『2008年・冬』です。
バックナンバートップページへ


■2月29日

以前、複数の人を案内するような仕事をしていたとき、お客さんたちに何かを伝えるときは個人と目を合わせずに全体をボンヤリと見て話す傾向がありました。

最近ふと気づいたのですが、どうやら1対1で話すときにも相手のことをよく見ない癖がついてるらしいです。

これはいけないと思い、意識して相手の目を見て話してみたものの、慣れていないせいか予想以上に話が続きませんでした。

思春期の少年のように思わず目をそらしてしまいます。

そういえばガイドの仕事を始めたあたりから、人を好きになる理由に『顔』が重要度を占めなくなった気もします。

『大切なのはハート』だとかそういうご立派なことではなくて、単に『なんとなく』でいいような気がしていました。


最近目が悪くなったことも手伝って、物理的にも人をボンヤリと見てしまっていることが多いです。






■2月28日

近所のスーパーでコパンを見かけて買ってきました。

コパンの功罪
このお菓子が出た当初、いまいち買おうという気にはならなかったのですが、何かの集まりで食べる機会があって、予想外に美味しかったことに気づかされた記憶があります。

そのイベントの最中、周囲の皆も同じような感覚だったらしく、ほどなくして一人の女性が近くの男性にコパンを勧めていました。

「ねぇ、これ美味しいよ!」
「ん?へぇ〜そうなんだ。」
「ホントに美味しいよ!食べてみてよ。」
「あぁ、どれどれ、、、、、あっ!結構ウマいね。」
「でしょ!」

そんなやりとりを小耳に挟みながら、ちょっとだけ先にコパンの美味さに気づいていた自分に優越感を感じる私。

勧められていた彼も、しばらくコパンをむさぼっていましたが、さすがに飽きてきたのか他のツマミを食べ始めていた頃、別の女性がまた彼にコパンを勧め始めました。

「ねえねえ、これ知ってる?美味しいよ。」
「ん?あぁ、そうだね。」
「ねえ!ホントに美味しいんだって!食べなよー。」
「あぁ、わかったよ。うん、美味いね。」

面倒くさそうに受け答えしていた彼。

宴もたけなわな頃、4〜5人目の女性が同じ要求をしてきたときは、酒もまわってややイラついていた彼。

「うっせーな!コパンがウマいことぐらい知ってるよ!」

狭い部屋に響くどうでもいい内容の彼の叫び。

皆が何事?と彼を見守る中、その原因がコパンだということを知っていたのは多分私と彼だけだった気がします。


コパンを見かける度に思い出す、コパンが起こした功罪。






■2月27日

寝起きに電話をとると、大抵寝ていたことがばれます。

だいたい2コールぐらいで携帯を手に持って、誰からの着信かを確認して、一息ついてから4コールぐらいで電話をとります。

寝ていたことを悟られないように、若干高めの声で受けたりもします。

我ながら完璧なまでの第一声だと思います。

そして完璧なまでに相手側の第一声は共通してます。

「あ、ごめん、寝てたね。」
「お休みのところすいません。」
クスッ、、、ごめんなさい、今大丈夫ですか?」


ちょっと笑われてしまうくらいバレバレな理由が、いまだに自分ではまったくわかりません。




■2月26日

高校の頃、担当の先生によって授業中の過ごし方が様々でした。

基礎解析の先生は全然叱らないので、専らお喋りの時間。

物理の先生は淡々と授業を進めるので、睡眠の時間。

英語の先生は生徒を指す傾向があるので、寝ずに妄想する時間。

日本史の時間は曜日的に漫画週刊誌を読む時間。

化学の授業中においては、とても人には言えないようなことに熱中してました。

今考えると、もうちょっとマシな時間の使い方をすればよかったと思います。


ただ『あの頃に戻ってみたい』と思うことはありますが、授業に熱中することは無いのだろうなとも思います。




■2月25日

『今、ハンドボールが熱い!!』。

そんな話題が出ていた数週間前。

『秋葉原が熱い!』『美容師が熱い』『落語が、、、』『韓流が、、、』

みんな熱狂に近い騒動を起こしておきながら、気がつけばすっかり元通り。

どんなものでも熱くしてしまう『流行』は凄いと思います。

世の中の流れに疎い私は、無意識に熱いものをスルーしてきていた気がします。


もちろん熱いものを感じていない訳じゃありません。

『おでんが熱い!』『肉まんが熱い!』『お風呂が熱い!』

冬の時期ならではのラインナップ。


これからも流行には流されずに、物理的な熱さを中心に感じていきます。




■2月24日

目が冴えてしまって全然眠れないときがあります。

そういうときは開き直ってずっと起きていたりすることも多いです。

それはそれでいいとして、寝てる場合じゃないようなときに、ほぼ間違いなく眠くなるのが問題です。

睡眠時間を削る必要があるときに限って、いつもより早く眠くなったりもします。

(明日の朝早く起きて、、、。)
と、いう考えは経験上成功した試しがないので避けたいです。

仕方なしに眠い目をこする夜。

不定期に訪れる眠気の波の中で、
(もういいよ、、、もうだめかも、、、寝てしまおうよ、、、。)
そんな甘いささやきが頭を駆け巡ります。

『頭を駆け巡る』と書いたものの、基本的に自分が口に出して言っていることが多いです。

「どうしようかな、、、どうするぅ???、、、。」

眠気に侵されて正常な思考能力が消えていく中、二重人格になりかける一歩手前のあたりで寝ることにしています。


タイミング的には、多分もう手遅れなのだろうと思います。




■2月23日

ふと、友人が私に言った一言。
「バービーボーイズのエンリケに似てるよね。」

(えええっ!!)

