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■5月31日 コーヒーかなんかのCMで、タレントの福山雅治氏が 「人からどう見えるかってそんなに重要?」 みたいなセリフを言ってるシーンがあります。 超カッコイイな、と思います。 でも、言ってる福山氏本人が既にカッコイイからちょっとズルイとも思います。 このセリフはもうちょっとイケてない人に言わせるべきなんじゃないかとも思います。 きっとキビシイ現実が見えてくると思います。 人からどう見えるかって結構重要だと思います。 むしろ切実です。 イケてない人にとっては(泣)。 ■5月30日 部屋の目の前に田んぼがあるので、数日前からカエルたちの鳴き声が激しいです。 カエルが鳴くという行為は、雌を呼ぶ為や縄張りを主張する為など、その他様々な理由があるらしいです。 その他にも逃げる直前に発する鳴き声や、相手を威嚇するための鳴き声など、それぞれちゃんと異なる鳴き声を使い分けてもいるらしいです。 カエルの鳴き声なんてみんな同じと思っていたら、結構色々な種類があるようで面白いです。 間違って雄に抱きつかれたときに 「おい、お前間違えてるから!」 と相手に知らせるという意味合いの鳴き声も別にあるらしいです。 その時は身体を震えさせて短く鳴くそうです。なんか悲痛な叫びです。 そもそも夜行性の癖に、雌雄を見分けることも出来ないというのはどうなのかとも思います。 人間だったら殴り合いのケンカになってそうなシチュエーションも、カエルの世界では一鳴きなのだなと思いました。 すごく紳士的だと思います。 帽子を胸に軽く頭を下げている姿が目に浮かぶようです。 人間の世界でも、こういった状況に見舞われた際には、小刻みに震えながら一鳴きすればいいんじゃないかと思います。 私だったら何の迷いも無く殴るとも思います。 ■5月29日 学生の頃、気晴らしにゴルフの打ちっぱなしに行ってみようということになった友人の話。 基本的にゴルフのゴの字も知らない学生たちなので、皆クラブを父親から1本だけ借りてくるという状況。 打ちっぱなしの施設そばのコンビニで待ち合わせた当日、各自ゴルフクラブを1本ずつ剥き出しのまま持った状態で、3人集まった時点で警察に職質されたらしいです。 そのことに友人は憤慨したのですが、ゴルフを全くやりそうにない連中が、クラブをバットのように肩に乗せた状態で続々と集まってきたら、そりゃ当然職質もされるわと思いました。 学生の頃って、自分を客観視することに慣れていない上に、純粋に傷つきやすい心を持っているから色々と厄介だったと思います。 私たちのような人種は、そういった様々な経験をする中で、本質とか関係なしに自分は疑われる存在なのだということを学んでいくのだろうと思います。 ■5月28日 体調を崩した状態で仕事に出てくる人っていると思います。 様々な事情があると思うので、全ての状況に当てはまるわけではないとは思うのですが、正直そういう人には仕事をして欲しくないです。 怪我はともかく風邪は特に問題があると思います。 風邪がうつるとかいう直接的な問題はもちろん、集中力が散漫になって引き起こしたミスを、ぼんやりと体調のせいだとにおわせるのはもってのほかだと思います。 そんな『頑張ってますアピール』は迷惑なだけです。 そんな余計な問題を引き起こすくらいなら、始めから来なくていいです。 来たからには自分の状態を把握した上で、大人として責任を持った仕事をして欲しいものです。 ミスをして「やっぱりダメだ」的に帰っていくのも論外だと思います。 その後の引継ぎが厄介な上に、やっぱり始めからいない方がよかったという想いがお互いに倍増します。 仕事中に体調が悪いことを言ってくる人には、即効で今すぐ帰るべきだと言いたいです。 今日体調が悪い中仕事に行ってすぐに帰ってきた自分に対する自己弁護をしてみました。 色々と病んでるなと自分でも思います。 ■5月27日 学生の頃、就職試験を受けに行ったときのこと。 一次試験は筆記。 地区ごとに分けたのか、私の机の周囲には同じ大学の友人が結構固まっていました。 正直私の試験の出来は全然でした。 帰り道で皆が口々に 「試験、簡単だったよね〜。」 と話してました。 (そうか、あれは簡単だったのか、、、。) と思いつつも。 「え?あぁ、うん、そうだね、、、。」 と、あいまいに受け流す気の弱さ。 数日後に試験の結果が郵送されてきたのですが、予想通り私は落ちていました。 皆が2次試験の日程の話をしている中に私もいて、 「2次試験会場の最寄の駅どのへんか分かる?」 とか普通に話しかけられてきて戸惑いました。 軽いノリで「一次試験通らなかったよ〜。」と言うつもりが、皆があまりにも普通に、通っているのが当然といった雰囲気で話してくるので、結局何も言えないままやりすごすという小心者ぶり。 そして2次試験当日、1次試験の時と同様に同じ大学の連中が固まっていたらしく、そこで初めて皆、私がいない(=1次試験落ちてる)ということを悟ったらしいです。 後になって、 「まさか○○があの試験に落ちてるとは、、、。」 と笑われた記憶があります。 その後も 「あそこの1次試験簡単だったよね〜、あっ、○○は落ちたけど。」 「うっさいっ!」 みたいなお決まりの流れも出来てしまい、面倒だったことを思い出しました。 頭が悪いとそれなりに損だなと思います。 また、こういうどうでもいいことを忘れない記憶力は、特に何の得にもならないなとも思いました。 ■5月26日 近くにある手作りハンバーガー屋に行ってきました。 セルコバーガーのベーコンチーズバーガー×2個。 ベーコン&チーズ&トマト&レタス&タマゴ&肉&タマネギ&バンズ。 全体的に中々のボリュームと絶妙のバランスに加え、パンがいい感じに焼けてて美味しかったです。 メニューの中には、内容量2倍のデラックスチーズバーガーとか、そのまま2個重ねたタワーチーズバーガーとかもあったのですが、初めて食べる場所で注文する勇気はなかったです。 でも美味かったので、次からは普通にそれを注文すると思います。 でもハンバーガーとしての食べやすさを考えると、やっぱり普通に2個注文するような気もします。 ■5月25日 『たけのこたけのこニョッキッキ!』 の掛け声で始まるあのゲームで、『2ニョッキ』が『によっき!』と発音されていることに皆、無関心すぎだと思います。 確かに『ににょっき』って早口で発音しづらいです。 比較的早めに言われる『1ニョッキ』にくらべて、皆が周りの様子を伺う傾向のある『2ニョッキ』。 単に『にニョッキ』と正確に発音する自信がなくて黙っている私。 緊張感が漂う『にニョッキ』前の沈黙の中で、 (早く誰か「にニョッキ」って言ってくれないかな、、、。) とか考えてます。 ■5月24日 今週末はロハスデザイン大賞とアースデイマーケットのイベントにいってきました。 イベント云々よりも、もう二度と東京の道を運転したくないと思うほどに、散々道に迷ってきました。 歩いて10分で行ける場所へ、車で1時間半以上かかってたどり着くという快挙。 もう東京の全ての標識を引っこ抜いてやりたいと思いました。 いっそ道路交通法とか無くせばいいのにって思います。 絶望的だと思われた中、最終的に目的地にたどり着けた原因は『運』でした。 偶然って素適です。 ■5月23日 今週の土日は東京でイベントの手伝い。 土曜日の早朝に出発して、日曜日の夜に帰ってくる予定。 そんなわけで今日は時間的にも早めに出発。 昨晩、眠ったのは草木も眠る午前2時。 そして起きるべくして起きた今は午前5時。 もう果てしなく眠いです。 前日に早くから寝ておけるほど、計画的に生きられません。 でもそんなこともあろうかと、冷蔵庫にはブラックのコーヒーが買ってあります。 我ながら行動がややこしい上に、完全に矛盾しているとも思います。 想定の範囲内であり、且つ予想通りの失敗と後悔を受け入れる朝。 ■5月22日 『自分の長所をみつけられる人になろう』的なことを、何かの本で読んだ記憶があります。 色々と考えてみた結果、私の長所は短期集中型ということだと思います。 集中力が持続しないことにかけては、それなりの地位にいるとさえ思います。 短期間でそれなりのことが出来る反面、期間に余裕があっても同じような結果しか出せていなかったりもします。 『短期間の割には、、、。』という免罪符があればこその、それなりの結果です。 全体的に詰めが甘いのも、多分このあたりに原因があると思います。 時間があっても結果にあまり変わりはないことには、それなりに気づいてもいました。 知らないふりをしていただけです。 長所をみつけるつもりが、その倍以上の短所が浮き彫りにされるのはどうかと思います。 私の場合、氷山の一角が長所で、海中に隠れている部分は短所なのだろうと思います。 温暖化にともない、みるみる溶けていく氷山の一角。 でも考えようによっては、どんなに溶けても常に長所は存在しているということでもあると思います。 でもそんなわけはないので、この例えが間違っているのだと思います。 背理法による比喩否定。 元々自分が何を言いたかったのか考えるのも面倒なぐらい眠いので、もう寝ます。 ■5月21日 常時読みかけの本が部屋にあります。 暇なときや、ちょっとした時間の空きに本を読めるのがいいです。 むしろ本が無くて暇だったりすると、もの凄く時間を無駄にしたような気がしてしまいます。 でも本を読むための時間を作ろうとは思わないです。 そんなに本好きでもないです。 傾向として、読んでてつまらない本はトイレに置かれるケースが多いです。 これでとりあえずトイレで毎朝3分ぐらいずつ読めるます。 この本自体はつまらないので、読みふけってトイレに長居してしまうこともないです。 それでいて、トイレで踏ん張っている時間を有意義に過ごせたような気持ちにもなれます。 出るモノもスンナリ出ているような気もします。 トイレの本は数ヶ月かけて読まれるので、読み終わった頃には予想外に感慨深い気持ちにさせられたりもします。 色々な意味で、オチが良く感じられていいです。 ■5月20日 最近よく行くカレー屋さんのメニュー表。 よく見ると『ピクルス』の発音が本格的でした。 和製英語になりかけていたピクルスも、こうして書くと本場っぽさが増したような気もします。 『アンビリーバブル』の日本語表記がいつのまにか『アンビリーバボー』と表記されるようになったみたいに、いつの日か『ピクルス』も『ピカルス』と一般的に言われる日がくるのかもしれません。 もっとも実際の発音を聞いた事がないので、この表現がネイティブに近いのかどうかは分かりません。 そもそもピクルスが何処の発祥なのかすら分かりません。 とりあえず今後は聞き返されるのを覚悟で、『ピカルス』と発音していこうと思います。 ■5月19日 今日は千葉にある母の墓参りに行ってきました。 やや遠いので、年に一度だけ母の日あたりに行くことにしています。 いつもは霊園の管理人小屋でお線香と花を買うのですが、着いたのがたまたまお昼時だったので、管理人不在でカギが閉まってました。 窓には『1時まで休憩します』の張り紙。 その時、時刻は12時。待つには少々しんどい時間でもあります。 仕方が無いので、墓石の周囲の草を抜いてゴミを拾って手を合わせて帰ることにしました。 墓石に手を合わせながら色々なを報告しつつ、一応謝っておきました。 (母ちゃん、、、花も線香も無くてゴメンね。) すると、墓石のほうから、 (いいのよ、、、お花やお線香なんかよりも、あなたが遠くからワザワザ足を運んできてくれたことが嬉しいわ。要は気持ちの問題よ。ありがとう、ありがとう、、、。) 