬瓜のシャリシャリ感が芯まで失われた頃に、ニラを入れてみます。

あとは少量の酢を加えて、片栗粉でとろみをつけて、溶いたタマゴを流し入れれば、中華風冬瓜スープの完成。

でも片栗粉もタマゴも無いのでやりません。

予想通りの出来栄え。
いや、美味しいですよ。


基本的に片栗粉も溶きタマゴも、それほど深く味に関与するものでもないので気にすることはないのだと思ってます。





■9月11日

料理の味付け用に『だしつゆ』を買ってきました。
だし。
やや単調な味になってしまう傾向はありますが、つねに安定感のある味を提供してくれるお役立ちの一品。

表記をよく見てみると、
讃岐うどんに!
『讃岐うどんに!』と赤字にビックリマークまでつけて、かなり強い口調で表現されていました。

『讃岐うどん』を全面に押し出した要求。

「讃岐うどんじゃなきゃダメなのよ!」
「うわっ、ごめんなさいっ!」

そんな会話が聞こえてきそうです。

でもその割には、『炊き込みご飯』『おでん』『吸い物』『茶わん蒸し』『卵焼き』『煮物に・・・』と、結構節操が無いです。

ただ『讃岐うどん』だけを別格にしていることがよくわかりません。

しかも『讃岐』限定。


とりあえず『稲庭うどん』のつゆに使ったりすることで、コイツを陵辱してやりたいと思います。




■9月10日

昔からどうでもいいことを憶える傾向があります。

中学生の社会の教科書で、『袁世凱』と『孫文』の表記に中国名の振り仮名がふってあったのを今でも憶えています。

確か『袁世凱』は『ユワンシーカイ』、『孫文』は『スゥンウェン』でした。

当時、実際のテストで『袁世凱』が答えのときがあって、迷わず『ユワンシーカイ』と得意気に書き込んだことを憶えています。

専門の先生ならそれくらいの知識は持っているだろうと、当たり前のように思っていました。

採点後、帰ってきた私の解答用紙には何の迷いも無くバツ印がつけられていたのですが、別に抗議をしようという気には全くなりませんでした。

教師の知識も所詮そんなものかと鼻で笑っていました。


かといって私がそのテストで点数が良かったかというと、そんなこともなかったです。




■9月9日

仕事上で過去の書類が必要なことがありました。

今年度の書類はありましたが、前年度の書類が見当たりません。

さらに前々年度の書類も見当たりません。

その割には前々々年度の書類は見つかりました。

「前々年度と前年度の書類が無いんですけど、そっちにありますか?前々々年度の書類はあったんですけど、、、。」
「全然言ってることがわからないよ。この書類は違うのかな?」
「え〜と、これは前々々年度のヤツですね、前々々年度のはコッチにあるんですよ。前々年度と前年度のヤツが欲しいんですよ。」
「西暦で言って!」
「はい。」