エンリケの顔が思い出せないですし、全然ピンときません。




■2月22日

数年前、所用でラオスに行ったときに、偶然乗り合わせたバスでスィノアンと名乗る青年に出会った記憶があります。

「ボクは日本の女性が大好きでねぇ。」
と、問題発言ギリギリの言葉で私に話しかけてきた彼。

「日本の女性を確実に落とせる口説き文句を教えてくれないか?」
と、鼻息も荒く迫ってくるその姿は、犯罪者の風格すら見え隠れしていた彼。

(面倒くさいのに捕まったなぁ、、、。)
と思いつつも、とりあえずどうでもいいような日本語を伝授したあの日。

そもそもそんなセリフがあったらコッチが教えて欲しいと思いました。

当時は『ちょうどいい暇つぶしになった』、ぐらいに考えてすっかり忘れていた出来事の一つ。


そして数年後、日本の深夜バラエティ番組にヤツが出てきたのを見たときには思わず目を疑いました。

さらに私が教えたセリフをヤツが連呼していたことに思わず耳も疑いました。

「このセリフは日本人に教えてもらったんだぁ!」
と、ブラウン管の向こうで下品に笑うヤツを見ていて、何故か自分が凄く恥ずかしくなったことを憶えています。

自分の名前が出やしないかというドキドキで、身体が震えたことも憶えています。

人にものを教えるということは、それなりのリスクを背負うということを体感できたあの日。


とりあえずこれからは、人にはものを教えないことでリスクを回避していくことにします。




■2月21日

今対応している仕事内容の都合上、一日中延々とマウスをクリックし続けています。

多分仕事中は『まばたき』よりもマウスクリックの回数のほうが多んじゃないかと思います。

もちろんある程度考える必要はあるのですが、慣れてしまえばマウスを動かす手を止めるほどでもなくなってきます。

右手だけが常にマウスパットの上をせわしなく動きまわっています。

仕事を始めて2時間ぐらい経ってから、ようやく自分の左手がずっとポケットに入ったままだったことに気づいたりもしました。


悪霊が憑いているかのように、右肩のコリが尋常じゃありません。




■2月20日

仕事が終わって部屋に戻ると、布団が干したままでした。

月明かりの眩しい夜。
月明かりに照らされて、ヒンヤリ夏向きの肌触りに仕上がった布団。

ヒンヤリどころか氷のように冷たい布団。

部屋の中に入れて数時間経つというのにまだ冷たいです。

布団がこんなにも保冷能力があるものとは思いませんでした。

この時期に寝床が寒いと一段とわびしさを感じることが出来ます。


その原因が自分自身というのが余計に物悲しさを誘います。




■2月19日

コーヒーを飲むときはブラックで飲むことが多いです。

数年前にタイに住んでいた頃からだと思います。

子供が普通に裸足で歩いているくらいド田舎だったにも関わらず、飲み物と言えば水かコーヒーというくらい、村ではコーヒーがメジャーな飲み物でした。

甘い辛いが極端なタイ人たちは、コーヒーに大量の砂糖を入れて飲みます。

砂糖水というよりも、ほぼシロップに近い状態になってたりします。

「砂糖はちょっとだけ入れて欲しい。」
という私の希望もむなしく、『ちょっと』の基準が既に崩壊してます。

「甘くないとコーヒーが美味しくないじゃない!」
とまで言われる始末。

半ばヤケになって、
「砂糖を入れるとコーヒーの味が無くなるから入れないで!」
という理由をつけて、あえてブラックを飲むようになりました。

『小さじで2杯くらい』とか『若干甘みを感じるくらい』とかの微妙なニュアンスをタイ語で表現できなかった頃の、苦肉の極端策。

別にコーヒー通でも何でもないですし、そもそもインスタントだし、味のこだわりとかも元々ありません。

そしてなにかと頻繁に登場したコーヒー。

最終的にはタイの人たちに
『日本人はブラックのコーヒーが大好き』
という印象までつけてきました。


タイの片田舎のとある農村では、きっと今でも『日本人』イコール『ブラックコーヒー』という図式が存在していると思います。




■2月18日

ここ最近、気づくと寝てしまっていることが多いです。

そして大抵深夜2時くらいに目が覚めます。

消していない電気が眩しいうえに、つけっぱなしのテレビがうるさいです。

何より寒いです。

そのせいかトイレも近くなってます。

眠りを害する要素が盛りだくさんなので、起きてしまうのも無理はありません。

とりあえず上記の要素を全て排除して、布団の中へ。

その後にパソコンがつけっぱなしだったことに気づきました。

しぶしぶ布団から這い出して、マウスを手にとりますが、せっかくなのでメールチェックしたり、お気に入りのページを見たりと、不毛な時間を費やしてしまうひととき。

基本的に深夜なのでページは更新されていないですし、メールもきてません。

いや、メールがきていないことに関しては、別に『深夜』が原因なわけでもないです。


色々な意味で、寒くてわびしい無駄な時間。




■2月17日

体温計の必要性がよくわかりません。

この部屋に体温計が無いことを人に話すと、すごく驚かれることがあるのですが、その度に違和感を感じます。

(ちょっと熱っぽいかな、、、風邪ひいたかな、、、。)
と、その程度のレベルなら布団かぶって寝てれば治ると思うし、心配なら風邪薬を飲めばいいと思います。

ワザワザ体温計で体温を測る必要はないと思います。

(頭がガンガンする、、、ボォーっとするし、絶対熱があるよぅな、、、。)
と、そんなときはまず病院に行くべきだと思います。

明らかに熱があることが分かっている状態のときに、ワザワザ体温を測ってどうするのかと思います。

医療の知識もない人間が、自分の正確な体温を知ったところでどうなるものでもないと思います。

体温計とは自分以外の人間の体温を知る為の道具なのだと思います。

きっと保健の先生が学生の仮病を暴く為の道具として、今もなお有意義に存在しているのだと思います。


余談ですが保健の先生は、体温計の先端を布団に高速でこすって望みどおりの温度を出すという学生苦肉の策を、難なく見抜く能力も兼ね備えていたと思います。




■2月16日

『ヘビに睨まれたカエル』という言葉。

天敵のヘビに睨まれるとカエルは恐怖で動けない様子から、そういった状態を人間関係に置き換えて揶揄するときに使用される言葉。

でも実際は、ヘビの視力の悪さ等の特性を見抜いたカエルが、身体を動かさないことで、ヘビをやり過ごす様から生まれた言葉らしいです。

実際カエルが動かなければ、ヘビはカエルを見失って捕まえることが出来ないそうです。


タイに住んでいた頃、ヤシの木の根元でうたたねしていて、フッと気づいたとき、目の前を約4メートル強の大蛇が通過するところだったトキがあります。

太さは自分のフトモモ以上ありました。

思わず私がビクッとした途端、ヘビの頭がこっちを向きました。

まさにイービルアイ。

その強烈な眼光に、動きたくても動けない金縛り状態の私。

実際ヤツに見られてた時間は1秒にも満たなかったのかもしれませんが、永遠にも感じた命の危機。

ヤツは動けない私から視線をそらし、無言で(当然)その場を去っていきました。

冒頭の書き出しの通り、動けなかったことが幸運にも自分の身を救うことになっていたことがわかります。

あの日以降、外で寝るときは必ずクワを抱いて寝るようになりました。

数日後、タイのお父さんと2人で大蛇に遭遇し、見事に撲殺。