、、、なんて言葉は一切聞こえてきませんでしたが、多分そんな感じの代弁でいいんじゃないかと思うことにします。 ■5月18日 財布の中からマックの無料券がザクザクと出てきました。 以前、とあるルートで貰ったヤツです。 20枚以上ありました。 無料で食べられるという魅力がありながら、それほど惹かれないというマックならではの放置っぷりでした。 こういう機会がないと中々行かない場所だとは思っていたのですが、こうしてこういう機会になっていても未だに行っていないのはさすがマックです。 そろそろ本腰を入れてこの無料券を消費して行こうと思います。 でもよくみたら、使用期限終了してました。 それほど残念に感じないというのもマックならでは。 ■5月17日 打ち上げで残り物の食べ物を大量に貰ってきました。 一人暮らしの私を気づかってか、あれもこれもとたくさん持たせてくれました。 食のプロが作っているので、一般的な『屋台メシ』のやや豪華版です。 問題はどれくらい日持ちするかだと思います。 大体3〜4食分はあると思います。 そして多分明日中には食べ切る必要があるとも思います。 劣化が早いものから食べていきたいと思う反面、ヤキソバなんかはあんまり後回しにしても食べる気が失せてしまいます。 お食事は計画的に、です。 明日の朝食:ホットドッグ2本とヤキソバと野菜炒め 明日の昼食:チラシ寿司とデコポンとハーブチキン 明日の夕食:おこわご飯2人前 どうかんがえても朝からそんなに食べないだろうと思いつつも、気づかないふりをして今日はさっさと寝ようと思います。 ■5月16日 納豆と、大根おろしと、なめ茸と、 これにアツアツの白いご飯で、一気に食欲が沸いてきます。 たまにこういったシンプルなご飯が恋しくなって無性に食べたくなります。 予想を裏切らない美味しさがそこにあるからだろうと思います。 実際今日久々に食べて、感動するくらい美味しかったです。 でも多分、2食連続では食べないだろうなとも思いました。 でも多分、中途半端に残すぐらいなら2食連続で食べるだろうなとも思いました。 そして2食目は1食目の感動も無く、ただ黙々と食べるのだろうなとも思いました。 安く大量に食材を買えてしまうが故の、シンプル食の功罪。 ■5月15日 最近職場がカラフル。 正確に言うとここは職場ではないのですが、事務所のドアを開ければこんなふうにバラが満開の状況です。 女性に贈る花束の代名詞的なバラ。 ちなみにバラの花言葉って、細分化されすぎて訳が分からなくなっているとも思います。 その花言葉は必要ないだろうと思わせるものまでありました。 バラの枝:不快です。 白いバラ :処女です。 中輪の黄色いバラ :誠意のカケラもないです。 緋色のバラ :陰謀があります。 黒赤色のバラ :死ぬまで憎みます。化けて出ます。 三つの蕾に一つの花 :永遠に秘密です。 満開のバラ :人妻です。 大輪のピンクのバラ :赤ちゃんができました。 組み合わせ次第では、中々に悩ましいシチュエーションが出来上がりそうです。 でも多分、花をもらう方もあげる方も花言葉なんて知らない方がいいのだろうとも思います。 『知らぬが花』です。 文章の流れでうまいことを思いついてしまったとき、それをあえて文章に書くのって妙に気恥ずかしいです。 もし後になってこの日の記事が削除されていたら、何となく察してください。 ■5月14日 2〜3日前から手のひらがもの凄く痒いです。 皮が厚い部分が痒くなると厄介です。 バリバリ掻きまくっても中々痒みがなくならないです。 おかげで掻いたあとは両手のひらが真っ赤。 そういえば『手のひらが痒くなるとお金が入ってくる』というような言い伝えを聞いたことがあります。 また、手のひらが痒くなるときは手相が変化するときという話も聞いた気がします。 ※人によっては突然生命線が長くなっていたりもするそうです。 なので色々と期待したりもしていたのですが、2〜3日痒いだけで何事もなかったのでさっさと皮膚科に行って治してこようと思います。 ■5月13日 ネット上に蔓延する信憑性の薄い豆知識を見るのが結構好きです。 視力検査時の『C』 マークの名前はランドルト環という。 牛乳を温めると膜が張ることをラムスデン現象という。 寝入りばなにビクッとなるのはジャーキングという。 現在、Cf(カリフォルニウム)という物質は1gで700億円する。 パソコンキーの『num lock』は ニューメトリックロックであって、ナンバーロックではない。 コアラの握力は1トン。 フライドポテトの色の表現でゴールドブラウンという業界専門用語がある。 牛は1日100リットルの唾液を出す。 サハラ砂漠のサハラとは砂漠と言う意味。 ゴビ砂漠のゴビは砂漠という意味。 ドラミちゃんのリボンは耳のことで兄を傷つけないためのもの。 タコの足のうち1本は性器。 本当かなぁと思いつつも調べるのが面倒くさいので、結局何も裏付けをとらないまま忘れていくのだろうと思われる無駄知識たち。 身に付ける必要の無い知識は気楽でいいです。 ■5月12日 家でごはんを炊いておいて、おかずだけを買ってくることがよくあります。 この『おかずの量り売りシステム』は便利なので、それなりに利用していると思います。 でも便利ですが、決してお得ではないとも思います。 ほぼ毎回、確実に必要以上に買ってしまっています。 後になって『量が少ない』と感じることを恐れた結果だと思います。 自分で好きなように買う量を決められるというのは、無駄がないようでいて実は、ドシロウトにマンゴーの先物取引をさせるくらい危険なことなのだろうとも思います。 通常のお店であらかじめパッケージされている商品は、実はプロの経験と長年の統計による絶妙の量でもあるのだろうと思わされます。 そして私には『おかずを適量購入する』というスキルが完全に欠けているのだろうとも思いました。 前々からそれを知りつつもこのお店に足を運んでしまうのは、お店の持つ魔力なのか、私の心の弱さの表れなのだろうと思います。 ■5月11日 朝食代わりにコンビニで初めて買った一品。 贅沢倶楽部のバナナミルク。 バナナと牛乳の持つ優れた栄養価のイイトコどり、のような気がする一品。 何といっても大きく表記された『贅』の一文字が、贅沢感を煽ってくれます。 庶民にのみ感じられる贅沢。 そもそも贅沢の『贅』なんて生まれてこのかた書いたことさえ無い気もします。 正直今でも、ちゃんと書ける自信がないです。 よっぽど自分は贅沢とは遠い場所にいたのだなと、改めて考えさせられたりもしました。 贅沢感を味わうハズが、思いもよらず自らの境遇を見つめなおして落ち込むという切なさ。 この商品を買っても、切なくならないことが贅沢への第一歩なのだろうと思います。 『贅』の文字を見ただけで、贅沢感にひたっていた自分が恥ずかしいです。 とりあえず『贅』の漢字を書けるようになることから、真の贅沢へ近づくことにしたいです。 ■5月10日 小学校の頃、通知表の3段階評価が全部真ん中だったことがありました。 運動能力・勉強学習能力・その他技術能力、どれをとっても可もなく不可もなくといったところです。 担任の先生も、特徴が無さすぎて評価に悩んだのではないかと思います。 これを見た両親も、指摘するポイントが無さ過ぎて困っていたと思います。 全く風邪を引かなかったので、皆勤賞をもらったことは憶えています。 虫歯が無かったので、良い歯の賞状をもらったことも憶えています。 思い出してみると、基本的に私が表彰された内容は、努力の必要ない身体的特徴が占めていたのだなと思います。 ■5月9日 今日のヤフーニュースより。 このカレーラス引退のニュースに衝撃が走ったのは私だけではないと思います。 カレーラス氏と言えば、あの世界三大テノールの一人です。 (そうか、、、あのカレーラス氏がついに、、、。) もう何も言葉が出てこない。というか何も知りません。 もちろん私はカレーライスと見間違えただけです。 これからもニュースを2〜3行読んだだけの、ぼんやりとした知識でカレーラス氏の引退を惜しんでいくことにします。 ■5月8日 ここ数日カレーを食べ続けています。 2日に1回ぐらいのペースで食べていると思います。 先日は昼食と夕食がカレーでした。 もちろん好きだから率先して食べているわけで、不満があるわけでもなんでもないです。 偏食だとか言われるかもしれませんが、そもそもカレーは総合食です。 様々な野菜と肉を取り入れたバランス栄養食だと思います。 それに薬膳カレーであれば、健康食でもあります。 むしろ健康的過ぎる食生活です。 カレー好きの人間が、自分自身に言い聞かせるカレー論。 とにかくカレーって凄いものなのだろうと思っていたいです。 ■5月7日 小学生の頃、中学生の異性は未知の存在だったと思います。 中学生の頃、高校生の異性は別世界の存在だったと思います。 高校生の頃、大学生の異性は大人過ぎたと思います。 大学生の頃、社会人の異性は妙にエロティックだったと思いみあす。 社会人の頃、年上の人妻は関わることの無い存在だったと思います。 年上の女性に対して憧れをもつというよりは、決して交わることのない火星人的な存在だった気がします。 社会人になってから数年経って、ようやく女性として意識できるようになっていった気がします。 もちろん周囲の男性連中はそんなことも無かったので、私だけの特異な感覚だったのだろうと思います。 年上の女性に対する私の潜在的な畏怖がそうさせていたのかどうかは分かりません。 それは姉の影響だとか、間違っても勝手な思い込みをするべきじゃないと思います。 わたしにはやさしいおねえさんがいるのでほんとうによかったとこころからおもっていますます。 今後何らかのPCの不具合で『姉』関連の文章が消えてしまうことがあるかもしれませんが、ウイルス的なものと思ってください。 ■5月6日 先日、久々に鳴った私の携帯。 携帯が鳴っていたことは知っていたのですが、そのときは電話どころじゃなかったので後回しにしました。 2時間後ぐらいに、ようやくさっきの電話が兄からだったことを知りました。 ウチの兄弟は普段ほぼ連絡をとりあわないので、何事だろうと電話を掛けなおしてみると、 「も゛し も゛し、、、?」 と、明らかに寝ていたと思われる兄の声。 「もしもし兄ちゃん、ごめん、寝てた?さっき電話くれてたみたいだったから、、、。」 「あー、あれね。もういいよ。」 寝起きだろうことも含めて、妙に不機嫌な兄。 話を聞くと、偶然立ち寄ったお店で良さそうな靴を見つけたので、私に買ってあげようと思ってくれたらしく、靴のサイズを電話で聞きたかったとのことでした。 そして、電話がつながらなかったので店を出てきてしまったから『もういいよ』ということらしい。 「そっかー、ごめんごめん」 と謝ってみるものの、あまり機嫌が治らない様子。 さらに話を聞くと、どうやら2足買うと安くなる靴だったらしく、自分用に是非欲しかったので、弟を口実になんとか嫁さんにOKの返事をもらえたのに、、、というような内容。 それは申し訳なかった。 残念がっている理由が、決して私への贈り物の為では無いところが若干引っかかるものの、電話に出なかったのは確かに私の身勝手でもあります。 一応今度機会があれば、兄に靴を贈ってあげようと思います。 でもよく考えたら、私は兄の靴のサイズを知りません。 多分、偶然立ち寄ったお店で、ふとこのことを思い出して兄に電話で聞こうとするのだろうと思います。 多分、結果的にも兄弟であることを彷彿とさせる内容になる気がしないでもないです。 ■5月5日 『ラーメンとカレーライスが好きだから、両方一緒にしてカレーラーメン、、、』的なことを聞いたことがあります。 