わかりやすく言ったつもりが、全然伝わっていなかった悪い例。

いや、わかりにくいことは薄々感づいてはいました。

単に言ってみたかっただけです。

いや、単に突っ込んで欲しかっただけなのだろうと思います。


予想通りの反応で、結果オーライということにしておきます。




■9月8日

よりによって同じ時期に友人の出産祝いが複数重なるという衝撃のめでたさ。

もちろん決して嫌がっているわけではありません。

祝い事は嫌いではないですし、人に物をあげるのはむしろ好きなほうです。

それにしても同じ時期に生まれなくても、、、と思ったりもします。

もちろん祝い事が重なってもの凄く嬉しいと心から思っています。

幸いその2組の夫婦間は関わりが全然無いので、まったく同じものを贈っても平気なところが楽といえば楽。

いや、基本的に『楽』とかそういう問題じゃないと思います。


贈り物には、贈り手の様々な交錯した想いが詰まっているのだなと思います。




■9月7日

最近野菜不足を指摘されたこともあって、ここで一気に野菜の食い溜めをしておきたいと思います。

基本的に野菜は好きなほうです。

さっそくスーパーで野菜を購入。
野菜ごろごろ、、、。
葉物がまったくありません。

夏野菜も終わって、この時期の野菜はちょっと高いのがネックです。

全て100円以下の食材に統一した結果、やや偏ったラインナップ。

野菜を一気に食べるには煮込む料理が適していると思うので、『カレーシチュー』にしようと思います。

『カレーライス』にしないのは、部屋にお米が無いという単純な理由です。

ほぼカレー。
大鍋が無いのでフライパンで調理します。

この時点で出来上がりでもいいのですが、まだ半分くらいしか野菜を使っていません。

とにかく煮込んで野菜の容積を凝縮させてから、やわらかめの野菜を一気に投入。

ほぼ煮込み。
後入れの野菜が一気に水分を吸って、カレーの面影を微塵も感じさせない出来栄えです。

あえて名前をつけるならば『カレー風味野菜煮』といったところ。

基本的に味が悪くなることはないので、見た目は気にしないことにしてます。

一気に食べるつもりだったのですが、どんぶり2杯食べた時点で明日にまわすことにしました。

思いの他、野菜が縮んでいなかったことが敗因です。

葉物を使っていないだけに、ほとんどの野菜がほぼそのままのカタチで残ってしまっているという初歩的なミスもうかがえます。


今後も料理とかの概念を無視して、単純に栄養を摂ることだけに情熱を燃やしてみたいと思います。




■9月6日

アウトドアをする人間は、自然の中の細かい変化や状況を読み取るスキルを持っていると思います。

反面、『細かい事は気にしない』というスキルも必ず持っていると思います。


以前、アウトドアで洗った食器を拭いておく必要があったのですが、拭くための布が無かったとき。

ふと隣の相方が首にタオルを巻いていることに気づきました。

「あ、山田さん(仮名)そのタオル、食器拭くのに使っちゃっていいですか?」
「ええ、いいですよ。この、色んなところを拭いたタオルですね。」

『色んなところを拭いたタオル』

山田さんにタオルを借りるときには、ほぼ必ずこの返事が返ってきていたと思います。

『色んなところを拭いた』という言葉は、山田さんにとって『タオル』の枕詞のようなものだったとさえ思います。

もう、いちいち突っ込むのが面倒だったので、
「ええ。」
とだけ返事をしてそのタオルを使って食器を拭きました。

『山田さんが色んなところを拭いたタオル』で拭いた食器は、キュッキュと音を立てる程に綺麗な仕上がり。

何も知らない第3者が感嘆の声を上げるほどの抜群の仕上がりだったと思います。

参考までに、もうその日にその食器を使用することが無いことと、家に帰ってからちゃんと洗い直すということが前提であることを言っておきます。


もう一つ参考までに、山田さんは男です。




■9月5日

枯れ葉に擬態している蛾。
が。
完璧なまでに抜群の擬態にも関わらず、擬態する場所を間違ってしまっているという残念な状況。

せっかくの『才能』も使う場所を間違えれば、何の役にも立たないということなのだと思わされます。


つまりは私の中の数多いガッカリな部分も、使う場所が間違っているだけで、きっと抜群のモテ要素に変わる可能性を秘めているのだと希望が持てます。




■9月4日

自転車がパンクしたので、久しぶりに徒歩で移動しました。

徒歩で移動することの利点として、本の歩き読みができることが挙げられます。

さすがに自転車では無理です。

これにより移動時間が一気に充実します。

多分どこまででも苦もなく歩いていくことが出来ると思います。

曲がり角や信号の対応等で、物理的なダメージを負う可能性が考えられるものの、知っている道であれば基本的にそんな危険性はなく歩くことが出来ます。


ただ周囲の視線から、社会的かつ精神的なダメージを負う危険性は否めないのだとは思います。




■9月3日

「結構ワガママだから、年上の女性と付き合ったほうがいいんじゃない?」
と、言われたことがあります。

なるほどと思う反面、基本的にそれを選べる立場でもなかったことにも気づかされます。

一瞬でも、二者択一の正解を教えてもらえたような気分になってしまったことが恥ずかしいです。

選択するというよりは明らかに選択されるほうに位置しています。


しかも『不正解』の選択肢です。




■9月2日

数年ぶりに理容師さんに髪を切ってもらいました。

ボサボサに伸ばしてはボウズにすることを繰り返してきたのですが、今回は色々あって気分的にプロに処理してもらうことにしました。

初っ端から
「髪がパッサパサですね。」
というショッキングな一言から始まった散髪。

あんまり髪に気を使わないので風呂場にはリンスがないし、シャンプーもたまに石鹸で洗ったり水洗いで済ませたりするときもあります。

クシが全く通らないという理由で、まずシャンプーから開始するという珍事。

「セットが出来ないくらい髪の量が尋常じゃ無いね。」
と、30分くらい髪を鋤バサミで切った後に、深い溜息と共にそう言われたりもしました。

「え!普段なにもセットしてないの!?!」
と、真剣に驚かれたりもしました。

そもそも髪のセットなんて中学生以来やったことがないです。

基本的に人前に出るときに寝ぐせがついてさえいなければいいのだろうと思ってます。


髪のプロに色々と衝撃を与えた反面、自分の髪への認識がやや浮世離れしていたことが少なからずショックです。




■9月1日

『末っ子』の特徴の一つとして、『物事を自分でやろうとしない』ということが挙げられると思います。

『一人っ子』は甘やかされるとか言いますが、基本的に一人であればそれなりに自分で物事をこなすスキルは身についていくと思います。

比べて『末っ子』はそうはいかないです。

親がいない空間でも、兄や姉がいるぶん一人で過ごす時間は格段に少なくなります。

兄や姉の存在が近いほど、『おまかせ感覚』で何とかなるものだと、感覚的に擦り込まれてしまっている気がします。

そしてそのまま社会にでると、『何でやってくれないの?』的な不満を頻繁に感じてしまう大人になるのだと思います。

自分でやろうと思えばやれるのに、スグに身近な出来る人に頼ってしまう『末っ子』。

そのほうが合理的だという考え方は分かるのですが、どんな場合でもその理屈が通じるわけではないというのが『大人の社会』の特徴の一つ。

決まりきった一定のルールを好んで、時と場合によって答えが変化するということを理解したがらない傾向が『末っ子』にはある気がします。

ついさっき考えついた『末っ子論』。


全国の末っ子の方々に怒られそうですが、私も末っ子なのでどうか見逃してください。



トップページへ