重いし長いし持ちにくいし、やたらさばく手間がかかる割に、味はそれほどでもなかったです。




■2月15日

先日も書きましたが、今より輪を掛けてバカだった頃、ちょっとした計画を企てて楽しんだことがあります。

その企てにはもちろん騙しや嘘がつきものでした。

嘘と言ってしまうと印象は悪いですが、サプライズパーティーのようなカワイイ隠し事程度のことと思ってください。

ある程度の複数の人間が計画を実行するにあたって、色々な面で口裏を合わせていく裏方。

最終的にターゲットの驚く顔が見たいが為に、奔走する仲間たち。

その計画を見えない部分で台無しにしたりするのが得意やヤツがいました。

ターゲットが気になる女性のときなどは特に、最後の最後でコッソリとネタばらしをしてしまうヤツ。

「今まで嘘ついてたけど、本当は○○なんだよね、、、。」
「えっ?!そうなの?」
「うん、実はね、、、(ニヤリ)。」

『騙していたけれど、やっぱり嘘のつけない正直なボク』的な演出。

『ボクだけは君の味方だから』的に、仲間を差し置いてイイところを総取りするという裏切り。

彼女は直前に騙されていたことに気づかされるものの、計画の全容を知った上で最後まで快く付き合ってくれました。

事情を知っているだけに、ある種の優越感のノリ。

もちろんその時点でバレていることは言わないので、計画自体は表面上成功をおさめます。

みんな満足。

誰も傷つかない。

その中でも周囲に差をつけて、ひと際好印象を掴み取るヤツ。

忘れた頃にそのことが明るみに出たとしても、大抵は時効。


そもそも計画の発端がヤツなのだから、ハナっから計画通りだったともいえなくもなかったです。




■2月14日

バレンタイン・デー。

戦後、神戸モロゾフが打ち出した経営戦略にも関わらず、今や日本独自の文化と言われるまでになったイベントの一つ。

内気な女性たちもこのイベントに後押しされて、意中の男性に想いを伝えるいい機会になっていると思います。

恋人たちもイベントを理由に必要以上に甘い時間を過ごせるという、これまたいい機会になっていると思います。

そんなどうでもいい分析と共に迎えた朝。

今日は山羊座の占いが抜群に良かったです(フジテレビ)。

普段占いなんて全く信じていないはずなのに、今日がバレンタインということもあって、無駄に膨らむ期待感。

『今日はドラマチックな出来事が起こる』とまで言いはっていた占い。

すごく色んな種類のミニドラマを半笑いで妄想したりします。

少なく見積もっても30〜40通りのストーリーを妄想する衰え知らずの想像力。


とりあえず今は夜の11時ですが、きっとこれからドラマが起きるのだと思います。




■2月13日

嘘をつくと後々厄介なので、基本的に嘘はつかないようにしています。

嘘をつかないでいると、嘘をついていたときと比べて予想外に楽だということに気づきます。

嘘の事後処理は大抵しんどいです。

20代半ばぐらいになるまで、そのことに気づいていませんでした。

でも場合によっては、その嘘を通すことで誰も傷つかない状況にもっていけるような時もあります。

もはや収集がつかなくなった状況が、その嘘一つで何事も無かったかのように素知らぬフリで通過できることがあります。

もっともそういう場合、事件の発端となった出来事のどこかに嘘があるので、そこが確実に元凶なのですが、そこで気づけないから嘘が必要なのだと思います。

さらに途中からイザコザに巻き込まれたような場合は、気づけば嘘が必須項目になっている切ない状況もあります。

学生時代は何故かこういう不条理な事件が起こりがちだったと思います。

多分、輪をかけて頭が悪かったからなのだと思います。


事件の具体的な部分から目を背けつつ、こういうボンヤリした文章を書いているのは、今だにアレが時効なのか判断するのが怖いからなのだと思います。




■2月12日

以前私が作った『持ち込み企画』というページが、他のサイトで紹介されているのを見つけました。

なんだかすごく微妙な気分になります。

何となく実行して、その日のうちに書いてアップしたページなだけに、申し訳ない気がします。

基本的にこのサイト内に練り込んだページなどは無いのですが、その中でも群を抜いて手を抜いた感があるページです。

そういえば、私生活においても余計なチカラが入らないほうが上手くいくケースは結構あります。

むしろそういうときのほうが、他人の印象に残っていたりすることも多いです。


そのへんを踏まえて、これからも単純でお手軽でどうでもいいというスタンスに自らをおきつづけることを追求していくことにします。




■2月11日

啓蒙家に多い特徴として、自分の気持ちを相手にわかりやすく伝えるというスキルがあります。

普通中々整理しにくい感情的な部分を、巧みに言葉に変換した上で、さらに相手に一番伝わる言い方を選ぶスキル。

今まで出会ってきた中でも、まだ2人しか思い当たる人がいません。

最初に出会った人は、
(何だ?!この人?)
と、別次元の人に会ったかのような衝撃すら受けました。

2人目の時は、
(へぇ、こういう人もいるんだ、、、。)
と、その稀有な存在に妙に興味を惹きました。

どちらの人も、物事の本質とか経験とか基本的なことは踏まえた上で、周囲の状況を正確に判断して、自分の立ち位置を臨機応変に系統立てて操ることの出来る、いわば言葉と伝達のプロフェッショナル。

片方の人はそれを生業にまでしてました。

『伝え方を伝える』というような、こういう何でもないようなことでも、追求していくことで価値を見い出すことが出来るのはやっぱり凄いと思います。

自分の身の回りにも、溢れていると思われる何でもないようなことの数々。

でも何でもないようなことと、どうでもいいようなことは、似て非なるものなのだと思います。

私の場合、まずその辺の区別が出来ない時点で致命的なのだと思います。


何でもないようなことが幸せだったと思う。

文を書く流れで、こんなどうでもいいような文を挟んでしまう自分もどうなのかと思います。


とりあえず今日はそんな感じでいいんじゃないかとも思います。




■2月10日

悔しさを表現する表情として、一般的に有名なもので『唇を噛む』というものがあります。

でも今までの自分の人生の中で、悔しくて唇を噛んだ覚えがありません。

悔しくて唇を噛んでいる人も見たことがないです。

テレビドラマですらやっている人を見たことがありません。

小説などでは今でも結構頻繁に見かける表現なのですが、いざ身の回りに目を向けてみると、途端に馴染みが薄いです。

自分でやってみても、全然しっくりきません。

怒ったときにホッペを膨らます動作ぐらい胡散臭いです。

美味しそうなものを見たときに舌なめずりをする動作くらい現実味がないです。

表情の変化が乏しいと言われることが多い昨今、その辺のわかりやすい仕草を取り入れてみようかと逆に思ったりもします。


仮にそれらの仕草を全て取り入れたとすると、多分大人として微妙な立場に立たされてしまうことが必須です。




■2月9日

パソコンを使用する際に、ショートカット操作としてコントロールキーを利用することがよくあります。

コントロールキーを押したまま『A』を押すと全て選択、
コントロールキーを押したまま『C』を押すと選択項目をコピー、
コントロールキーを押したまま『V』を押すとペースト、、、等々。