言いたいことは分かるのですが、実際のカレーラーメンは明らかにラーメンの要素の方が濃いと思います。 そもそも『カレーライス』の『ライス』部分が完全に無視されています。 『ライス』ありきの『カレーライス』だと思います。 「カレーが食べたい!」と言って、カレールゥだけをすすってるヤツなんて見たこと無いです。 『ライス』部分をスルーされた上に、肝心のカレールゥもスープとして薄められてしまっています。 完成形が明らかにラーメン寄りです。 『 8:2 』ぐらいでラーメンが圧倒的だとも思います。 私はカレーライスもラーメンも大好きですが、どちらかと言うとカレーライスの方が好きな気がします。 だからこそ、この現状に提言したいです。 「もっとカレーライスを!」と。 呼び方も『カレーラーメンライス』とか『ラーメンカレーライス』とかにしてみて欲しいです。 話は変わって、ふと我にかえったとき、自分が果てしなく不毛な内容の文を書いていることに気づいてしまうと、タイムマシンで過去に戻って文を書き始める自分を張り倒してやりたいと思います。 そんなことを考えながら日々生きています。(→Let's Cooking ラーメンカレーライス編) ■5月4日 先日、近場のお洒落な店で食事してきました。 お洒落というか、ムーディーです。 料理は美味しいし量もあるし、リーズナブルなのがまた嬉しいです。 昼と夜とで店の雰囲気がまったく違うようです。 (※写真は夜) お洒落族やモテ男のためにあるような店だなと思いました。 こういう店に入ると、妙に場違いな気がして落ち着かなくなってしまうのは、多分今まで歩んできた私の人生がびっくりしているからなのだろうと思います。 お店側から『お洒落水準に達していません』と警告されているような被害妄想さえあります。 いや、妄想なんかじゃないんじゃないかと本気で思ったりもします。 夜のこの雰囲気は特に、お洒落族が女性を口説くのには最適なのだろうなと思ったりもしました。 ちなみに私が女性を口説く予定は皆無です。 ■5月3日 ご飯のおかずを量り売りしているお店が近くにあります。 都会で言うところの『オリジン弁当』的な場所です。 全てのおかずがグラム単位で同価値。 こういうのを選ぶときって、何が一番お得なのかを考えてしまう貧乏人の性があります。 (これは水分が多そうだ、、、。) (大根おろしは入れない方が、、、。) (ミートボールはタレを極力落として、、、。) などと、ついつい考えてしまいます。 いや、食べ物を選ぶ本質がそこじゃないことは分かってます。 単純に美味しそうなもの、食べたいものを選ぶべきです。 いつの間にか純粋に価値だけを見つめてしまっている自分がいます。 自分に「目を覚ませ!」と喝を入れたいです。 (はっ!いかんいかん。) とトングを片手に首を振る私。 「本質を見つめなおせ!」 と小声で自分に言い聞かせる私。 おかずの皿の前で、一人芝居的に葛藤してる自分も今後見つめ直すべきなのだろうとも思ったりしました。 ■5月2日 今日出来る事は今日のうちにやってしまうほうだと思います。 場合によっては明日にまわすことが出来なくも無いのですが、確実に明日出来るとは限らないので、やっぱり今日中に終わらせたほうがいいと判断していると思います。 でも遊ぶ約束とか楽しみなことが後ろに控えているような場合は、確実に明日にまわしてしまうだろうとも思います。 時間に余裕があったとしても、それによって楽しい時間が減ると判断した場合、やっぱり明日にまわす気もします。 物事はどんなときも楽しいことが優先的に選ばれてしまうのだと思います。 もちろんその選択が正しいかどうかは全く別の話です。 むしろ7〜8割の確率で間違っているような気がしないでもないです。 私はそれなりにストイックな信念を持っていると思っていましたが、そうでもなかったのだなと最近気づきました。 快楽主義バンザイ。 ■5月1日 小学校の頃、サランラップの芯を学校に持ってくるように言われた記憶があります。 長さがだいたい30センチくらいのヤツです。 それを何の授業で使ったのかは全然憶えていません。 何かで使ったその後も、捨てずに学校に置いていたと記憶はあります。 授業中、姿勢の悪い生徒がいると先生が無言でラップの芯をその机に立てる。 その長さぐらい机と顔を離せ、という意味の無言の圧力が込められていたと思います。 指摘された生徒は慌てて姿勢を正していました。 普段は机の中に入っていて、その芯の中にソプラノ笛を収納するという機能を果たしていたと思います。 小学生の頃は誰もが経験してきたことだと思っていましたが、最近、そんなの全然聞いた事が無いと言われて軽くショックでした。 小学生にとってラップの芯は必須アイテムだとさえ思っていた私。 果てしなくどうでもいいことではありますが、信じてきたものを失う衝撃はいつもそれなりに大きいです。 ■4月30日 『すごく昔に憧れたけれど、今はむしろ避けたい』 と、いうようなシチュエーションが最近になって予期せずして続々と叶っているような気がします。 壁ともいえるような状況に頭を悩ませているのに、そう言えば昔はこの状況を願って妄想したりしてたっけ、と思い出したりもします。 10年や20年ほど遅れて叶う願い。 小学生の頃に真剣に考えていた、社会的には死ぬほどしょうもない願い事に、高校生になって苦笑いする感じに似てます。 若い頃に蒔いたタネが、気がついたら大樹になってて注連縄までつけられていたという感じかもしれません。 いや、もちろん現実はそんなにヒドくはないです。 むしろ確実にイイほうに進んではいます。 嬉しいことです。 ぼんやりとした表現しか出来ないのは、私の中で全然出口が見当たらない状況だからです。 ぼんやり人生バンザイ。 ■4月29日 テスト勉強やレポートのように、やるべきことと締め切りが決まってて、且つヤル気がなかなかでない作業ってあると思います。 子供から大人まで漏れなく存在すると思います。 そういうときに限って普段やらないような、今やる必要の無いことをやりたくなってしまうことが多いです。 トイレの裏側の掃除とか、疎遠にしていた友人への手紙とか、アドレス帳の整理だったり、、、。 忙しくて時間もないくせに、ついついその為の時間を作ってしまいがちです。 でもよくよく考えたら、そういうことって時間を持て余しているときはほぼ確実にやらないことが多いとも思います。 普段はそれなりに面倒くさいことでも、気の進まない作業の前では、そこそこ魅力的な存在にもなりうるということだと思います。 だからこそ、そういったことはある程度の忙しさがないと、逆に手をつけられないのだろうとも思います。 忙しいときこそが、行動を起こすチャンスでもあります。 若干説得力の弱い理由ではあれど、今後逃避の理由として精一杯活用していきたいと思います。 ■4月28日 「あーーーーーっ!!!」 (あぁぁ、、、、。) 胸が締め付けられる想い。 たかだか200円足らずの損失のはずなのに、それを上回る衝撃がそこにはあると思います。 フタを開けて加薬を入れたカップ麺は、未開封のそれとは全く別の存在なのだと思います。 それはカップ麺でありながら、もはや同価値のカップ麺ではないです。 持ち主の空腹と期待を一身に背負った、5割増しぐらいのカップ麺がそこにあるのだろうと思います。 今、冷静に考えて、 「5割増しでも300円か、、、。」と若干納得がいかない自分がいます。 じゃあ400円までいくかと思うと、そうでも無いような気もします。 (いや、それは時と場合にもよるだろう。) 上乗せされた価値が、あやふやな感情なので判断が難しいところです。 もう100円〜200円ぐらいの価値の判断なんてどうでもいいだろうと思ったりもする矛盾もそこにあります。 ■4月27日 余韻に浸っていたいのに、それが時間的に許されないときがあります。 葛藤しつつも余韻を振り払うことで、いつもどおりの時間が動き出します。 もし仮に、時間無制限で余韻に浸れるとしたらどうなるのかと思います。 いつまでも余韻に浸っていられるような気もするし、案外ちょっとの時間で満足してしまうのかもしれないとも思います。 もちろん前者を期待しているからこその渇望があるのだろうとも思います。 例えば、2時間ぐらいの時間制限があった場合、2時間の余韻に浸っていることは出来ると思います。 でも時間が無制限だった場合、1時間ぐらいで満足してしまうような気がしないでもないです。 人は制限されることで、気づかないうちに感情を高めていることはよくあるのかもしれないとも思います。 物事を判断するには様々な側面を知る必要があるということぐらいは分かっています。 でも満足できているのならば、知るのはその1面だけで充分だろうと思ったりもします。 もう自分でも何が言いたかったのかよく分からないので、今日は寝てしまおうと思います。 ■4月26日 お酒がほとんど飲めません。 すぐに気持ち悪くなって吐いてしまうので、基本的に飲まないことにしています。 大抵のお酒の席は酔ったフリで誤魔化していたと思います。 飲み屋の店員さんに、ウーロン茶をウーロンハイと言って持ってきてもらうよう裏工作をしたりもしました。 結局お酒の味が分からないまま大人になってしまったので、今でもお酒は不味くて飲みにくいモノでしかありません。 一応学生の頃は、みんなで集まっては飲み会のノリで飲んだりもしたと思います。 飲んだあとのことは、何となく憶えているようないないような気がしないでもなかったです。 後々友人たちの話を聞いて、そういえばそんなことをやったようなやらなかったような、いや多分間違いなくやったんだろうなという苦笑いがあったと思います。 先輩の悪口を言うとか、女性にセクハラをするとか、お酒の席に良くある失敗談的な内容は無かったものの、果てしなく周囲に迷惑を掛けていたことだけは分かりました。 最近、酔ったイキオイで逮捕されて大騒ぎになっている芸能人のニュースをみていて、この人は運が悪かったのだなと思いました。 大抵の酒飲み(特に学生)は、前科者になるかならないかのギリギリのラインを、無自覚で綱渡りしているのだろうなと思います。 ■4月25日 本日オープンした本格スリランカ薬膳カレーのお店、セイロンパラダイスでお弁当を買ってきました。 イケメンシェフの似顔絵がプリントされた包装がシブいです。 価格が予想外にリーズナブルなところもいいです。 今日は開店初日でやたらと忙しそうだったので、今度は暇そうな時間帯に別のカレーに挑戦したいと思います。 ちなみに『セイロンパラダイス』って、店名だけ聞いたら風俗店っぽい響きがあるような気がするのは、日本人だけの下衆なイメージなのだろうと思います。 ■4月24日 焼肉屋で散々肉を喰ったうえに、ホルモン鍋(うどん付き)まで喰らってきました。 さすがにお腹がいっぱいです。 財布が傷まない食事は美味さが5割くらい増すと思います。 そして服が猛烈に煙くさいです。 もしこの状態で誰かと会おうものなら、「煙くさっ!」って言われるのは間違いないだろうと思うので、まっすぐ家路についた自分を褒めてあげることにしたいです。 満腹で苦しいとまで思っているのに、帰りぎわミスドでのドーナツ100円セールに惹かれてしまうのは自分でもどうなのかと思います。 ポンデリング美味しーです。 とりあえず誰かが戒めてくれないと、どこまでも食生活を堕落させていく自信があります。 ■4月23日 今日はほぼ一日中ペンキ塗りをしていたので、ちょっと右手の筋肉が張ってて痛いです。 キーボードを叩く動作も妙にソフトタッチです。 こういう場合、不思議と左手もソフトタッチになります。 