上記の3つは、ある程度の量を一気にコピペするときに、マウスを使うよりも楽で正確なのでよく使用します。

同時に押すキーは、操作する内容の頭文字からとっていることが何となくわかります。

『A』は全て選択の『ALL』、『C』はコピーの『COPY』などと予測がつきます。

操作をする際にも、間違えないように手を動かしながら頭の中で
(コントロール、、、オールっと。)
と、確認する癖がついています。

そのこともあって、ペースト操作の際の『V』が納得いきません。

なんの頭文字をとっているのかがわかりません。

ペーストだったら『P』のハズですが、『P』は既にプリントの操作にとられています。

『V』ボタンを押す度に、頭の中で
(コントロール、、、ペースト、、、、)
と、唱える反面、『V』であることの違和感に襲われます。

『貼り付ける』、、、『くっつける』、、、『つける』、、、『V』、、、。)

『貼り付け』から連想できて、『V』で始まるしっくりした言葉が出てきません。


とりあえず暫定案として『べっとり』の『V』と仮定することにしました。

(コントロール、、、ベットリ、、、。)


それをいうなら『B』だろう、という指摘は葛藤の末、心の奥に封印しておきます。




■2月8日

A.M.6:00時、目覚まし代わりに設定している携帯のアラームが鳴り響きます。

(・・・・・・眠い。)

それもそのハズ、寝たのはA.M.5:40

寝足りないにも程があります。

(起きれてたまるかぁぁぁ、、、。)

自分自身に毒づきながらまた眠るひととき。

A.M.7:00時、再度携帯のアラームが鳴り響きます。

もちろん寝足りないです。

A.M.8:00時、鳴り響く携帯。

寝足りてる訳がないです。


爽やかな快晴の朝、何の罪もない携帯に憎悪の念を向けるひととき。




■2月7日

最近心の底から笑う機会が極めて少なくなってます。

普通に声を出して笑ったり、思わず吹き出してしまう程度のことはありますが、お腹を抱えて大笑いすることがほとんどなくなったと思います。

過去に大爆笑した記憶をたどると、二十歳前後の頃に高校時代の友人達と夜の浜辺に遊びにいった時のことが思い出されます。

無意味にテンションが上がっていて、暗い浜辺で海に向かってジャンケンパイナップルをしたことも憶えています。

友人の一人が波に下半身をズブ濡れにされて叫ぶ様を見て、笑いが止まらなかったです。

過去のエピソードの中で、なんでこの日のことを憶えているのかは、それなりの理由があります。


その数日後、ふとその日のことを思い出して、鏡の前で笑顔の再現をしてみたことがありました。

その結果、初対面の人への印象を格段に上げるキッカケともなる、当時としてはかなり完成度の高い作り笑顔を手に入れることができました。


今改めて考えてみると、作り笑いを練習し始めた頃から、心が荒み始めていた気もします。




■2月6日

今日は凄く寒いです。

パソコンのキーボードがまともに打てないくらいに寒いです。

室内でもコートを着たままでいるくらいに寒いです。

それでもエアコンをつける程ではなかったりもします。

と、思っていたのですが、一般的にはエアコンをつけるべき寒さらしいことが指摘されて最近わかりました。

南国暮らしが長かったので自分は寒さに弱いとばかり考えていたのですが、どうやらそうでもないらしいです。

そういえば、栃木の山奥のログハウスで暮らしていた頃は、ログが隙間だらけだったので真冬でも室内と外気温が同じという環境でした。

トイレの水はほぼ凍っていましたし、布団は頭からかぶって寝ないと朝方まぶたが凍って開かないという危険性を感じた部屋でもありました。

決して寒いのが好きなわけではないのですが、ある程度の寒さを経験して寒さの基準がマヒしてしまっていると思います。


生活するぶんには特に支障は無いと思っていましたが、『協調性が無い』というレッテルを張られかねないポジションでもあると思います。




■2月5日

パン屋の前を通ると、焼きたてのパンの香りに誘われて衝動的にパンを買ってしまうことがあります。

焼き鳥屋の前でも同様の衝動に駆られます。

嫌いな食べ物は特に無いのですが、焼き鳥もパンも好きなほうの部類に入ります。

どちらもそれだけで食卓のメインをはれる位置にいる存在です。


衝動買いとはいえ、この2品を一度に食べることになるとは思いませんでした。

いや、買ったときにそれは何となく予想はしてました。

シナモンの芳醇な微香と、焼き鳥のタレの濃厚な香りが、部屋の中で複雑に絡み合わずに充満していきます。


双方焼きたてという共通点はありますが、共通の食卓に上げていいというわけではないのだと改めて思わされます。




■2月4日

何となく携帯を見て、ふと気づきました。

(携帯が使えない・・・・・・!?)

液晶画面には『au ICカード(UIM)エラー』という表記がでてました。

何でこのエラーが出たのかが分からないし、解決策も分かりません。

電話も掛けられないし、メールも出せません。

もちろん電話を受け取ることも出来ません。

そんな状態にも関わらず、いつからこの状態になっていたのかも分かりません。

滅多に携帯を使用していないことはもちろん、いかに自分がメールや電話を受けていないかを思い知らされます。

-----

とりあえず困るので、近くのauショップに行ってきました。

「いつからこのような状態になりましたか?」
傷口をえぐるような痛烈な一言を放つauショップのお姉さん。

(いや、それは私自身にもわからないです、、、。)

そんな哲学的な答えが頭の中をよぎるひととき。

「え〜、ちょっと、わからない、です、、、。」
ややフシ目がちに答えつつ、思わず漏れる失笑。

(じゃあ別に直す必要はないんじゃない?使わないんならサ。)
そんなお姉さんの心の声が聞こえてきそうな気もしました。

結局ICカードとやらを抜き差ししただけで直ってしまった私の携帯。

その場を取り持つ為にも、何となく言葉を探して質問する私。

「あの、何日くらいこの状態だったのかはわからないんですが、その間に来ていたメールとかはどうなるんですか?」
「ええ、もう受信できる状態になっていますので、その間のメールはすぐに受信されますよ。」
「あ、そうなんですか。」
「ええ、すぐに、、、。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」

何の反応も示さない携帯を前に、再び嫌な沈黙。


今日一日で、こんなにも自分の携帯に精神的な打撃を負わされるとは思いませんでした。




■2月3日

節分にちなんで、恵方巻きを買ってきました。

恵方巻きの存在を知ったのがたかだか数年前にも関わらず、ほぼ全国区の認識になった途端に食べてみようとするミーハーさ加減が垣間見えます。

幼い頃よりやっていた豆まきをやらないのは、掃除が面倒なのと、単に食事として恵方巻きを食べたかったからという単純な理由です。

恵方巻き(半額)

外は凍えるような寒さに加え、スーパーが閉まる時間帯ということもあって、大量の恵方巻きが余ってました。

縁起物を割引価格で買ってしまうという中途半端さからも、ポリシーの無さがうかがえます。

七種の具は単に縁起かつぎらしく、どんな具でもいいらしいです。

とりあえず恵方巻きの食べ方を確認。

●節分の夜にその年の恵方(今年は南南東)に向かう。
●目を閉じて願い事を思い浮かべながら太巻きをまるかぶりする。
●食べている間は無言でなければならない。
●商売繁盛、無病息災、願い事が叶う、その年必ず幸運が訪れる。

願い事を言うのではなく、『思い浮かべる』というのが結構難しいです。

願い事って結構ボンヤリとしていて、頭に思い浮かべるとなると、ある程度具体的なビジョンが必要になってきます。

恵方巻きを前に、納得のいく願い事が思い浮かばず時間だけが過ぎていきます。


このままだと日付が変わる直前に、焦ってどうでもいい願い事で済ませる可能性が大きいです。




■2月2日

スーパーで買った一品。

みみぐぁ〜
発音が本格的でした。

でも冷静に考えてみると『ミミグァー』が正式名称なのかも怪しいです。

沖縄のオバァも普通に『ミミガー』って言ってたと思います。

(危ないところだった、、、。)


言葉の雰囲気で、人は何となく騙されてしまうのだと思います。




■2月1日

今まで行ったことのないスーパーに初めて行ってきました。

乾麺のうどんを探していたのですが、探せど探せど中々見つからなかったです。

眼鏡を忘れたこともあり、商品棚の近くまで寄らないとよく見えません。

『うどん』なんて大抵探せば簡単に見つかるハズと思っていたのですが、こうも見つからないとは思いませんでした。

ようやく見つけたと思って手を伸ばそうとしたら、それは『かんぴょう』でした。

(違うよ!お前じゃない!)

なんだか凄くガッカリした気分にさせられました。

(よりによって『かんぴょう』って、、、。)

いや、別に『かんぴょう』が嫌いなわけではないです。

むしろ『かんぴょう』は何も悪くありません。

『うどん』を探していて、『かんぴょう』に期待を裏切られた感があったのですが、別に『かんぴょう』は何も裏切ってません。

『かんぴょう』側にしてみれば、ただそこに居ただけなのに勝手に近寄ってきて勝手にガッカリされて、かなりいい迷惑だと思います。

(『うどん』と勘違いしてガッカリしてゴメン!)
(勝手に見間違えて、ため息ついたりしてゴメン。)
(決して『かんぴょう』が嫌いな訳ではなくて、、、。)