いつもガチャガチャガチャガチャと音をまくし立てているキーボードも、今日はカタカタカタと非常にお上品です。 むしろ余計な力が入っていない分、無駄がない上にいつもより速い気もします。 多分このほうがキーボードにもやさしいです。 でもちょっとスッキリしないというか、打ち終わった後味が釈然としなかったりもします。 普段、指を叩きつけるように無駄に大きな音をたてているキーボードタッチは、ストレスの解消も担っていたのだろうと気づかされました。 もっともキーボードをちょっと強く叩く程度で発散できるストレスなら、その辺を走ってくればそれで充分だろうとも思います。 ■4月22日 何かを決意したものの、中々踏み込む勇気が持てずに先延ばしにしてしまうことってあると思います。 そんなときに、『もし、○○になったらやろう』的な、ある程度無茶な条件づけをすることで、仕方が無いというような状況づくりをすることがあります。 『この雨が帰るまでに止んだら、、、』とか、 『誰かから電話がかかってきたら、、、』とか、 『今日誰かが家に訪ねてきたら、、、』とか、 決してあり得なくもないのですが、かなり可能性の薄い仮定による状況づくりです。 言ってしまえば逃げていることに対する免罪符です。 先日、 『一度帰った人が、またココに戻ってきたら、、、』という仮定を立てて安心していたら、実際その人が戻ってきてしまい、後に引けなくなってしまったことがあったりもしました。 結果的にそれはそれで良かったのですが、それにしても自分の立てる仮定条件には、ことのほか侘しさが漂っていることに今気づきました。 ■4月21日 先日買った文庫本についていた栞のイラスト。 本を開く度に、本の内容よりも気になっていたキャラクター。 しばらくしてようやくコレが脳を模したキャラクターなのだということが分かりました。 脳から直に足をはやして擬人化されたキャラクター。 正直むき出しの脳ってどうなのか。 一番上のイラストは足さえ付いていません。 この”朝マック”としか思えない絵からは、とても脳を連想することなんて出来ないと思います。 調べてみると、NHKの『Mr.脳』というキャラクターでした。 多分、様々な試行錯誤があったうえで、出た結論がそれを感じさせないことが世の中にはあるのだと思います。 ■4月20日 週末のイベントで色々と慣れないことをしてきたので、結構疲れているような気がします。 それも含めて色々あった緊張の糸がようやく切れました。 詳細は省きますが、本当に色々あってまだ身体がフワッフワしてるので、このまま半笑いの状態でさっさと寝てしまおうと思います。 筋肉痛は明後日くらいがヤマ場だろうなと思います。 ■4月19日 東京でのイベントは大盛況。 途切れることの無い人の波に、休む暇なし。 重い荷物を運ぶ度に、体力の衰えを感じた週末。 最近はPCのマウスすら重く感じたりしてます。 ■4月18日 今日から2泊の東京出張です。 早朝の新幹線に乗るので、領収証をもらい忘れないように余裕を持って行動したいところですが、早くも時間が押し気味です。 電車や駅を寝過ごす時間も予定に入れておきかったのですが、どうも無理そうです。 朝の時間って、毎日こなしているのにどうしてこんなにいつも時間が足りないのかと思います。 急いでいるというのに、布団から起き上がるのに20分以上かかるのはどうなのか。 そもそも朝のこの時間にこうしてパソコンに向かってしまっているのが、最大の無駄なのだろうなと心から思います。 では行ってきます。 ■4月17日 花粉症の薬がきれた途端に症状がひどくなったので、先日耳鼻科にいってきました。 ジェネリック医薬品に変えたら薬代が半値にまで下がってびっくりです。 暇つぶしにネットでジェネリック医薬品を調べようとしたら、全然関係ない製薬会社のページにのってたクスリのキャラクターが面白くて、もうジェネリックとかどうでもいいやと思ったりもしました。 クスリを擬人化したシュールなキャラクター。 表情がまったくないところが秀逸、なのかどうかは私にはよくわかりません。 でも単純に面白いのでいいと思います。 ■4月16日 朝からエビフライをもらいました。 近所のスーパーの一品らしいのですが、ちゃんと揚げたてで噛むと『しゃおっ』と音がします。 小学校の頃の国語の教科書の話で、エビフライを食べるときの擬音が『しゃおっ』と表現されていたことを憶えています。 タイトルは確か『盆土産』。 「しっぽは残すもんだぞ。」 「歯があればしっぽもうめぇや!」 そんな感じの、ひと昔前のほほえましいやりとりが垣間見えるお話でした。 まぁ、私は昔からずーっと今でもしっぽ食べてますけど。 ■4月15日 先日、 「高校生に戻ったら誰と付き合いたいか。」 という、しょうもない話で盛り上がりました。 不毛だなと思いつつも色々と思い出してしまいます。 そうすると不思議と私にも女性との接点がそこそこあったことが思い当たります。 そういえば、、、で始まる話が後を絶ちません。 当時はフラグがたっていたことにさえ気づかずに、スルーしていたのだなと悔やまれます。 もちろん今になって気づいても遅いです。大事なのは今のフラグです。 でも多分、今の自分も10年後ぐらいに気づけるフラグを素通りしようとしているのだろうなとも思います。 ■4月14日 学校やバイト先の備品であるトイレットペーパーを勝手に持ち帰って、自分の下宿で利用するという不届きな学生はいつの時代もいるのだろうと思います。 学校やお店を管理している人は、トイレットペーパーの減った数とトイレゴミの芯の数を統計してみれば、被害状況が分かると思います。 でも迂闊に持ち物チェックとかをやると、修復しきれない溝が出来るのでやめた方がいいとも思います。 トイレットペーパーの芯の数をチェックしていたとか知られた時点で、犯人以外の全ての人にセコ過ぎると思われてしまうので、やっぱり追求はやめたほうがいいと思います。 安価で買いだめが出来る消耗品は、どうしても標的になりやすいです。 まとめ買いで生じた利率も、この被害でほとんど意味が無いものになってしまっているのだろうと思います。 ----- たとえばトイレットロールの回転軸に、使用幅が算出される機械を組み込んで、常に使用した分だけ追加補充できる仕組みを作ってみたらどうだろうかと思います。 流した後に『本日の使用幅:350cm』とか電光掲示板に表示されてもいいです。 500センチや1000センチとかのキリ番をゲットした人には、トイレを出たところで豪華賞品のサービスとか。 逆に使用幅が少ないエコな人には割引サービスなんてのもいいです。 トイレットペーパーの消費量が一気に減ること請け合いです。 『マイ紙』を持参する人も出てくるかもしれません。 単なる思いつきが、思いもよらずエコロジーなシステムに発展しました。 今のうちに企業に働きかけて利権を得ておこうと思います。 誤解の無いように付け加えておきますが、私はトイレットペーパー盗んだりとかしてません。 ■4月13日 ここ数日眠れない日が続いて、今日はもう果てしなく眠いです。 意識が飛びそうです。 正直自転車だって怖くて運転したくありません。 こういう日は事務仕事よりも、あまり頭を使わない単純作業的な力仕事が楽でいいです。 身体を動かしているので眠気を誤魔化すこともできます。 気晴らしに休憩がてら事務仕事をします。 何かしら行動していないと、突然視界がフワッと消え去ってしまうので危険です。 そろそろいい加減身体が休息を欲しがっているようなので、これから20時間ぐらい泥の様に眠ってやろうかと思います。 今日は切なくも淡い恋の話を書こうかと考えていたのですが、思いのほか『眠い』ということしか主張する気になれませんでした。 すいません、嘘です。 明日は『眠った』ということを全面的に主張してみたいと思います。 ■4月12日 ちょっと地元に帰って友人たちと11時から20時ぐらいまで花見で飲み食いしてきました。 静岡に戻る際、人身事故で電車が止まりました。 乗ってた電車がピンポイントで起こした事故なので、消防やら警察やらの現場検証とかで延々と待たされました。 30分経過、、、1時間経過、、、1時間30分経過、、、。 最終的には100分遅れで上野駅に到着。 (もう静岡まで帰れない、、、。) 適当にキリのいい駅で降りて、そこから始発で帰るしかありませんでした。 ----- 品川駅って結構何も無い駅です。こんな駅で降りるんじゃなかったです。 深夜散々さまよい歩いて気づいたら新橋にいいました。 眠いし、もう歩き疲れました。 一番早く帰れるのは品川駅からの東海道線の始発(4:35)に乗る必要があります。 来た道を戻るつもりでしたが、道に迷ったのでタクシーを拾って品川駅へ。 今度は事故もなくどうにか13日の朝7時に部屋に戻ってこられました。 では、仕事に行ってきます。 ■4月11日 電気を消して寝ようとしたところだというのに、、、。 先週に引き続き、深夜テレビでバックトゥーザフューチャーがやってて、ついつい見入ってしまいました。 名作はストーリーが分かっていても面白いです。 いや、この映画の場合は先が分かっているからこそ、伏線の回収を楽しめるという醍醐味があります。 とても約二十年前の映画とは思えない秀逸さだと思います。 見終わったのが午前4時。 興奮で目が冴えてしまって全然眠れません。 朝の六時ぐらいにようやく眠くなってきて、七時に目覚ましに起こされて起床。 そして仕事へ。 日中、今日はなんでこんなに眠いんだろうと不思議に思っていた疑問が今、解決しました。 ■4月10日 『ハイ』という言葉は、タイ語で『(物などを)あげる』という意味になります。 タイ人に「そのボールペン借して。」 とか言われて、 渡す時に「ハイ」 とでも言ってしまおうものなら、 「え?コレくれるの?ホントに?ありがとう!」 などという返事がかえってくるので要注意です。 日本人にとって、『はい』という言葉はほぼ無意識に出てしまうので結構厄介です。 「そのジュースひと口ちょうだい?」 「いいよー、はい」 「あ、全部いいの?ありがと!」 「ねー、それって日本のもの?ちょっと見せて。」 「うん、いいよ。はい。」 「いいの?!嬉しい!やったあ!」 「お土産はなにを買ったの?見せてよ。」 「はい、これだよ。」 「私にこれを?」 言語の違いが引き起こす誤解。 正直、何度かは妥協してそのままあげたりもしたと思います。 ちなみに『キレイ』はタイ語で『醜い(汚い)』とかの意味なのですが、さすがにこれの誤解事件はありませんでした。 ■4月9日 携帯の迷惑メールを受信する度に料金が発生していることは何となく分かっているつもりだったのですが、どうも考え方が違っていたっぽいです。 つい最近まで『メール1通につき○○円』という感覚でいたのですが、携帯はメールの文字数(容量)で、金額が上下するとのこと。 ちゃんと調べてみると、自分の携帯ではメールの受信でかかる費用は下記の通り。 20文字 2.39円 50文字 2.49円 100文字 2.65円 150文字 2.82円 250文字 3.15円 1000文字 5.88円 2000文字 9.05円 3000文字 12.40円 4000文字 15.77円 5000文字 19.95円 最高で1通20円近くの料金が発生しています。 一日に迷惑メールが20〜30件ほど届くので、場合によっては一日で600円も料金が発生している可能性があります。 一ヶ月で18,000円です。 もちろん毎月の明細書を見て、そんなにかかっていないことは分かっているのですが、毎月そうなる可能性は持ち合わせていたのだなと思わされました。 今日早速メールフィルターのレベルを最大に上げたので、もしかしたらメールが届かないよ!