『かんぴょう』に対して謝罪の言葉を探してみるも、もうどんな言い方をしても、『かんぴょう』を傷つけたことからは避けられません。




■1月31日

『そう言えば、、、』という程度の出だしで語られる思い出の一つに、高校時代の学祭でやったミスターレディコンテストがあります。

クラスごとに女子達がテキトーな男子を選んで、女装させて楽しむのが目的だった気がします。

まだ慣れない化粧テクニックを駆使して楽しむ女子達。

生贄の男子は、最終的には体育館で全校生徒の前で醜態をさらすというイベントでした。

審査委員長(校長)の好みなのか何なのか、優勝までしたウチのクラス。

胸に詰めた新聞紙がずり落ちそうで、ずっと自分の胸を揉んでいるような悩ましげな恰好をしていたウチのクラスの代表。


ちなみにスネ毛を剃ると、数日間チクチク痛いのでもう二度とやりたくないです。




■1月30日

部屋の時計が5分遅れています。

腕時計は5分進んだ時間を指しています。

携帯の時計はほぼピッタリ合っています。

かなり前から気づいていたのですが、ずっとそのままになってます。

知っていればさほど不便ではありません。

故意にずらしている訳ではないので機会をみて修正するつもりなのですが、なんとなくそのままになってしまっています。

友人たちからも、進んでいる時計はまだしも遅れている時計には何のメリットも感じられないと指摘されることが多いです。

私が思うに、遅れた時計で生活していると、自分が世の中の時間の流れよりも遅くゆっくりとした位置にいるようで、そのぶん特した気分になれたりもします。


面倒なのであんまり説明をすることも無いのですが、この考え方を理解する知り合いは、ほぼ皆無です。




■1月29日

最近、夜にお腹が減ることが多いです。

軽くつまむものがあれば嬉しいのですが、そんなものはこの部屋にはありません。

寝る前にお菓子とかを食べると身体に悪いという表向きの理由もありますが、単純にこの部屋にはモノが無いです。

何かを買いに行ってもいいのですが、あんまりそういう気にもなれません。

なにより外は寒いです。

特にすることが無ければサッサと寝てしまうのが一番なのですが、それが夜9時くらいだとそうもいきません。

食べ物を求めて棚や冷蔵庫を開けてみますが、そんな都合のいいものがあるハズもないです。

そもそも冷蔵庫は未だに電源すら入っていません。

考え出すと耐えられないくらいの空腹感に襲われます。


そして、数十分後にはとりあえずご飯が炊かれているという現実。


身体に良くないとかいう戯言は、空腹の前では限りなく無力です。




■1月28日

ネットカフェに泊まる機会がありました。

ああいった場所で過ごすことにストレスを感じない体質なので、無計画な外出時には利用することがよくあります。

先日寄った場所はソフトクリームが食べ放題でした。

その他にも、紅茶、コーヒー、ジュース各種、牛乳、シャーベット、スープ各種に味噌汁等々、、、。

共用のシャワールームまでありました。

ネットやって、寝て、マンガ読んで、寝て、アイス食べて、寝て、DVD観て、寝て、、、。

多分、必要以上にだらけることが出来る空間だから、居心地が良く感じるのだと思います。


ただ、普段だらけていないかというと、別にそうでもないです。




■1月27日

以前も書きましたが、人から『何考えてるかわからない』と言われることがよくあります。

「隠してるつもりは全く無いよ。聞かれれば答えるし、、、。」
と言ったら、
「必要なことは言って欲しいの!」
といわれました。

「必要なことって?」
と聞いたら、本気で呆れられました。

さらには
「その生き方は、きっと人生の半分は損してるよ。」
とまで言われました。

一般には『酒が飲めないと〜』とか『ワサビが食べられないと〜』とかの接尾語に使用される『人生の半分は損してる』のワード。

『自らの生き方』の接尾語に使用されるとは思いませんでした。


話の流れの中でたまたま出てきた言葉なのだと思いますが、それなりにショックで未だに心に引っかかってます。

何考えてるか分からない人は、それなりにデリケートです。




■1月26日

スーツを着る機会が少ないです。

たまにスーツを着ると、肩のあたりの窮屈感が気になったりします。

それでもたまにしか着ないせいか、着るたびに周囲の人に驚かれるフシがあって面白いです。

滅多に笑わない人が笑ってたり、不良が子犬を拾ってたりするのと同じで、普段とのギャップが人の感情を動かすのだと思います。

普段の行動に制約をつけることで、なんでもない行動でも周囲に貴重がられるお得感の一つ。

それが羨ましくも思われたりすることも無くはないです。


でも、経験上総合的にみても、それほどお得ではないです。




■1月25日

ここ最近冷え込む日が続いています。

そんな日には風呂に長く浸かるのがいいです。

寒い中で全身をお湯につけるという行為に、ささやかな幸せを感じられます。

昨日は寒くて深夜に目が覚めました。

目覚めた場所は布団の中ではなく、風呂の中でした。

粉雪舞い散る真冬の寒さに身体の芯から温まろうと、シャワーではなく湯船に浸かったところまではよかったものの、いつの間にか寝てしまったらしいです。

湯船の中で寝てしまうことは結構よくあることですが、この時期にこれをやると、寒いどころの話じゃないです。

底冷えする気温にあてられ、湯船のお湯はすでに冷え切ってしまっていました。

目覚めたときには身体の芯から冷え切ってます。

寝ぼけながらも湯船の中にぬくもりを求めますが、そんなものはもう無いです。


もちろん幸せなんかどこにも無いです。




■1月24日

先日、外出先で銀行に寄った際に、もう一つ振り込みする件があったことを思い出しました。

振込先の情報はもちろん振込み金額さえも記憶に薄い状態。

自分の部屋に戻ってメールを確認する必要があるのですが、家まで30分以上はかかる場所。

何よりそんなのは面倒くさいです。

そういえば自分はウェブメールを使用しているので、インターネットさえ使用できればドコからでも確認ができます。

悩んだすえ、すぐ側にあったネットカフェへ。

最短30分で250円。

とりあえずこのくらいは妥協できる範囲です。

身近の施設をほどよく利用して、上手い具合に立ち回った自分に酔いしれるひととき。

自分が振込先をメモしていなかったことが原因なので、上手いもなにも無いのですが、そこは気づかなかったことにしておきたいです。


ネットカフェを出た直後に、携帯のウェブで確認できたということに気づきましたが、強引に記憶から削除しました。




■1月23日

久々にカレーを作ってみることにしました。

たまにはちゃんとつくってみようと思い、市販のルーではなくパウダー状のカレー粉を購入。

隠し味にホールトマトとかも購入。

肉、野菜をテキトウに煮込み、カレー粉を混ぜて出来上がり。

味見をしてみたものの、何かが物足りなく感じます。

見た目は特に普通のカレーなのですが、コクが全然感じられません。

(何が足りない?塩か?醤油?)

もっとも足りなくてもこの部屋には調味料がほとんど無いです。

かといって、今さら極寒の外へ出る気にもなれません。

とりあえず”麺つゆ”と”ふりかけ”を使って味を調整してみました。

結果、ソバ屋のカレーうどんのスープみたいなのが出来上がりました。

味はそんなに悪くなくなったと思います。


強引に片栗粉で固めてしまおうかと思ったものの、そんなものがこの部屋にあるハズもなく、今日の夕食は『スープ』に決定。




■1月22日

銀行のATMで振込みをする機会がありました。

振込先はとある銀行の”二子玉川支店”。

何故だか私は『ニコタマ』と読むものと勘違いしていて、ずっと『に』の欄から支店名を探していたのですが、一向に見つかりません(←当然)。

(むぅ、、、何で無いんだよぅ・・・。)

約2分間くらいATMの前でやり直しを繰り返し、いい加減銀行の人に文句を言おうと考えたとき、ふと偶然『フタゴタマガワ』というワードにたどり着くことが出来ました。

(私は今まで一体何をしていたんだろう、、、。)

(『ふ』で探さなきゃ、見つかる訳がない。)