という人が出てくるかもしれません。 そういう人は直接電話してください。 そんなお知らせのメールをみんなに出そうと思いましたが、ここしばらくプライベートのメールはCメールぐらいしか来ていないのでやめました。 お金払うから誰か私にメールください、という本末転倒な叫びを歯を食いしばって喉元で寸止めしました。 携帯関連のコラムを書こうとすると、ほぼ必ず同内容の切ない感じになることが分かったので、もうやめようと思います。 ■4月8日 とある携帯のショッピングカテゴリを見ています。 家電やおもちゃ、グルメ・酒...スイーツ...ときて『カニ』。 大きくジャンル分けされる中での『カニ』。 『生活雑貨』や『家電』と肩を並べる『カニ』。 『本』や『ゲーム』とかの趣味的なものとも肩を並べる『カニ』。 『スポーツ』や『健康』とかの概念的なものとまで肩を並べる『カニ』。 私の知らないうちに『カニ』の地位が思いのほか高くなっていることに気づかされました。 きっと今どきの履歴書の趣味や特技の欄には『カニ』の2文字が見え隠れしているのだろうと思います。 ウチの会社は『カニ』が必須、などという条件が今後世間に広まる日もそう遠くは無いのだろうとも思います。 ■4月7日 「今週の日曜に花見をやるから。」 という誘いの電話が掛かってきました。 気のおけない友人たちと飲み食いするのは楽しいだろうと思います。 でも花見をやる場所は地元の茨城県です。 静岡県に居るのは自分だけなのだから仕方が無いです。 とりあえず行こうとは思っています。 ただ、果てしなく面倒くさいです。 花見を楽しみたい反面、当日の雨天中止を期待する黒い自分が見え隠れしてます。 ----- 当日本当に雨が降ったら後味が悪いので、そのときはお詫びとしてコッチで一人でゴザ敷いて花見をしようと思います。 ■4月6日 近所に頑張りを見せている自販機があります。 90円を全面に押し出してアピール。 25%引きの魅力をあまり感じないのは、多分私が大人になってしまったからなのだろうと思います。 近くに中学校があるので、もしかしたら需要が高いのかもしれないです。 いや、今どきの中学生はそこまで30円にこだわらない気もします。 この自販機が消えた時が、世代の違いを痛感する時でもあるのだと思います。 値段の話ではないですが、夜に自転車で30分以上かけて遠くの顔見知りでない本屋へ走る行為は、カタチを変えつつも変わらない情熱が世代を超えて存在していると思います。 ■4月5日 以前私がタイの田舎に住み始めた頃のこと。 突然やって来た日本人がクワ1本で更地に畑を作り始めているらしい、という話はあっという間に村中に広がりました。 数日後、学校に行かない子供たちや学校に行きたくない子供たちが、私のあとをついて来るようになりました。 さらに数日後、子供たちは空いている場所に小さな畑を作り始めました。 子供たちに少しでも農業に興味を持ってもらえたことが嬉しかったです。 土はとても固かったので、耕すのも少し手伝ってあげました。 野菜の種は余っているのを分けてあげました。 川から水を汲むのも一苦労なので、水やりも手伝ってあげました。 毎日来られない子供も多かったので、草取りもやっておいてあげました。 今までの倍くらい忙しくなったことを憶えています。 それからさらに数日後、子供たちは魚釣りをやり始めました。 中々結果の出ない畑に早くも飽きたらしいです。 「○○さん、一緒に魚釣りやろうよー!」 と、無邪気な笑顔で誘ってくる子供たち。 「オイてめぇら、(私が一生懸命世話した)畑は無視か、コラ!なめんなー!」 と、子供相手に笑顔で何度も言ってやりました。 日本語で。 ■4月4日 身の回りの些細な変化に気づく能力が著しく低いほうだと思います。 女性の髪形や服の変化とかを見抜いて、ひと声かけられるヤツとか心底すごいと思います。 興味が無いと言ってしまえばそれまでなのですが、そうも言っていられないことが世の中にはあると思います。 解決策として、とりあえず言ってみればいいのではないか。 たとえ何も変わっていなくても、 「なんとなく雰囲気が違うような気がして、、、」とか言えば済む話。 「そういえば今日は髪留めが違うけど、、」とか 相手の方から何かしらまったく知らない情報を出してくれることもあります。 そうなれば一気にイメージアップです。 予期せずして、『そんな細かいところまで見ていてくれていたんだ』的な好感度を上げることも出来ます。 ただ残念なことに乱用することが出来ません。 せいぜい1ヶ月に1回くらいしか使えません。 そもそもその間に本当に髪型の変化があって気づけなかったら致命的でもあります。 自分で書いてみて、全然解決策じゃなかったことに今気づきました。 ■4月3日 ふと、今日はカレーが食べたいなと思いました。 でもよく考えたら、カレーを食べたくない日なんてほぼ無いです。 なので、『カレーのことを思い出す』イコール『カレーを食べたい』ということなのだろうと思います。 職場の近くにカレー屋があるので、通る度にカレーが食べたいと思ってしまいます。 たぶん毎日欠かさずカレーのことを思い出しています。 おそらくカレーのことを思い出さない日なんて無いです。 必然的に私は毎日カレーを食べたいと思っているのだなと気づかされます。 いや、現実問題として毎日カレーは勘弁してほしいです。 日々カレーを願いつつも深層心理では日々のカレーを避けているという矛盾。 叶わぬ願望だからこそ、思い続けられる願いでもあります。 今ちょっとカッコ良く言ってみましたが、単に今日カレーが食べたいだけです。 ■4月2日 男女の間で友情があるかと言われれば、多分あると思います。 この『多分ある』というのは男性によくありがちな答えらしいです。 女性はハッキリと『ある』『ない』と答えることが多いらしいです。 ちなみに女性の意見は圧倒的に『ある』が多いらしいです。 その割には、結婚したら異性と2人きりで会うのは駄目だとかいう意見は女性のほうが多いと思います。 『友達以上、恋人未満』という言い回しで、明確な答えを避けるのも女性が多いと思います。 でもこの言葉は『友達』の延長線上に『恋人』があることを示唆しているとも思います。 『男女間に友情がある』と言ってる人が、この言葉を使うのは矛盾しているとも思います。 また、『男女間の友情はある』とか言う人に限って、自分の恋人が異性と二人で会うことに無条件で目くじらをたてる傾向があるとも思います。 ちなみに私的には30代くらいから、チラホラと男女間の友情が出てくると思います。 20代の男女は正直微妙です。 『50代からは友情しか存在しない』なんてことを50代の人が言っていたのを思い出したりもしました。 ■4月1日 伊勢の名物『赤福』をもらいました。 過去に色々と騒がれましたが、やっぱり『赤福』のあんこの舌触りは絶品だと思います。 結局うまいもんは美味いということだろうと思います。 美味しいものの話をしていると、必ずでてくる『うまいもん』というフレーズ。 そのフレーズが出る度に、ゆうゆの口調で 「うまいも〜ん!」と言いたくなってしまうのは、決して私だけではないのだろうと信じたいです。 ■3月31日 手持ちの日本手ぬぐいの中の一つに、長崎土産でもらったやつがあります。 アメリカ大統領のバラク・オバマ氏にあやかって、日本の小浜市が町おこしをしているのは知ってました。 それは知ってましたけど、小浜市が長崎県にあったことは知らなかったです。 小浜市に温泉があったことも知らなかったです。 と、コレをもらったときはそんなことを考えていたのですが、よく考えたら小浜市は福井県です。 調べてみると、長崎県にあるのはあくまで小浜温泉であって、小浜市は一切関係がなかったです。 全然知らなかった小浜温泉。 人知れず便乗していたのかと思うと、小浜温泉を知らなかった自分が申し訳ない気もします。 これからは『オバマ氏』と『小浜市』と『小浜温泉』の中でも、ダントツで『小浜温泉』に興味津々な自分を主張していきたいと思います。 ■3月30日 夕方18時になると、マンションのドア上の明かりが勝手に灯るしくみになってます。 今日仕事が終わって帰ってくると、自分の部屋のドアライトだけがボンヤリと薄暗い(写真左上)。 煌々と周囲を輝かしている他のドアライトに比べて、ウチの部屋だけこれっぽっちも照らされていません。 そこにドアがあるのかどうかさえ判別しにくいです。 一見そこの住人が不憫にも見えて、ちょっと感じが悪いです。 正直この薄暗いドアに入っていく姿を見られたくないです。 なんか哀れみの視線を投げかけられそうです。 ライトの光度が中の住人のコンディションやモチベーションと比例しているように感じてしまう視覚のマジック。 あながち間違ってもいません。 ■3月29日 以前の職場の上司が、椅子にふんぞり返って裸足の両足を机の上に投げ出した状態で説教を始めたことがありました。 恐怖政治よろしく、絶対的な圧力で力を誇示して部下を支配するタイプの人だったので、まぁいつものことと話半分に聞き流していたときのこと。 こちらに向けられた上司の足の裏にホクロを発見。 結構ハッキリとしたホクロ。 足の裏のホクロは放っておくと癌になる兆候の一つだと聞いたことがあります。 (さて、どうしてくれよう。) このまま何も言わずガン無視して、この男を病の床に追いやってやろうか。 いや、ここは素直に教えてあげて恩を売っておくべきか。 教えてあげたいようなあげたくないような、心はどっちつかずの状況のまま。 そんな心の葛藤は説教が終わる直前まで続きました。 結局そのときは何事も無く説教が終わったこともあり、若干迷いながらも素直な気持ちで教えてあげることにしました。 「あの、足の裏にホクロがあるみたいですが、、、。」 「んあ?本当か?、、、おう、ゴミがくっついてた。」 「・・・・・・・。」 このときの私の心境が複雑すぎて人として微妙でした。 ■3月28日 女子高生っぽい娘たちの会話の中で、 「それ、飲まずにほっておいたら氷が解けてコップから水があふれちゃうよー。」 と言っているのが聞こえました。 こういう勘違いを聞くと、たとえ赤の他人でも指摘したくてウズウズしてしまう気持ちになってしまうのは数年前のこと。 いつのまにかもう他人の勘違いとかどうでもよくなっていることに気づきました。 そういえば大学生の頃、自分は10浪していて実は30歳だという嘘情報を下級生に勘違いさせたまま、しばらく過ごしたことがありました。 確かに害はありませんでしたが、決してプラスになることではなかったと思います。 むしろマイナスだった気もしますが、その辺もどうでもよかった記憶があります。 ----- ずーーっと以前の職場の上司が、『勘違い』を『感違い』だと勘違いしていて、外部に出す書類とかを『感違い』の表記で作成していたことを思い出しました。 一度そのことをやんわりと指摘したことがあったと思います。 「この『感違い』って、この字じゃなかったような気がするんですけど。」 「そんなことないよー。俺、国語の成績は良かったんだよ?」 と、全くとりあってくれませんでした。 あまりにも堂々と自信満々の勘違いっぷりを披露されてしまうと、もう手詰まりです。 その人が、上司としても、人としても、私の中で『無関心』の部類へと位置づけされた瞬間でもあったと思います。 ■3月27日 このホームページのアクセス数が今日半日だけで突然2千件も増えていました。 調べてみると、過去にコラムの参考資料としてつくった『新入社員タイプ別一覧のページ』にアクセスが集中しているらしいです。 どうやら今日、財団法人社会経済生産性本部が今年の新入社員のタイプを新たに発表したことが原因らしいです。 