ようやく作業を終了することが出来ましたが、銀行の人に聞きに行かなくて本当に良かったと思います。

当分恥ずかしくて銀行に来られなくなるところでした。

そういえば以前、”練馬”を”レンマ”と勘違いしていた友人を、ありえないと大笑いし続けたことを思い出しました。


今日のことは当分の間、心の内に秘めておきたいと思います。




■1月21日

名前を省略して”ちゃん”づけで呼ぶ、という私の愛称の中でも最も古くポピュラーなものがあります。

それでもそうやって呼ぶ人は少ないほうで、古い友人たちに限られます。

この前の同窓会で、私のことをそう呼ぶ友人の一人が話してくれたのですが、彼は高校時代の半ば頃に、突然私の呼び方を変える決心をしたらしいです。


確かに高校時代の友人は、ほとんどが苗字の呼び捨てで、ちゃんづけで呼んでくる人は少ないです。

冷静に考えてみると男でそう呼ぶヤツは本当に少ないです。

しかも突然呼び方を変えたというなら、明らかに不自然だったとも思います。

何にも考えていなかった高校時代。


自分の身の回りの変化にさえも無関心だったのだと改めて思いました。




■1月20日

テレビをみていると、ごく稀にもの凄く自分のツボにはまるカワイイ娘を見かけることがあります。

ハッとしてテレビを見直す頃には、もう画面に映っていなかったり結局名前がわからなかったりします。

もちろん気になるので次の日に友人に聞いてみたりします。

「ほら、昨日〜時からやってたあの番組のあの役のあの可愛い娘の名前って、、、。」

そんな感じで大抵は名前を知ることが出来るのですが、改めて見直してみると何か全然イメージと違っていることが多かったりします。

(・・・あれぇ?そんな言うほどでもないよな、、、。)
と、拍子抜けしてしまうことがほとんど。

そしてすっかり忘れた頃に、自分の好みのタイプの芸能人として周囲の人に認知されてしまっていることに気づきます。

その度にいちいち説明するのが面倒なので、否定した記憶も無いですが、その芸能人の話題が出る度に自分に話をふられるのがしんどかった記憶もあります。


基本的に昔から、誤解されることが気にならない性質ではあったのだと思います。




■1月19日

朝方、友人から子供が生まれたという旨の電話。

子供は2人目で、やっぱり幸せなオーラがあふれているのがわかります。

時は朝の9時前。

奇しくもちょうど会社に行こうとしていた時間。

「おお〜〜!!おめでとう!!!」
と、盛り上がりをみせる反面、時計が気になって仕方がありません。

時間を気にしていることを相手に悟られないようにするのですが、思いの他、気の効いた言葉が出てこなかったりもします。

「いや〜、おめでとう!」
「ほんとうにおめでとう!」
「ほんとにねぇ。」
「なんか凄いね〜。」
「そうか〜、へぇ〜。」
「うんうん。」


もう自分でも何を言っているのかよくわかりません。




■1月18日

私の実家では一年中アイスを食べる習慣がありました。

夕食の後などは、ほぼいつも家族皆で食べていたと思います。

夜の9時くらいにアイスが無いことが発覚して、近くのコンビニに買いに行かされるのは、大抵末っ子の私の役目でした。

当時夜にアイスを買いに行くことに何の疑問も持っていなかったと思います。

我が家のアイス事情が一般の家庭と違っていることに、大学生後半くらいまで気がつきませんでした。

「何で冬なのにアイス食べてるの?」
という友人の問いかけに対して、質問の意図が理解できなくて、
「・・・・・・は?、、、えと、美味しいから。」
と、噛み合わない会話をした記憶もあります。

でも、スーパーやコンビニで時期を問わずにアイスは売られているので、それなりにウチの実家のような家庭が普通にあるのだと思います。


むしろ、お店で需要が反映されているぶん、ウチが過半数側にいると考えても問題は無いのだと思うことにしてます。




■1月17日

去年末、大掃除をしたときに冷蔵庫を空っぽにしました。
約1ヶ月間、空っぽのままの冷蔵庫
それ以来、今日の今まで何も入っていない寂しい状態が続いています。

もちろん電源も切ったままで、まったく活躍していない冷蔵庫。

特に冷やしたいものが無かったので、今まで使用していなかったのですが『冷蔵庫は冷やす場所』という先入観にとらわれ過ぎていたのではないかとも思います。


棚として生まれ変わる冷蔵庫
一気ににぎわいをみせる冷蔵庫。

冷蔵庫も案外このほうが性に合ってると感じているかもしれません。


開いてみる度に、
(不本意!不本意!!)
という冷蔵庫の叫びが聞こえてくるような気もします。




■1月16日

今日はやや年配の方々との新年会がありました。

人生の先輩方の言葉には含蓄があって興味深いものが多いです。

「やるかやらないかで物事に迷ったとき、私は常にやることにしているんだよ。」
そんな何気ない一言さえも、言う人が言うと凄く説得力があります。

「損得を考えるよりも、とにかくやってみることだ。」
数々のマネーゲームを制してきた方の、自信満々の口ぶり。

私だってテスト期間中でも眠いときは迷わず寝たし、部活をサボる時に仮病を使うことの罪悪感などまったく無かったです。

そういう面での行動決断は私も早かったと思います。


色々な部分から目をそらしつつ、これからは私も自信満々に同じセリフを言っていくことにします。




■1月15日

土肥金山に遊びに行ってきました。

頭をぶつけそうな狭いトンネルを歩いていくと、妙にリアルな人形たちに出会えます。
人形は必要以上にリアル

金山の中には温泉もあったらしく、中にはこんなお色気シーンもありました。
土肥金山の見どころ?!
ちょっとドッキリする一幕。

最終的に一番盛り上がったのは、展示してあった250kgの金塊。
監視カメラ作動中
ギネス認定の世界最大の金塊だそうです。

ケースには手を入れられる穴が開いていて、金塊に触ることもできました。

換金すると『8億3225万円』。

それが凄いのかどうかもよくわかりません。

正直な話この金塊と8億円を選べたとしても、多分8億円のほうを選ぶのではないかと思います。

多分7億円でも、6億円でもそれは変わらないのではないかとも思います。


『億』の実感を持たない庶民は果てしなく愚かです。




■1月14日

昨年出席した結婚式の引き出物は商品カタログでした。

その中から好きなものを選べるというもの。

特に迷わず食べ物のページを物色します。


そして、ちょっとだけ迷ってからハムの詰め合わせを選びました。

高級ハンバーグやビフテキ等、垂涎の品々たちに少々目を奪われがちですが、ハムの持つ抜群のボリュームと重量感には敵いません。

また、ハムの持つ食べ方の多様性は他を圧倒しています。


そして今日、忘れた頃に届いたハム。

予想通りの重量感。

これから数日間の食生活の夢が膨らむひととき。


あの時の決断は間違っていなかったと、過去の自分を褒めてあげたいです。




■1月13日

先日いとこの結婚式に行ってきました。

新郎新婦の初めての出会いは、通勤電車でお金が無いことに気づいた新婦が、当時全くの初対面の新郎に声を掛けてお金を借りたことがキッカケらしいです。

聞いていると現実には有り得ないような話なのですが、世の中にはそういうドラマチックなこともあるということです。

新郎側に言わせると予想外の出会いではあるものの、新婦側の視点では、やや強引に出会いを作りだしたと言えなくもないです。

つまり、出会いなんてその気になれば日常に転がっているのだということです。


ただ、上記の例は男性役と女性役が入れ替わっただけで、基本的には通用しなくなってしまう出会いだとも思います。




■1月12日

ここのところ数日間続いている謎の頭痛。

どうやら視力が原因らしいことが明らかになりつつあります。

最近激減した視力に加え、細かい数字を追いかけるパソコン仕事。

夕方になるとさらに見えにくくなります。

どうやらその目の疲れが夜の頭痛に反映されているっぽいです。

もちろん仕事は今までと変わっていませんが、年末年始休暇にパソコンから長期間離れていたこともあって、久々の仕事に目を酷使した結果らしいです。

確かに痛み出したのは仕事始めの日の夜からで、現に今は慣れてきたのか症状がやわらいできています。

脳外科じゃなくて眼科に行けばよかったという、見方を変えれば単純な話。


でも普通そんなこと気づけないだろうと思います。




■1月11日

口内炎の原因にビタミンB不足を指摘されました。

たしかにここ数日、果物や野菜を食べていません。

最近食べた野菜なんてタクアンくらいです。

何とかしてお手軽にビタミンをとる方法はないものかと思案する中、世の中には野菜や果物系のジュースがたくさんあるというアドバイスもいただきました。

そういえばコンビニとかでもよく見かけます。

そんなことを考えつつも、結局そのまま部屋に戻ってきてしまいました。


(ジュースか、、、。)

(さすがにそんな都合のいい貰い物は無いよな、、、。)


(そういえばあった、、、。)