放っておくのも何となく申し訳ないので、一応発表された今年の分を加えてアップしておきました。 以前も書いたかもしれませんが、この『新入社員タイプ』は昔の方がシンプルな上に皮肉が痛烈でいいと思います。 純粋に新入社員タイプを調べにきた人には、とりあえずすいませんと謝っておきます。 ■3月26日 夜中に喉が渇いたので、自販機でジュースを買ってきました。 いつも通りガブガブ飲みやすいやつを買うつもりが、うっかり惹かれて買ってしまった『ラッキーサイダー』。 いや、『うっかり買った』と言いましたが、多分純粋に心から欲しかったんだろうと思います。 缶のデザインや色合いとかの俗なセンスには目をつむるとして、何といっても『ラッキーサイダー』です。 これできっとイイことがあります。 むしろイイことがないわけがないです。 不思議と120円以上の分不相応なラッキーを要求してしまっていることには中々気づけないものです。 そもそも喉の渇きを潤すついでの行動なのにもかかわらず、図々しい話です。 気がつけば、120円の缶ジュースにひたすら神がかり的な『ラッキー』を求めている自分がいます。 ■3月25日 西表島に住んでいた頃、部屋にネズミが出没してました。 棚に置いておいた食べ物はほとんどネズミに齧られて穴が空けられていたと思います。 夜にスタスタ歩く足音は聞こえるのですが、例えそこで起き上がって電気をつけたところで捕まえられるハズもなく。 カップめんとかの保存食を全て駄目にされてしまう日々が続いて、さすがに対策を練ることにしました。 まず、床に敷くトリモチ式のネズミ捕りを購入し、棚の食物の隣に仕掛けておきました。 次の日、いつも通り食べ物だけが喰い散らかされていました。 いつもと違うものが置いてあったので警戒されたのだろうと思います。 次の日は棚から棒を伸ばし、棒の先に袋に入れた食物を紐でつるしてみました。 釣竿で食物を空中にぶら下げているようなカタチです。 さらに釣竿の根本付近にネズミ捕りを仕掛けておきました。 夜中、いつものよりややドタバタとしたネズミの足音が聞こえたと思います。 翌朝、袋は噛み千切られて床に落ちていて食べ物は喰い散らかされていました。 ネズミ捕りの端っこのほうには、ニアミスしたと思われる粘りが点々と床に付着していました。 次の日、食物棚への道を段ボール等の荷物で完全にシャットアウトしてみました。 ただ、段ボールは齧られるので裏のほうに唯一通れる道を細く作っておきました。 夜中、段ボールをゴスゴス擦るような音。 翌朝、食べ物は見事に喰い散らかされていました。 次の日、同じ状況のままで、棚への細い道にネズミ捕りを置いておきました。 前日あえて何も仕掛けていなかったのは、この日の為です。 夜中、「キィェェェェ!!」といううめき声。 その声が断続的に朝方まで聞こえてました。 朝、部屋の電気をつけると、やたらでかいネズミ(シッポを含めずに20センチくらい)が床を這ってました。 粘液まみれで身体の自由を奪われたネズミが、ネズミ捕りをなんとか脱出し、ベトベトの身体を床に擦りながら少しずつ逃げているところでした。 ネズミ捕りの場所から2Mくらい、茶色の粘液の跡が線を描くようにネズミ(今もなお移動中)のとこまで続いています。 面倒くさいので電気を消してそのまま外に出ることにしました。 外に出てからしばらくすると、部屋の電気がついて、同居人の山田さん(仮名)の「うわぁぁぁぁぁぁ」 って叫びが外にまで聞こえてきました。 小走りに部屋から駆け出してくる山田さん。 「山田さん、朝からうるさいですよ。」 「○○さんこそ逃げないでください!」 結局二人がかりで死にかけのネズミと奮闘することしばし。 詳細はアホ過ぎるので省きます。 水平線を朝日が昇る頃、白い砂浜の一部が若干盛り上がった傍で、ため息と共に両手についた砂をパンパンと払い落とす二人の大人たち。 その二人、果てしなく無口。 ■3月24日 海外在住の友人から、「今度日本に一時帰国するから」との連絡。 愛知にあるの彼の会社の本社から地元の茨城に行く際に、ココ静岡は通り道でもあります。 「新幹線で通過するから動体視力を鍛えておきます。」 というのは彼の弁。 数年ぶり久々に会おうという気はさらさら無いらしい。 「熱海のホームで立っていてください。」 というのも彼の弁。 ココは熱海じゃなくて三島です。 今まで数年間、何度となくすれ違いを繰り返してきた彼との再会は、今回も叶わずすれ違います。 ■3月23日 以前ラフティングの会社で働いていた頃、雨で川が増水してその日のトリップを組むことが出来ない日がよくありました。 雨が降って川が増水してトリップが中止になることは別段珍しいことではなかったです。 安全基準を定めているので、むしろよくある話でした。 ただ、増水して荒れた状態の川はガイド連中にとってエキサイティングで魅力的な存在でもあったと思います。 とある増水の日。 橋の上から見下ろす川の荒れ具合といったら、お客さんでは無理だろうけれど、自分らだったらイケそうな気がする的な危険な魅力を放っていました。 通常ラフティングはガイドが舵取りの役目を果たし、お客さんが漕ぎ手として進めていきます。 このお客さんの推進力が重要で、正直初心者や女性とかは水を上手くかくことが出来ないのでたいした戦力にはならずガイドは結構しんどいです。 基本的にお客さんを乗せたラフトボートが流れに負けずグイグイ進むことは難しいです。 それを踏まえて、乗り手が全員ガイドであった場合に出来上がるほぼ無敵のボート。 その的確な舵取りと充分すぎる推進力で、ほぼ理想のラインを進むことが出来ることが予想されました。 「いっちゃう?」 そんなリーダー格のガイドの提案に、反対する理由は全くなかったです。 そこにいた全員が『やりたい』『イケる』と考えていたからだと思います。 かくしてガイドのみで構成されたラフトボートが川に浮かべられました。 緊張と期待、ドキドキワクワクを胸に荒れ狂う瀬に向かい川を下っていくボート。 最初にして最大の難関でもある、うねる荒波に突入してすぐに、これは駄目だと全員が感じたと思います。 侵入角度がまずかったこともあり、ボートは見事にひっくり返り乗っていた全員が川の中へ放り出されました。 私はたまたまラフトボートのロープを掴むことができたものの、直後強烈な勢いで水底に身体が引っ張られました。 パドルを持った片手を諦め、ロープ握ることに集中しました。 濁流がやや落ち着いたポイントまで流されて、私はようやく逆さまに浮かんだラフトボートによじ登ることが出来ました。 立って周囲の状況を確認。 チラホラとボート近辺で流されているその他のガイドたちの頭が見えます。 救助者へはロープを投げるのが普通なのですが、皆流水レスキューの資格を持っているのだから不要だろうと思ってました。 このとき私はややパニくっていたのか『人数を確認する』というあたりまえの行動すら出来ないでいました。 運良く一番にボートの上に戻れたところまでは良かったものの、その後の対応はあまりにもお粗末だったと思います。 他のガイドたちは流されながらも人数確認をちゃんとしていたようでした。 「○○(←名前)はドコ?!!」 そんな声が響きました。 一人足りない。その名前を呼ばれた○○の姿は水面にはありませんでした。 強い波が生じるような、底に段差があるポイントではバックウォッシュが発生し、洗濯機のように回転している川底の水流が、物凄い力で物体を引き込みます。 そこに入ったらそのまま溺死するまでグルグルと回り続け、自力では浮かんでこられないぐらいの自然の驚異が存在します。 それはたとえ充分な浮力をもったライフジャケットを着用していたとしても起こりうる現象であることは、リバーガイドであれば誰もが予測する事態です。 もしくはストレーナーと呼ばれる水底の障害物に自由を奪われている可能性や、転覆時に気を失ってそのまま流されているのかもしれませんでした。 正直予想でき得る状況は無数に存在していて、そのほとんどが最悪の事態のような気がしました。 (認識が甘すぎた。) 「○○!!○○!!おい!!」 怒りや叫びにも似た声が聞こえ、すぐに濁流の轟音にかき消されていく。 転覆してから約1分は経過していたころ、いや実質30秒くらいだったのかもしれません。 とにかく姿を消した○○を探している時間はとてつもなく長く感じられました。 息をするのも忘れるくらいの緊張感の中、全員がボート周辺に彼女の存在や手がかりがないか目を光らせていました。 そんな中、私たちが流されている場所から遥か上流、ちょうどボートが転覆したあたりから彼女はひょっこりと水面に顔をだしました。 「○○!!!!!」 誰が最初に叫んだのかは憶えていません。 その声は同じ絶叫でありながら、今までの悲痛な叫びとは似ても似つかない、安堵と歓喜の入り混じった誰もが求めていた声でした。 「○○!!!」「○○!!」 皆が意味もなく彼女の名前を連呼してました。 そのとき水面に浮かんだ彼女は満面の笑みを浮かべ、さらには両手を挙げてこっちに手を振っているという、皆を唖然とさせるものでした。 「転覆しちゃったねー、アハハ。」 とでも言い出しそうなくらい、彼女は普通でした。 実際ボートに上がってきてからもそんなトーンだったと思います。 後々聞いた話では、やはり彼女は川底の水流に巻き込まれていたらしいです。 転覆後、目の前が真っ暗になって物凄い力で身体をもみくちゃにされて、気づいたら水面に飛び出していたということでした。 運が良かったとしかいいようがないです。 私たちはひっくり返ったボートを元に戻し人数分のパドルを回収してから、後は川の流れに任せるように下っていきました。 橋の上では、話を聞きつけた他社のスタッフたちが笑いながら一部始終を見ていたらしいです。 もちろん一瞬の緊張はあったのでしょうが、それ以上に状況が一瞬で解決していたのだろうと思わされました。 正直当時はそれほど大きな事件としては考えていなかったのですが、今こうして思い出してみると、それなりに問題のある行動だったのだなと思わされます。 その話はウチの代表や責任者へと渡り、リーダー格の△△(←名前)さんは後でスタッフ全員の前で鉄拳制裁を喰らうという惨劇が待っていたりもしました。 しばらくの間、他社からは『グーパンの〜〜』的な表現で、何かと揶揄されることが続くというオマケつきでした。 今となってはそれなりの面白事件だったと記憶に保存されています。 結果オーライの場合、大抵のシリアスな話も後々笑って話せる存在になっているから凄いと思います。 ■3月22日 タイに住んでいた頃、『コン・マイミー・フェーン』という歌がそこそこ流行っていました。 直訳すると『恋人がいない』という意味の切なげなバラード。 胸元にタイ語で大きく『コン・マイミー・フェーン』と描かれたTシャツも、当時大ヒットしていました。 このTシャツを着ていると、 「おっ、恋人いないの?」 と、冗談気味に話のツカミにもなったので良かったと思います。 でもこれはあくまでバンコクの都会での話です。 私が住んでいたド田舎の村では、そんなTシャツを着たら最後、村中に『恋人募集中』として噂が広まってしまいます。 ちょうど私の住んでいた隣の家の年頃の娘がそのTシャツを着ていることが話題にもなったりしてました。 村の中では、 「オイ、お前アイツに声かけたらどうだ?」 みたいな男性陣の下衆な話で大いに賑わいをみせていました。 実のところ、その娘からは人知れず露骨なまでのアピールや熱視線を受けていたのですが、私が無言の愛想だけで誤魔化すという関係でした。 そこに彼女がコン・マイミー・フェーンTシャツを導入したことにより、その話題から逃げられない状況がつくられてしまったことに、正直私は舌打ちをする想いでした。 上目づかいと流し目を足してさらに2倍に強化したくらいの不敵な視線を投げかけてくる彼女。 (視線を下げちゃダメだ!彼女のTシャツを見ちゃダメだ!) かといって顔を見続けるのもマズイという葛藤。 彼女の前では途端にタイ語能力が3歳児並の無垢な少年のフリをしていたと思います。 正直彼女との攻防は色々と筆舌に尽くしがたいものがあったのですが、振り返ってみるとこのコン・マイミー・フェーンTシャツの登場で、かなり均衡が崩れたっけと今さらながらに思わされました。 ■3月21日 化学の元素記号表を習ったのは確か高校生くらいの頃。 スイ、ヘー、リー、ベ、ボ、ク、ノ、フ、ネ、といった語呂合わせで最初に授業で習いましたが、当時これって語呂合わせでもなんでもないなと思っていました。 『ボクノフネ』の部分が辛うじて意味がある気はしますが、これがほぼ全国共通の憶え方であったことも不思議でした。 『リーベ』がドイツ語で『愛する』の意味だということを知ったのは大学を卒業してまもなくの頃。 そのとき初めてあの憶え方にはちゃんと意味があったことに気づくことができました。 あれは『水兵リーベ僕の船』という文章の語呂合わせだった。 人生において元素記号とかどうでもよくなってきた頃にようやく気づけた事実。 気づけたという嬉しさと、今さらという虚しさがあったと思います。 さらにこの文章の裏の意味を読もうとして凄く嫌な気分になったりもしましたが、それは多分考えすぎなのだろうなとも思います。 単純に元素記号の憶え方には下ネタが多いだけです。 日本の化学者って実はもの凄く底が浅いんじゃないかという懐疑的な思いに駆られるひととき。 ■3月20日 子供の頃、犬は怖い存在でした。 通学路途中の家で犬がつながれているだけで、結構な緊張感があったと思います。 もちろん今はそんなことは全く無いのですが、昔の犬は今よりももっと怖かったような気がしないでもないです。 大抵の犬は、千切れんばかりにリードを引っ張りながら、敵意をむき出しにして物凄いイキオイで吠えてきていた気がします。 大人になった今でこそ、様々な角度から状況を判断して危険性の低さを理解できてはいるものの、知識の少ない子供にとっては犬という生物の存在さえ全くの未知数。 引っ張る力でつながれているロープが切れるかもしれない。 突然首が伸びて噛み付かれるかもしれない。 四肢を食べられてしまうかもしれない。 突然巨大化して襲われるかもしれない。 目から怪光線が出てくるかもしれない。 犬の持つポテンシャルを、子供ならではの想像力で無駄に膨らましていたと思います。 それはもう宇宙人並の脅威。 小学校3〜4年生くらいでようやく犬の領域を把握し始めたと思います。 ただ、首が伸びるという可能性はしばらく捨てきれずにいたとも思います。 もし道端で犬を怖がっている子供がいたら、大人として『犬の首は伸びない』ということを教えてあげることにします。 ■3月19日 学生の頃、キャバクラでバイトしていたことがあります。 テーブルに料理やお酒を運んだり、タバコを買いに行ったり、奥の部屋の女の子を呼びにいったりといった仕事。 駅前の通りで呼び込みをやったときもあります。もちろん風営法改正前の話。 当時ナイキのエアマックスが流行っていたこともあって、男性客の中には店の女の子にプレゼントとして買ってきている人とかもいました。 「えー、ホントにくれるの?憶えててくれたんだ。ありがとう!」 「うん、確か大きいサイズが好きだって言ってたよね。27センチくらいって聞いてたからちゃんと買ってきたよ。」 「やーん、嬉しー!!」 そのエアマックスは多分、というか絶対、その娘の本命の彼氏へ流れていくことは容易に想像出来るのですが、男性客側はそんなこと一切考えていない感じでした。 女性のいる奥の部屋は、出入りが結構激しかったです。 店に女の子がたくさん居るということを感じさせる為でもあるので、店の女性は何かの度に必ず奥の部屋に一端戻ることが義務付けられていました。 女性は常に奥の部屋から出てくる仕組み。 奥の部屋は男性客からのプレゼントがいっぱい放置してありました。 「○○くぅ〜ん、コレ貰ったケーキだけど食べない?」 「ありがとうございます、いただきます。」 「あたしさー、今度修学旅行があるんだけど、メンドイからサボっちゃおうかなーって思ってんだよね。」 「(・・・・・・オマエ高校生だったのかよっ!)」 と、まぁ裏側にはそんな様々な人間模様があったのだけれど、幸い複雑に絡み合ってはいなかったので、そこは良かったと思います。 でも色々と疲れる職場ではありました。 『楽しさ』よりは『疲れ』のほうが格段に上だったので、あんまり長続きはしなかったです。 バイトをやめた後、お店の女の子とは一切連絡をとらずに、私生活からスパッと切り離しても何の未練も感慨もなかったという淡い想い出。 ■3月18日 とある一人暮らしのアパートの入り口。 入ってすぐに冷蔵庫。 奥の部屋へ進む。 フローリングの部屋。 床には何も置かれていない。 カーテンの向こうが微かに明るい。 左を向くとテレビと押入れ。 そのまま右へ。 目的は押入れのほう。 奥の閉まっている押入れへ。 開けるとそこには、、、。 ここまでなんのセキュリティもなく、ただ無造作に置いてあります。 家主がカギをかけ忘れていることが多く、侵入が容易な部屋。 こうしてトライアル的に侵入してみると、家主の危機管理能力の無さに唖然とします。 というかココは自分の部屋。 もちろん札束は偽物なので、侵入出来ても割に合いません。 ■3月17日 レバーが嫌いだった記憶があります。 子供の頃、生まれて初めて食べたレバーは、親戚のおばさんが作ってくれたレバニラ炒めでした。 外見は肉の様なのに、全然歯ごたえがなく、口の中ででろ〜っと広がっていく味わいがたまらなく嫌でした。 「どう?美味しい?」 と聞いてくるおばさん。 (おばさんを傷つけるわけにはいかないっ)という子供心の偽善から、 「うんっ、すっごく美味しい!」 と満面の笑みで返しました。 早くたいらげてしまおうと箸をすすめる姿が、夢中で食べているようにも見えたらしいです。 「あらあら、ウチではレバーを食べさせていなかったからねぇ」 と母がちょっと意外そうに話していたのを憶えています。 その日以降、おばさんは会うたびに 「○○ちゃん、レバー好きだったよね!さっき買ってきたから。」 と言って、レバニラ炒めを作るようになりました。 おばさんに会う日は憂鬱な気分にさえなりました。 自らのくだらない親切心が招いた悲劇。 これは嘘をついたバチがあたったんだと言い聞かせ、戒めの想いでレバニラに立ち向かっていったあの頃。 その状況は数ヶ月ほど続いたと思います。 おばさんが飽きたのか、さすがに喰いつきの悪さに気づいたのか、いつの間にかレバニラが作られることはなくなっていきました。 今思い出してみると、母は私の演技を見抜いていたと思われるフシがいくつもありました。 でもレバーを頑張って食べている我が子を無言の笑顔で見ているだけで、特に救いの手は何もありませんでした。 子供の好き嫌いを克服させようと考えていたのかもしれません。 今となっては好き嫌いも無く何でも食べるようになったものの、そういえばウチの家族でレバーを普通に食べられるのは自分だけかもしれないと、ふと思いました。 ■3月16日 西表島に住んでいた頃、当時つきあっていた遠距離恋愛の彼女が結構頻繁に遊びに来てくれていました。 2ヶ月に1回、場合によっては1ヶ月も間を空けずに会いに来てくれたこともありました。 他の同僚たちの彼女の中でも、ダントツに西表島への来島が多かったと思います。 ただ、島での仕事が尋常じゃない忙しさだったので、会えるのはいつも仕事が終わってからの深夜帯でした。 社長に頼めば1日くらいは休みをもらえるのですが、その代わりに5万倍くらいのイヤミを言われ続けた同僚を見ているので、それだけは絶対に避けたいと思ってました。 結果、西表島の日差しの下で彼女と会うことはほぼ無かったです。 深夜から朝までの数時間だけが唯一の自由時間でもあったので、必然的にその間は彼女と一緒の時間。 なので彼女が来ている2〜3日の間は、まったく寝ないで仕事をしていました。 眠らないで3日目とかでも、それほど体力的なキツさを感じていませんでしたが、それが若さゆえなのか彼女の存在ゆえなのかは正直よく分かりません。 同僚の山田さん(仮名)からも 「よく平気でいられますよね、、、。」と半ば呆れ顔で賞賛されたりもしていました。 その彼女とは、私が西表島を離れて日差しの下で会うようになってから、ひと月くらいでフラれてしまいそれっきり。 多分西表島の深夜の闇が、私の様々な不都合な部分を隠してくれていたのだろうとも思います。 ■3月15日 打ち合わせ&準備不足な結婚式の余興。 傷つくのを承知で挑まなくてはならない理不尽さがそこにあります。 いや、準備が整っていないのは自業自得です。 もう後戻りすら出来ない。 演目は『紫shikibu』。 この時点で全員が歌詞と振り付けうろ覚え。 登場前の控え室にて。 写真タイトル:『から元気』 ----- 結果の良し悪しなんて、正直誰にも分からないものだと思います。 全てが終わった後のテーブルでは、当事者たちの 「がんばった!」 「俺たちはがんばった!」 「やりきったよ!」 そんな満足気な自画自賛の声が印象的でした。 まぁ、私もその当事者ですが、、、。 ■3月14日 明日は地元の友人の結婚式に出席するので、今日から前日入りする予定。 これから4時間弱電車に揺られて水戸へ行ってきます。 上野から常磐線に乗ると車内の話し声が、気づかない程度に徐々に訛りに侵食されていきます。 そして気づいたころには、訛っていない部分を指摘することさえ困難な領域にいます。 そしてその頃には、大抵自分自身も訛った状態に戻っています。 自分は訛っていないと思っていても、それに気づけないほどに自然に侵食されているのだと思います。 周囲の人から「訛りがないね」と言われても、多分訛ってます。 茨城県人の『訛っていない』という言葉ほど信用出来ないものはないのだと思います。 ダチョウの上島竜平さんへ対して『絶対押さないから』と言うのと同じくらい信用出来ないと思います。 ちなみに私は茨城のあの救いようのない訛りが大好きです。訛りバンザイ! ■3月13日 子供の頃、テレビ番組で手品師があたかも空中から突然お金を取り出すようなマジックを披露していたのをみて、本気で感心した記憶があります。 そのままキッチンの母親に、 「今のやつができるようになれば、いくらでもお金がね、、、」 というようなことをハシャぎながらアピールすると、母親は 「そうよ、ああいう人は便利だからスグに悪い人に連れ去られて一生お外に出られなくなるのよ。怖い怖い。」 と普通のトーンで返してきました。 テンションが上がっていた子供の私は、それで一気にドン引きした記憶があります。 手品師という狭き道への無邪気な憧れから、我が子を引き剥がそうとする母親の愛情だったのだろうということは分からないでもないです。 母の思い出をたどると、あからさまな嘘で子供を操作しようとしているなと思わされる場面が結構多いです。 ■3月12日 街中で、30代後半真面目そうな中堅ビジネスマン風のスーツの男性が携帯で話しているのを耳にしました。 「ハイ、えぇ、今回は無理ですね。今は、、、ゴスロリコスプレ特集ですね。」 「えぇ、ゴシックロリータの略になります。」 「そうですね、、、あのフランス人形みたいなヒラヒラの格好のですね、ハイ、それがゴスロリと言って差し支えないと思います。」 「えぇ、ハイ。」 