以前もらったノニジュース。

そのあまりの微妙な味わいに、注意書きに従って冷暗所に霊安されていた一品。

もちろん飲むことに決定。


モノが無いということは、それなりに偉大なことなのだと思います。




■1月10日

先日に引き続き、口内炎のせいで食べるのが痛いです。

それでもお腹は減ります。

とりあえず何かは食べておきたいです。

ずばり白米
かといって白いご飯だけでは寂しすぎる気がします。

まったく味がわからないわけでもないからです。


だいたい味覚が6割で痛みが4割くらいだと思います。

武士の食卓
先日貰ったタクアンを添えてみます。

悪くは無いのですが、絵的に寂しいです。

私は戦国時代の武士ではないです。


そういえばこの部屋には贅沢にもハム(貰い物)がありました。

武士から貴族へ
一気ににぎわいをみせるどんぶり。

(もう何もいらない、、、。)

そこにハムがあるだけで人は幸せな気分になれると思います。


ハムの存在こそが、一人暮らしの心を豊かにさせる境界線なのだと思います。




■1月9日

いつまでも口内炎が治りません。

おかげで食事が単なる『痛みを堪える作業』になってしまっています。

舌の下辺りに出来ているので、正直話すのも痛くてしんどいときがあります。

気がつけば痛みが無いこともありますが、突然痛み出すこともあります。

冷静に分析してみると、その原因はどうやら『ラ行』らしいです。

『ラ行』のワードで激痛がおこり、その後は痛みで舌足らずな喋り方になります。

言葉にする前に、頭の中で『ラ行』のワードを巧みに避けた表現を組み立てなおしたりもします。


自分人生の中で、これほどまでに『ラ行』のことを考え、『ラ行』と向き合う機会があるとは予想外です。




■1月8日

あんまり頭痛が続くので、病院に行ってきました。

(まさか脳外科にまわされるとは思わなかった、、、。)

数時間待った上にCTまで撮られて、久々に微妙な気持ちにさせられたひととき。

結果は異常無しでしたが、頭痛の原因は分からずじまい。

最後に医者が言ってた衝撃の一言。
「頭痛も色々ありますから、、、。」


そんなことは知ってます。




■1月7日

昨日、友人からの贈り物が届きました。
宮城県のひっぽより
しいたけに味噌に黒米に凍り豆腐等々、、、。

食料は非常にありがたいです。

そして今日は職場でも色々なものを貰いました。
本日の収穫
ハムにタクアンにクロワッサンに栗まんじゅう、、、。

その他にボリューム満点のアップルパイも食べかけの状態で残っています。

非常にありがたいです。

ふと考えてみると、昔から食べ物を人から貰うことが多い気がします。

大学生の頃、ほとんど話したことのない人から、お歳暮の残りを貰った記憶もあります。

そういえば姉が送ってきた誕生祝いもインスタント食品の詰め合わせでした。


自分が一体どんなふうに見られているのかが不安にもなります。




■1月6日

ここのところ夕方から夜にかけて頭痛がヒドイです。

時間限定的な頭痛なんてありえるのかと思います。

新年明けた頃から不規則に体調が悪いです。

元々健康体で病気知らずなだけに、たまの不調は精神的にしんどいです。


朝昼は頭痛も消えて快調と思いきや、たいした痛みではない口内炎が妙に腹立たしいです。




■1月5日

友人が私を評する言葉の中に、『何考えてるかわからない』というものがあります。

以前付き合っていた彼女でさえ、最後までそう言ってました。

私的には心外なのですが、どうもこの言葉が真っ先に出てくるらしいです。

隠し事をしているつもりは毛頭ないですし、聞かれれば当然答えているのに不思議です。

でもよく考えてみると、みんながみんな真っ先に同じ言葉で評するということは、それはそれで分かりやすい性格なのではないかとも思います。


「案外すごく薄っぺらいのかもね。」
と、笑いながら話した友人の言葉に、もの凄く真理を感じます。




■1月4日

どら焼きを貰いました。

甘いものは結構好きなほうなので純粋に嬉しいです。

よく見ると、ちょっと気になるワンポイント。

もちろん原材料にメロンが入っていないことくらいは見なくてもわかります。

割ってみると中身はオレンジ色。

どうやら夕張を主張しているらしいです。

結論から言うと、メロンとかはどうでもよかったりします。

実際予想通りに美味しいです。


基本的に『甘い』という要素があれば、それだけで大抵のものは美味しいのだと思います。


別段舌が肥えているわけでもなんでもないので、これからは何も考えず与えられるままに食物を食していくことにします。




■1月3日

のんびり暇だと思っていた年末年始休暇も、終盤は猛烈な予定のラッシュに振り回されつつ、ようやく静岡の住まいに戻ってきました。

帰りの電車に乗る直前まで人と会っていたので、それなりに有意義な時間を過ごせたのだと思います。

そして、この短い期間に複数回フラれるという類稀な経験もしました。

それでもガックリとうなだれるようなことが無いのは、『新年』『年明け』『お正月』という言葉のもつ魔力に、うまい具合に心が誤魔化されているからだと思います。


その効き目が切れる頃には、激ヤセするくらいに自虐的になっていることが毎年の定例なのだとも思います。




■1月2日

今日は中学時代の同窓会。

前回の同窓会から、約7年ぶりの再会です。

そして同日に高校時代の新年会もあります。

高校時代の新年会は少数のメンツで毎年やっているので、中学時代の同窓会のほうが『出席するべき重要度』が高い気はします。

でも今回の高校時代の新年会では、付き合いの長い友人の結婚決定祝いも含まれているので、やっぱり重要度は高いです。


会場はそれぞれ日立と水戸。
※移動時間は電車で20分くらい。

結局は微妙な時間差を利用して、両方にちょっとずつ出席するという中途ハンパな行動をすることになりました。


結果、中学の旧友からは恨み言をいわれ、高校の旧友からは『遅い』と非難を浴びる始末。


『ウチらよりも、あっちの友人をとるんだね、、、。』
と言われて平謝りの年始。




■1月1日

年末に引き続き、暇だった元旦。

携帯のメールで気ままに新年の挨拶を送ってみました。

一人一人にメールを打っていると、全員に送るまでに小一時間程の時間がかかります。

しかも送っている途中で、さっき送ったメールの返事を受信したりして、内容によってはまた返信してと、結構忙しくもなります。

結局は2時間くらいの時間を費やしました。

こういうのは、ず〜〜っと連絡を取っていなかった人と連絡をとる良い機会だとも思います。

また、諸々の事情で今まで連絡を取りにくかった相手にも、新年にかこつけてメールが出せたりもします。

意外な人からのメールは、話題にものぼりやすいので楽しいです。

そして一回の挨拶メールだけのやりとりのハズが、後々になって『私と誰々は仲が良い』とまで噂が広がってたりして面白いです。


いや、場合によっては困ります。



トップページへ