明らかに仕事中のトーンで表情一つ変えずに、自分より偉い人に『ゴスロリ』が何であるかを丁寧に説明している様子がうかがえました。 聞いてて凄く面白かったので、ついついそのまま盗み聞きをしてしまいましたが、最終的にこの人がどういう仕事をしていて、これがどういう用件の電話だったのかは、正直よくわかりません。 すくなくともあの男性が瞬時に『ゴスロリ』の意味を年配の方に分かりやすく伝えることの出来るキレ者だということは分かりました。 私自身がこの人みたいな説明が出来るかと言われれば、多分出来るとは思います。 『ゴスロリ』に関して、多分あの男の人と同じ程度の知識ぐらいは持っています。 彼が人生においてどういう経路で『ゴスロリ』の知識を有したのかは知りませんが、私の持っている『ゴスロリ』の知識とは、同じようでいて且つ様々な面でひらきがあるような気がしてなりません。 ■3月11日 昨日は近場の温泉に行ってきました。 平日の15時頃なのですいているだろうと思っていたら、それなりに人が来ているようでした。 露天風呂は50代くらいの人たちと、20代くらいの人たちで占められていたと思います。 (この人たち仕事してるのかな、、、。) などと思いましたが、多分自分もそう思われているのだろうなとも思うので、余計なことは考えないことにしてます。 湯船に浸かっていると、一人のオッサンが露天風呂にあるベンチで仰向けになって火照った身体を冷ましているのが目に入りました。 そのオッサンは、ふと何を思ったのかベンチの上で腹筋運動を始めました。 もちろん全裸の状態でです。タオルはどこにも見当たりません。 数十回腹筋を続けた後は、横になったまま自転車を漕ぐように足をグルグル回し始めました。 こういうのって見たくないハズなのに見てしまうから悔しいです。 私はちょうどオッサンの足の裏が見える位置に居るという切なさ。 ついつい見てしまっては不快のどん底へ落とされる状況が続きます。 あるものが見えては隠れ、隠れては見えてを繰り返えすオッサンの全裸の自転車漕ぎ。 きっと女湯のほうもこういう状況なのだろうと勝手に想像することで、様々な憂鬱をふり払って過ごした温泉でのひととき。 ■3月10日 気まぐれに三島大社に立ち寄ったら陶器市がやってました。 結構な賑わい。 何か惹かれるものがないか物色して小一時間過ごしました。 『鉄製の茶釜』の前で本気で迷いました。 惹かれるものの次点はタヌキの信楽焼。 でもちょっと目元が可愛い過ぎる気がするのが嫌です。 友人に一番大きいヤツを嫌がらせに送りつけてやろうかと思いましたが、13万円という値段に断念しました。 気が変わってやっぱり買いに走ろうかと今でもグラグラと心が揺れてたりもします。 ■3月9日 タイの田舎に住んでいた頃、何度かバンコクに遊びに行ったことがありました。 タイの首都であり、東京並みのインフラ設備とそれ以上の混沌さを兼ね備えた、世界中のどんな都市とも肩を並べない複雑怪奇な街バンコク。 交通事情も複雑で、私は行く度に道に迷っていたと思います。 私は迷うとすぐにタイの人に道を聞いていました。 ボッタクリや詐欺とかを用心するるためにも、トゥクトゥクの運転手やボーっと立ってるオッサンに話しかけるのは避けていました。 無難なのは女性で、出来れば2〜3人組みの学生がよかったです。 慣れない様子とカタコトのタイ語を全面に押し出して尋ねると、キャアキャア言いながらも親切丁寧に教えてくれました。 最短最安のルートや交通費の相場とかのアドバイスは結構的確です。 何より若い女性と自然に話せるのがいいです。 当時は私もそれなりに若かったので、もしかしたら同世代くらいに思われていたのかもしれません。 全然道に迷ってもいないのに、あえて経路がちょっと複雑な場所へ行く道を聞いて、暇をつぶして遊んだこともありました。 「あれだよ!あのバスに乗りなよ!はやく!」 とか言われて、乗りたくも無いバスに乗ったこともありました。 もちろん後で舌打ちをしながら直ぐにバスを降りるという自業自得なこともしていました。 ちなみに話しかけるときはハッキリと一語一語単語を言うのが、たどたどしく聞こえるポイントです。 行き先を書いた紙なんかを持っていると、より慣れていない雰囲気が出ていいです。 紙を覗き込んでくる際に無防備に接近してくる様子もいいです。 その後もそのまま自然に近距離で会話が出来るというオマケつき。 話していくうちについ饒舌になってしまい「タイ語上手いね。」とか言われて、焦って素で話し方がたどたどしくなったこともありました。 こうして振り返ってみると色々突っ込みどころが満載なのですが、『若かった』ということで見逃してくれればありがたいと思います。 ■3月8日 今日タンカンを貰いました。 タンカンといえば、硬くて薄い皮がむきにくいことで定評があります。 そのさわり心地から、中身まで硬いのではないかという誤解を受けて敬遠されがちな果物でもあると思います。 私にとってタンカンといえば西表島です。 毎日のツアーの中で、冬から春にかけての食後のデザートは大抵タンカンでした。 お客さんに西表島産のタンカンであることを伝えると、とりあえず喜んでくれます。 何においても『西表島産の〜』という前置詞が興味を持たせるポイントでもあります。 皮をポロポロとはがしながら、そのむきにくさに悪戦苦闘しつつも食べてみると案外美味しいので好評でした。 抜群に美味いわけではないのですが、見た目のマイナス要因から無意識に味の基準を下げてしまっているのだろうなと思ったりもしました。 そんなタンカンの皮も慣れてくるとミカンのようにスルスルとむけるようになります。 今回、一応一枚皮でむけたのですが、むいた後の見た目の悪さから、腕が落ちたなと思わされました。 西表島のガイドで、無意識にタンカンの皮をスルスル綺麗にむいている人がいたら、それなりのガイド歴の持ち主と思っていいのかは、まぁ微妙です。 ■3月7日 高校の頃、オゴポゴを熱く語る先輩がいました。 ネッシーとかその他のUMAにはそれほど意見を言わないわりに、何故かオゴポゴにだけは強い執着を持っていたと思います。 「オゴポゴは絶対いるって!!」 と興奮気味に裏返った声で主張する先輩の話は、ほぼ全員に聞き流されていたと思います。 先輩がオゴポゴの何を知っていたのか知りませんが、確信じみた何かがあったのかもしれません。 そういえば実家近辺にもチョッシーなるUMAの噂がありました。 この話は今までの私の人生において誰一人として信じてもらえなかったのですが、私はあのときの先輩ほど熱く語れてはいなかったと思います。 私の情熱が足りないから信じてもらえなかったのかもしれません。 もちろん私はチョッシーを見たわけではないですし、兄から話を聞いただけなので正直なところ本当にいるのかと聞かれると自信がないです。 単に兄に騙されているだけなのかもしれません。 ふと今度実家へ帰ったときにでもちょっと見に行ってみようかと思いました。 チョッシーが出ると言われるあの貯水池へ。 ■3月6日 近所のスーパーが打ち出してた渾身の広告。 揚げ物のフライと金曜日のフライをかけて、フライデー。 この広告を考えた人も、広告として採用した人もそれなりに凄いと思います。 フライとか一切関係無しに、お店に足を運んでみようかとも思いました。 ■3月5日 英語圏ではバースデーケーキのロウソクを吹き消す際に、周囲の人が「make a wish !(願いを叶える)」と声をかけるらしいです。 主役は願い事を思い浮かべながらロウソクの火を吹き消します。 ちょっと願いが叶いそうな雰囲気があっていいと思います。 今まで生きてきて、誕生日イコール願い事って感覚は無かったです。 日本では初詣のときに願い事をしますが、全員同じ日にお願いをしたら神様も処理が大変で雑になったりしてしまうのではないかと思います。 それに比べて誕生日だったら365分の1に願い事が分散されるので、神様もお手軽に底辺の願いまで処理してくれるんじゃないかとも思います。 これから私の願い事は誕生日にしようと思います。 だから他のみんなも願い事は誕生日にして欲しいです。 これ以上私の誕生日(元旦)に願い事をかぶせてこないで欲しいというお願いを間接的に提案。 ■3月4日 私の小学校近辺にあった売店が舞台だったと思います。 ある男性が主人公。 好きで恋仲になった女性が、実は人を喰う化け物だったことに気づきます。 その事実に恐れおののき、身の危険を感じた男性は彼女から身を引くことを決意。 途中色々あったものの、最終的に女性もそのことに納得し、最後の別れの日。 しかし、女性の見せた寂しげな表情とその場の雰囲気に、男性は彼女を抱き寄せてしまう・・・。 そんなところで目が覚めた朝。 もちろん主人公の男性は自分だったのですが、最後の場面は葛藤とか苦悩とかいう以前に何も考えていなかったような気がします。 多分あの後そのまま女性に喰われていたような気もします。 そして多分この先何度でも同じ手で騙されていくのだろうとも思いました。 物語の設定が、私が小学生の頃やっていたアニメの『ときめきトゥナイト』っぽかったから、舞台が小学校近辺だったのかなと思ったりもしました。 そんなどうでもいい私の夢日記。 正直『ときめきトゥナイト』うる憶えなので、ツッコミのメールとかはやめてください。 ■3月3日 お昼頃、近場の温泉に入りに行こうと思ってドアを開けて外に出ようとしたら、あまりにも寒かったのですぐにドアを閉めて寝ることにしました。 夕方頃、もう一度チャレンジしようとしたものの同じ行動をしただけでした。 昼間かなり寝続けてしまったので夜は眠れなくなると思います。 なのでこのあと夜にもう一度温泉に行こうと思うのですが、隣町では大雪が降っているというニュースを見てしまったので難しいんじゃないかと思います。 今、無意識に『もう一度温泉に行こうと思う』という言い方をしましたが、もちろん今日はただの一度も温泉には行っていないですし、そもそも外に出てすらいません。 言葉の表現には騙される要素がたくさんあるので気をつけたいと思います。 ■3月2日 今朝、中途半端に面倒くさいことをしてしまってイラっとしました。 小麦粉とか牛乳とかのほうがショックが大きいことは分かるのですが、とにかくイラっとしました。 ショックで落ち込むほどでもなく、ただただ軽く面倒くさいです。 それなりに手早くキレイに片付けることもできます。 別にシミが残るわけでもなく、使えなくなるわけでもないです。 でも短い舌打ちをしてしまうくらいイラっとしました。 多分面倒くささよりも、単純に中途半端なこと自体にイラっとしたのだろうと思います。 ■3月1日 以前検査技師として働いていた頃、私のいた血液検査室の課長と、3Fの一般検査室の課長が仲が良かったです。 ※一般検査室は尿や糞便や穿刺液を検査する場所 結構頻繁に血液検査室に遊びに来ていた一般検査室の課長。 あるとき彼が大量の蟯虫(ぎょうちゅう)検査のセロハンを持ってきたことがありました。 仕事が忙しすぎて手が回らないとのことで、ちょっと手伝って欲しいとのこと。 「1枚15円でどぉ?」 「う〜ん25円かな、、、。」 「じゃぁ20円で。」 「うん。」 そんな課長同士のやりとりを小耳にはさんで、 (検査は内職か!) と心の中でツッコんだりもしました。 数分後、そんな課長が私にむかって驚愕の一言。 「○○君、これ1枚10円でどうかな?」 (えっ?ピンハネ!?) 「イエ、遠慮しておきます。」 そのあまりのセコさに、営業用スマイルでやり過ごしてさっさと帰ったことを思い出しました。 |
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